2-62 PM19:50/操作される都市

 人生というのは本当にままならないものだということを、キュリオス・ラーンゲージ・モージョーはその時間、その場所で、その年齢で、嫌と言うほど実感していた。

歴史の裏舞台で暗躍し、この欲望渦巻く積層都市で隠然とした影響力を獲得するに至ろうとしている高名な呪学療法一家の人間であることに誇りを持つ一方で、だからこそ、大方のことは思うがままに進行してしかるべきだという自負心を備えるように、小さい頃から叩き込まれてきた。

常に状況をコントロールすることを意識せよ。

それはモージョーの名を冠する人間全てに与えられし「使命」なのだと、偉大な祖父は説き続けた。その使命を「活用」できない奴は一族の者として堕落しきっているのだという忠告も、同じくらいの熱量と濃度で聞かされてきた。

十歳という年頃の呪学療法士としては、わりとよくやっているほうだと、キュリオスは自己評価している。わずかばかり自惚れの面があるのは否定できないが、しかし事実そうなのだから仕方ない。恥辱、侮蔑、亡念。濡れた土中を這い進むミミズのようにして宿る生臭い感情を刺激し、揺さぶり、支配する。それこそ呪術の要諦である。そのことを十分に心得てキュリオスは仕事に取り組んできた。

しかし、どうしても水銀色の髪をしたあの男を――ディエゴ・ホセ・フランシスコを前にすると、自分のペースが乱されてしょうがなかった。

依頼人と請負人。通常なら後者たる自分の方が優位な立場にあるのに関わらず、ディエゴはそんなことを鼻から念頭に置いていないのか、ずけずけと距離感を狭めて、こちらから話の主導権を奪い取ろうとする。それも力任せではなく、狡猾な詐欺師のような手つきで。

遺憾だが、その詐欺師めいた手つきに絡め取られてしまったからこそ、自分はいまここにいるのだとキュリオスは自覚する。つい一時間ほど前に、ディエゴがその権力を行使して特別に手配した、階層間エレベーターの臨時通行許可証を手渡された時から、嫌な予感はしていたが。

そう、ここはプロメテウス最上層・・・。積層都市において最も土地面積の小さな、しかし都市運営の上で重要な施設やビルが墓標のように立ち並ぶ空間。しかしながら、いまキュリオスがいるのは政治中枢の施設ではない。むしろその逆である。

挙式会場に併設された、船を逆さまにしたような形の礼拝堂。運営会社の役員がディエゴの信者であるがゆえに、厚意で貸し出したらしい。そんな場所に自分を呼び出して何を要求してくるのかと思えばこれ・・なのだから、まったく予想がつかない。

「いい動きだ。実にいい。これなら使える……」

 身廊の真ん中付近。本来なら敬虔な信徒たちが座るはずの長椅子の一角。ディエゴが両足を組み、ふんぞり返るようにして腰を下ろし、ぶつぶつと独り言を呟いている。彼の眼前には、天井付近に浮遊する映像投射ドローンが映し出す宙空スクリーンが展開されていて、ディエゴの熱い視線はそこに注がれっぱなしだった。先ほどからずっと。

 身廊に展開されたスクリーンの向こう側で繰り広げられているのは、中層のどこかにあるヘリポートを舞台にした、怪物と怪物の争いだった。映像投射ドローンに積まれた音響装置から、現場のリアルな音が伝わってくる。都市に舞い戻ってきた鬼血人ヴァンパイアと、都市に忘れ去られた狩人の《奇跡》を巡る争いの音が。

 映像はクリアだが、手持ちカメラで撮影したドキュメンタリー映画のようにブレている。というのは、遠隔通信で現地からリアルタイムに映像を飛ばしている主体が、固定されたビデオカメラでもドローンでもなく、怪物と怪物の争いに茶々を入れて動き回っている張本人だからである。

「キュリオス、そんなところに突っ立っていないで、ここに来て一緒に観戦しようじゃないか。彼女らの活躍っぷりに、是非とも忌憚なき意見を述べてほしいところだよ」

依頼人ディエゴがおもむろに振り返って言った。エメラルド色の双眸を、礼拝堂の入り口付近の壁に寄り掛かる請負人キュリオスへ向けながら、実に親し気な笑みを浮かべて隣の席を、手のひらでぺちぺちと叩く。

「イヤだ。ていうかね、私も暇じゃないの。お人形遊びに夢中になっている姿を十歳の女の子に見せつけるド変態オヤジの余興に付き合っている時間なんてないの」

魔導機械人形マギアロイドだ。ただのお人形ではない。人体跳躍技術ゲノム・ドライブをアンドロイドに適用させた珠玉の戦闘機械。呪力の代わりに魔力を蓄えし、現代の魔女さ」

 この有様だ。あからさまな侮蔑の言葉をぶつけられても怒りの色を滲ませたり、狼狽したりすることは決してない。その鉄のような態度と柳のようないなし方に、キュリオスは今日何度目になるか分からない不快感を覚えた。

 ディエゴの言葉通り、映像を飛ばしているのは彼の秘蔵中の秘蔵として制作された、意志持つ機械人形。その眼球部に搭載された映像通信機器の働きである。

 現場に投下された人形の数は二体。ディエゴは手元のリモコンを操作して、たびたび映像の視点を交互に切り替えていた。切り替わるのは映像だけでなく、宙空スクリーンの右下に表示されている不可思議な名称も同じだった。

《バレット・バレエ》と《アーバン・フィスト》

おそらくは人形に割り当てられた識別名だろう。

それに加えて何らかのコードが……恐らくは人形たちのバイタル・データを示したものであろう数値がスクリーンの左下と右上にオーバーレイ表示されている。人形らが禍々しい造形の魔力変性増幅杖キャラメリゼ・ロッドを振るって魔道式を打ち、あるいは懐から魔導具マカロンを放り投げるたびに、数値が揺れ動いた。その揺れ動きを、ディエゴはつぶさに観察し、人形の動作に異常がないか確認しているようだった。政治家としての顔はなりを潜めていた。技術者としての顔だけがそこにあった。

「さっきからぜんぜんヘリに攻撃が当たってないみたいだけど、欠陥品なんじゃないの?」

 それとなく画面に視線を向けていたキュリオスの意地悪な指摘通り、魔導機械人形マギアロイドたちの攻撃がヘリに決定的なダメージを与えている様子はなかった。バレット・バレエの魔杖から放たれた火球は倉庫や周辺の雑木林を焼き尽くすばかりで、アーバン・フィストが放つ魔杖変形式の巨大な鉄拳は、なぜかヘリ本体ではなく地面に倒れ伏した異形の蝉人間をしつこく何度も叩き潰している。

「ウォーミングアップだからな。彼女らの動作チェックを済ませるのが目的だ。一通りの挙動を確認し終えたら、ただちに撤退させる」

「そんなことのためにわざわざ?」

「初任務に際しての実地訓練というのは大事だ。バーチャル・シミュレーションでは物足りない。それに、不安要素はできるだけ取り除く必要がある。それが重要な任務に臨む前となればなおさらだ。本番・・で余計なエラーが出てしまうのは避けたいのだよ。まぁ、このぶんなら問題はなさそうだが」

「本番……?」

「ああ、それと、ヘリはあのまま飛んでもらって構わないと個人的には考えていてね。騒乱は大きければ大きくなるほどやりやすくなる。中層から下は通常通り、都市警察ガーディアンと民間委託による常駐保安警備体制を維持するよう指示を出しているが、上層やここはそういうわけにもいかないのでな……事を順調に進めるためにも、彼らには是非とも頑張って最上層ここに到達してもらわなくては」

「ねぇ、本番って何よ。ていうか、え、なに? あの怪物たちをここに呼び寄せる気なの? 正気? 何を考えているのよ」

「呼び寄せているわけではない。状況を利用させてもらおうと言うのだ。奴らは勝手に最上層ここを目指している。《奇跡》を叶えるために……ふん、最上層か……おそらくはそれが条件なんだろうな……おっと、この話はまだ君にしていなかったな」

「結構です。興味なんてないから」

 煙に撒くような発言ばかりを続ける依頼人に心底辟易とするキュリオスだったが、ディエゴは飄然として言葉を返した。

「良い心構えだ。奇跡に縋らず、自らの力で物事を為すことにこそ意義がある。なぜなら《奇跡》とは、太古からおとぎ話の世界、物語の世界にのみ存在してきた概念だからだ。現実の世界に住む我々には無用の長物。それを手にするのはおとぎ話・・・・の住人だけ ・・・・・だと、昔から決まっている」

「それで? 五時間前に最後の依頼だなんだとぬかしておきながら、またこうして呼びつけた理由はなに?」

「契約時間はまだ十時間ほど残っているはずだが」

 自分の発言には正当性があるとでも言いたげな台詞だったが、事実その通りなのでキュリオスは何も言い返せなかった。

「イーライ・サンドリア医療局長を呪殺し、ボルケイノの血を採取し、呪殺権利執行の確認を口頭で済ませたところで『最後の依頼』と口にしたのは他ならぬ私だが……君にはもう一つやってもらいたいことがある。映像を見たまえ。女がいるだろう?」

 ディエゴはそう言って懐からポインターを取り出すと、スクリーンの一点を指した。地面に倒れ伏して息も絶え絶えな様子のダウンジャケット姿の女を、《アーバン・フィスト》の義眼がロングショットで映し出す。

「今から中層に降りて、あの女を捕獲してもらいたい。大戦時代のサイボーグで特殊な能力を持つが、君の呪術があれば捕縛するのに苦労はしないだろう」

「目的は?」

「スケープゴートになってもらうのさ。この一連の騒動の全てをあの女とその仲間たちにおっ被らせる。ストーリーを組み上げてやりさえすれば、大衆はそれで納得する」

「やれやれ、人使いが荒いのね」

「現地には諜報局の人間にも出向いてもらう。彼らに女を引き渡せば、その時点で、今度こそ本当に契約は終了だ」

「そう、ようやくワガママな依頼人から解放されるってワケか」

「それともう一つ……」

 ディエゴがスクリーンへ目を向けたまま、さっと右手を上げて口にする。

「ボルケイノの呪殺をキャンセルしたい」

「……一応、理由を聞いておこうかしら」

「必要が無くなった。プロメテウスを『牢獄』と評して殻に籠り、心の通じる仲間たちとの居心地の良い空間に甘んじていた男が、その仲間までも喪ったのだ。私は当初、奴が仲間たちを喪うことなく上層や最上層へ到達して破竹の勢いで暴れ回り、大混乱に陥れるものと考えていたが……期待したほどではなかったな。こうなってしまっては、ボルケイノの結末も見え透いているというもの。こちらが手を下さなくとも、奴は鬼血人ヴァンパイア相手に無様な敗北を喫する。断言してもいい」

「……仮に希望通りの展開になったとして、生き残った鬼血人ヴァンパイアは?」

「いざとなれば学究局の地下整備場に待機させている二百体・・・魔導機械人形マギアロイドを駆動させるが、その必要もないだろう。考えてもみてくれ。凋落を迎えた種族が、この都市を本気で潰せるとでも思うかい? 圧倒的なスケールと存在感を放つ現実プロメテウスを、滅びゆく物語ヴァンパイアが覆したことなど、人類の歴史の中で一度たりとて無いのだから」

 そう語るディエゴだったが、キュリオスからしてみれば、その独特な言い回しの裏側で蠢いている彼の企みがなんであるかの方が気がかりだった。

常に状況をコントロールすることを意識せよ――祖父の言葉が蘇る。

今のディエゴはまさにその言葉が似合う男だった。依然としてスクリーンに視線を投じてはいるものの、大脳の襞の奥では思考の火花を散らしているに違いなかった。都市に降って沸いてきた未曽有の騒乱を利用する格好で、己の野望成就のための足掛かりを得ようとしている。

哲学を実践する――数時間前の彼は確かにそう口にしていた。つまりこれから、プロメテウスはディエゴの得体の知れぬ野望を叶えるための、壮大な実験場と化すのだ。その立ち上げに間接的に手を貸す形になっている自分に対して、ひどい情けなさを覚える。仕事なのだからと割り切れるほど、キュリオスは大人ではなかった。人生というのは、本当にままならないものだ。

 スクリーンへ視線を移す。《アーバン・フィスト》のポイント・オブ・ビューで進行する映像の端に、不意にそれが映り込んだ。

瞬間、キュリオスははっとなった。頭から足先までをすっぽりと黒いローブで覆い隠し、地上へ向けて魔杖の先から火球をショットガンのように放つ《バレット・バレエ》。その全体像。陶磁器のように白く滑らかな肌と、血のように赤い眼差しに目が奪われがちだが、全体的な顔立ちの印象は、自分と同年代の少女のそれに近かった。

 呪学療法士としての素質を恐らくは有しているだろうディエゴが生み出したのが、呪術を規格化したとしか思えない魔導式を振るう彼女らだったことに、驚きこそあれ不思議はない。自由意志を持たず、ディエゴの思考に同調するように設計された人工の信者たちの姿から、キュリオスは目が離せなかった。自分と同年代の姿恰好をした少女らが、自分を語る言葉を持たずに暴力装置としての一生を送ることに、どうしても複雑な感情を覚えてしまう。

 出来ることなら、ディエゴの呪縛から逃れて、自らを語る言葉を持つ人形が現れてほしいものだと思うが……それは無理な話だろうと思えた。

今や、プロメテウスという都市そのものの「流れ」を手中に収めようとしているディエゴの手から、自由になれる術があるとは思えなかった。学究局および都市公安委員会という政治的な地盤と、魔導機械人形マギアロイドという武力を背景に、都市を自己満足な哲学の実験場と化そうとしている。その流れからは、誰も逃れることはできない。たとえ、優れた呪学療法士であろうとも。

 視線に気づいた。ディエゴがこちらを振り返り、ニヤリと笑みを浮かべている。興味のない素振りをしておきながら、やっぱり気になるんじゃないかと指摘するような、嫌らしい微笑みだった。

「ボルケイノの件は承知したわ。これから中層に向かう」

 心の内側を見透かすような視線に耐え切れなくなり、逃げ出すようにしてキュリオスは礼拝堂を後にした。

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