2-65 PM20:20/天理賢人【アイスキュロス】①

 都市公安委員会の息がかかった大手メディアによる報道規制と情報工作によって、いまいち危機感の欠けたところのある下層や中層と異なり、最上層は物々しい雰囲気に満たされていた。まるで最上層の空間そのものが、じっと息を潜めたように静まり返り、未曽有の嵐が過ぎ去るのをただ待っているかのようでもあった。

 鬼禍再来の報せを受けた市の要人たちは、今は亡きグルストフに代わって都市緊急権発動に伴う治安維持の全権を委任されたディエゴ・ホセ・フランシスコ主導の下、都市警察ガーディアン所属の要人警護専門のプロフェッショナルたちを、それぞれの居住区画に配備させている状況にある。有識者たちの意見交換会で利用される会議場や、冠婚葬祭の施設、企業連合体に連なる有力企業の本社ビル、都市公安委員会の居城とも言える議事堂にも、同様の態勢が敷かれていた。

 何かしらの呪的意味が込められているのか、最上層は北斗七星の配置をなぞるように区分けされており、居住区画や主だった施設は最上層の北側――ドゥーベ区、メラク区、フェクダ区、メグレズ区の四区域に集中している。それに対して、エヴァたちが足を踏み入れた場所は自然公園からほど近い南側のベネトナシュ区であったから、市警のセンサーに引っかからなかったのも頷けた。

 もちろん、市警が保有する科学技術や治安維持関連の法律をを鑑みれば、警備対象を拡大することになんら問題はなく、それこそ各主要幹線道路の封鎖と検問、およびドローンによる無人警邏を活用すれば、鬼血人ヴァンパイアの居場所はたちどころに割れたに違いない。

 だが、ディエゴはそれをしなかった。あくまで人命保護と施設警備を最優先事項として市警に通達し、鬼血人ヴァンパイアの捜索には人員を割り当てなかった。それは、彼が怠惰な為政者だからというわけではなく、ましてや怪物を刺激することに躊躇したからでもない。騒乱と静謐。その中間にあるような状況を演出することが、目的・・を遂行するために最も望ましいことだと考えたためだ。

 いま、この状況下における水銀色の野心家の目的・・……それは、彼が己の人生の最終目標ラストオーダーと定めた現象・・を実現するために不可欠なものであると、他ならぬ彼自身が判断しており、その目的をクリアするために、彼はそこ・・にいた。

 最上層の中央に位置するアリオト区。あえて警備を手薄にするよう意図的に行動することで生じた空白のスポット。そこには、さながら古代エジプト時代の記念碑オベリスクを彷彿とさせる、方尖型の塔に近いかたちをした一棟の建造物があった。先端部から基部に至るまでの全てが耐酸性コーティングの施された白一色に染まっている。シンプルでいながら迫力あるその色彩の存在感は、この闇夜にあっても輝かしい白さを放つほどだった。

 積層都市をホールケーキに見立て、方尖要塞キャンドルと名付けられたその五階建てから成る純白の建造物は、表向きには学究局直轄の気象観測所として知られている。だが、実際にはそれが全くのデタラメであることを、他ならぬ学究局のトップを務めているディエゴは知っていた。なにせ、学究局の一般職員はおろか、ディエゴですら四階以上の進入を禁じられている施設なのだ。自ずと、目的が気象観測などという穏やかなものではなく、別の意図で造られた建物であることは、都市の中枢に深く食い込んでいる者なら推して然るべしであり、ゆえに踏み込むことを躊躇われる施設でもあった。

 だが、今は平時ではない。ディエゴは都市緊急権発動を振りかざし、治安維持の名の下に「施設内の安全管理の調査」というお題目を打ち立て、最上階への登攀を成し遂げていた。七体の魔導機械人形マギアロイドを引き連れて。黒いローブを羽織る彼女らのほとんどが返り血を浴びているのは、四階以上を警備していた、企業連合体と独占契約を結んでいる呪学療法士たちを、一人残らず殺害したからである。

 血だまりだらけの五階の廊下を突き進む異様の集団。左右に分かれて先頭を突き進む魔導機械人形マギアロイドは二体。その後方にさらに二体。そのすぐ後ろにディエゴがおり、最後方でしんがりを務める三体が三角の陣形を維持しながら周囲を警戒している。

 見ると、先頭を往く二体の間に、一人の大柄の男が挟まれていた。まるで強制連行でもされているかのように、両脇を歩く魔導機械人形マギアロイドにがっしりと腕をホールドされ、ずるずると引きずられるように歩いている。身長は倍ほども違うが、それでも抗えないのは、それだけディエゴお手製の人形たちが、尋常ならざる膂力を有していることを如実に物語っていた。

 男は、捕らえられた際に散々抵抗したのだろう。右頬には鈍器のようなもので殴られた痕があり、たてがみを彷彿とさせる白髪はとことん乱れ、たっぷりと蓄えられた白髭には本人のものと思われる血がこびりついている。人生の勝利者であることをこれ見よがしに主張するはずの高級スーツも、あちこちが破れて散々な有様だった。

「こんなことをして、ただで済むと思っているのか!?」

 企業連合体の総代に立つシンマ・D・クサナギが、口惜しさを隠そうともせずに毒づいた。どうにか首だけを回し、背後を歩く人形たちの肩越しにディエゴを鋭く睨みつけると、再三の警告を口にする。

「《天理賢人アイスキュロス》の影響力を甘く見るな。企業連合体の技術力を独自に拡大し続ける彼ら・・に抗うなど狂気の沙汰だぞ。今からでも遅くない。考えを改めろ。この都市は彼らがいてこそ成立しているのだ。そのことが分からない貴様ではあるまい」

「この期に及んで口数が減らないあたり、利潤追求集団の音頭を取るだけの胆力があると褒めるべきだろうな。ますます知りたくなったぞ、シンマ。貴様の大脳の襞に蓄積されているアクセス・コードが、どのような配列を成しているのか。都市を裏から操る黒幕マスターマインドの傀儡に成り下がった貴様に、果たして思考と呼ぶべき能動的活動力があるのかどうか」

「ぬかせ。私も企業連合体も、自ら進んで《天理賢人アイスキュロス》の実装に着手したのだ。傀儡ではない。もう二度と、戦争などという過ちを金輪際犯さないためにも、永遠の統治者となった彼らの導きが必要だというのに、どうしてそれが分からないのだ」

「機械知性体の導き出す解を現実のものとするために、法律や技術や流行という名の方程式をあの手この手で組み上げる。都市を運営していくうえで、その姿勢は間違ってはいないだろう。私にとって、彼らの導き出す回答が、明らかな誤答であるという点を除けばの話だが」

「機械知性体……ふん、その程度の理解力しかないのなら、あれを簒奪するなど、夢物語だな」

「早まるなよ、シンマ。今のは分かり易く喩えただけだ。深層学習を上手に使いこなすだけの、そんな単純な存在ではないことくらい、とうに見当がついている」

「……なんだと?」

 うろんげな目つきになるシンマを挑発するように、ディエゴが続ける。

「いったいどこの呪学療法士にアイデアを得て実装したのかまでは把握していないが、さぞかし苦労したことだろう……呪術の規格化・・・・・・には」

「貴様、なぜそれを……誰から聞き出した!?」

 驚愕に目を見開くシンマ。我が意を得たり、とディエゴが不敵にほくそ笑む。そこで合点がいったのか、憤怒の形相になってシンマが嚙みついた。

「ルドフルだな……!? 諜報局々長ルドルフ・ミュラー……ッ! くそ! あの狐が! スパイをウチに潜り込ませていたのか!? なんという奴だ! 信じられん!」

「おいおい、状況証拠だけで私の義理の弟を疑ってもらっては困るな。まぁなんにせよ、これで私が《天理賢人アイスキュロス》の力を活用するのに相応しい立場にあることを、理解してもらえたかな?」

「貴様は戦争をしたいのか!? なぜプロメテウスが階層都市として創り出されたのか、その根本を理解していないようだ……もあるというのに……ッ!」

「私はな、世界が一方的に決めつけた価値観を上書きしなければ、気が済まないタチなんだよ……おや、そうこうしているうちに、目的の場所に着いたようだぞ」

 頭に血が上ったままシンマは正面へ向き直り、さっと血の気が引いた表情になった。五階の突き当り。目の前には、頑なに閉じられた両開きのドアがある。カードによる電子錠式ではなく、よりセキュリティーを高めた掌紋認証式である。

「ただちに口を閉じ、代わりに手を動かしてもらおうか。従わなければ、妻子の命はない」

「……ッ!」

 これまでにない屈辱感と恐怖心を噛み締め、プロメテウスの企業利益を貪る男は、眉根をきつくハの字に寄せるしかなかった。水銀色の野心家。彼に目をつけられた時点で、すでに人生の勝利者という称号は、はく奪されたも同然だった。

 右側に立つ人形が拘束の力を緩めた。シンマは震えながら右腕を前へ出し、ドア横に備え付けられた掌紋認証パネルへ、恐る恐る右手の平をくっつけた。五秒と経たず、パネルが入室許可を示す緑色に点灯し、さっとドアが左右に開いた。

 空調設備が常時稼働しているらしく、ひんやりとした空気がシンマと人形たちの足下を撫でるように流れていった。室内は広く、だが一方で窮屈さを感じさせる内装だった。部屋のあちこちに、おびただしいほどの電子機器が配置されているせいだ。スリープ状態になっているのもあれば、起動状態のままな機器もある。壁掛けされた数々のモニターには何かしらの演算結果と思しき数値が表示されていた。

「これはこれは……ずいぶんと凝った作りの代物だな。創作者のセンス爆発といった感じだ」

 ディエゴは賞賛とも嘲笑ともつかぬ台詞を口にしながら進み出ると、意気消沈とした様子のシンマを押しのけ、蛇のように床を這う太いコードたちを踏みつけながら部屋のど真ん中に立ち、雌雄を決する覚悟を秘めた猛獣のような目つきで、それ・・を見上げた。

 何かを捧げ持つように両腕を高く掲げる、首なしの彫像。黄金色を放つブロンズ製のそれは、横幅と高さ共に、目視でおよそ五十メートルはあった。

 見事なまでに異様な造りの彫像だった。首からは大量の入力/出力ケーブルが頭髪のように伸びて、右肩から左腰にかけては、血のように赤い大きな布が掛けられている。彫像の足下には漆黒の台座があり、そこだけ造形が現代的な、シャープなフォルムをしていた。耳を澄ませると、台座から稼働音の唸りが聞こえる。どうやら彫像の機能を制御しているらしい。つまりは、台座の役割を兼任している制御装置というわけだ。これだけの重量物を支えているのだから、随分と頑強な素材で作られているに違いなかった。

 彫像は、その大きさもさることながら、異形そのものな佇まいから、この場を支配しようとする圧倒的な威圧感を見る者に与えた。その迫力に気圧されかけながらも、ディエゴは大きく息を吐くと、水銀色の総髪を右手で軽く掻きあげ、背後に続く人形らへ向けて冷静な調子を崩さずに指示を出した。

「お前たち、仕事だ。狗に成り下がった敗北者の頭蓋から鍵を引き出し、黒幕マスターマインドの眠りを覚まさせてやれ」

 人形らは軽く頷くと、まず一体が、その手に持つ長大な魔力変性増幅杖キャラメリゼ・ロッドの柄で床を叩いた。カン、と小気味良い音が響いた瞬間、束縛の魔導式が起動。シンマの巨躯が床へ崩れるように倒れたところで、今度は別の一体が、影のように彼の背後へ忍び寄った。

 声を上げて抵抗するシンマを尻目に、ローブの裾から伸びる人形の白い指先がうなじに触れ、電脳技術習得者に特有の身体的特徴を――ネット空間へ没入するためのマルチスロットの蓋をこじ開け、人工皮膚に覆われた左手首のカバーから有線ワイヤードを引き出した。その端子部分をスロットへ接続した瞬間、床に倒れ込んだままのシンマの体が、陸に打ち上げられた魚のように、びくんと大きく跳ね、やがて白目を剥いて動かなくなった。電子の煌めく刹那の間に企業連合体自慢の攻性防壁ファイア・ウォールをあえなく突破され、違法な電子的侵犯を許してしまった結果だった。

 凄まじい速度で必要な情報が抜き取られ、脳漿と一体化してネットワークを構築している電脳基板サーキットのクロック数が跳ね上がり、大脳全域に急速な負荷がかけられていく。シンマの両目から、耳から、どろりと濃い血が垂れ落ちる。うなじに至っては、容易に触れられないほどの高温になっていた。それだけの肉体的負荷が物語るのは、人形が電子的な力技を発揮して《黄金賢人アイスキュロス》へのアクセス・コード、および起動マニュアルのテキスト・データを抜き取るのに一分と掛からなかったという事実だ。

 準備段階を終えた人形は、興味を失くしたかのようにシンマの亡骸から視線を逸らし、他の六体と共に台座の近くへ集合した。七体の人形は円陣を組み、お互いに手を取り合いながら、これまた互い互いのうなじに有線ワイヤードを接続しはじめた。塔に蓄えられた電子装置に立ち向かうために、並列処理を実行しようと言うのだ。

 そうして、入力を担当する一体の人形が、台座と手首を有線ワイヤードで接続し、いよいよ起動に取り掛かった。

 電子機器の途切れることない駆動音のみが、室内を満たしていた。

 やがて、七体の人形たちが、発作でも起こしたように痙攣。アクセス・コードの入力と、起動マニュアルを実行している何よりの証拠。その様子を、ディエゴは固唾を呑んで見守り続けた。常に第三者的な視点で会議に臨み、余裕綽々といった風体のこの男にしては、ずいぶんと緊張した面持ちをしていた。

 どれだけの時間が経過したか。一分だったかもしれないし、十分だったかもしれない。だが確実に言えることは、その時は訪れたということだ。人形たちの痙攣が、さざ波のように引いていき、壁に設置されている多数のモニター上に表示されている数値が、再び変動を始めたのだ。

「アルゴリズムの選択に成功したか……よし!」

 結果を見届けたディエゴは拳を握ると快哉の声を上げ、異様なる彫像を振り仰いだ。

「やはり……私の推測は正しかった! 規格化された呪術……魔導技術に極めて類似した機能……それが、この汎用AIにも利用されている! 量子もつれを利用した近未来予測と言えば聞こえが良いが、その実態は呪術に精通した無数の人間たちの脊髄と大脳を繋ぎ合わせ、モジュールによって莫大且つ安定した演算機能を有する有機と無機の複合産物。いわば、人の集合的無意識を観測し、自らも人の意識を宿したAI……それが貴様の正体というわけだな? 黄金の賢人……都市公安委員会の最上位存在。やはり貴様が、この都市の黒幕マスターマインドというわけだ」

 看過したかのようなディエゴの物言いに、黄金色に輝く彫像……《天理賢人アイスキュロス》は上位次元らしい対応で闖入者をもてなした。捧げ持つように高く掲げられた両腕。その空の掌から、下水が流れるような音がしたかと思うと、鮮やかなピンク色をした肉の塊が、沸き上がるように出現してきた。まるで、噴水から吹き上がる水のように。肉の盛り上がりに合わせて、薄青い神経と赤黒い血管が網目状に形成されていき、成長に伴って、ぶしゅり、ぶしゅりと、新鮮な血を腕に垂らしていく。

 ディエゴにとって、その悪魔じみた光景は、どこか既視感があった。すぐに、それが何であったか思い出した。人体跳躍手術ゲノム・ドライブの被験者の一人――《緋色の十字軍クリムゾン・バタリアン第三小隊サード・プラトーンに名を連ねる殺戮の道化師、ヘイフリック・ザ・ディスクランチャー。不死細胞アンデッド・セルを移植され、欠損した肉体をただちに自動再生する神業を身に着けた戦士。彼の者と同様の現象が目の前で起こっていた。

 だが、ディエゴは特に驚いたりはしなかった。人体跳躍手術ゲノム・ドライブは魔導技術を基盤して生まれ、《天理賢人アイスキュロス》もまた魔導技術と類似した力を持つ。その論理で言うなら、細胞再生と似たような力を彫像が有していても、なんら不思議ではなかった。

 肉塊はバランスボールと同様のサイズまで膨れ上がったところで成長を止め、また別の変容を遂げていった。紅を差したかのような唇がひとりでに生まれ、多数の眼が生まれた。目には涙腺も瞼もあった。その眼が、一斉に足下に立つディエゴを見下ろし、粘ついた糸を引きながら、唇が開いた。黄色く変色した乱杭歯が、その隙間から見えた。

われわれの深層領域を正鵠に言い当ててみせるとは……己が知性に驕り高ぶり、無礼千万なる振る舞いを意に介さぬ都市の細胞片よ……そなたの名を申せ」

 一つの声だけでなく、多数の声がそう告げた。幼い子供の声、快活な青年の声、落ち着き払った老婆の声、威厳ある壮年の声。あらゆる音域が重なり、ほとんど不協和音に近い音質の声を《天理賢人アイスキュロス》の唇が傲然と放った。

「馳走に与る、プロメテウスの君臨者よ。私はディエゴ・ホセ・フランシスコ。プロメテウスの炎を、人間の手に取り戻すために生きる者だ」

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