1-10 なりたがり屋のルル・ベル③
「嘘だと思う?」
試すような口ぶりで、ルル・ベルが訊く。ラスティはどう答えてよいか直ぐには分からなかった。
「知り合いから話には聞いていたが、本当にいるのか?」
「いる。間違いない。わたしはこの目で見たんだもの」
「……にわかには信じがたいが、君が嘘をついているようには見えない」
「わたしだって、まさか本当に存在していたなんて、思いもしなかったよ。けど……そうとしか説明がつかない。僭主様から聞いていた特徴と一致していたし、まず見間違いなんかじゃない」
異形生物は数多く都市に生息しているが、そのほとんどは、上層域にある汎用生物繁殖施設で行われた生物実験の悲劇的産物である。数十年前に発生したとある事故を機に施設から逃げ出し、その多くは野性化を遂げ、各階層の至る所に巣を張り、やがて――
しかし、昔ならいざ知らず、この時代における乱染獣の驚異度が高いとは言い難い。サイズ的に言っても、テンタクラスタに匹敵する種は皆無であったし、撃退するための特殊害獣対策グッズが販売されている現在、対処法を間違えなければ一般都民でも駆除できる。
だが、人知を超える力を誇示し続け、都市の裏社会に君臨してきたかの闇の一族も、五十年前の
『カイメラ』は違う。それは、前述したどの生命体からもかけ離れていた。異形生物にカテゴライズされるものの、
誰も、カメイラを信じない。
誰も、カメイラを見た事がない。
だが、誰もがカメイラを恐れている。
何時の頃からか都市に住み着き、何を存在意義として活動しているかが、判然としないままでいる
カイメラ――それが人なのか獣なのか。牙があるのかないのか。空を飛ぶのか否か。睡眠を必要とするのかしないのか。善悪の基準を持つのか。一切合切、何もかもが不明の存在。人々の口の端には上るものの、あまりのデータ不足から実在性を疑われ、今では妄想の類と一蹴する学者も少なくない。
ただ一つ、誰しもが口をそろえて、深長(しんちょう)に呟く。
カイメラには、誰も勝てない。きっと、神でさえもと。それほどまでに畏怖の対象とされる
「巷の噂によると、カイメラは言霊を扱い、強力な『
ラスティは、喋りながら思い出していた。先ほどの出来事を。魔導式を行使する際にルル・ベルが見せた異様な体調不良を。彼女のうなじで不気味な挙動を見せていたあの刻印は確かに、『呪戒』を受けた証に違いない。だからこそ、おかしいと思えてならない。
「言霊は、呪術体系の中でも基本中の基本にして極意の技だ。しかし、これが通用するのは人間だけで、疑似的な心しか持たないアンドロイドには効果がない。なぜなら、人間の意識から発せられた言霊は、人間の意識でしか受容できないからだ。ケーブルの端子が、異なる規格のスロットには差し込めないのと同じで。だからアンドロイドは、まじない師の言霊をくらっても、十分なパフォーマンスを発揮できる。俺はそう認識しているが」
「わたしもそう判断した。だから、こちらに勝機があると思った。さっさとカイメラを始末して、レーヴァトール社が応援の兵隊を寄こしてくる前に、施設を破壊しようとした。でも、無駄だった」
「……」
「わたし以外、みんなカイメラに殺された。即死だった」
「どういうことだ」
「
ルル・ベルは、己の右側頭部あたりをちょんちょんと突いて口にした。
「簡単に説明するとね、何万、何十万っていう人間の『集合的無意識』をリアルタイムで観測して、常時解析・再構築・体系化させて、ノイズを除去した人間の感情をエミュレートしているってからくりなの。この仕組みのおかげで、
「君を追っている、
「そう。彼女たちに限り、エミュレートの強度を弱めている仕様になっている。僭主様がそうさせたの。同胞を相手にする仕事っていうのは、心を鬼のように冷徹にしないと、やっていけないらしいから」
話を聞いているうちに、ラスティは嫌な予感を覚え始めた。かなり確実性の高い予感だ。思わず、息を潜めて尋ねてしまう。
「まさかとは思うが、君と、君の仲間を襲撃したカイメラは、有機メモリのエミュレート・システムに誤作動を生じさせたのか? 言霊を使って」
「勘がいいんだね。その通りだよ」
「だが……まさかそんな」
言葉が途切れ途切れになるラスティが、それでもまだ何事かを口にしようとするのを遮って、ルル・ベルは続けた。
「カイメラは、あなたたち人間が日常会話に用いる自然言語の他に、コンピュータの挙動を支配するプログラミング言語すらも扱える。しかも、ただ扱えるだけじゃない。ソースコードを書き換えればオブジェクトを変更できるように、奴はプログラミング言語を、わたしたちが意識せざるを得ない音声形式に変換して攻撃してくる。言うなれば、対アンドロイドに特化した言霊を扱うってところだね」
まるで魔法だよねと言って、彼女はコーヒーを啜った。ごく自然な風に。まるで人間のように。
ラスティは両足を組んで椅子の背もたれに体を預けると、しげしげと観察するような目線をルル・ベルへ送った。今しがた垣間見た彼女の仕草に、どこか違和感を覚えたせいだった。
そう感じてしまった理由について、ラスティの中ではある一つの可能性が浮かんでいた。しかし、あくまで可能性だ。確証には至っていない。本人の口から直接聞き出すのが最も手っ取り早かった。
「じゃあ、どうして君は死んでいないんだ。他の仲間のように、アンドロイドを殺す言霊を喰らって、どうしてそうやって平気な顔をして、コーヒーを啜っていられるんだ。君はアンドロイドなんだろう?」
会話の末に辿り着いた質問。それはまさに正鵠を射た指摘だった。
ルル・ベルの瞳に、店内の天井灯が差し込む。照り返されてルビーのように燃える赤い眼差し。聞かれるのを分かっていながら、いざそれを尋ねられると何と伝えてよいか戸惑い、それでも相手の理解を得ようとする意志が、そこに現れていた。
「あなたの質問に、率直に答えるとこうなる」
ルル・ベルもまた、ラスティの目を真っ直ぐに見据えて言い放った。
「わたしは、アンドロイドと人間の中間に位置する生命体なの。だから、私はぎりぎりのところで死を免れて、こうしてあなたに助けを求めているんだよ」
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