第3話


 大人達に指南してもらいながらの稽古けいこを終え、カイリ達子供は揃って剣の素振りを開始した。

 子供四人の内、十歳を超えているのはカイリだけなのがさみしいが、村はそもそも人口が少ない。

 それに、何だかんだで楽しいのも事実だ。カイリにとっては三人とも、弟や妹の様な存在であり、かつ大切な友人だった。そう思える人達がいることを幸せに思う。

 女子であるミーナが混じっているのは、もしもの時の護身用だ。ぶんぶんと振り回してまるで型にはまってはいないが、牽制けんせいにはなるのかなとカイリは気楽に考えていた。

 そうして、素振りを始めて数分経った頃。



「もっしもっし、かーめよー、かーめさーんよー」



 ぶん、と素振りをしながら、ラインとミーナが大声で歌う。リックも、ふんふんと声に出さずにリズムに乗っていた。

 楽しげな声は木刀を振る手にも力が入り、一緒に気分も高揚する様だ。カイリも笑いながら参加した。


「世界のうちで お前ほど」

「ちーからーのよーわいーもーのはーないー」

「……、ん?」


 弾んだ声が、途中から歌詞を変えた。

 ぴくっと眉が動くカイリに構わず、ラインがくるんと振り向いて。


「どーうしーてそーんなーに……よーわいんだっ!」

「はっ!?」


 いきなり木刀を振りかざしてきたので、反射的にカイリは横に飛ぶ。ぶん、と先程までいた場所を風が轟音と共に空気を切った。

 あれが当たっていたらと思うと、ぞっとしない。カイリは恨めしげに、説教もかねてラインを叱った。


「ライン! 危ないじゃないか。間違って横にいるミーナに当たってたらどうするつもりだったんだ?」

「だいじょーぶだよ! カイリしか狙っていないし」

「そういう問題じゃない! お前、さっき俺の頭に当てたの反省したんじゃないのかっ」


 朝の訓練のことを指摘して、カイリは腰に手を当てる。あれは相当痛かった。村長の薬が無ければ、まだ長引いていたかもしれない。

 ラインは一瞬気まずげな顔をしたが、すぐに持ち直してじっと見上げてきた。


「ちゃ、ちゃんと当てないつもりだったよ。……あれは、悪かったけど」

「なら、悪戯心で木刀は振らない」

「いたずら心じゃないぞ」


 見上げてくるラインの瞳が真剣味を帯びる。子供とは思えない眼力に、カイリは一瞬押し黙った。

 彼は八歳という若さではあるが、剣の腕といい胆力といい、大人と比べても遜色そんしょくがない時がある。特に子供だからと馬鹿にしたことは無いが、こういう真剣な顔にぶつかった時にどきりとすることがあった。


「んー、やっぱりカイリって、反射しんけーが悪いわけじゃないんだな」

「は?」


 いきなり何だと眉根を寄せるカイリに、ラインは「んー」と首を傾げて唸った。


「カイリって、剣もダメだし狩りもダメだし踊りもよく相手の足ふむし」

「ぐっふっ!?」

「おれの剣さけられない時もよくあるし」

「ぐっはっ!?」

「運動しんけー悪いのかなって思ったことあるんだけど」

「ぐあっ……!」


 ぐさぐさと急所を遠慮なく刺してくる。

 改めて自分の欠点を強く駄目出しされ、カイリは息も絶え絶えになった。どすん、と上から巨大な隕石が落ちてきた様に押し潰され、うずくまる。ミーナが、ぽんぽんと慰める様に肩を撫でてくれたが、余計に惨めになった。

 どうせ、と泣きながら土を掘っていると、ラインはしかし意外なことを口にした。



「でも、すぶりの『カタ』って、けっこうキレーなんだよなー」

「……かた?」



 カイリが首を傾げると、ラインは「そう」と頷く。両手で木刀を握り直し、ぶん、と一度空を切った。


「スジがいいと思うんだ。ちゃんと構えてやれば、カイリってぼうぎょもそこそこだし」

「……、はあ」

「でも、こうげきがぜんっぜんダメ。ためらいまくってて、あれじゃ当たらないぞ」

「……」


 筋があると言われたのは初めてだ。村長をはじめとして、大人達は全員才能が無いと言っていたのに。

 だが、ラインの見解は違う様だ。首をひねって続きを待つ。


「カイリってさ、こうげきすんの嫌いなのか?」

「……」


 指摘されて、カイリは少し考え込む。

 今まで意識しては来なかったが、自分の太刀筋を思い浮かべれば、確かに相手の体に剣を叩き込むのを避けていた様な気がした。何かが一瞬頭によぎる時もあるし、何となく無意識の内に、恐れと共に剣を握る手が震えていた気もする。

 何故だろうと首を捻り――不意に光景が脳裏で爆発する様に閃いた。



〝――カイリっ!!〟



「――――――――」



 よみがえったのは、『あの日』の光景だった。

 目の前に猛スピードで突っ込んでくる車が、大きく獣の様に迫った光景。

 どんっと、勢い良く突き飛ばされた衝撃。

 そう。



 自分が――『あの日』。




〝……、ケント?〟



 自分をかばって、代わりに死んだ幼馴染の無残な姿。



「――っ」



 どっと、背中に冷たい熱が噴き上がる。どくどくと、心臓が暴れ回って吐きそうだ。

 真っ赤な血。ひしゃげた体。車と石壁に強く挟まれ、幼馴染の体は悲惨なほど潰れてしまっていた。



 即死だった。



 周囲の悲鳴が甲高く空を裂き、好奇も混じった視線にさらされる中。

 警察と救急車が来るまで、カイリは呆然と立ち尽くすことしか出来なかった。その後、どんな道筋を辿り、どんな風に帰宅したのかも覚えていない。

 捜査の結果、車の運転手は運転中に発作が起こったらしく、意識を失ってそのまま死亡していたということだった。つまり、カイリに突っ込んできた時にはもう運転手は死亡していて、暴走した状態だったのだ。

 その日は、幼馴染と学校から帰る途中だった。塾も珍しく休みで、部活が休みだった彼がいつもの様に無理矢理カイリについてきたのだ。家も近かったし、帰り道が同じだったから一緒にいたのだ。


 ただ、それだけだった。


 邪険にしていた。愛想だって無かった。カイリから見ても自分は可愛くない人間だった。助ける価値だって無かった。

 なのに。



 彼は、カイリを庇って死んだ。



 そして。


〝でも――〟


 胸糞むなくそ悪くなる様な黒い声が、カイリを一層叩き潰した。人が信じられず、余計に愛想も悪くなっただろう。

 他人に失望し、己に絶望し。

 そして、毎日夢に見たのはあの日の凄惨せいさんな光景。



 その日から、カイリは血を見るのが恐くなった。



「お、おい、カイリ。大丈夫か?」

「――」


 近くで声と共に揺さぶられ、カイリは急激に現実に引き戻される。

 顔を上げれば、子供達がいつの間にかカイリの周りに座り込んでいた。心配そうに背中をさすったり、顔をのぞきこんだりしてきている。

 今、自分は酷い顔をしているだろう。思いながらも、上手く笑うことが出来なかった。


「あ、あ。ごめんな」

「どうしたんだよ。すっごい汗かいてるぞ。……おれ、何か変なこと言ったか?」


 ラインが気まずげに聞いてくる。別に彼が悪いわけではないのに、余計な心配ごとを増やしてしまった。

 むしろ、感謝している。剣術が一向に上達しない理由の一つが分かった気がした。


「いいや。……前に、嫌な夢を見たのを思い出しただけだよ」

「……ほんとうか?」

「ああ。ラインが攻撃するのが嫌いって言った意味が分かったよ。……俺、血を見るのが嫌みたいだ」


 木刀であっても、当たり方が悪すぎれば肌が切れる。そうなれば、血が流れるだろう。

 自分が流れているのは特に何とも思わないが、他人が、その上自分のせいで血を流しているのを想像すると、それだけでぞわっと肌が強く粟立あわだつ。

 原因は間違いなく前世のあの記憶だろう。どれだけ今、幸せな人生を歩いているとしても、過去の罪は消えない。

 転生してからもよく悪夢は見ていたが、記憶が鮮明化された今、もう逃げられはしない。


「……でも。そうなると俺、剣の道は本当に無理そうだなあ」


 ははっと笑いながら頭を掻く。

 元々、剣術は最初の頃にチート能力があるのではないかと思って始めたものである。村では普通に大人は剣を扱っていたし、男だからと憧れもあった。

 しかし、自分が傷付けた血を見たくないのならば、剣は振るえない。絶望的だろう。

 諦めようかと、カイリが手元の木刀に視線を落として目を伏せると。



「だったらさ! カイリは、じえーの剣ってやつを覚えればいいじゃん!」



 じえーの剣。



 ラインの放った言葉に、一瞬理解が飛んだ。

 だが、強い言葉と語気に、カイリはぱちぱちと瞬く。


「じ、じえーの剣?」

「そ! 自分をまもるための剣ってやつ! ひたすら相手の剣を受けながして、剣をはじき飛ばして、剣のさやも使って自分の身をまもるってやつだよ」



 つまり、自衛の剣か。



 ミーナがもしもの時のために剣を振るっているのと同じ様なものだが、ラインが言っているのは少し違う方面のものだろう。

 確かに剣術には、防御に特化したものもある。はずだ。幼馴染の小説の知識を適当に聞き流していただけなので、詳しくはカイリも知らない。


「それなら、カイリも相手をあんまり傷つけないで剣をふるえるじゃん。こうげきできないなら、そっちをやってみたら? おれ、教えるし」

「え」


 得意気に提案するラインに、カイリも目を丸くする。子供達も興味深げに聞いていて、少し戸惑った。

 ラインは、確かに村一番のヴォルクに迫る剣の達人だ。

 特にこの一年は、体が少しずつ出来上がってきているからか伸び方が凄まじかった。背丈もカイリの肩ほどまであるし、恐らく通常の八歳児よりも体の成長が早い。知識の方も、もう既に色々な型を覚えていそうな雰囲気だった。

 しかし。


「でもさ、……」

「なんだよ。おれの方が下だから教わりたくないのかよ」

「そうじゃないよ。得意分野は得意な奴に教わった方が良いだろうし。実際、ラインは凄いよ。尊敬してる」

「え」


 急にラインが言葉を詰まらせた。

 少し目線が泳いでいるが、何故だろうか。そんなに変なことを言っただろうかとカイリは首を傾げる。


「ライン?」

「え? あ、ああ。……じゃあ、何で迷うんだよ?」

「んー……、あのさ、本当にいいのか? 村長たち、……驚きそうだな」


 迷いながら、カイリは慎重に言葉を選ぶ。

 口にした通り、年下のラインから教えてもらうことに特に抵抗は無い。もちろん情けないなとも思うが、若いからと言って、大人より未熟だと決めつけるのは頭の固い者達の偏見だ。


 ただ、気になっているのは村長達大人の面々だった。


 彼らはカイリに剣を教えてくれてはいるが、見込みがないからとあまり積極的ではない。両親はともかく、彼らは何となくカイリが剣を持つことを良く思っていない様に感じたのだ。


 理由は分からない。歌や村の外へ出したくない案件と同様に、少し恐ろしい部分もある。


 だが、ラインは途端、口をへの字に曲げた。腕を組んで視線を逸らし、厳しい表情になる。

 彼は子供なのに、時々大人よりも大人びた顔をする。行動はやんちゃだが、精神面はもしかしたらカイリより上なのではないかと錯覚しそうだ。



「……それは、俺もちょっと腹立ってるんだよな」

「え?」



 一瞬、彼の声が低くなった。

 聞き取れずにカイリが返せば、ぱん、とラインは拳を己の手の平にぶつけて気合を入れる。


「――とにかく! カイリがだいじょーぶなら、今からおれ、教えるぞ。どう?」


 ふん、と鼻息荒く向き合ってきたラインに、思わずカイリは噴き出してしまった。

 小声で呟かれた部分は聞き取れなかったが、彼は彼なりに心配してくれている様だ。その気持ちが嬉しい。

 それに。


「……そうだな。俺も、いざって時に自分の身を守れないと、他の奴らに迷惑かかるもんな」

「へっへー! カイリはおれが守ってやるけどなー! カイリは『うさぎとかめ』のかめだからな!」

「ぐっ……」

「でも、あの歌ではさいご、かめが勝つよ」

「まあ! つまり、カイリはさいごにはとーってもつよくなるってことよね! ラインよりも!」

「げえっ! そういえば……!」


 リックやミーナに指摘され、ラインがしまったと言わんばかりに慌てた。その様子が子供らしくて、またカイリは笑ってしまう。

 そうだ。『うさぎとかめ』の歌では、亀は一生懸命ひたすら歩き続け、さぼっていた兎に勝つのだ。

 どれだけの道のりであろうとも、どれだけ見込みが無かったとしても、ひたすら信じて突き進めばいつか自分だけの道がひらけるかもしれない。


「……よし!」


 ぐっと拳を握って、木刀を手に取る。

 自衛の剣。物にしてみせようではないか。


「頼む。ライン、剣を教えてくれ」

「……よーし! こうなったら、こてんぱんにするぞー! かくごしろよ、カイリ!」

「え。コテンパンって、教えてくれるんじゃないのかよ!」


 変な方向に気合を入れ直したラインに、カイリは思わず腰が引ける。

 その様子に、彼らは楽しそうに笑い飛ばしてきた。相変わらず薄情だ。


「じゃあ、おにいちゃんたちがつよくなっているあいだに、ぼくは山にいってくるねー!」

「お。山か。気を付けてな」

「うん! ヴォルクさんと、うさぎとってくるー!」


 リックが片手を上げて、元気いっぱいに宣言する。

 彼は五歳ではあるが、男子ということで村の者達と一緒に狩りに出かけることも多い。

 カイリは攻撃も出来ないし、獣の血を見るのが苦手だからついていけない。だから、こうして見送ることも多かった。



 だけど、彼らを見送るのは楽しい。



 帰って来た時に、得意気に笑う彼らを迎えるのがカイリにはお楽しみの一つだった。


「獲物、楽しみに待ってるぞ! 行ってらっしゃい!」

「うん! いってきまーす!」


 ひらひらと手を振って、リックが走り去る。

 それを見届けて、カイリは改めて気合を入れた。狩りには参加出来なくても、自分の剣を磨いて、いつか役に立てる様に。


「……よしっ。改めてライン、頼むな」

「おー! こてんぱーん!」

「ぐ。……が、頑張るからな!」

「カイリー! あいしてるー! がんばってー!」


 ミーナがハートマークを飛ばしながら応援してくれる。

 そんな賑やかな声援の中、カイリは再びラインと夕暮れまで対決し続けたのだった。


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