1-11 なりたがり屋のルル・ベル④
壁に掛けられたオイルランプの
「よく分からないな」
端的にそう告げた。ステーキもライスもサラダもスープも、まだ半分近く残っていたが、もうそれらへの興味は完全に失せていた。
「確かに君は、俺が知るアンドロイドや、君を追っていた
「本当? 人間のあなたからも、そう見える?」
ルル・ベルが明らかに喜色を浮かばせた。彼女が初めて発露したそのプラスの感情表現は、どこからどうみても人間の少女の振る舞いに酷似している。その事実に多少面食らいながらも、ラスティは疑問をぶつけた。
「しかしだ。アンドロイドが人間へ生まれ変われる方法があるなど、聞いた事もない」
「でも、人間だって肉体を機械に挿げ替えているよね? あれは、機械になりたいからそうしているんだと思っていたけど、違うの?」
「サイボーグ化は、人体を凌駕する運動機能を獲得したり、障害を負った手足を正常化させるために受けるものだ。心までは――」
続く言葉を口にしかけた時、またもや脳内をフラッシュバックするビジョン――炭化した母の遺体。狂った父の暴挙。爆撃のように轟く悪夢のビジョン。それらを必死に振り解きたくて、サイボーグ化手術を受けたはずだった。心までも機械に替えれば、無機質な孤独の闇に立ち続けていれば、いつか忘れられるはずだと。
しかし――
「変わらない。人間は、どんなに努力しても、機械の心を持てはしない」
振り絞るように言った。自らに言い聞かせるような口振りだった。
ラスティが見せる苦悶の雰囲気は、ルル・ベルにも感じ取れるくらいに深く、鋭いものだった。しかし相手の事情を知らない以上、下手に探りを入れるのは無礼だと思ったのだろう。実に人間らしい気配りの下、ルル・ベルは落ち着いた口調で話を戻した。
「まぁ、人間の完全義魂化が可能であるかどうかは置いといて……アンドロイドは違う。ある方法を使えば、時間はかかるけど完全な人間になれる術がある。わたしはそれを、偶然発見したの」
「偶然?」
「それを話す前に、まずは、わたしの立場から説明する必要があるようだね。改めて自己紹介するよ。わたしの識別コードはガーラーテイア=エル=ニュクス。稼働年数は今年で十六年。僭主様に『ルル・ベル』と名付けられた、三統
「長ったらしい肩書きだな。最後の、なんだ、家政婦長というのは。メイド長みたいなものか」
「そうそう。僭主様の身の回りのお世話を仰せつかっているの。とっても有難いお役目なんだよ」
「身の回りの世話……」
そう呟いてから、ラスティのアイス・ブルーの瞳が、品定めでもするようにルル・ベルの体へ向けられた。薄い胸板。ほっそりとした肩。硬質な白い肌。総合的に判断しても、彼女が美少女の部類にランク付けされるのは確かだろう。
「僭主様ってのは、ロリコンなのか?」突発的に湧いた疑問を、これまた突発的に口にした。
「ロリコン?」難しい数式を前にしたハイ・スクールの学生のように、ルル・ベルは眉間に皺を寄せる。それから、納得いったような顔つきになって言った。
「ああ、何かの情報雑誌でチラっと目にしたことある。あれって、どんな意味があるの? 気になってるけど、よく分からないんだよね」
「いや、いい。関係ない話だ。それで? どうやって人間になれる方法を見つけたんだ。君の立場とやらが関係しているようだが」
「あれは……ちょうど半年くらい前のことだった。その日もわたしは、家政婦長としての役目を一生懸命に果たしていたんだ。僭主様の寝室を掃除している時だった。たまたま、僭主様の私物が納められた金庫の鍵が壊れているのを発見したの。量子暗号が使われている複雑な鍵なんだけど、部下に代わりの鍵を手配させている間だった。一人っきりになった寝室で、わたしは、その……金庫の中身を少し拝見させて頂いたんだ」
「無断でか?」
「うん」ルル・ベルが、少しばつの悪そうな顔で頷いた。
「本当はそんなことしちゃいけないんだけど、どうしても気になって……開けてみて驚いたよ。僭主様は、古今東西の様々な魔導に詳しいお方なんだけれど、今では絶版になっている珍しい魔導書が沢山あってね。その中には、わたしたちの扱う魔導式の原型になったものもあれば、そうじゃないものもあった。術式ではまとめられないような、理論構築が極めて難しいたぐいの」
「つまり、呪術か」
それが答えだった。
ルル・ベルはまたもや頷いて、話を続けた。
「昔の人って、凄いこと考えるんだね。毒蟲を喰わせあって『蟲毒』っていう強大な呪的存在を創造したり、フラスコの中で悪霊を一から生成したり、祈りを捧げて天候を操作したり……どれもこれも、既存の魔導式を超越している」
「知り合いが言っていたが、昔は超常現象を引き起こす類の全てが『呪術』と称されていたらしい。それが、時代の流れに沿って変わっていった。呪術をプログラム化して属性を『固定』した魔導式や、魔導式をパッケージ化した
「その通りだと思う。少なくとも、僭主様が保管していた魔導書は神秘の宝庫だったよ。その中に、無機物に命を宿す呪法が載っていたの」
「それを応用して、君は人間になった。いや、なろうとしているのか」
「疲れるんだよね、これがまた」
ルル・ベルが苦笑いを浮かべた。
「私が実践しているのは、【
「なるほど、その行いに習った結果がこれか」
ラスティは、ルル・ベルが注文した食べかけの料理を指差した。それこそ、彼女の口にした類感呪術の一つだということに気づいたのだ。
「君は、食事の真似事をすることで人間になろうとしているのか」
「食事だけじゃなくて、毎日の暮らしそのものを、人間の生活基準にこっそり合わせているの。シャワーを浴びたり、ベッドで眠ったり、植物を育てたり、目的もなしに散歩したり、運動をしたり……普通の
「確かにな。しかし……」
理解はできるが納得にはまだ至っていない。呪術に秘められた力は、ラスティ自身もこれまでに何度も目にしてきている。だが、果たして『人間の真似事』をするだけで、アンドロイドが人間に成れるなど、現実的にあり得るのだろうか。
その事について尋ねると、ルル・ベルは得意げな表情を浮かべた。
「実践開始から一ヶ月で、顔筋が『発生』した」
「なに?」
「二ヶ月経過した頃には、汗を掻くようになった。皮膚に汗腺が生じたの」
会話の途中で、抑えきれないはにかみを隠そうと、ルル・ベルは少しだけ下を向いた。自分が人間に近づいている事実を再確認するたび、胸がいっぱいになる高揚感を覚えた。
混じりけの無い純然たる喜び。それをゆっくりと意識の奥で味わいながら、再び顔を上げて喋り始めた。
「それからしばらくして、今度は消化器官の一部が体内で生成された。三ヶ月後には、喜怒哀楽を完璧に理解できた。涙腺はまだ生じていないけど、たぶんそのうちに泣けるようになるよ」
「…………」
「血管だってある。神経もね。肉体面と精神面、どちらもどんどん人間に近づいている。それでも、全部じゃない。効果が完全に顕れるまでには、かなりの時間がかかるの。だからさっき、アンドロイドと人間の中間って言ったんだよ」
「だから、カイメラのアンドロイド殺しの言霊を喰らっても、君は死ななかったということか」
思考のパズルを慎重に組み立てつつ、そして確信の予感を手繰り寄せながら、ラスティは答えを導き出した。口にした途端、その予測は的中していると言わんばかりに、ルル・ベルが、ピンと右手の人差し指を立てた。
「あなた風に言うと、ケーブルの規格が半分だけ違っていたってことだよ。でも、カイメラの言霊を完全に防ぐことはできなかった。呪戒を受けてしまったのがその証拠で……あいつ、即死級の言霊をかけたのに私が死なないと知ったら、どんな反応をしたと思う?」
唇を強く噛み締める。小さな顔が紅潮した。そこに血管が通っていることの証拠だった。人間になりかけの、アンドロイドであることの。
「嗤ったの。心の底から、嘲笑っていたの。人間になりかけの人形には、たとえ天秤が一方へ傾いたとしても、決して安寧は訪れないって口にしながら……その時は、カイメラが吐いたその言葉自体が言霊だったってことには、まったく気づかなかった。命懸けで撤退して、奴の姿が見えなくなった頃に、ようやく気付いた。自分がどんなに呪われた存在になってしまったのかを」
ルル・ベルはそう言って、腫物にでも触るかのように、うなじの辺りに刻まれた奇特な紋章を指先で撫でた。たしかにそれは腫物だった。不気味で不快で、得体の知れぬ力で体内をじわじわと浸食され、やがて対象者を死に至らしめる類の、呪いの証だった。現にラスティは目撃しているのだ。呪戒に潜む骸骨の悪霊が、ルル・ベルの細い首を絞め上げ、命を奪わんとしていた様を。
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