2-47 PM18:30/悲劇を力に
イベントの成功を機に、暮らしに余裕が生まれた。その結果として、父子はトレーラーハウスを移動専用の車輛として使い始め、住居には新築のアパートを借りることにした。家族みんなで生活していた頃と比べたら小さいが、それでも十分な広さがあった。
生活を次のステージへ進ませてしばらく経った、ある夏の蒸し暑い夜のことだった。その日、パンクはスタジオでの練習を終えると、アパートへの帰宅途中、とある楽器店へ寄った。練習中にギターの弦が切れてしまったのだ。
弦の交換と簡単な調整を済ませて楽器店を出てしばらく歩き、アパートの姿が見えてきたところで、突然、後ろから何者かに襲われた。ロープのようなもので喉元を抑えられ、真っ黒なフードを力づくで被せられた。暗転した視界の中、何がなんだか分からず、めちゃくちゃに抵抗した。だが相手は大人で、それも一人ではなく複数人だったせいもあり、多勢に無勢だった。襲撃者たちは鉄パイプか何かで、パンク少年の全身を滅多打ちにして地べたに這いつくばらせると、一人が上から組み付き、もう一人が嫌がるパンクの利き腕を――群衆を狂乱させる神秘の右手を――無理やり抑え込んだ。
少年の喉から絶叫が迸り、涙がぼろぼろ零れてフードを濡らした。
焼けつくような痛みを、右手に感じたせいだった。
たちまちのうちに感覚が失われ、体じゅうから脂汗が滲み出た。
襲撃者たちは荒事を済ませると、フードを被せたまま、金も奪わず、ただちにその場を去った。
それからしばらくして、たまたま近くを通りかかった会社員が苦しみ悶えるパンクを発見し、救急病院へ連絡。父親が駆け付けた時には、すでに集中治療室へ運ばれた後だった。
二時間後、手術を終えた医者が、重い口を開いた。
『おそらく大量の濃硫酸をかけられたのでしょう。強い酸化作用と脱水作用で、右手が重度の火傷を負っていました。残念なことに、神経にまで影響が出ています。日常生活に支障をきたすレベルです』
己の身に起こった突然の凶事。それがもたらした事実を父親の口から耳にしたパンクは、生まれて初めての絶望と恐怖を味わった。
もう二度と、ピックを手にすることはできない――包帯でぐるぐる巻きにされ、消毒液の匂いが漂う『死んだ右手』を見る度に、これで終わりだという気分にさせられた。
犯人の顔をパンクは当然見ておらず、現場には物的証拠もなかった。夜だったこともあり目撃証言も皆無で、怨恨の線で探ろうにも、手掛かりがまるでない。警察の捜査が手づまりになるのは目に見えていた。それはつまり、相手がどんな『動機』で襲ってきたのか、分からないということだ。それでいて、パンクの利き腕を再起不能に陥れるという明確な悪意だけはあった。その事実が、より一層パンクの心に暗い陰を落とした。
上手い話なんて、そうそう転がっていやしない。
分かっていたはずだ。理解していたはずだ。
今までが、上手く行き過ぎていた。
なのに浮かれて、このザマとは。
閉ざされた未来に泣き、自己嫌悪に苛まれるパンクに、父親はある一言をかけた。
悲劇を
それは慰めというよりも、叱咤激励に近い言葉だった。
『悲劇を
父親が子に送る言葉として、これ以上最適なものもなかった。
これは、信頼する父から与えられた、祝福の言葉だ。
そう捉えたパンクは奮い立った。自らの意思で、使い物にならない右手との別れを決意した。義手の移植手術を志願したのだ。
父親は、二つ返事で了解した。
手術は無事に成功し、パンクの右手は銀色の輝きを放つようになった。毎日リハビリに励み、覚えたての子供のようにギターにかじりついた。手術をする前よりも、ずっと執念深く。ギターを己の身体の一部にするかのごとく。
九歳の息子が必死になって己の歩むべき道を作り出そうとしているその姿を、父は録画し、当時世界最大規模の動画共有サービスサイトにアップロードし続けた。
その身に起こった悲劇にめげず、再起を目指して努力する少年。そのような、感動的なレッテルを貼られたかどうかは分からない。だが、アップした動画には毎日数百件のコメントがつき、そのほとんどが好意的なものだった。メディアもこれを取り上げ、パンクの知らないところで、彼の健気な姿勢に、多くの人々が、自分勝手に抱いた感動を投げつけてきた。
三ヶ月後。担当医師も驚くほどの回復を見せたパンクは、再びステージに立った。セッティングをしたのは、父に最初に声をかけてきた、あのイベンター集団だった。
時代の反逆児・奇跡の復活ライブ。
小さき
大々的に銘打たれた二時間に渡る生演奏を、パンクは見事乗り切ってみせた。気力と根性と、そしてなにより、悲劇を
もはやインディーズの世界で知らぬ者はいないほどの地位を得ていた父子に、五度目の転機が訪れたのは、パンクが復活ライブを成功させてから、半年後のことだった。イベンターの代表を通じて、とある音楽事務所の女プロデューサーが声をかけてきたのだ。
繋がりが繋がりなだけに、アーティストを自作の『ストーリー』に乗せてパッケージ化したがるタイプの人物なのだろう。実際に面会するまで、パンクはそのような、穿った考えでいたものだ。
しかし、事務所に所属するにあたっての契約説明や会社方針などについて話し合うために、豪華なホテルのロビーに呼び出され、父親と打ち合わせの場に同席した際、そんな色眼鏡が間違いだったことに気づかされた。
『私は、あなたのことを高く評価しているのよ。純粋に技術の面で』
その、若干三十歳ほどの、ブロンドの長髪に一等の手入れを怠らない敏腕女プロデューサーは――少なくとも純真爛漫なパンクの目で見て――とても誠実に、自分達の音楽を気に入ってくれているようだった。右手にまつわる悲劇を父親が口にしても、これみよがしに憐憫の情を寄せたりはせず、黙って真剣に耳を傾けていた。信頼できる人物の態度だと、直感でパンクは思った。
打ち合わせは二時間ほどで終了し、せっかくだからと、女プロデューサーの計らいでディナーを御馳走になった。少なくとも、これまでの生活で一番金のかかった料理だったが、嬉しさと緊張で、味の程は良く分からなかった。
そのまま好意に甘えるかたちで、父と共にホテルの一室に泊まった。与えられた部屋は個室だった。それが、若干九歳の自分を『大人』として扱ってくれていることの証左であると感じ、おかしな自信と喜びに満たされた。
だが、ベッドに潜り込んで、三十分、一時間と経つうちに、次第に不安が襲ってきた。いつもはアパートの寝室で、父と一緒に眠りにつくのが、今宵は一人きり。そのシチュエーションになかなか慣れず、逆に目が冴えてきてしまう始末だった。
父のところに行ってみようか。
パンクはふと思い立って、夜中の一時を回ったところでベッドを抜け出すと、ふかふかの絨毯の上をスリッパで踏みしめながら、エレベーターに乗り込み、二つ上の階にある父の部屋へと向かったのだが、その足が、ふと止まった。
ドアが少しだけ開いていたからだ。
きっと閉め忘れたのだろう。室内灯のオレンジ色の光が廊下へ零れ出している。
父親がまだ起きていることに妙な安心感を覚え、ドアノブに手を掛けようとした時だ。
中から、女の声が聴こえた。
楽しそうな声。あの信頼に値する女プロデューサーの声であることは、すぐに分かった。
こんな夜更けに、父と何を話しているんだろう? 今日の打ち合わせの続きだろうか?好奇心にまかせて、パンクはこっそりと、ドアの隙間から部屋の様子を伺った。
ダブルベッドの上で、一糸まとわぬ姿で、父と女が真っ白なシーツにくるまり、何事かを囁き合っている。
咄嗟にパンクは身を引いた。別に悪いことは何もしていないのに、なぜか物凄い罪悪感に襲われた。
何も見なかったことにしよう。そう思ってドアから離れようとした時、聞き捨てならない一言が、女の口から放たれた。それもひどく、軽くて陽気な調子で。
『それにしても、あなたって本当に悪い父親ね。自分の息子をわざと
――え?
いま、なんて言った?
聞き間違えたのか?
わざと、襲わせる?
『最初はな、襲ったところを車で轢く予定だったんだ。上手い事、右腕だけをね』
……は?
『でもそれだとリスクが高いだろ? だからプランを変更するように伝えたのさ』
『そっちの方がずっと
『ぞっとすることを言うなよ。でも、結果的に万事オーケーだ。
お父さん、何を言っているの?
『そうね。ウチの
『そうだろう? 物事は考えようさ。絶望から這い上がる場面は、いつだって人々の感動を誘うんだから』
お父さん、本当に何を言っているの?
『そりゃあそうだけど、なに? それもジョンからの受け売り?』
ジョン。あぁ、あのイベント会社の……え?……それって、どういう……
『あぁ。そもそも、あの事件を
『ふふ、自分は悪くないって言い方ね。息子を差し出したのには変わりないじゃない』
お姉さん、なんで笑ってるの? 何が面白いの?
『確認したかったんだよ。アイツに不死鳥としての資質があるかどうか』
『不死鳥?』
『灰の中から蘇るっていう、アレだよ。アイツは俺にとっての不死鳥なのさ』
『なに洒落たこと言ってるの。金のガチョウの間違いじゃないの?』
『そりゃあそうだよ。なにせ、今じゃアイツの方が人気が上なんだから。悔しくないって言ったら嘘になるが、事実だ。くそ。嫉妬もあったんだろうな』
嫉妬? 嫉妬だって?
そんなくだらない感情で、僕の右手を?
冗談だよね? 嘘だよね? そうだよね? お父さん!
『でもな、やっぱり俺にしてみりゃあ、アレは不死鳥なんだよ。見事に悲劇を
『まるで神様みたいな口ぶりね』
『はは、息子にとっちゃ、父親なんてのは神様みたいなもんだ。こっちが差し出したものはなんでも喜んでくれる。それがギターであろうと悲劇であろうと。俺の思うがままに解釈してくれるんだから』
悲劇を
『でも、大丈夫なの?』
『なにが?』
お父さん……
『警察よ。バレないでしょうね?』
『バレるものか。だって雇ったのはプロだぞ? 絶対に口は割らないし、そもそも証拠品を一つも残さずにその場を後にしたんだ。病院へ行く前にそう連絡を受けたんだ』
『そう、ならいいけど……ダメねぇ、色々と考えちゃうわ。もしも警察にバレたら、こっちにだって火の粉が降りかかってくるもの』
『メディアの食い物になるのが怖い? じゃあ、その恐怖心を俺が紛らわせてやろう』
『ちょっと、まだやるの?』
『いいじゃないか。今日は寝かせないつもりなんだから』
『あん、もう……』
………………
…………
……
不意打ちで食らった衝撃から意識が覚醒した時。
少年は、自分がホテルのベッドに寝ていることを自覚した。
どこをどう辿って自室に戻ってきたのか、全く記憶になかった。
どくん、どくんと、小さな心臓が奏でる鼓動が、やけに大きく聞こえた。
その音に耳を澄ませながら、真っ暗な天井を見つめ続けた。
『悲劇を
堰き止められた河が決壊するように、自然と頬を熱い滴が伝った。
そのままシーツを被り、洗剤の匂いがする枕に顔を埋めて、力の限り泣き叫んだ。
しかし、パンク自身でも意外なことに。
シーツにくるまった小さな体から、悲哀に暮れる震えはあっけなく去った。
その代わり、別の『感情』を起点とする震えが、幼きパンクの体中を駆け巡り、それはすさまじい地鳴りへ変貌し、洪水の如き勢いで、傷ついた少年の心を蝕んでいった。
涙では、何も変えられないと悟ったが故に。
これまで一度も抱いた事のない、壮烈な『感情』の昂りに身を焦がす。
『怒り』の感情に。
憎悪とはまた根本を異にする、その『怒り』の力を、誰かに与えられた『モノ』ではない、己自身の心に芽生えた宝石の一つであると自覚したパンクは、ホテルでの一件からおよそ一ヶ月近くかけて、父親の名義のクレジットカードで『素材』を購入し、ネットの海に漂う情報を搔き集めて、入念な『準備』を行った。
十歳の誕生日を記念してリリースされた反戦アルバム。そのリリース・イベントとして駆り出されたホールで、パンクは決行に移った。
演奏を終えて舞台袖にはけ、入れ替わる形で父がステージに立った。愛用のギターを抱えて。
歌い出したのは、彼がこの日の為に、そして何より、息子のためにと作詞作曲したオリジナル。
相変わらず暴力的なサウンドと過激な歌詞に彩られたその忌まわしき曲が、サビへ到達しようとした瞬間。
パンクは、ジーンズのポケットに隠し持っていた起爆スイッチのボタンを押し込んだ。
直後に、父の目を盗んでギターの中に仕込んでいた、遠隔操作型の爆薬が爆発した。掌から血飛沫を舞い上がらせ、吹っ飛んだ指には目もくれず、絶叫と共にその場に崩れ落ちる哀れな成功者。
突然の事態に、一拍の間を開けて、事故かテロかと騒ぐ観客たち。
舞台袖で見守っていた女プロデューサーやイベンターのジョンが、血相を変えてステージへ駆け寄るのをしり目に、パンクは愛用のエレキギターを手に、その場を後にした。
救急車の手配やら、警備の人間を大忙しで探しに行くスタッフに気づかれないよう。
一人静かにホールの非常口から表に出ると。
地面にへばりつく、開場前に配っていたライブのチラシを踏みつけ。
適当に見つけたゴミ箱に、力いっぱいエレキギターを投げ捨て。
駐車場に止めてあったトレーラーハウスへ――父と子の想い出が詰まった鉄の箱へ近づいた。
懐からゆっくりとスプレー缶を取り出し、真っ赤な色で、意趣返しと別離の意味を込めて、次のようにトレーラーの黄色いボディに殴り書いた。
『悲劇を
その日から、パンクは、パンク・バレルとしての人生を、戦場で磨き上げるようになった。
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