1-12 なりたがり屋のルル・ベル⑤
「君が喰らった呪戒は、先ほどの戦闘から察するに、魔導式を発動させると肉体を侵食するタイプのもので間違いないな? それも、かなりの痛みを伴うタイプの」
そう尋ねるラスティの言葉には、僅かに苛立ちが込められていた。医者が、肝臓を悪くした患者がアルコールを止めないことに気づき、それを咎めるような調子だった。
「どうしてあの時、魔導式を使ったんだ。もし呪戒の活性値が臨界点を越えていたら、君は確実に死んでいたぞ」
「だって……あのままだったら、あなたもわたしも殺されていたに決まっているから……」
「…………」
「それにね、呪戒だなんだって大騒ぎするけど、これって、そんなに痛いものでもないんだよ。本当だよ? あの時は、ちょっとオーバーなリアクションをしちゃったけど、でも全然、こうしているぶんには、へっちゃらなんだから」
ルル・ベルは努めて明るい顔になると、芝居掛かった調子で腕をぶんぶんと回し、さも元気な状態をアピールした。同情を誘うような素振りは毛ほどもない。むしろ、相手を心配させまいとする気遣いの現れだ。
厳しい表情のまま、ラスティは自然と彼女の首元へ視線をやった。チョーカーで覆い隠されているが、首絞めの痕跡は依然消えないままだ。
心の奥でチクリとした痛みが走った。
彼の母親も、今のルル・ベルのような態度を見せる時があった。
夜遅くまで裁縫工場に勤め、雀の涙ほどの小銭を集めに集め、疲れ切った表情で家に帰ってくる。そんな生活をずっと続けている母を心配した幼いラスティが声をかけると、彼女は優しい笑みを浮かべて、こう言ったものだ。
『セルフィ、ありがとう。お母さんは大丈夫よ。何も心配することなんてないからね』
嘘をつけ――辛くないはずがあるわけがない。
「どのみち、そのまま放っておくわけにはいかない。カイメラの言霊で受けた呪戒なら、尚更の事だ。早く手を打たないと、取り返しのつかない事になる」
「それは当然だよ。わたし、どうしても死ぬわけにはいかないの。完全な人間になるまでは、絶対に。何があっても」
「見えてきたぞ。つまり、カイメラにかけられた呪戒を解くために、
「うん。それで合ってる。色んなことに手を出しているハンターなら、呪学療法士の一人や二人は知っているかなと思って、だからギルドを頼ったの」
「ふぅん」
ようやく会話がゴールしたかのように見えた。しかし、ラスティはルル・ベルから視線を外さなかった。まだ気にかかることがあったからだ。
「色々話を聞いてきたが、一つだけ、腑に落ちないことがある」
「腑に落ちないこと? なに?」
「どうして
「だって、そんなことをしたら……」
一瞬、言葉に詰まる。表情に見えたわずかな迷い。ラスティはそれを見逃さなかった。しかし、次にルル・ベルの口から飛び出したのは、実に理解しがたい一言であった。
「サプライズが、台無しになる」
「はぁ?」
彼にしては珍しい、素っ頓狂な声が漏れた。
サプライズ。それは、あまりにもこの場に似つかわしくない響きのワードであり、羽毛のように軽い言葉そのものに感じられた。
「これは、絶対に口外しないでよ。あくまで情報提供って形で言うけど……僭主様にはね、昔、子供がいたの」
「子供……」
ラスティは、いまだ顔も見た事がない都市の支配者に子供がいるという、そのあまりにも現実的すぎる光景を想像しようとした。だが、イメージは像を結ばず、どうしてもぼやけてしまう。心のどこかで、この都市の最上層にふんぞり返っている存在が、人間の皮を被った神か悪魔だと認識してしまっていたのだろう。そういう風に感じてしまうのは、別にラスティだけではない。最下層民なら、誰しもが同じような反応をするはずだ。
「一人娘で、僭主様はその子をとても可愛がっていたらしいの。でも、十六歳の誕生日を迎えた翌日に、亡くなってしまった。死因は不明。それ以来、僭主様は子供を作る事を諦めた。時折、物憂げな表情で彼女の子供時代の写真を眺めているの。その時だけは、いつも大きな僭主様の背中が小さく見えた。ひどく落ち込んだあの姿を、私はもう二度と見たくない」
「まさか……君は」
実に空恐ろしく。
どこか物悲しい。
予見を抱いた。
「代わりになろうとしているのか? 僭主の、亡くなった娘の代わりに。だから、人間になりたいと?」
肯首――
ウェイターが、二人の座るテーブル近くの壁に掛けられたオイルランプに近づき、油を継ぎ足して離れていった。勢いを取り戻した原始の火が、ルル・ベルの顔を照らす。その硬質な肌に覆われた幼顔をどれだけ注視しても、ラスティには良く分からなかった。彼女が何を考えているかが。ただ、あまりにも逸脱しているという印象しか抱けなかった。
「わたし、勉強したんだ。人間は何をされると一番喜ぶのか。それは、失ったものを取り戻してあげることだって。その時に喜びの感情を最も高めてやるには、
それこそ、ルル・ベルの献身性が発露した瞬間に他ならなかった。自らに呪戒が施されたにも関わらず、死を恐れずに立ち向かう勇気。それを支えるものがなんなのか。全ては、被造物が創造主へ抱く敬愛の感情が為せる行為に他ならなかった。純粋で、無垢で、どこまでも向こう見ずな愛情のベクトルに導かれるがまま、ルル・ベルは生きている。
「(何を考えているんだ、コイツは)」
軽く溜息をついて鼻白むと、ラスティは不満を抑え込むように両腕を組んだ。まさかそんな事を考え、行動に移す者が実際にいるとは信じがたい、とでも言いたげな風だった。
アンドロイドとしてのアイデンティティーを捨て去り、誰かの代わりの器に、人間として収まろうとする。逸脱した行動。ともすれば、美談とも称される彼女の告白は、彼にとっては精神的な自殺行為としか捉えられなかった。
つまるところ、他人を想っての暴走だと結論づけた。どこまでも痛々しいのだった。
いつになく激しい憤りが、ラスティの中で蒸気のように広がった。
「愚にもつかない話だ」
吐き捨てるように言った。だがルル・ベルの機嫌が損なわれることはなかった。むしろ、そう言われるであろうことを予期していたかのように、恥じ入るように身を縮こまらせた。
彼女の態度に反比例するかのように、普段は冷静なはずのラスティの声に、苛立ちの熱がこもり始めた。
「君は選択を誤った。俺にはそうとしか思えない。サプライズだなどと……君の我儘をそれと知らず優先したが為に、われわれは既に、
それは、その通りだった。同時に、避けられたはずの事態だった。
彼女が逃げずに、ありのままの出来事を
「カイメラに襲われたことを正直に報告しておけば、全てが丸く収まるはずだったんだ」
「でも、そんなことしたら……」
「僭主様に自分が人間に成りかけていることを知られて、喜ばせようとしていた計画が頓挫するから嫌だ、か」
「……うん」
「本当に、本当にふざけた話だな。大体、どうして俺を頼った。三統神局(ゲル・ニカ)だって、優秀な呪学療法士を抱え込んでいるんだろう?」
「うん……でも、彼らに頼ると、自然と僭主様のお耳にも入る。そんなことをしたら、折角のサプライズが……」
「台無しになる。それだけは避けたい。だから彼らの目の及ばない、最下層の呪学療法士にすがろうとした。俺を仲介役に据えて」
「……うん」
「ますます馬鹿げている。君の自己中心的な気持ちの暴走が、生じなくても良かったトラブルの原因になっていると、どうして自覚できない」
「…………」
「自分の願いを叶えるためなら、同胞を殺しても良いと、君は判断した。だがな、もしそれを相手が知ったらどう感じると思う。オモチャを徹底的に壊した当人からクリスマスプレゼントを与えられて、素直に喜ぶ子供などいない。追手を振り払い、呪戒を解呪したところで、どのみち君の道は閉ざされている。どんな形であれ、組織内でトラブルを起こした者を、トップの人間は放っておかない」
「それは、あなた達人間のケースでしょう? たとえ保衛魔導官(アヴィニヨン)全員を破壊したところで、僭主様はわたしを罰しない」
「度が過ぎるほどの希望的観測だ」
「確信しているの。僭主様はわたしに沢山の愛情を注いでくれた。レーヴァトールとの戦闘から戻るたびに、まず真っ先にわたしの身を労わってくれたもの。わたしは、あのお方にとって、特別な存在なの。誰にも、わたしの代わりを務めることなんてできない」
「……追手だって、同じ仲間のはずだ。彼らにだって、僭主は愛情を注いでいるんじゃないのか」
「仲間……そうだね、同じ組織に属しているという点だけ見れば」
でもと、ルル・ベルは真面目くさった顔で言い放った。
「彼女たちのやっていることは汚れ仕事だよ。これまでに何十体、彼女らの手にかかって廃棄処分になったか。みんな言ってるよ。顔色一つ変えずに同胞を殺す彼女たちこそ、打倒するべき本当の敵なんじゃないかって。そんな立場にいる彼女たちを、僭主様が可愛がると思う?」
「……すでに、君の逃走行為が局内に知られている可能性は?」
「限りなく低い。
「だが、俺は赤の他人だ。君たちの闘争レベルに巻き込まれる筋合いはない」
ラスティはおもむろにジーンズのポケットから財布を取り出し、きっかりと一千五百ゼニルを叩きつけるようにテーブルに置いた。それがステーキ・セットの代金であると分かるやいなや、ルル・ベルが、はっと息を呑んだ。
「食事代は自分で払う。後の事は知らない。依頼不成立だ。君の我儘には付き合い切れない。金は惜しいが……それ以上に不愉快だ」
「そんな!」
バンとテーブルを叩いて、ルル・ベルは思わず立ち上がった。客の何人かが怪訝な目線を寄こしてくるが、そんなものはどうでも良かった。
「ここまで……ここまで喋らせておいて……一度請けた依頼を投げ出すっていうの!? まだ何も始まっちゃいないのに!」
震える声で非難するも、しかし一度『降りる』と決めたラスティにとっては、馬耳東風に過ぎない。
「俺は、今の今まで、『君の依頼を請ける』とは一言も口にしていない。ただ詳細を教えてくれといっただけだ。そして詳細を聞いた結果、ハンターが関わらなければいけない必然性は、どこにも感じられなかった。これは君の事件で、君の手で解決すべき事件だ。俺が手を貸す必要など、全くない」
「わ、わたし、わたしは……!」
必死になって考える。
「安心しろ。ここで聞いた事は誰にも口外しない。ただ一つ、出会った縁に免じて、アドバイスしてやろう」
ラスティは椅子から立ち上がると、鋭い目線をルル・ベルへ送った。彼女の悲哀に満ちた赤い眼差しを見ても、彼の決意は動かなかった。
「全てを正直に、ありのままに、僭主へ報告するべきだ。君は、君自身がどうかしていることを、きっちり反省するべきだ」
もう話はおしまいだとばかりに、ラスティは足早に店を出た。
後には、食べかけの料理と、それらを何らかの思惑の下にじっと眺める、哀れな少女の姿だけがあった。
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