1-26 プロメテウスの慟哭
「……ルル・ベルよ」
オレイアスの口から、少女型アンドロイドの体型には似つかわしない、巌のような重みある老人の声が飛び出たので、思わずラスティは目を丸くした。
「(これは……何なんだ一体……)」
あまりのことに普段の冷静さを失い、困惑しきった顔つきのラスティには目もくれず、オレイアス――いや、ディエゴの意識が棲み付いたその機械人形は、畏怖を呼び起こすような黄金の眼差しで、かつてもっとも可愛がっていた部下の矮躯を
「オレイアスの
「
誤算だった。こちらの事情を全て聞き出すまでは、僭主には決して知らせないだろうと高を括っていた。証言の引き出しとその検証を優先する
「ルル・ベルよ、僭主として、お前の創造主として尋ねる」
言われて、その小さい肩がぴくりと震えた。僭主の世話係ゆえに、感情の波には敏感だった。それゆえに理解できてしまった。僭主が、猛烈な怒りを抱いていることに。
怒りの原因を予想する。こちらがずっと口を閉ざして逃避に徹していたことを咎めているのだろう。そうルル・ベルは考えた。
こうなった以上は、すべてを吐き出すしかないと思い知らされた。しかし、どうやって話を切り出すべきか。迷っていると、相手が厳しい口調で問いかけてきた。
「貴様は、アンドロイドとして生きることを嫌い、人として生きることを願った。それに違いないか?」
驚きで思わず顔を上げた。どうして、胸の内に隠していた秘め事を知られてしまったのか、すぐには理解できなかった。
オレイアスの右手がゆっくりと持ち上がる。その指先からは、仄かな光を放つ、紅い糸が垂れていた。
「
はっとして、ルル・ベルがラスティの方を振り向いた。どうしてキュリオスに話してしまったのかと責めるような、そんな眼差しを向けていた。
ラスティは、何とも言えぬ表情を浮かべるしかなかった。暗雲が立ち込めているのを肌で感じつつ、どう動くかを決めかねている。
その場を取り繕うように、また、少し観念したように。ルル・ベルはすばやく三つ指をついて平服し、地面に頭を擦りつけんばかりの勢いで事情を吐いた。
「仰る通りです。しかし、これには理由があるのです」
「それもついさっき知った。私の、亡くなった娘の代わりを務めようと、そのために呪術に手を出したようだな。私が、密かに隠し持っていた呪術書を見たのだな」
「申し訳ございません。僭主様の私物を勝手に拝見してしまったこと、罪深き行為であると自覚しております。ですが、この気持ちは本気でございます」
ルル・ベルは顔を上げた。幼い顔立ちに、決意の眼差しがあった。
「私は本心から、人間に成りたいと望んでおります。だいそれたことを申し上げるようで大変恐縮ですが、私を、どうか亡くなったお嬢様の代わりと思い、愛情を注いでくださいましたら、このルル・ベル、これ以上の幸福はございません」
しばしの沈黙が降りた。
ルル・ベルの率直な告白を耳にして、ディエゴは、まるで心を絞るような調子で呟きを落とした。
「――お前は、逸脱した」
言葉の意味がすぐには分からず、ルル・ベルの瞳が困惑に揺れた。物分かりの悪い娘を躾けるように、ディエゴは語気を強めて言った。
「亡くなった娘の代わりになって欲しいなど、貴様に頼んだ覚えはない」
「え……?」
「この親不孝者めがッ!」
罵声と共に放たれた暴力。小さな体が蹴り飛ばされた。
「ルル・ベル!」
暴挙に出た機械人形を破壊するのではなく、ラスティは真っ先にルル・ベルの下へと駆け寄ると、地面に片膝をつき、その背に右手を添えた。
ルル・ベルは、鳩が豆鉄砲を食らったような顔を浮かべていた。敬愛する僭主から袖にされたことなど、これまで一度も無かっただけに、その衝撃は相当のものだった。
「私はお前を、ただの人形として創り出したのだ。私の言う事だけを聞く可愛い人形。あんな馬鹿娘とは違う……私の手の中にずっといる存在でいられるように、お前を生み出したというのに、こんなかたちで期待を裏切られるとは思ってもいなかったぞ」
「どういう……ことですか……」
泣きそうな顔で尋ねるしかないルル・ベルの横顔を、ラスティはいたたまれない気持ちで眺めることしかできなかった。
一方的な善意が常に他人から受け入れられるとは限らない――しかし、心のどこかで、そうあって欲しくないと願っていた。だが今、とうとう残った最後の精神的な希望すらも打ち砕かれた。無残にも。呆気なく。
「私の娘は……アリスは、私が沢山の愛情を注いだにも関わらず、私の決めた許嫁と結婚することなく、どこの馬の骨とも知らない男と結ばれたがって、屋敷を飛び出した。それは私にとって、裏切りに等しい行為だった」
恐らく、都市に住む者の中で誰一人として知る機会など無いであろう、謎めいた研究機関の長を務める男の告白。ディエゴの声は怒りと憎しみに震えていた。そこには、じわじわと相手をなぶり殺すかのような、猛毒めいた力があった。
「だから、死に物狂いで探し出し、殺した」
獰猛に光る眼差しの奥で、悪意が嗤っていた。
その時、ラスティは聞いたような気がした。ルル・ベルの唇の隙間から漏れる吐息を。死に瀕した者が末期の際に吸い込む、絶命の息のような冷たい音を。
「私がこの手で殺した。アリスを。かつて愛しかった娘を、私が殺したのだ」
「そんな……」
「だからこそルル・ベル。お前を創った。お前の容姿は、アリスをベースにしたものだ。今度は間違えない。アリスはルル・ベルと名を変えて蘇り、一生を私のために尽くしてくれる。それを期待してお前を創った。それにも関わらず、貴様は……人間に成ろうなど、ふざけたことを……」
「被害者気取りで子殺しを告白とは、反吐が出るほどの悪意だな」
立ち上がり、ラスティは射殺すような眼で機械人形を睨んだ。彼の内で沸き起こる憤怒の情。その激しさとは反するように、ディエゴの意識が乗り移った機械人形の態度は、酷薄そのものだった。
「……なるほど……貴様がハンター・ラスティか……」
舐めるようなその視線が、ラスティの中で訳も分からず燃え上がる怒りを、さらに激しくさせた。
「だったらどうした」
「別に。都市の底辺を這いずり回るゴミ虫が一匹いるだけで、こちらとしては、どうということはない。ただ、なんとなく口にした。それだけのことだ」
「精神的豊饒性だったか。大層な名前の名文を掲げるわりには、どうも言葉の端々に小物臭さをまとわせているじゃないか」
これっぽっちも隠そうとしないラスティの煽り文句も、だがしかし、長年に渡って都市の頂点に影で君臨し続けてきた老賢人にとっては、甘水にも等しいくらいのものだった。余裕しゃくしゃくといった風に、彼は唱えた。
「精神的豊饒性は重要だ。人が生きるうえで、物質的快楽のみに終始していては、人は高みへ昇ることはできない。精神的に豊かであることが、なにより求められることなのだ。何も持たないことに幸福を覚える。それこそが、精神的な豊かさの極点だ」
「矛盾に気づかない大馬鹿者が。物質的快楽に囚われて、お人形遊びに夢中になっているのはどこのどいつだ。他人に指摘されなきゃ分からないのか」
「自覚はしている」
ディエゴが開き直るように言った。少なくともそれは、ラスティが予想していた返事ではなかったから、面食らってしまうのも当然だった。
「だがそれが何だ? どうしたと言うんだ。人は誰しもが自己矛盾を抱えている生き物だ。理想と現実の狭間に立ち、快楽と規律の狭間に立ち、そこに折り合いをつけようとする。みみっちくも社会で生きていくために。だがな」
次に放たれたディエゴの声には、狂犬のように暗い覚悟が込められていた。
「私は折り合いなどつけんぞ。理想は叶える。都民を『教化』し、プロメテウスは私の理想の都市になる。だからといって、この人形遊びの快楽を手放す気などさらさらない。皆は理想の都市で好きに生きるがいい。私だけが、私の世界に閉じこもることを許されている」
「
「知らないのか? この都市の名前の由来を。『プロメテウス』とは、かつて神に反逆し、神の所有物であった『火』を人類へ与えた文化的英雄の名前だ。彼がもたらした『火』。それは人類が最初に手にした『技術』に相違ない。そして私には、火を自在に駆使するだけの力がある。その権利がある。私の先祖が
暗にルル・ベルの事を批判していた。いや、批判と言えるほど穏やかなものではない。ディエゴの口調は静かでありながら、そこには憎しみと哀れみがあった。
「ガーラーテイア」
呼ばれても、彼女は反応しなかった。地べたに尻と膝をつき、魂がそっくり抜けてしまったように表情は青ざめ、視線は虚空に縫い留められていた。
「任を解く。放逐だ。貴様のような虫けらは、殺す価値も無い。ただのでくの坊だ。どことなりと行き、スクラップとなればいい」
痛烈な一言を告げて、それでもまだ足りないとばかりに、ディエゴは続ける。
「もっともその前に、その体を呪戒に食われて死――」
言い終わらないうちに、耳を刺すような金属音とともにその首が宙へ飛んだ。闇に牙を突き立てるように、ラスティの残った右腕から、ブレードが飛び出していた。
糸が切れた人形のように、胴体の方は四肢をぐにゃりと曲げてその場に崩れ落ちた。足元に首が転がってきた。瞳のハイライトは消えていた。
ラスティは、右足でそれを力の限りに踏んづけた。サイボーグとしての全体重をあずけて、何度も何度も踏みにじった。外皮が破けて、中の機械部品が露出して、真っ白なハイドレーションが地面に水溜まりをつくっても、ラスティは破壊を続けた。それこそ、鬼のような形相で。
「……めて……」
背中越しにささやきが聞こえた。それは確かに聞こえた。その囁きの意味だってわかった。
だがラスティはあえて無視した。いまだかつて経験したことのない種類の感情の荒れを吐き出し続けないことには、どうにかなりそうだった。自己診断プログラムを走らせて気持ちを落ち着けるなど、そんな器用なことはしたくなかった。
「もう止めて! ラスティさん!」
耐え切れないとばかりにルル・ベルが大声で叫んだ。
ラスティは言われた通りにした。代わりに、止めだと言わんばかりに、ハイドレーションのスープにまみれたオレイアスの首を、思い切り遠くへ蹴り飛ばした。なだらかな斜面を転がっていくその音が、嘲笑のように聞こえた。
「う……うぅ……」
振り向くと、ルル・ベルがきつく唇を噛んでいた。悪寒が走っているかのように、小さな体を小刻みに震わせていた。
やがて、その瞳から一滴の、熱く、塩辛い水が零れた。
涙だった。
硬質な肌を伝い落ちるそれは、ルル・ベルが体を小さく揺らす度に、次々に零れていった。彼女の赤い瞳の色も相まって、血涙のように見えてしまうのが、とても嫌だった。
「ルル……ベル……」
何か、声をかけてやるべきだった。ハンターとして。男として。人として。
だが何を口にしても、どんな言葉をかけてやったところで、いまは届かない気がした。
躊躇するラスティの姿にすら気づかず、ルル・ベルはさめざめと涙を溢れさせ続けた。
その薄い背中が、ふいに波立った。次の瞬間、少女は大きく息を吐き出すと、叫ぶようにして声を上げ、泣きじゃくった。胸の内に温めていた慕情をかなぐり捨てるような、やけっぱちで、哀しい泣き方だった。
『涙腺はまだ生じていないけど、たぶんそのうちに泣けるようになるよ』
つい数時間前のファミレスでの彼女の言葉が、ラスティの脳裡を鋭く過った。
彼女だって、こんなかたちで涙など流したくなかったはずだ――いたたまれない想いと共に、ラスティはどうして良いか分からず、しばらく、その場に立ち尽くすしかなかった。
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