2-48 PM18:37/反撃と裏切り①

 ギュスターヴ・ナイル

 人の人生を使い倒して平然としていられる、この老獪な策略家に、何としても一矢報いなければ気が済まない。

 だが、はやる気持ちとは裏腹に、パンクは己の身体を上手く操れずにいた。首から上は動かせる程度まで回復したし、自己診断プログラムも走っている。だが、いざ立ち上がろうとすると、どうしても四肢から力が抜けてしまう。穴の開いた風船に空気を送っているかのようだ。レーヴァトール社特性の非殺傷兵器は、標的の身動きを封じるというその一点において、殺傷兵器よりもずっと質の悪い代物だった。

 ヴォイドたちが助けにくる気配はない。いまだに電子の目に頼り、一階のクリアリングに手こずっているのだろうか。ギュスターヴの言葉から察するに、子飼いの電子兵は相当緻密且つ慎重に邸宅の図面を書き換えているらしく、探索者が違和感を抱かないぎりぎりのところで線引きをしているのが伺えた。

 何らかのハプニングを引き起こし、階下に響き渡るほどの大きな物音を起こせば、ヴォイドたちもさすがに異変に気付くのだろうが、しかし、どこにそんな手段があると言うのか。

 いや、ある。たった一つだけ。

 パンクは芋虫のように身をよじらせると、広々とした部屋の隅に転がった、己の身体の一部と言ってもいい武器へ視線を向けた。

 ハンドガン。黒光りするそれの引き金を絞り、銃撃音を鳴らせば、異変があったものと認識して駆け上がってくるだろう。電子的に偽装された図面に踊らされているとは言っても、あくまでそれは視界の話であり、聴覚は誤魔化せないからだ。

 だが、邸宅内に響くほどの音を出されて困るのは、ギュスターヴも同じだった。圧倒的な優位に立っていながら、彼はパンクの仕草をつぶさに観察していた。倒れ伏した襲撃者の不自然な動きから企みを察知すると、傍らに立つロウウェルに指示を出した。

 がん、と下から突き上げる衝撃がパンクの頭蓋を揺さぶった。黒い革靴に包まれた若執事の右足が、パンクの顎を勢いよく蹴り上げたのだ。体重百キロ近いガンファイター・サイボーグの金属痩身が、滑稽に見えるくらいにひっくり返った。衝撃で、背負っているアタッシュケースが悲鳴のような軋みを上げた。

「ぐぅっ、くぅ……」

 痛みで、くぐもった声が出た。どうやら痛覚遮断システムの復旧には、まだまだ時間がかかりそうだった。

「そんなに死に急ぐこともないだろう」

 欠伸を噛み殺しながら、ギュスターヴが言った。

「地下室に待機していた我が家の私設部隊へ指示を出した。残りのネズミを処分しろとな。敷地内での戦闘に長けた大勢のプロを相手に、どこまでやれるか見物だな。なんだったら、そこのタブレットで仲良く見学でもしていようか? 結末を見届けてから、己の振る舞いをどうするか決めるのも、悪くない話だと思うが」

「おったまげた奴だ。この状況で、俺を引き抜こうと考えていやがるのか?」

「君は戦闘において、こと優秀な男だと私は見込んでいる」

 敵であるはずの者へ称賛の言葉を送ると、ギュスターヴは再びその場に腰を屈めて、仰向けになったパンクの足下付近に立て置きされたままのタブレットを手に取る。カバーの部分を、ぺちぺち、ぺちぺち、とリズムを刻むように叩きながら、目を細めて語りかけた。将来有望なハイスクールのピッチャーへ声をかける、球団のスカウトマンのように。

「マーガレットの通信を介した映像をこれ・・で見ていた。ここに来る途中での鉄橋でのチェイス。トラックを転倒させたヴォイドのワイヤー捌きは見事の一言に尽きるが、状況全体における彼の貢献度は最も低い。交渉の場においての彼は侮れないが、先の戦いで最もチームに貢献したのは、君と、あの女だ。特に君の働きを、私は高く・・・・評価している・・・・・・。後続車両を抑えつけた君の射撃技術・・あれは・・・大したものだ・・・・・・

「へぇ」

 唇の隙間から零れ落ちるパンクの生返事には、苛立ちの色合いがわずかに込められていたが、そんな、人の情の揺れ動きを感じ取れるだけの機微はギュスターヴにはなく、滔々と語り続けるだけだった。

「状況が荒事一点に収束している時の君の集中力には、目を見張るものがある。宝の持ち腐れとはまさにこのことだ。ちっぽけなギルドにしがみついている場合かね? 私についてくれば、今の倍、いや三倍は稼がせてやる」

「確かに金の入りは微妙だ。どれだけ依頼人が報酬を弾んできたとしても、五割近くがギルドの運営費用に上乗せされちまう」

「そうだろう?」

「けれどもよぉ。勧誘にご執心なところ悪りぃが、あんたは決定的な間違いを犯しているぜ」

 急所を射抜くような物言いを受けて、黙したままのギュスターヴの皺だらけの頬が、ぷるぷると震えはじめた。そうして次の瞬間には――この老人にしては極めて珍しいことに――おかしみをこらえきれず、目尻を下げて吹き出した。

「まさか貴様、金の為に働いているのではないと、ファンタジーな台詞を口にするんじゃあるまいな? やめてくれ、腹にくる」

「……あんた、俺の働きを高く評価していると言ったな? 俺の射撃技術を、大したもんだとも」

 その決定的な言葉を口にしながら、自然とパンクの目が据わった。剣呑な反応を想像していなかったのだろう。警戒よりも先に、ギュスターヴが呆けたような顔になった。

「なんだ。何か気に障ることを言ったか?」

「かなり障ったぜ、クソジジイ」

 そう口にするやいなや、パンクの足の裏から、無色透明の、ほどよい粘性のある液体が、間欠泉のような突飛さで迸った。

 摩擦低減潤滑剤――階層間エレベーターや高層マンションの外壁など、角度や高度に関係なく、あらゆる平面地形の移動を滑らかなものとする、サイボーグ・ガンファイターたるパンクの高速移動の要。ギュスターヴとのやり取りの間に、ある程度体内の電気系統が復旧したところで放った、一か八かの奇策。

 様子を伺っていたロウウェルは、咄嗟に後退のステップを取ることで難を逃れたが、主人の方は違った。しゃがんでいた姿勢も相まって回避する間もなく盛大に潤滑剤を浴び、手に持ったタブレットごとずぶ濡れになった。

 奇襲が成功したのを確認したパンクは、ただちに脚部のスラスターを起動して移動にかかった。スラスターのエンジン部から吹き出す熱風に煽られ、ギュスターヴの姿勢が崩れる。タブレットが手の中から滑り落ち、カーリングのストーンのようにコンクリートの床を滑っていく。

「(これは、薬品!? 違う、痛みはない! 薬品ではないっ! こけおどしだ!)」

 この程度でどうにかなるとでも思ったか――さっきとは打って変わって豹変し、瞳に怒気を孕ませる。

 ギュスターヴは威厳を取り戻さんと力強く立ち上がろうとしたが、潤滑剤は靴の裏にもかかっていた。そのせいで、起き上がろうとした拍子に、氷上で足を滑らせたかのように、仰向けに勢いよく転倒。瞳の奥で光が弾けた。右肩に壮絶な痛みと違和感。脱臼。あるいは骨折。構うものかと、今度は体を横に捻じりながら、濡れたままの左手を床について体を起こそうとする。しかし、手の平は靴の裏と比べ物にならないほどの潤滑剤を浴びていた。そのせいで手が滑り、今度はうつ伏せに転倒した。

 足掻こうとすればするほど、潤滑剤の影響で摩擦が著しく低減したギュスターヴの体は、あらぬ方向へ滑っていった。広々としたコンクリートの部屋を舞台にした、それは滑稽な前衛的ダンスだった。

 ここにきてようやく、得体の知れぬ攻撃を食らったのだと自覚して、ぶつかった先の壁に体をこすりつけて液体を拭おうとしたが、時すでに遅かった。壁に体を擦りつけようとしても、摩擦力を奪われた体そのものを壁が受け付けず、バランスを崩しまくって右に左にと倒れ込む始末。じたばたと四肢をデタラメに動かすその様は、生まれたての小鹿よりも弱々しく無様に映った。

「くそっ、せっかくの一張羅が……」

 この期に及んでも、己の方が優位であるという意識を保ちたいのか、ギュスターヴは冗談めいた嘯きを口にしたが、そんな彼の矮小な優越感を、二発の銃声が木っ端微塵に撃ち砕いた。左足のつま先と右手の甲に、信じられないほどの熱さを感じたのと、ギュスターヴの喉奥からしゃがれた絶叫が飛び出したのは、ほとんど同時だった。

これ・・は俺のものだ! 誰に与えられた・・・・・もんでもねぇ! 地獄のような戦場で、俺が・・勝ち取った・・・・・武器・・!」

 部屋の隅で、喉に絡み付く痒みを堪え、パンクが目をひん剥いて雄叫びを上げる。手に握られているのは、偉大なる鋼鉄の武器。まだ完全に体の調子を取り戻したとは言えず、ハンドガンのグリップを握る手が、アルコールの禁断症状に陥った患者の如く、ぷるぷると震えている。だがそれに構うことなく、パンクは憤怒の形相で怒りを吐き出し続けた。

「俺の価値をテメェが決めるんじゃねぇ! 俺を評価していいのは、この世においてただ一人、この俺だけだ!」

 TOP ONE GUN MISTER ONE――ただ一人の・・・・・優れた銃撃手。

 彼の後頭部に刻まれた暴力的なタトゥー。彼の生き様。

 腹立たしいから怒るのではない。怒ることで自己を治癒し、戦う決意を固めるのだ。人生の手綱を他人に握らせないための、戦いの決意を。

 その決然たる意志を前に、ギュスターヴは血と潤滑剤にまみれた己の身体を抱きしめるようにうずくまると、不意に顔を上げて、

「ロウウェル! 何をそんなところで突っ立っているんだ!」

 一部始終を見守ってばかりで、主人の介抱もせず、防衛にも回らない青い目の若き執事へ、ありったけの怒声を飛ばした。それからパンクへ向き直ると、窮地に立たされている状況にも関わらず、どこか得意げに早口でまくし立てた。

「君に私を殺す気はない。今の攻撃ではっきりしたぞ。君の性格上、殺すと決めたら一撃で始末するはずだ。いいか? 重要なことは、君が私を殺さなかったということだ。つまり、私を殺すこと・・・・・・以上の・・・重要な目的・・・・・を抱えて、ここへやってきた。えぇ? 違うか? そうだろう? 言わなくても分かる。上へ行きたい・・・・・・のだな? 私のヘリを奪う気か。そうか。それが条件・・か。奇跡を叶えるための」

 危機感が溢れてきたことで、意識が先鋭化されたのだろうか。ギュスターヴの閃きは本質を突いていた。命の危険に際して、怯えて泣き叫ぶだけの凡夫とは決定的に異なる精神の構え。その構えを見せつけられて、一瞬、パンクは言葉に詰まった。

 瞬間的に訪れた静寂を打ち破るように、階下から小さく響く断続的な銃撃音。

 パンクは咄嗟に耳を澄ました。床越しに響き渡るのは銃の乱射音だけではない。何か大きなものが倒れる音。金属が割れるような音までも一緒くたになって聞こえてくる。

 今まさに、ヴォイドたちと私設部隊が交戦を開始したのだ。

 乱闘音に混じって、うめき声のようなものまで聞こえてくる。それも一つや二つではなかった。少なくとも、ヴォイドやアンジーの声ではない。

「《凍える脊椎バック・ボーン》を舐めんなよ」

 にやりと笑みを浮かべるパンク。

 ギュスターヴの眉間に、ますますの深い皺が刻まれる。

 と、そこで唐突に割って入る者がいた。

「潮時ですね」

 ロウウェル・フェザーハットが嘆息混じりに口にした。楽しい楽しいナイト・パレードが終わって、急に現実へ引き戻された。そんな調子の、どこか憂鬱さを感じさせる声色だった。

 パンクは牽制の意味を込めて咄嗟に銃口をロウウェルへ向けた。だがロウウェル当人は、撃てるものなら撃ってみろと暗に挑発するかの如く、あろうことかパンクへ背を向け、倒れ込むギュスターヴへ向き直った。

「残念ですが、ここでお別れです、ギュスターヴ・ナイル」

 不躾にも主人を呼び捨てる。ギュスターヴは眉間に皺を寄せた。ロウウェルの雰囲気が一変したからだ。人畜無害なはずだった獣が、急に口の中に隠し持っていた牙を剥き出しにしてきたようだった。

「今日、この瞬間を以て、お暇を頂戴させていただきますよ」

「……何を言っている」

「こういうことです」

 ロウウェルはスーツの懐へ手を伸ばすと、おもむろに回転式拳銃を取り出し、撃鉄を上げて主人へ突きつけた。

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