第2話


 家の外に出て、ゆったりとカイリは広場を歩く。

 遠くに広がる畑は、まだ春ということもあって青々としており、周りに咲く綺麗な黄色い花とのコントラストが見る者を楽しませた。

 村の外まで引かれている川は澄み切っており、時折嬉しそうに魚がぱしゃっと躍り出ている。陽光を弾きながら上がる水飛沫みずしぶきがまたきらきら輝いて、心が洗われる様だ。

 更に視線を遠くに投げれば、雄大な山が厳かに見守る様に鎮座している。頭上に広がる青空はどこまでも広く渡り、その中をゆったりと泳ぐ白い雲が気持ち良さそうに山の先に寄り添っていた。


 本当にのどかな村だ。


 前の人生では、ここまでのんびりした気持ちで日々を過ごすことは無かった様に思う。チート能力というものが無いのは残念だったが、これはこれで幸せな人生だ。

 それに。


「おお、来たか、カイリ」


 目的地に辿り着くと、村長がほがらかに出迎えてくれた。先に集まっていた子供達三人も、「おう!」と元気良く手を上げる。


「きたかー、カイリ! 今日もこのラインさまがたおしてやるからなー!」

「カイリ、がんばるのよ! 負けてもけっこんしてあげる!」

「ちょ、ちょっと待てミーナ! く、カイリ、まだ娘は七歳だからな! よって! 娘はやらん……ぐはあっ!?」

「はいはいお父さん、子供達のやり取りに口出さないのー」

「そうよ! おとうさん、これはミーナとカイリのもんだいなの!」

「ぐほおっ!?」


 実に賑やかな歓迎がカイリを包んでくれる。

 そのまま、体当たりする様に突進してきた子供達を受け止めようとして――盛大に背中から転がった。ごん、と頭をぶつけて一瞬目の前にお星様が散る。お弁当だけは死守したが、おかげで頭がかなり痛い。


「う、ぐ、ライン! お前何するんだよ!」

「へっへー、せんてひっしょう! カイリ、よわいなー!」

「あー、ぼくもぼくも!」

「待て、リック! お、重……っ! お前たち、最近成長してきてるんだから、降りろ! 死ぬ……!」

「こりゃ! カイリはお前たちより大きいが、お前たちよりもはるかに弱いのだぞ! 少しは手加減せんか!」


 そのフォローはどうなんだ。


 村長のあんまりな言い草に、カイリが身を起こしながらふて腐れる。

 そんな態度がおかしかったのだろう。周りの大人達が助け起こす様に集まってきた。


「まったく、カイリは本当に荒事が駄目だな。そんなんじゃいのししに襲われたら死んじまうぞ?」

「ふ、ミーナを渡さない口実が出来上がったな。……俺のしかばねを越えていけ!」

「それ、お父さん死ぬわよね?」

「……しまった!? 本当だ!?」

「……ヴォルクはカイリより頭が弱いからのう。その調子だとすぐに越えられそうだわい」

「ぐぬおーっ!?」


 よく分からない内に、よく分からない決着がついていた。白い灰になって崩れ落ちたミーナの父親であるヴォルクに、カイリは呆れながらも笑ってしまう。

 剣は最弱。狩りも出来ない。基本的に自給自足なこの村で、カイリは男として致命的だ。

 しかし、畑仕事くらいしか村に貢献こうけん出来ないのに、それでも村の者達はカイリに優しかった。出来ないから、と居場所を奪うこともしなかった。



 ここは、本当に優しい人達ばかりだ。



 前の世界では、上に行くためにあざとく人を罠にめたり、蹴落とすために必死に嘘をばらいたり、孤立させるために幼稚な陰謀を企てたり、酷いものだった。

 もちろん善人もいただろうが、少なくともカイリが知る人間はそれ以上に悪人が多かった。

 だからこそ、この村の優しさに最初は戸惑った。何か裏があるのではと、距離を必要以上に取りまくったのも懐かしい。


「ほれほれ、そろそろ稽古けいこを始めるぞい。カイリも立てるかの?」

「も、もちろん!」


 ぱんぱんと村長が合図の様に手を叩き、カイリ達は急いで立ち上がった。自然と人が距離を取り、中心にはカイリと、子供の中でも大人びてきた八歳のラインが残る。

 互いに木刀を構え、カイリは緊張気味に、ラインは余裕を見せながら対峙した。


「へっへー。今日もおれが勝つからな!」

「う、……いや! ライン、今日こそはお前の剣を受け止……!」

「カイリにいちゃーん! ぼくもいるよー!」

「……って、どわあっ!?」


 ラインと向き合っていると、横から五歳になるリックが突っ込んできた。

 咄嗟とっさに横に飛んでかわしたが、正直次にやられたら回避できる自信が無い。


「おい、リック! 危ないじゃないか! 先にラインとやるから、後でな」

「ぶー。しかたないなー。ラインにいちゃん、はやくおわらせてね」

「おう! ま、カイリだからなー。おれにかかれば一発よ!」

「む。そんなこと無いぞ。多分。……」


 最後は自信が無くなったが、木刀を構えてカイリはラインと改めて対峙する。

 相手になる彼は、余裕の笑顔で見つめてきていた。構え方も八歳だというのに、大人と見紛みまがうほどに手馴れている。すきが何処にも見当たらない。

 しかも、相手は更なる優位を見せつけるためか、一向にかかってくる気配がない。じりじりとカイリを追い詰める様に、視線だけで真っ直ぐに刺してきた。


 ――こいつ、本当に八歳児かっ。


 毎度対するたびに思うが、ラインは剣を持つ時は本当に子供には見えない。自分よりも遥かに大きな姿を見せる様に、見上げる壁となって立ちはだかる。

 そうして、数分が経過した頃だろうか。

 全くお互いに動きが見られない中。



 根負けして動いたのは、カイリの方だった。



「……っ、くそっ」



 ラインに一太刀でも浴びせられれば御の字だ。

 最初から、勝てるとは思っていない。何故かいつもカイリの攻撃は、明後日の方向に行くからだ。

 ならば、今日は前に前世のテレビ中継で偶然見た『剣道』の真似をしてみよう。この世界には無い剣術かもしれないし、それならばラインにも有効かもしれない。

 そうと決まれば先手必勝。


「――、やあああっ!」

「――――」


 ぶんっと振り上げると同時に一歩を強く踏み出した。

 一瞬ラインが目を丸くするのが見えたが、それと同時にカイリの手が震える。



〝――、ケ、――――?〟



「――っ!」



 瞬間的に過った光景が、目の前のラインと重なる。血塗ちまみれの『彼』がいきなり現れた気がして、カイリの太刀筋が大きくぶれた。

 ぶんっと、全く別の方向にカイリは木刀を振り下ろす。

 それを、ラインは微動だにせずに見届け、すぐに己の木刀を左から右へと払った。


「いよっと!」

「……ぐっ!」


 別のことに気を取られたカイリは、まともに彼の木刀を受けて後ろによろける。

 したたかにわきを打ち付けられて、それでも痛みをこらえて踏ん張ったカイリに。



 がんっと、景気の良い音が頭上に振り下ろされた。



「い、……っ!」



 目の前に大量の星が散った。

 一瞬気が遠くなりながら、カイリは無様に地面に転がる。


「うっわ、カイリ! ごめん! だいじょうぶか?」

「カイリ! ちょっと、だいじょうぶ!? もう、ラインってば、てかげんしなさいよー」

「したよ! ただ、手がすべって……ごめんよ」

「いい、いい……。弱い俺が情けないだけだから、はあ……」


 秒速で敗北した事実に、カイリはいつもながら泣きそうだ。

 八歳に剣術で瞬殺される十五歳――もうすぐ十六歳だが――など世の中にどれだけいるのだろうか。弱くても、普通はもう少し善戦するのではなかろうか。

 頭を押さえて起き上がれば、ラインが少しだけ肩を落としていた。彼は元気で勇ましいが、心が優しい。カイリの頭に直撃したことを気に病んでいるのだろう。

 ラインのせいではない。剣を受け止めきれず変に踏ん張ってしまったからか、彼が木刀を振り下ろす場所に自ら突っ込んでいってしまったのだ。全てはカイリの招いた不手際である。


「大丈夫だよ。ほら、泣かない」

「な、泣いてないぞ!」

「そうか? ……でも、本当にラインは強いよな。村一番のヴォルクさん相手に良い勝負するもんな」

「……へっへー! もちろん! 将来は騎士になるんだからな! カイリのことも、ちゃーんと野盗とかから守ってやるからな!」



 八歳に守られる十五歳とは一体。



 だが、あながち外れてもいないこの状況に、カイリは乾いた笑いしか出てこない。

 それでもラインが元気になったのなら良いかと納得した。

 ちなみに、村一番の剣士であるヴォルクは、得意気に胸を張っていた。隣で妻が呆れた様に笑っている。いつもの光景にカイリも和んだ。


「ほれ、カイリ。少し頭を見せんか」

「村長」


 最初の試合が終わり、次の試合にラインが挑み始めてから、村長が静かに歩み寄ってきた。

 カイリも素直に頭を見せる。彼は村の中で医者の役割も担っていた。


「ふむ、まあコブになるかもしれんの。薬をつけておきなさい」

「はは、……ライン、力、強いからなあ。ありがとうございます」


 村長がつぼを取り出し、中のクリームを塗ってくれる。

 触れられるとかなり痛いが、彼の薬はよく効く。夜にはもう痛みは引いているだろう。


「相変わらずカイリは、剣が弱いの。まだ続けるのかの?」

「……はは、まあ。ええ」


 呆れた様な村長の言葉に、カイリは曖昧あいまいにごす。

 笑って誤魔化せば、村長は溜息を吐いた。それ以上は追及して来なかったので、カイリも話題を移す。


「ライン、大きくなったら騎士になるんだろうな」

「ほっほ。それが夢じゃからの。……少しさみしくなるじゃろうが」


 ヴォルクと打ち合っているラインは、果敢に立ち向かっていっている。

 カイリは剣はすこぶる弱いが、それでも分かる。彼は日に日に物凄いスピードで腕を上げていっていた。本当に強いと尊敬する。

 ヴォルクが右にフェイントをかけると同時に、ラインはそれに乗っかるフリをして相手の軌道きどうを読んでいる。ヴォルクのぎ払いをしゃがんでかわし、懐に一気に飛び込んでいった時には、流石にヴォルクも冷や冷やした様だ。寸ででかわしていたが、一瞬ヴォルクの顔には焦りの様な笑みが浮かんでいた。



 この国には、国を統括する教会騎士団という組織が存在する。



 国を守護する、教会独自の精鋭の集まりだ。

 基本的に教会は宗教の統括をしているというていではあるが、実質は政治も担っているらしい。教会の権力は絶対らしく、国王と言えども教皇に破門を言い渡されれば法的にも守ってもらえなくなる仕組みらしい。

 この村には歴史的な本があまり置いていないので、両親や村長から伝え聞いた話の知識しかないが、前世で言えば中世時代の欧州あたりを想定すれば良いかなとカイリは理解した。

 ラインは、その教会の騎士団に入団することを目標としているらしい。理由はよく分からないが、「カッコ良い」からだそうだ。怪しい集団でなければ良いなと、願うばかりだ。


「エリックも、前に村に帰って来た時に『教会騎士になる!』といきなり宣言し始めたのう」

「ああ、エリックさん」


 エリックはこの村出身の青年だ。行商人として世界を旅しており、滅多に訪問者が来ないこの村に時折珍しい品物を届けてくれている。

 そんな彼は、三ヶ月前に帰ってきた時に、衝撃的な出会いがあったらしい。教会騎士団に入団したいと言い出し、両親をはじめ全員を驚かせたものだ。


「エリックさんって、あんまり争いごと好きな感じはしなかったですけど」

「うむ。あれから三ヶ月か。どうなったのか……便りも無いから分からんがの」


 一ヶ月に一回のペースで、エリックは己の両親てに手紙を出していた。

 だが、確かにこの三ヶ月は届いていない。前にも一度そんなことはあったが、あの時は「山もりをしていた」とあっけらかんと話していた。心配していた彼の両親が脱力したのは今でも覚えている。

 今回もそんな話で終われば良い。秘かに憂いを帯びた彼らを思い出し、カイリは願う。


 ――しかし、教会騎士団か。


 改めて反芻はんすうして、カイリはふと疑問に思った。



「そういえば、王直属の騎士団って無いんですか?」



 カイリとしては、本当に純粋な疑問だった。特に他意も無かった。

 だが。



「……カイリは、騎士になりたいのかの?」

「え、……」



 不意に真剣な眼差しとぶつかった。ひやっと、首筋に冷たい感触を当てられた気がして、背中が悪寒に震える。

 首に手を触れてみたが、特に何も無い。それなのに、剣を突き付けられた様な錯覚に陥った。


 ――何か、まずいことを言っただろうか。


 思いながら、カイリは懸命に首を振る。


「いや、そうじゃないんですけど……でも、一応王様はいるんでしょう?」

「まあの」

「だったら、教会騎士団だけじゃなくて、王直属の騎士団もあるのかなって」


 本当にそれだけが疑問だったのだが、村長は別の意味を考えていた様だ。

 じっとカイリの目を見つめた後、空気が和らぐ。どっと肩の力が抜けた様に疲れが増した。


「昔はいた様じゃが、今は形だけのようじゃ。何しろ、教会が強すぎてな。本当に王の護衛程度といったところらしいの」

「……護衛」


 そこまで教会が権力を握っているのか。

 何となく権力が集中し過ぎていることにカイリは不安を覚えた。前世の世界でさえ、権力を分散させる考え方があったのだ。一手に集まれば独裁になることは目に見えている。

 カイリのこの世界の成り立ちや歴史の知識は、ほぼ両親や村長からの口伝くでんだ。もっと詳しく学びたいと言ったこともあるのだが、何故か大人達は良い顔をしなかった。

 故に、カイリの知識は子供達と大差がない。むしろ、子供達より無いかもしれない。

 今の人生ではそこまで勉強に力を入れていないが、学ぶのを制限されると、それはそれで何となく落ち着かなかった。



 ――『外』で歌を歌えないのと、何か関係があるのかな。



 聞きたかったが、教えてくれるとは思えない。

 それに、両親が悲しむかもしれないことを無理強いは出来なかった。


「ま、カイリが騎士になりたかったとしても、剣術試験で落とされるのがオチじゃがな!」


 ほっほっほ、とほがらかに村長が笑う。その通りに過ぎて、カイリはぐうっとうなるしかない。

 目の前では、ラインがヴォルクに紙一重で打ち倒されたところだった。同じ様に唸っている彼に親近感が湧く。


「くっそー! 今日こそは勝つって思ったのに!」

「はっはっは! 俺に勝とうなんざ百万年早いわ!」

「あら。あと半年くらいじゃないかしら」

「おっぐ!? お、奥さん、夫に少し厳しすぎじゃないですかね」

「あらあ。事実は正しく、よ」


 ころころと口に手を当てて笑う妻に、ヴォルクが崩れ落ちる。

 ラインは少し納得いかない様だったが、ぶつぶつと口の中で何事かを繰り返していた。恐らく反省点を振り返っているのだろう。彼は剣術に本当に熱心だ。


「あ! そうそう、カイリ! たのまれてた絵、描いてきたわよ!」


 泣いて突っ伏す父親のヴォルクをすり抜け、ミーナがカイリの元へと走ってくる。本のページを開いて得意気に見せてくる彼女に、カイリは「おお」と感嘆した。

 ページには一枚一枚、きのこや山菜の絵が鮮やかに描かれていた。一ページの三分の一を使って、丁寧に細部まで描きこまれている。カイリの注文通りだった。


「凄いな! 相変わらずミーナは絵が上手いよなあ。将来、画家になれそうだ」

「ふふ。カイリのおくさんになるんだもの。当然よ!」

「のおっ!? ちょ、父さんは認めてませんよ! カイリ、貴様ー!」

「はいはい。お父さんはちょっと黙っていてねー」

「ふぐっ!」


 素早く復活したヴォルクに、手刀を頭上に叩き込む妻。またも崩れ落ちた父には目もくれず、ミーナがえっへんと胸を張った。


「どう? ちゃんとカイリが求めてるもの、ある?」

「ああ。これで、きのこと山菜の図鑑が完成したぞ。やっぱり文字だけだと分かりにくい部分もあるし。ありがとう」

「えへへー。どういたしまして」


 少しだけ頬を染めてはにかむミーナに、カイリはよしよしと頭を撫でる。何故かうつむいてしまった彼女に疑問符が浮かんだが、村長達が微笑ましそうに見守っているので特に問題はないのだろう。

 ミーナに手伝ってもらって作った本は、この村に生息するきのこや山菜の一覧を本にしてまとめた図鑑だ。



 カイリは、剣も狩りも全く出来ない。



 ならば、せめて他のことで役立てないかと始めたのが図鑑作りだった。

 村は狩りや農業以外にも、山菜取りをして生活をまかなっている。山菜取りならとカイリも同行してむのだが、いつも注意事項や見分け方を口で伝える方法なのが気になった。


 詳細に覚えていられる彼らは尊敬する。

 だが、万が一記憶がおぼろげになってきたら、間違いが起こってしまうかもしれない。


 故に、カイリは教えてもらった知識を図鑑でまとめることにした。

 目で確認出来れば分かりやすいし、子供達にも教えられる。以前街で買ってきてもらった図鑑は、この山だと取り零しがあるので必要だったのだ。

 文章は山菜やきのこに詳しい人達にチェックしてもらった。絵は、ミーナに実際に本物を見てもらって描いてもらったのだ。

 あいうえお順に目次も作ったし、後は見て慣れるしかないが、間違いは少なくなるだろう。協力してくれた人達に感謝だ。


「本当にありがとう、ミーナ。……村長、山菜ときのこの図鑑、完成しました」

「おお、よくやったの。しかし、本にしてまとめるのは思いつかなかったわい。助かったぞ」


 よしよしと頭を撫でられて、気恥ずかしくなる。

 あと一月ひとつきほどで十六歳になって成人するのだから子供扱いはと思ったが、不思議と嫌な気分ではない。村長は人の扱いに長けている。


「……っはあ、しっかしな。図鑑作っちまうとは、カイリらしいな」


 いつの間にか復活したヴォルクが、腕を組んで図鑑を覗き込んできた。感心した様に眺めて、あごに手をかける。


「え、そうですか?」

「ああ。ま、街に行ったらそれなりに書物はあるけどよ。それでも、図鑑にしようなんざ考えもつかなかったし……いっそ学者目指したらどうだ?」

「が、学者?」


 いきなり突飛な提案をされ、カイリは目を白黒させる。

 だが、周りは納得する様に「ああ」と頷いた。


「それはいいのう。剣は駄目だが、頭は良さそうだからの」

「おー! がくしゃ! カイリ、カッコいいな!」

「ほんと、かっこいい……さすがわたしのおむこさんね!」

「く、娘は渡さん……! ……は、ともかく。どうだ、カイリ。この村で発明したら、有名になるぞー」


 にやにやと笑って、ヴォルクが勧めてくる。他の者もうんうんと頷いて同意していた。

 学者か、と思いながらカイリは想像してみたが、いまいちピンと来ない。一度勉強を放り投げた身としては、本当にそちらの道に進めるのかという抵抗もあった。前世の知識も、長らく使っていないので錆び付いている。

 だが、それよりも何よりも気になることがあった。



 彼らは、街に出れば、とは言わなかった。



 街には普通に学校があるのではないだろうか。この村は子供がそこまでいないから大人達が勉強を教えてくれるが、街や都市はそれなりの規模のはずだ。

 中世っぽい世の流れなのに時計は普通にあったり、けれど移動手段は徒歩か馬車しかないという、いまいち文明レベルが把握出来ない世界ではある。

 そんな世界でも、街に書物があるならば学校もありそうだ。



 しかし、彼らの頭の中には、『カイリが村の外に出る』という発想が無い。



 ラインのことは騎士になって外に出るのを認めるのに、カイリにはそれを勧めない。

 暗に、外に出るな。そう言われている気がした。


「んー、そうだなあ……学者か。いまいちピンとこないけど」

「ま、時間はあるからの。ゆっくり考えてみなさい」

「ふっふ、カイリは何を発明するんだろうな。ああ、そうだ。年中畑を使える良い方法とかいいな!」


 ビニールハウスとかだろうか。


 前世で勉強した知識が、本当にあまり生活に役立っていない。

 算数や部分的な知識の応用は可能だが、畑については全く勉強しなかった。せいぜい土を休ませるなど、基本的なことしか知らない。


「んー……本格的に勉強するなら、……寒さに強い野菜、とか?」

「おお、いいな!」

「土づくり以外に出来ることがあるなら、冬の食糧もぐっと楽になるし……よろしく頼むわ、カイリ」

「はは、分かりました。……頑張れたら研究してみますよ」


 和やかに返しながら、カイリはしかし別のことを思う。


 この村は、とても優しい人達ばかりだ。


 剣も狩りも出来ない、村の男としては役立たずな自分を責めたりはしない。

 誰も馬鹿にはしないし、子供達も弱い自分を慕ってくれる。

 両親も、元気であれば良い、健やかであれば良い、とそれだけを願って愛情を注いでくれている。

 カイリにとって、これ以上の優しい世界は無い。両親も、村の人達も大好きで、不満は無かった。

 けれど。



 外に出ることは、許さない。



 その一定の線引きに、カイリは底知れぬ不安を抱いていた。


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