2-50 PM19:00/血風録①

「いい牽制になったぞ。オクトパシー、そのままもう一発、デカいのを撃ち込んでやれ。標的の居場所を炙り出してやるとしよう」

 花壇に埋め込まれた照明器具によって、眩いほどに照らされた極彩色の花々を遠慮なく踏みつける《天嵐テンペスト》のリーダー、ボルケイノ・ザ・ノックスが、首を右に振って揚々と声をかけるのは、今しがた、ギュスターヴ邸の東側の一角を占める屋内プール施設を吹っ飛ばして・・・・・・みせた、偉大なる同志の一人。オクトパシー・ザ・ベイビーシェイカーである。

「轢き殺しぢゃるううううううう!! 轢き殺しぢゃるううううううう!!」

『まかせてくれ』とばかりに、いななきを上げる人馬一体の怪人。その姿勢は、まるで水飲み場に口をつけるキリンのようである。前足と後ろ足を大きく開く一方、クラウチングスタートをきる陸上選手のように、太い両腕を地面につけている。

 疾走するのはもちろん、オクトパシー自身ではない。馬の下半身。その機械化された背面部から展開した、巨大にして威容な重火器が吐き出す、鋼鉄の爆発物だ。

 ボルケイノは赤ジャケットのポケットに両手を突っ込んで背筋を伸ばすと、オクトパシーが背負っている・・・・・・一級の装備を羨まし気に眺めた。銃身の長さから、一見すると対物ライフルのようにもみえるが、その正体は、高初速の対戦車用擲弾を備えたグレネードランチャーである。ゆうに三十キロの重量を誇るそれを平然と体内に携行できる理由は、ひとえに、オクトパシー独特の体内機構にあった。生活を送るのに必要な臓器の全てを、人の姿をした上半身へ埋め込み、臍のすぐ真下に肛門と尿線を備えている一方、馬の下半身にはテクノロジーの塊のみがぎゅうぎゅうに詰め込まれている。四肢を強靭化せしめる膨大な筋骨の他に彼女が獲得したのが、この化物じみた威力を誇る重火器であり、それにより彼女は、「生ける小型戦車」とも言うべき姿へ変貌した。

 ランチャーに備え付けられたレーザー距離計によるプログラミングで、標的を、およそ百メートル先の正面玄関――エントランス・ホール付近へ設定。四肢が生み出す踏み込みの力に耐えられるよう、科学的な改良を施された僧帽筋と広背筋。それに支えられたランチャーの銃身が、勢いよく振動。爆音と共に、高い燃焼性を誇る炸薬を詰め込んだ特性の擲弾が直線状に放たれた。

 人体工学の知識がなくとも、まったく無理くりな装備であるのは、外見からして明白。しかしオクトパシーは、ものの見事にこれを使いこなしている。秘訣は、彼女の異能にある。

 空気を操る――一概に言ってしまえばそれだけだが、こと重火器の運用においては、明確な効力を発揮する。事実、肉体と直結した火器から五十三ミリの擲弾を発射したにもかかわらず、オクトパシーの体躯は、反動とはほとんど無縁だった。足や腰といった、発射時に力が加わる箇所を空気のクッションで包み込み、衝撃を吸収/分散しているからだ。発射時の燃焼ガスによる火傷の恐れも、同様の手法で防いでいる。聴覚に至っては、耳周辺の空気の重さを変える事で自然の防音効果を生み出していた。、もちろん自身のみならず、周囲に立つ仲間たちの分も含めてである。それだけではない。肉体と触れ合うものに対しても、一時的とはいえ干渉力を持つオクトパシーの空気操作は、擲弾そのものにも及んでいる。すなわち、射線上の空気の重さを変えることで、空気抵抗による減衰効果を低下させているのだ。

 初速のスピードをほとんど殺さずに突っ込んでくる鋼鉄の殺戮弾。当然、威力は桁違いだ。着弾と同時にエントランスは爆発炎上して吹っ飛び、辺りに瓦礫と粉塵をまきちらした。

「轢き殺しぢゃるううううううう!! 轢き殺しぢゃるううううううう!!」

「射撃止め。指示があるまで待機だ」

 興奮する部下を鎮めつつ、ボルケイノは赤ジャケットのポケットから双眼鏡を取り出し、建物全体をくまなく観察しだした。いくつかの小部屋で灯りがつき、突然の爆発に驚いてしどろもどろする者達が窓越しに目に入った。その中に、少女か、もしくは少女を確保中のハンター集団がいないか確認してみたが、どれも家政婦や住み込みのコックと思しき者たちばかりだった。

 エントランスの方を見ると、もうもうと立ち込める粉塵の中、強化プロテクターを装備した者達が、怒号を上げながらわらわらと外へ這い出てくる様が、いとも滑稽に映った。さきほどまでヴォイドたちの相手をしていた、ギュスターヴお抱えの私設部隊の面々である。何人かはすでに邸内で死体と化し、生き残っていたのは十人ばかし。少なくとも《天嵐テンペスト》の面々にとっては獲物でもなんでもなく、塵芥も同然の存在だった。少女の捜索に集中したい今、余計な雑音は消すに限る。

 ボルケイノが何も言わずとも、塵掃除に動き出す影が二つ。傍らに控えていた、アトラス・ザ・ゴッドスピードと、ヘイフリック・ザ・ディスクランチャーである。

「ブッた斬って刺す! ブッた斬って刺す!」

「レディゴォォォオオオオオ!! 踊りましょうよ! 踊りましょうよ!」

 魔声を響かせながら、花々を踏み散らして庭園を駆ける両者。アトラスが股間に下げ佩いた鞘から一振りの愛刀を振りかざし、ピエロメイクのヘイフリックが七色に染まる道化師の肉体を円盤状へ高速分離。超高速で飛来する赤熱化した刃の一太刀を次々に浴び、硬質化した肉円盤の嵐で首や腕や膝を切断され、断末魔を上げて倒れ伏していく軍人たち。あっという間に、エントランス付近の地面に血の池が出来上がり、花壇に咲き誇る色とりどりの花弁が、その種別に関係なく、赤黒い飛沫に染まっていく。

〈こちらボルケイノ。邸宅正面から観察しているが、どうも動きが掴めそうにない。そっちはどうだ、ムルシエラ〉

 アトラスたちが死体を量産していく様を全く気にも留めずに、ボルケイノは、チーム随一の長身にして痩身のセミ人間へ、脳内に埋め込んだ通信機器を介して電子の声をかけた。ムルシエラは、屋敷の裏手に生え茂る林の中に身を潜め、西側からの観察に徹していた。常人よりも一回りは大きいその瞳に、昆虫が誇る極めて優れた動体視力と立体視力――すなわち複眼機能を搭載しているのもあって、監視役にはうってつけだった。

〈ヴィィイイイイイイイイイイン!! ヴィィイイイイイイイイイイン!!〉

 〈裏口から出てくるのはお付きの者達ばかりで、少女やハンター共は未確認か……了解した。そのまま監視を続けろ。どんな些細な事でも、何かあったら逐一連絡をくれ〉

 通信を切る。普段は堂々とした自信に満ち溢れているボルケイノの表情にも、ここにきて僅かではあるが翳りが見られた。冷え込んだ空気に晒されっぱなしの、ブロンドの長髪を手で掻き揚げながら、ふぅと溜息を零す。

「轢き殺しぢゃる……? 轢き殺しぢゃる……?」

 オクトパシーが勇敢なリーダーを労うかのように、女らしさをすっかり欠いた武骨な左手を、そっと彼の右肩に乗せた。ボルケイノはうっとおしがることなく、彼女の優しさに応えるように、左手を回して、その大きな右手の上に重ねて、小さく微笑んでみせた。

「心配するな。我々の望みは必ず叶える。ストロベリィのためにもな」

 そうして、力強くオクトパシーの右手を握り締めると、ボルケイノは再び押し黙った。塵掃除を終えたアトラスとヘイフリックが戻ってきても、深い思考の中に降りていったままだった。目的の物が中々手に入らないことに怒りや苛立ちを覚えるのではなく、内に溜まる激情をコントロールし、推理するためのエネルギーに転換し、状況を冷静に把握することに務めているようだった。

「(ハンター集団を雇っているのはギュスターヴ・ナイルで間違いない。協会へのハッキングで裏は取っている。なにより、敵の電脳情報にそう記されていた。ピアフが読み違えるなんてことはない。奴らはここにいる。必ず、建物のどこかに潜んでいるはず)」

 獲物を逃がさんと各員の配置を決めたのはボルケイノ自身に他ならない。彼は隊をまとめ上げるカリスマ的素質に恵まれてはいるが、戦場を駆ける兵士たちにそれぞれの役割があるように、全ての面において完璧であるわけではない。わけても、電子工作能力に関してはピアフの方がずっと専門的な知識を有している。隊員らがまだ健康な精神を育んでいた頃、彼女が口にするエキスパートな内容を咀嚼して飲み込むのに、ボルケイノ自身、かなりの時間を要したこともしばしばあった。

 電子世界の情報処理や探査において、隊随一の精密さを誇るピアフ・ザ・ディーヴァ。その彼女が、進むべき道を隊にもたらした。少女を掻っ攫ったハンター集団の電子担当者の脳から記憶情報を奪い取り、彼らの行き先を高い確度で突き止めた。

「(もしやすでに邸宅を脱したか? だとしても早すぎる。ナックルが見つけたあのワゴン車の状態から察するに、奴らに足はない。特別な移動のギミックを備えた者がいるようにも思えない。ムルシエラの監視範囲にも引っ掛かってはいない。やはり、まだ建物内にいると見て良い。とにかく、ピアフの情報を待たねばなるまい)」

 ピアフが命懸けで提供してくれた情報に、万が一にも間違いはない。ボルケイノは、そう信じ切っている。無条件に信頼されるだけの実績を、彼女は積み重ねてきたのだ。あの激烈必至な鬼血人ヴァンパイアとの戦争を思い出せばこそだ。どこもかしこも、敵味方入り乱れて混迷を極め、逐一戦況が予断を許さぬ変化をみせていく中で、彼女が誤った情報を流して隊を危機に晒したことは、一度だってなかった。彼女が定める羅針盤の針の先には、いつだって光明が輝いていた。自分達は、それを信じてここまで前進してこれたのだ。

〈天国だよ! 天国だよ! キヒヒヒヒィイイイイイイ!!〉

 果たして、今回も歌姫が天啓を授けてくれた。ボルケイノは弾かれたように顔を上げると、思わず前傾姿勢になりながら、上ずった声で飛びついた。

〈居場所を突き止めたか!?〉

〈天国だよ! 天国だよ! キヒヒヒヒィイイイイイイ!!〉

〈待て、落ち着け。西側の三階のフロア。バルコニーの周辺だと? 灯りがないが……左から三番目の窓と四番目の窓の間……なに? コンクリート製の隠し部屋? 窓がないのか? やられた! どおりで動きを掴めなかったはずだ。おっと、まだ撃つなよオクトパシー。ピアフ、標的はハンター共と一緒にそこにいるんだな? すぐにマップデータを転送してくれ〉

〈天国だよ! 天国だよ! キヒヒヒヒィイイイイイイ!!〉

〈確認した。しっかりとマーカーがつけてあるな。でかしたぞ。流石は電子世界の歌姫だ。お前の美しい呼び声が、いつだって我々を導いてくれる〉

〈天国だよ! 天国だよ! キヒヒヒヒィイイイイイイ!!〉

〈……? どうした。何をそんなに悲し気に――〉

〈天国だよ! 天国だよ! キヒヒヒヒィイイイイイイ!!〉

〈ギュスターヴが死んだ? だからどうした。我々にとっては問題など特にないはずだが〉

〈天国だよ! 天国だよ! キヒヒヒヒィイイイイイイ!!〉

〈ヤツがお前の父親だと? どういう――〉

〈天国だよ! 天国だよ! キヒヒヒヒィイイイイイイ!!〉

〈そこにいる? お前自身が? 笑えない冗談はよせ。サトゥルヌスで……爆心帯セントラルの電子機器で俺達をサポートしているんじゃなかったのか!?……いや……怒ってなどいない。ただ困惑しているだけだ。どういうことだ? ギュスターヴが関係しているのか? 何があったんだピアフ!〉

 ボルケイノが脳裡で問いかけるも、すぐに返事は返ってこない。状況の不穏さを察知したのは、ボルケイノだけではなかった。傍らに控えるオクトパシーは号令を待ちつつも、落ち着きがないように両手を地面に叩きつけている。アトラスとヘイフリックは互いに顔を見合わせ、ピアフの発言が意味するところを肉声で考察しあっている。ムルシエラは監視のプロらしく寡黙を貫いているが、彼もまた、ピアフの身に何があったか、彼女が何を考えているのか、気が気ではないはずだ。一人離れて、グラウンド・ヒルの入門ゲート付近の林に潜み、周囲の警戒に当たっているナックル・ザ・ビッグスタンプは、癇癪をこじらせていた。今まで一度だって部隊を窮地に立たせたことのないピアフ。それゆえに、ナックルの中では反動が生じているようだった。疑念という名の反動が。

〈ボクとケッコンしてくだサァアアアアアアイイイイイイイイイイ!!〉

 電子の声でピアフの曖昧な物言いを責め立てる。

 ボルケイノが間に割って入り、ナックルを諫める。

〈どやすのはよせナックル。お前はお前の仕事に集中するんだ。ピアフにもきっと何らかの事情があるはずだ。まずは仲間の言い分を聞いてやれ。戦場で散々培った礼儀を忘れたのか?〉

〈……天国、天国、が、ちか、ちか、ちかっ、ちかっ〉

〈ピアフ。説明してくれ。いったい、お前の身に何が起こっているんだ〉

 そう脳裡で問いかけた直後、ネットワーク上に奇妙な波長の音紋が二つ検出された。ピアフの電脳から送られてきたものだ。

〈ピアフ――まさか!?〉

 ボルケイノは慌てて視覚野上にピアフのバイタルデータを展開すると、戦場でのっぴきならない状況へ追い詰められた指揮官のように、下唇を強く噛み締めた。それから深く息を吐き、静かに電子の声を出した。

〈同志たちへ告ぐ。ピアフの電脳から銃撃の音紋が二つ検出された。状況から察するに、薄汚いハンター共の毒牙にかかったようだ〉

 それまで各々で好き勝手に感情を発露させていた部下たちが、急に大人しくなった。沈黙に包まれる中、ボルケイノは苦し気に言葉を紡ぎ始めた。電子の声を。大切な仲間へ抱く、切実な感情のほつれを。

〈彼女は……どうしてかは俺も見当がつかないが……今現在、ギュスターヴの屋敷にいる。位置情報を偽装し、爆心帯セントラルを拠点に活動していると我々に信じ込ませていたのだろう。なぜそんなことをする必要がある? そもそも、彼女を我々に知られないように屋敷まで移動させたのは誰だ? いや、もっと重要なのは……あのピアフが、我々に嘘をついていたということだ。俺達を裏切ったのか? それは誰にも分からない。そんなことはないはずだと信じたい。俺が直々に確かめよう。幸いにして、彼女のバイタルデータはフラットに至っていない。迅速に彼女を救助する……指示を下す。謹聴せよ〉

 疲労の色を隠そうともせず、ボルケイノは目頭の辺りを少し押さえて揉み解した。それでも、千々に乱れる気持ちを整理するのに時間は要しなかった。やるべきことだけは、はっきりしていたからだ。

 ボルケイノは照明器具の放つ痛々しい光に目を細めながら、唇を強く引き結び、踏破すべき道の先を仲間たちへ示した。

〈アトラスとヘイフリックは共に来い。俺がピアフの救出にかかっている間、卑劣にも歌姫のコンサートを妨害したマナー知らずの観客に激烈な制裁・・・・・を加えつつ、願望授受体フォークロアの捕獲に当たれ。いいか? 願望授受体フォークロアはか弱い少女だ。絶対に傷つけるな・・・・・。ナックルはその場で待機。オクトパシーはムルシエラと共に屋敷の裏手に回れ。ネズミが這い出してきたら、二人がかりで仕留めにかかれ。仮にアトラスたちが少女を取り逃がした際には、お前たちがその任を背負うことになる。頼むぞ〉

〈ボクとケッコンしてくだサァアアアアアアイイイイイイイイイイ!!〉

〈なんだナックル。編成に不満が?〉

〈ボクとケッコンしてくだサァアアアアアアイイイイイイイイイイ!!〉

 常人が耳にすれば、おぞましい叫喚に過ぎないだろう。だがボルケイノは、ナックルの叫び声の端々から匂い立つ焦燥感を瞬時に読み取り、更なる不確定要素の到来を予期した。

〈ゲート付近に敵性反応だと? ハンター共でないとすると……まさか鬼血人ヴァンパイアか?〉

〈ボクとケッコンしてくだサァアアアアアアイイイイイイイイイイ!!〉

〈なるほど。第一緊急離着陸場で仕留め損ねたヤツと同じ匂い・・がすると。だとしても腑に落ちないな。なぜこちらの居場所がバレた?〉

〈ボクとケッコンしてくだサァアアアアアアイイイイイイイイイイ!!〉

〈口を慎めナックル。ピアフが奴らに通じていると、どこにそんな証拠がある? 真実を明らかにするまで、迂闊な発言は慎め。これは隊長命令だ〉

 部下を厳しい口調で戒めつつ、ボルケイノの脳裡では神経細胞が蠢き、与えられた情報を元に、今後の対処法についての検討が始まっていた。だが新たな指示を下すよりも先に、背後に雄々しく立ち込める林の奥で、がさりと物音がした。次いで、エンジン音が林の向こうから徐々に近づき、草木を掻き分け、滅茶苦茶な奇声を上げながらナックルが飛び出してきた。

「ボクとケッコンしてくだサァアアアアアアイイイイイイイイイイ!」

「どうしたナックル!?」

 勇猛果敢に敵を迎え撃つ性格の彼にしては珍しい、明らかに何かから逃げようとする姿勢。何か、のっぴきならない状況に立たされたのだろか。

 事の次第を聞こうとボルケイノがナックルの傍へ近づこうとした刹那、林の奥から一つの影が、ナックルの巨躯を越えて飛び出してきた。ただの影でないのは一目で分かった。頭のてっぺんからつま先まで、至るところに赤光しゃっこうの亀裂が刻まれている。

 鬼血人ヴァンパイア――否、正体不明アンノウン。だが、ナックルの報告を事前に受けていたからだろうか、体が勝手に反応した。ボルケイノは素早く懐から鬼血人ヴァンパイア殺しの銃を取り出し、何がなんだか分からぬうちに、宙を軽やかに舞うその影を撃った。傍に立つヘイフリックも、遅れてはなるまいとばかりに、二本の仕込みステッキをかざして銃火を見舞う。

 だがしかし、影の動きは風と同化したかのような俊敏さを発揮し、輝灼弾は一発も当たらなかった。

「(ちぃ、ならば――)」

 影が着地し、動きが硬直した瞬間を狙う。そう意識して銃を構え直し、照準を定めようとしたボルケイノだったが、影のつま先・・・が庭園を埋め尽くす白い花弁の花へ触れた途端、思わず目を瞑ってしまうほどの強烈な風圧に襲われた。

 影が、接地したと同時に邸宅へ向かって、一直線に駆けたのだ。風圧波の正体は、前方へ踏み込んだ際のインパクトがもたらした、圧倒的な空間の歪みからくる大気の揺れであった。

 駆ける影の全身から、赤い光の軌跡が残像と化して尾を引き、草花が勢いよく宙へ舞い、地面に深い轍が刻まれる。影は勢いそのままに、瓦礫と化したエントランス手前で跳躍。五階建ての豪邸。その屋根へ軽々と飛び移る。

 ほんの数秒と経たずして、影はあっと言う間に銃の射程距離から離れた。

 青い月光が、赤い亀裂を刻んだ影の全貌を露わにする。重みと硬質さを印象付ける、血と泥で塗り固めたかのような色合いの巨躯。目や耳はおろか、口すらもない。のっぺらぼう。しかし確かな呼吸を彷彿とさせるように、一定のリズムで明滅する赤い亀裂のはだえ。その頭上に浮遊するは、不揃いな棘の生えた闇色の光環。

 ボルケイノが、ごくりと息を呑んだ。オクトパシーも、ヘイフリックも、アトラスも、ナックルも、監視に務めていたはずのムルシエラでさえ、目を奪われていた。とある一人の鬼血人ヴァンパイアの魂の楔から解き放たれて、いま豪奢な屋根の上に陣取る、その影に。

 魔人――神話の世界でしか耳にすることのない、現実離れしたその言葉が、鬼狩りに全てを捧げた異形の機械戦士たちの脳裡に、重く響いた。

「_|―_|―――・///|||!!」

 天を仰ぎ、魔人が吠えた。口なき口で、長く鋭い雄叫びを放った。百メートルの距離があっても、肌に直接突き刺さってくるような、そんな叫びだった。

 誰も動けなかった。《緋色の十字軍クリムゾン・バタリアン》の符丁を冠せられた強者たちが。これまで何百という鬼血人ヴァンパイアを狩り、洗練された野獣性を剥き出しに死闘を乗り越えてきた彼ら全員、ただただ、目の前の非現実的な光景に、圧倒されるしかなかった。それは、ほとんど感動・・に近かった。

 長い長い雄叫びの後、魔人は庭園で雁首を揃える戦士たちには目もくれず、ちらりと首を動かし、たった今駆け抜けてきた林の奥をじっと見つめる・・・・と。

「_|―_|―――・///|||!!」

 再び咆哮を上げて屋根から邸宅の裏口方面へ飛び降り、そのまま闇の中へ紛れ込んでいった。

 後には、何とも言えぬ静寂だけが残された。

〈ヴィィイイイイイイイイイイン!! ヴィィイイイイイイイイイイン!!〉

〈……同志諸君。今しがたの魔人について、邸宅裏側を観察していたムルシエラからの報告がきた。北東方面へ遁走したとのことだ。方角からして、あそこには《三十七番》の階層間エレベーターぐらいしか目ぼしい建物はないが……〉

〈ヴィィイイイイイイイイイイン!! ヴィィイイイイイイイイイイン!!〉

〈いや、追う必要はない。優先順位に変更はなしだ〉

 今後の脅威になりうると判断して排除方針を提言してきたセミ人間を落ち着かせると、ボルケイノは背後を振り返り、鼻息荒く魔人の去った方角を見つめるナックルへ声をかけた。

「ナックル。いちおう聞いておくが、お前やヘイフリックが離着陸場で戦った鬼血人ヴァンパイアというのは、アレのことか?」

 顎を軽くしゃくって問い質す。ナックルは我に還ると、山のように盛り上がった両肩に挟まれた、その小さな童顔をぶるぶると横に震わせて否定した。

「だろうな。アレは鬼血人ヴァンパイアではない。だが、それに極めて近い存在とも言える。まったく、随分と刺激的・・・じゃないか。牢獄同然の退屈な都市だと思っていたが、どうやら撤回する必要があるようだ」

 愉快そうに、低く喉奥を鳴らす。荒涼とした大地を思わせるボルケイノの灰色の瞳に、ぐらぐらと欲望の炎が灯されていた。傍に控えるオクトパシーやヘイフリック、アトラスまでも、同様の反応を見せている。

 不確定要素が積み重なり、狂気に陥りそうになっているが故の自暴自棄な反応に見えなくもないが、まったく逆だった。すでに狂った価値観で動いている彼らにとって、この状況は、願ったり叶ったりでもある。

 絶滅に瀕した鬼血人ヴァンパイアたちに再び隆盛の時を与え、プロメテウスを、いつ終わるとも知れぬ闘争の世界と化させ、そこで生きることを至上の喜びとする。

 血に塗れ、闘うことでしか自らの価値を証明できないボルケイノたちにしてみれば、得体の知れぬ強者との相対は、血沸き肉躍る興奮に悶えこそすれ、恐怖に慄き、足が竦むことなど、万が一にもありえないのだ。

「実に興味深い存在だ……が、お楽しみは後にとっておこう。まずは我々のやるべきことを優先せねばならない……ナックル。先ほど報告にあった敵の匂いは、まだ消えずにいるか?」

〈ヴィィイイイイイイイイイイン!! ヴィィイイイイイイイイイイン!!〉

「一匹だけか。二匹、この都市に迷い込んでいるという話だったが、まぁいい。ヘイフリック、ナックル、作戦変更だ。逃した敵の牙を、今度こそへし折ってやれ。他のメンバーは変更なし。各員、散開せよ」

 合図を機に、ヘイフリックとナックルが暗殺者のような機敏さで、林の中へ潜っていった。オクトパシーは駆け出しながら重火器を体内に格納し、ムルシエラと合流するため屋敷の裏手へ回っていった。

 ボルケイノの顎、両手、腰の辺りから、ガス漏れに近い音を出しながら、煙が吐き出されていった。気体には似つかわしくない重量感を感じさせる、銀色に輝く煙だった。その煙が、ひとりでに収束していく。薄い板状のかたちへ。そうして一段、二段、三段と、階段状へ積み上がっていく。

 出来上がった煙の階段に、ボルケイノが足をかける。かつん、と硬質な響きがした。そのまま階段を上り、ピアフの報告にあった部屋へ視線を定め、再び煙を撒き散らした。またもや煙が収束し、今度は長い長い銀光の廊下が、足下から先の空中へ固着された・・・・・・・・

「アトラス、続け」

 赤備えの甲冑に身を包んだ異形の戦士を引き連れ、ボルケイノは勇んで走り出した。煙の廊下の終端部。コンクリートの壁の向こう側。瀕死のピアフがそこで待っている。

 やらねばならぬことは山積みだった。だが気が滅入ることなど全くなかった。ただ、灼熱の意志だけが、ボルケイノを衝き動かしていた。

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