第二章 忘却男と数字

第二章 忘却男と数字


 黒舘豹助は、私の出会った人々の中でも際立って個性的な人物である。

 真っ黒なマントと着物の中間のような薄い布を三重に羽織り、あらわになった長い脚には下駄を履き、琥珀色の瞳に茶色の入った髪。自らを『推理屋』と名乗り、私たちははじめ手品師や講談師か何かだと思ったが、彼は創作の世界でのいわゆる『名探偵』であり、先月とある事件の真相を見事に言い当てた。口は悪いが実はお人好し。――意外に思われるかもしれないが、彼はかなりのアニメ・漫画好きで、俗にいうオタクである。愛車はスリムな日本車だが、その車体は惜しげもなくアニメキャラクターに塗り替えられている。

 彼に事務所はなく、代わりに依頼の手紙を書いて『黒い目安箱』(そういう箱が学校の裏にあるのである)に投函すると、学校から彼に連絡が届き、彼とコンタクトをとることが出来る。

 ちなみに、黒い目安箱のアイディアは完全に『ゲゲゲの鬼太郎』を真似たものであり、そのため少し雰囲気も似ているところがある。学校の裏のゴミ置き場の横に、釘でコンクリートの壁に固定された木製の黒い箱。彫刻刀で『黒ヰ目安匣』と刻まれており、禍々しいお札が貼り付けられてある。これはこの学校の卒業生――つまり、私の先輩にあたる人たちが悪戯で飾ったもの。この黒い目安箱は学校の怪談のような存在になっており、実際私も入学当初は避けていたものだ。私の知っている限りで黒舘さんを知っている生徒といえば、相川いるか、好宮飛鳥、それと――皇本音くらいだ。

 

    *


二〇一八年/五月九日/水曜日。

 繰ろ景公園で猫の骨が大量に見つかってから、約一週間が経過した。

 あれから――当然のごとく学校はそのことで話題騒然となり、オカルト好きの男子たちが飛鳥の話を熱心に聞きかじっていた。

「非常な残念なことだ……」

「だね」

「宇宙人たちが地球の生命体を滅ぼそうと!――している」

「…………」

「その危害は我々人間にも及ぶだろう!」

「……あの、飛鳥?」

「だからボクは前からあれほど言っていたんだ!これ以上ペヤングを食べるのはやめろと!」

「……あ、あの……焼きそばの話?」

「仕方あるまい、火星に住むしかないな!よぉし皆ボクの背中に乗れ!このボクが、宇宙の果てまで連れて行ってやるさ!」

「不安すぎるでしょ」

――あなたは本当に受験をしたのか。そこそこ偏差値高いと思うぞ、この学校。

「まったく、どこのサイコパスがやることだか」

 相川いるかは呆れたように言っていた。

「下らないですわ」

 皇本音はそう言っていた。

 そして一時期ついにはフリーメイソン陰謀論まで持ち出すリトルミステリーテラーまで現れたが、彼らの興味は五日も持たなかった。

 何事にも無関心。熱くなりやすいが冷めやすくもある。

 間違いなく、私の影響だった。


    *


 放課後。

 じゃんけんに負けて泣く泣くゴミ捨てを請け負った私は、傾き始めた太陽の光を浴びながら、ふたつのゴミ袋を両手に持ち、学校の廊下を歩いていた。

「大丈夫?代わろっか?」

 同じく負け組の、空き缶を持った飛鳥が私に言った。

「あ、ごめん。お願い」

「お安い御用よ」

 私はあえて疲れたような息切れや咳き込みなどの素振りを見せながら、両方のゴミ袋を飛鳥の腕の上に乗せた。

「おいおい……ふたつともは無しだろ、流石にぃ」

「今度ジュース奢るから、今日だけは。お願い!」

 私は飛鳥の前で彼女を崇めるように合掌する。

 酷い目で見られた。

 しばらくの沈黙。

 「だめ?」と、上目遣いで飛鳥を見る。

「……まあ、いっか」

「よっしゃ!」

「レットブルー二本ね」

「…………」

 足元が崩れる思いだった。

――それ……地味に高いやつ……。

「じゃ、おなしゃーす」

「く……」

 まるで風船でも持っているかのように軽々と袋を持ち上げる飛鳥。

――自分で運べばよかった……。

 しかし、どうあがいても四百二十円は返ってこない。ここは素直に、運んでくれたことを喜ぶとしよう。

 何事にも切り替えが大事だと、私は飛鳥の後について行く。

 この学校が全面扇状デザインに改修されたのは、およそ五年前。かなり近代的で清潔だ。この廊下も扇形の弧のようにカーブを描いている。連なった廊下の窓からは、同じ扇形の弦を形どった渡り廊下が見え、少し乗り出してみると下の地上までずらーっと並ぶ綺麗に整頓された窓。視線をもう少し這わせると、モザイク風に扇が描かれた、野外玄関前のレンガの地面が見える。

 夕日に照らされ、無機質な壁や地面に長い影が伸びる。

 ――とそのとき、ある人物の背中が目に映った。

 未明――私の妹が、ゴミ置き場裏の黒い目安箱に、封筒らしきものを投函していた。

「ん、どした結未ちゃん?」

 飛鳥が私の視線の先を追う。

「ああ――あの子、ウチの生徒じゃないよな――制服も着てないし。知り合いなの?」

「うん。小五の妹」

 私は視線を外さずに頷いた。

 機械的に揃えられ、等間隔に植えられたオブジェのような木々の葉たちの隙間から、窓越しに妹を目で追う。

「黒舘さんに依頼でもあるのかな……」

「うん……判らないけど」

 少し興味が湧いた。

 何せいつも家で馬鹿な掛け合いをやっている妹の、生真面目な顔つきのプライベートな面を見てしまったのだ。どこか滑稽で、微笑ましかった。

――しかし……。

不法侵入してまで事件の依頼を見ず知らずの怪しい人物(妹にしてみれば悩み事を解決してくれる魔法の箱なのかもしれないが)に頼むことがあるのだろうか。

「行ってみよう」

「うん」

 私は階段を急ぎ足で駆け下りた。飛鳥も私に続こうとするが、バランスを崩し階段にゴミをぶちまけた。

「ちょ――ちょい待ってよ結未ちゃん!」

 頭上の螺旋階段から声が聞こえる。

「流石にそれは冷たすぎるだろ、友人を気遣い位できんのか、凪坂結未ちやぁん!」

「私はレッドブルー二本を後払いという条件をすでに呑み込んだはずよ」

 階段を下りながら、飛鳥に聞こえるように声を張り合える。

 何やらごそごそと上から音がしているので、文句をぼやきながらもゴミ拾いに励んでいるのだろう。

「――私は四百二十円のうちにサービス料も入ってると思ってたんだけど……」

「チップを要求する!」

「こ/と/わ/る」

 大体、チップを要求するゴミ運び業者とは一体何なのだ。

――チップって要求するものだったっけかな……。

 そんなことを考えているうちに、頭上で高テンポな足音が鳴り響き、ものの数秒で飛鳥は私の隣に追いついた。もちろん、この今も私たちは両足を動かしている。

「ああ。欧米では、チップの金額に不満があると、業者側が文句を言うことがあるんだ」

「つまり海外ではそのままの値札の何パーセントか増しで見なきゃならないわけね」

「そういうことだ」

 なんだか、店のサービスは完全に儲けのためにやっているようで、少し複雑だった。

――やはり私の国は日本だな。

 結論に至った。

「でも、店の態度の点数代わりに、チップがあるわけでしょ?」

「うん」

「もしも店員――というか、業者があほみたいに気が利かなかったら、そのときはどうするの?」

「それでもお金は払うよ。私は。一セントだけ」

「――どうして?」

「不満があるということの意思表明だよ。ゼロだとただの出し忘れだと思われるでしょ」

「ああなるほど。そっちの方がより皮肉な気がするわ」

「ね」

「じゃあ私も一セントのチップを払うことにしましょう」

「よし!」

 誘導成功と言わんばかりの勝ち誇った顔で、飛鳥はガッツポーズをとる。

「コーラの小っちゃいのとかでもいいぞ?」

 確信が出来て調子に乗ったのか、やけに上からな発言だった。

「そんなんじゃ駄目だよ」

「え」

「全然駄目」

「じゃあ何くれるのさ。ねーねー!」

 飛鳥がしつこいので、私はゴミ袋を指さす。

「……え?」

「ん。これ」

 正確には、ゴミ袋の中身を指さす。

 コーラの空き缶。

「こ、これがチップ⁉」

「屈辱的でしょ?」

「流石結未ちゃん。考えてることが何気に非人道的だわ」

 ある意味感心したように飛鳥は頷いた。

 

と――そのとき。


ひとりの少女が、階段を上ってきた。

目の前の階段から、彼女は現れた。

その矮躯で華奢な身体が、ゆっくりと、対向するように、私たちに近づいて来た。

同級生だろうか。

背は高い方ではなかったが、綺麗な身体をしていた。

綺麗としか言いようがない。

私にボキャブラリーが少ないのが非常に惜しまれた。

必要以上に短くカットされた髪。一瞬男子かと思ったが、制服で性別が判明した。

その狭い肩幅が押し出す空気の量は恐ろしく少ないものだったが、私は、確かに彼女が横を通過したことにより発生した風を、この身で感じた。

 永遠にも感じられる。永い永いスローモーションを見せられた気分だった。しかし気がつけば彼女はそこにはおらず、彼女の足音の残響があるのみだった。

――尊いものを見た。

 私は、不思議な体験をした気分になった。

 まるでそれは、自分だけが未知の世界の片鱗を目にした、そんな感じの、優越感でもあった。

「結未ちゃん……」

「ん?」

 私は我に返り、飛鳥に反応する。

だが、飛鳥の瞳はどこか焦点が合っておらず、虚ろで、先ほどまで少女がいた場所をぼうっと眺めているだけだった。

だから、彼女のその言葉も、もしかしたら独り言や寝言に近しいものなのかもしれなかった。

「ボク……レズに目覚めそうだよ」

 彼女は言った。


 その後私は未明の依頼手紙を黒い目安箱から取り出した。

『繰ろ景公園の呪いを消してほしい ――知恵ノ井小学校五年生女児』

 まさか妹までその関連のことを気にしていたのかと予想外の手紙の内容に驚いた。

 早速妹に事の成り行きを伺いたいところだったが、夕食の時の彼女があまりにも普通にしていたので、何となく躊躇われた。

 そのときは、まだ事の重大さに、気がついていなかったのだ。


    *


「……………………」

 事務所の鍵が開いていたので玄関から中に入ると、そこでは黒舘さんがテレビの前で固まっていた。

 私は部屋へ入り、黒舘さんの顔を覗き込んだ。

「…………あ」

 彼は口を半開きにし、静かに涙を流していたのだ。

 引いた。

『君と夏の終わり 将来の夢 大きな希望忘れない 十年後の八月 また会えるのを 信じて――』

 やけに画面の広いテレビからは、そんな音楽が聞こえていた。見るとアニメらしく、数名の若い男女が涙を流している様子であった。

――……知らないな。

 多分無名アニメだろう。

「……当分ラーメンは食えないな……」

 黒舘さんは意味不明なことをを呟き涙を拭くと、おもむろに立ち上がった。

「……いや、インスタントなら出来るかもな」

 黒舘さんは頭をぼりぼりと掻くと、黒い薄手のローブを翻し、廊下へ向かい歩いて行った。

――……って、私のこと無視?

 アニメに夢中で私の存在に気付いていないようだった。

「塩、醤油、味噌……カレーもあったか……」

「黒舘さん」

「あ」

 独り言を呟く背中に私が声を掛けると、彼はようやく気付いたようにこちらを振り向いた。

「マルちゃん製麺とカップヌードル、どっちがいい?」

「くれるんですか」

「違う。俺が食う」

――意味不明だ。

「ったく、今二時ですよ?いつから録画観てたんですか」

「違う。DVDだ。――ていうか二時⁉」

 推理屋は驚いたように壁に掛かった時計を見直した。

「うわ、まじかよ……また昼飯食う時間逃した」

 彼は絶望したような口調でアンティーク品の網目のソファーに顔から倒れ込んだ。

「ちっくしょー」

 ソファー布のせいで声が籠る。

「お腹空いてるんだったら変なこだわりは捨てて食べたらどうですか」

「やだ!」

「どれくらい何も食べてないんですか」

「十年」

「何が食べたいんですか」

「十円」

――はぁ……。

 この人の扱いは本当に疲れる。顔がいいのにオタクで性格がこれでは、多分一生結婚できないんだろうな……。まあ、本人も結婚を望んではいないだろうが。この家も外観はきれいだし、部屋も赤く塗られた壁に趣味の良いキュビズム風の油彩画、テレビの横にはスピーカーがあり、アロマ加湿器が煙を噴いてはいるが、(行ったことがないのでよくわからないが)若干ラブホテル感が否めない。

「じろ」

「……何ですか」

 呆れる私を、顔をソファーに突っ伏したまま横目で窺う黒舘氏。

「いやぁ……お前が廃人を見るような目をするから」

「自覚あるんですね」

「な……本気で傷ついたぞ。『親父にもぶたれたことないのに』……――俺だって仕事してるさ。それじゃないと食っていけないからな。この前なんか変な館で殺しが起きて、大変だったぜ」

「変な館?」

「そう。『サイトウ』姓ばっかり集めた変な館」

 そりゃあ変だな。

「そこにいた西東(さいとう)北南(きたみ)とかいう館と同じくらい変な名前の大学生がこれまた面倒臭くてさ……まぁ、おかげで五十万円ゲットだぜだけど」

「どこにあるんですか」

「金庫だよ。――盗もうったって無駄だぜ。百二十桁の数字錠が掛けてあるから。おまけに金庫は固定式だ。それごと盗むんだったらドリルで床ごと削らねえとな」

 流石犯罪のプロというべきか。

「……で、なんで昼食を食べないんですか?」

「金庫に全財産仕舞っちゃったから。それに数字錠押すのに時間かかるからめんどい」

「アホですか」

 自爆しておった。

 黒舘さんは苦笑すると、黙って部屋から出ていってしまった。まさか金庫を開けに行ったのではないかと案じたが、しばらくするとお盆にアイスティーとテープで口を綴じたカップヌードルが運ばれてきた。

「ドウゾ」

「ドウモ」

 黒舘さんはテーブルの上にコップを二つ並べた。アイスティーは鮮やかな紅色で、茶葉の香りが辺りを漂っていた。

「変な館のオーナーが金と一緒にくれたパックで注いだ茶だ」

「そうなんですか」

「だが命の保証はない」

「…………」

――なぬ。

「なぜならそれをくれたオーナーが犯人だったからだ」

「……ワー面白―イ」

 いや笑えない。

 というか事件の依頼料及び解決量を犯人自ら支払ったのか。

――んー。難解だ。

 よく刑事ドラマなどで『刑事が犯人、探偵役が犯人』などがあるが(今更目新しいトリックではないのだが)それと同じような原理で、『まさか事件解決の為に推理屋まで呼び出している彼が犯人なわけがないだろう』という心理の裏をかいたのかもしれない。

 あるいはただ最初から捕まる気でいたのかもしれないが。

 二口三口紅茶を口にし(幸い何の異常もなかった)、しばらくの沈黙の末、黒舘さんが口を開いた。

「三分経った」

「……え?」

 黒舘さんは割り箸を割り、カップヌードルの蓋を開けた。湯気がもわっと立ち上がり、独特の匂いも込み上げてきた。

――さっきから脳内で数えていたのか……。

 やがて五分ほどで麺を全て腹の中へ入れ終わると、彼は切り替えるように私の方を向いた。

「で、こんな不審者の所へオンナノコ一人で来たということは、何か頼み事でもあるんだろ?」

「あ……ええまぁ」

 私は学生鞄を開け中をまさぐり、くしゃくしゃになった例の封筒を取り出した。

「もうちょい丁寧に保管しとけよ」

「あ、はい」

 封筒の中身を受け取ると、黒舘さんは眉をひそめてソファーの背もたれに寄りかかった。

「知恵ノ井小学校五年女児――って、これ何」

「黒い目安箱に入ってたんですよ――しかもそれ、私の妹が書いたようなんです」

「へー。よく学校に入れたな」

 セキュリティが甘いとよく言われる。

「じゃあ、本人をここへ連れてくればいいのに」

 もっともな意見だったがしかし、兄弟姉妹というのは一見仲が良さそうでも(そして実際仲が良くても)意外とプライベートには踏み込めないものである。

「いやあそう思ってたんだけど、何しろ未明が恐ろしく平然としていたもんで……」

「ホー……繰ろ景の呪い、ね」

「…………」

 黒舘さんは顎に手を添えながらしばらくじいっとその手紙を見つめていた。

「……この繰ろ景公園ってのは埼玉の黒影山の?」

「はい多分」

「ということは確か凪坂や相川がこの前猫の死体を見つけた所か……あの件で子供たちが騒いでるのか……?」

 黒舘さん何か呟きながら立ち上がると、近くの飴色の洋風の棚の引き出しを開け、銀色の薄い板を取り出した。テーブルの上に置いたとき、私はやっとそれがノートパソコンであることが判った。

 彼はそれを開き、しばらくカタカタと指をキーボードで踊らせていたが、

「あった……」

 と何かを達成して嬉しそうな顔つきでパソコンの画面をこちらに向けてきた。私は目を細めて液晶画面に映し出された文字を読み上げた。

 そこには、以下のような文が書かれていた。

『二〇一五/八/二一、埼玉県川口市繰ろ景公園の時計塔で身元不明の男性が意識不明の重体で発見。男性の首には縛られたような痣があり、警察は殺人とみて捜査を進めている模様。また、現場付近のシイノキの大木に、猫が首をつって死亡しているのが見つかった。事件との関連は不明』

 どうやら事件をファイリングしたものらしい。無機質な白い画面に、淡々と文章が綴られていた。また、その下には三つほどURLが貼られてあった。

「……見るか」

「はい」

 黒舘さんはパッドの上でマウスを動かし、まずは一番上のものをクリックした。

 さっきとは打って変わって鮮やかな画面で、ネットニュースのようだ。

『今日未明、二十一日に埼玉県繰ろ景公園にて意識不明で発見された男性が意識を回復したという報告が病院からなされた。なお、男性はショックによる混乱で、記憶や証言に一部矛盾が生じているという』

 その後にはメディアらしい洗脳や偏見じみた説明がずらーっと並んでいた。

 一旦前のページに戻り、今度は二つ目のサイトを開く。

 画面中央の円がくるくると回転し、少し経ってからページに飛んだ。『みんなでやればこわくない』というタイトルが付けられた、黒い背景のいかにもやばそうな雰囲気のサイトだった。

「自殺・心中サイトみたいだな……」

 黒舘さんは目をディスプレイから離さずに呟いた。

『【繰ろ景公園について】

 繰ろ景公園を知っていますでしょうか。

 華厳の滝や樹海と並ぶ由緒正しき自殺スポットです。

 元々は豪雨の為に生贄となった生娘がはじまりなのですが、彼女の供養も含めて、生きるのに疲れた方、浄土で楽になりたい方は、ぜひコメントお願いします。きっと先住者様が温かく迎え入れてくれるはずです。墓場では孤独ではありません。みんなで死ねば怖くない』

「……病んでるな」

 半ば悪徳宗教や左翼主義者のようでもあった。

「なんで削除されないんだろ……」

「きっと、許可とか管理人とか、色々あるんだろうな」

 ため息をつき、黒舘さんは頬杖をついた。彼も、色々思うところがあるのだろう。

ページを下まで移動させる。

 コメント欄には日付や共感、感想などが、恐ろしい量書かれていた。これだけの人間が死を望んでいると思うと、何か考えさせられるものがあった。

 そして最後三つ目のサイト。

 これは掲示板サイトのようだった。

 開くとチャット形式になっており、話題は『またJKがキチ○イに絡まれた件www』だった。日付は随分と古く、五年ほど前のものだった。


1『また女子高生が変態に火つけられたらしいな』

5『どこの変態かな』

6『〉〉5 お前みたいなやつ』

14『被害者の娘はどうなったんや』

27『〉〉14 入院中らしいで。一ヶ月はかかるらしいが後遺症はないってよ』

30『〉〉27 ソースくれ』

33『〉〉30 すまんな。新聞に載ってたと思う』

34『【悲報】繰ろ景町とかいう幽霊田舎、不審者が尽きない』

35『俺北区やから不安や』

36『〉〉35 家から一歩も出ないだろおっさん』

38『近くの河川敷で猫の死体も見つかったらしいな』

39『〉〉38 kwsk』

39『おk。俺グロ系無理やからURL各自で開いて』

39『〉〉39 リンク貼れるんだったら中身も見てるh(ry)』

 

黒舘さんがリンクを開く。39さんが心配するほど過激な画像は無かったが、その内容はとても興味深いものだった。荒川の河川敷に、猫の死体が捨てられていたという。写真こそモザイクが掛かっていたが、首には紐で絞められたような跡が残っているのが確認できた。

「この辺りでは結構頻繁に起きていたみたいだな……あ、でもこれ二〇一八年の出来事みたいだな」

 黒舘さんは片手でパソコンを操りながら、もう片方の手で紅茶の入ったコップを傾けた。

――猫の死体……。

 この河川敷のものや記憶喪失の男性とともに見つかったもの、――それに、私が繰ろ景公園の地面で見つけた猫の死体は、同一犯によるものとみて間違いないだろう。

「よくこういうことが出来るよな……俺はまだ人殺しの方が理解できるぜ。……そして殺人より動物虐待の方が罪が軽いという風潮も、これと同じくらい理解しがたいことだがな」

「……ですね」

 もちろん、私だって何も生き物を殺したことがないわけじゃない。蚊だって潰したことがあるし、ダニやノミなんかは無意識のうちに殺してしまっているかもしれない。

「そして問題は……――と、名前は伏せられているか。この、猫の死体と一緒に見つかった記憶喪失の男……」

「ですね」

「彼はこの猫殺しと鉢合わせしたのか……あるいは」

 と、黒舘さんは言葉を切り、一旦瞼を閉じ、そした開いた。その琥珀色の瞳をこちらに向け、重い口調で言葉を発した。

「彼自身が犯人か……だな」

 彼はそう言うと、「よっ」と、勢いよくその場から立ち上がった。衝撃でソファーがぐらつく。

「ちょっと行ってみるか」


    *


 とは言ったものの、まずどこから調査するのか見当をつけていたわけではなく、数分悩んだ末、まずはその記憶喪失の男とやらに会いに行こうということになった。が、インターネットをどれだけ漁っても彼の居場所については書かれておらず、ただ事件の怪奇さを面白可笑しく載せているだけであった。

「しょうがねぇ!最後の手だ!」

 黒舘さんはスマートフォンを取り出すと、急にどこかへ電話を掛け始めた。

 しばらくの呼び出し音の末、『はい』という若い女性の声が聞こえた。

「もしもし、日比谷さん?」

『またあなたですか……推理屋さん』

 その声に、聞き覚えがあった。

――あの刑事さんだ。

 先月の『ある事件』でたまたま知り合った、警視庁の女性警部補だった。知り合った事情はここでは省かせていただくが、義理と若さに満ち溢れた頼り甲斐のある刑事さんであるということだけ云っておこう。

「繰ろ景公園の猫虐殺やその付近で気を失っていた男性の件などの一連の事件について伺いたいんですが」

『……あ、はい』

 乗り気でないのが電話越しでも伝わって来た。

 しかし気にしないのが黒舘流である。

「その男性と会うことってできますか」

『……あの事件は少々特殊でして、動物関係の部署と一課が合同で捜査したために、私はその男性の居場所を知らないんですよ……』

「はァ、そうですか」

 明らかに落胆している様子であった。あまりにもため息ばかりつくものだから、日比谷刑事も哀れに思ったのか、とっさにフォローに回った。

『あの事件、私も担当したのですが――代わりと言っては何ですが、事件についてできる限りのことを話しますので……』

「……本当ですか」

 黒舘さんの目が光った。

「ぜひお願いします。――では……早速いいですか?」

『はい』

「その男性は首を絞められて――というか、首に絞めた跡が残っていたんですよね」

『はい気管を絞められたことによる窒息状態で酸欠になり、意識が飛んだと聞いています……記憶が飛んだのも恐らくそれのショックによるものかと』

「えっとじゃあ……凶器……つまり首を絞めた紐はどこにありましたか」

『いえ、落ちては無かったですね……恐らく殺人未遂かと』

「第一発見者は?」

『近くに住んでいた小学生のようです。肝試しか何か、そういった類のもので時計塔に忍び込み、扉を破って現場に入り込んだそうです』

「扉を……破って?」

『ええ……当人たちから話を聞くところによると、《霊気がした》ということらしいです』

「レイキ……?――それは、オカルト的な解釈でいいんでしょうか」

『さぁ……』

 と、日比谷さんは喉に物を詰まらせたような音を発した。彼女自身もよく判らないということなのだろうか。

『警察としては、一応魔が差したとか《ほんの出来心》だとか、いかにもな答えを資料に載せてはいますが――もしかすると、その土地柄が影響しているのかもしれません』

「土地柄――?」

 黒舘さんが食いつくと、日比谷さんは『ええ』とこれまた言いにくそうに相槌を打った。

『元々その場所がいわくつきの……心霊スポット的な立ち位置の土地でして……首吊りの名所だとか――えーと、繰ろ景公園のあの大きな木。あそこで自殺が多発しているんですよ。それも随分昔から』

「…………なるほど」

『死者は、明確な資料だけでもざっと百五十人ほどかと』

「百五十人⁉」

 桁違いだった。

「その霊的なエネルギーが原因であると?」

 黒舘さんが皮肉とも本気ともとれるような態度で訊くと、日比谷さんは平然と『ええ』と答えた。

「…………」

『…………』

 黒舘さんが考え込むように押し黙ると、日比谷さんも空気を読んで沈黙した。

『…………あと』

 と、思い出したように日比谷さんは付け加えた。

「はい 何でしょう」

『そういえば……時計塔の機械部屋で気を失っていた男性ですが』

「はい」

『発見されたとき、起動したままのスマートフォンを握っていたらしくて』

「スマホ、ですか……」

『ええ――そこで調べてみたところ、直前に電話を掛けていたようなんですよ』

――電話……。

 まさか被害者の身内?

――いや、だとしたらもうとっくに身元は割れていていいはずだが……。

「その発信履歴には何て?」

『いや……それが、全く電話番号の体を成していなくて……多分朦朧とした意識の中で誤って掛けてしまったのだと思うのですが』

「…………? とりあえず、その番号を読み上げてください」

『あ、ええ』

 日比谷さんが読み上げた、記憶喪失の男の最後のメッセージ。

 それは――。

 《3444277772224442》


    *


「三千四百四十四兆二千七百七十七億七千二百二十二万四千四百四十二――って、何だか判る?」

「…………結未ちゃんが狂った……」

 翌朝、朝のホームルーム前午前七時四十五分。私が飛鳥に挨拶代わりの暗号を読み上げると、彼女は何を見当違いしたのか、私を保健室に連れていこうとした。

「ほら、私、この通り健康だから。――怪我とか、してないから」

 私が弁解すると、

「いや、心の病気は外見では判らないことも多いから」

 と謎の言葉をほざき、聞く耳を持たなかった。

「は、話を聞いて」

「いや、結未ちゃんのためなら……ぐすん……ボクは心を鬼にする!」

「お前なんで泣いてんの⁉」

 両腕を固定し、廊下で友人を引きずりながら涙を流す女子生徒。――ホラーでしかない。

 飛鳥があまりにも断固としているので、私は一旦妥協点を作ることにした。

「じゃ、じゃあ。保健室に行ったら、話を聞いてくれる?」

「ああ。――早ければ五年くらいしたら出てこれるかもな」

「それ精神病棟じゃん!早とちりしないで!」

「心配ご無用だ結未ちゃん。ボク、ジャンケンは強い方なんだ」

「放課後の掃除のチリトラー決めの話をしてるんじゃないの!は・や・と・ち・り!」

「トリチェリー?」

「それは水銀と試験管の実験で有名なイタリアの物理学者……――て!それ理科Ⅰの馬込(まごめ)先生が言ってたやつ!」

「花ちとせ?」

「それは店の名前」

「ヒノヒカリ?」

「あーコシヒカリと黄金晴の交配種ね……ってちが――」

「夏祭り?」

「………………………………………………………………………………首を絞められたい様ね……」

「え……あ、いや」

「ぐゎぁっる!」

「きゃー」

 私は飛鳥の脚を引っ掛け、身体の軸を崩すと、すぐさま背後から彼女にプロレス技を掛けた。

「いいい痛いイタイいたいぃ!――結未ちゃん、頼むから真顔で頸動脈を圧迫しないでくれ!」

「へ?聞コエマセンガ」

「くうぅ……結未ちゃんの方がよっぽど鬼だった!」

 この状況でもなおその口を塞がないようなので、私はさらに腕の締め付けを強くした。

「――ㇶィㇷㇵァ……」

 飛鳥の口から、明らかにまずい呼吸音が聞こえた。優しい私は、それに免じて首のロックを外してやった。

「――プ! ㇵァㇵァ……」

「で、何でこんなことになったのかな」

 私は足元で顔を真っ青にして倒れている陸上部員(私が強いのか、飛鳥が弱いのか……)を見下ろす態勢で言い放った。

「さ……さぁ……。その場のノリ、じゃあないか」

 適当な事を言っている。

「ノリでこんなことになったの?」

「ああ。女子はノリで生きる生き物だよ」

「あんたと一緒にされたくないのですが」

「でも、人類の歴史を辿れば、案外革命や世紀の発明も、ノリで出来たようなもんじゃないか」

 もっともらしいことを言う。

――まぁ、言われてみればそんなものなのかもしれない。

「……判った。今回だけは許す」

「ジュースを要求する気だな」

「まさか。――糖尿病になるでしょ?今回はアイス一個で勘弁してあげる」

「…………(それも砂糖は入ってるから意味なくね?)」

「ん。なんか言った?」

「いいえ何も」


「ふむふむ……暗号か……」

 飛鳥は、机の表面に落書きした意味不明の数字の羅列を興味深そうに眺めると、いきなりノートを取り出して何かを書き始めた。

「三を基準とするならば……ゼロ、プラス一、マイナス二、プラス四、マイナス一、プラス一、マイナス一、か……。――何かの周期の切り取り?――円周率にあるかも知れない……」

「飛鳥、数学得意なの?」

 あまりにもそれらしいことを呟きながらシャーペンを動かしているので、私は気になって訊ねた。

「ううん、苦手だよ。考査の順位も下から数えた方が早いし」

「まぁ……そうだろうね」

「九九は全部暗記したよ」

「それは算数です」

 飛鳥が真顔で言ったので、私もそれに応じて真顔で返す。

「それで?何か判った?」

「さっぱり。――あ、もしかしたらアルファベットに直すのかもしれない」

 すると飛鳥は指を折りABCの歌を呟き、ノートにささっとメモをした。

「cdddbggggbbbdddb……?bとdが多いな……鏡文字か?」

「あ、いや……飛鳥。多分違うと思う」

「じゃあアイウエオ順にすれば……」

「えーと…………ウエエエイキキキキイイイエエエイ――?」

「なんか盛大に煽られた気が……」

「うぇぇぇいききききぃぃぃえええい!」

「…………………………………………………………アカサタナだとどうだろう」

 無視された。

「サタタタカママママカカカタタタカ……駄目だ。文章として成立してない」

「やっぱり日比谷刑事が言ってた、その男の人が死にそうになって間違えて番号を押したっていう説が一番濃厚ね」

「ダイイングメッセージのなかでも一番詰まらない解決だが、一番現実味を帯びた解答でもあるな」

 飛鳥が妙に気張って専門家らしいことを言った。

「『止まるんじゃねえぞ……』的な?」

「それはオルガ……。結未ちゃん、黒舘さんの影響受けすぎ」

 飛鳥がじっとりとした目でこちらを見た。

「飛鳥だってこの前ガッチャマンの替え歌を道路のど真ん中で熱唱してたじゃない」

「いやあれは別だって……あ」

 飛鳥が、固まった。

 窓の外を見てはいるものの、焦点があっていないので、その視線にあまり意味はないと思われた。

「あ、あの飛鳥?」

「――――っへっ?」

 『あ』の字の形で固まっていた口元が、ようやく解放されたようだった。

「どうしたの?」

「ああ、うん。ちょっと思い出しちゃってさ」

「…………な、何を?」

 私は首を傾げた。

「事件の現場の繰ろ景公園、ボクの家から近いでしょ?――だからその関連の噂もよく耳に入って来るんだよね」

「へ…………どんな?」

 私は、訊ねた。

 なぜだか冷や汗をかいているようだった。シャツが背中の地肌に貼りついた。

 さきほどまで外で聞こえていた生徒たちの騒ぎ声も、その瞬間だけしんと静まったようだった。

「……事件現場で首を絞められて記憶をなくした男の人と一緒に見つかった猫の死体……その猫、」

「――うん」

 飛鳥はすうっと息を吸い込むと、無駄にためてから口を開いた。

「皇本音ちゃんの飼い猫だって噂だよ」

「……え」

 どういうことだ。

 そんな偶然……いや、土地が近いのならそれはあり得るが……。

 そもそもあの性悪な皇本音が――これは偏見かもしれないが――猫なって飼うのだろうか。

 色々思考してしまう。

 ――と、そのとき。

「ごきげんよう」

『――!』

 扉をガラッと開けて、彼女はそういつものいかにもな挨拶を口にした。その言葉を聞き、私と飛鳥の肩が一瞬浮き上がった。

 気配さえ感じさせず教室に入ると、皇本音は私たちに一瞥し、こう言った。

「おや。皆さん顔色がありませんよ?保健室に行かれてみてはいかがですか?」


    *


 彼女に飼い猫のことを聞く時間はいくらでもあったが、校舎内のどこにでも先生や生徒がおり、ペットが死んだ話など他人に聞かれたくないであろうという気遣いから、私たちは放課後に皇本音のもとを訪ねることとなった。

「で、なんで気遣いの結果が尾行なわけ?」

 私は飛鳥に常識的なことを訊ねた。

私と飛鳥は今、校門近くの公園の茂みでこっそりと皇本音を待ち伏せていた。ここからなら校門の様子をよく見られるし、駅の方向はこちらの方が近いので取り逃すということはまずない。

「気遣いというのは相手に気付かれずにことを済ますことなのだ」

 と、例の気取った言い方で飛鳥は続けた。

「浮気なんかも露見しなければ相手を傷つけることはない――嘘は突き通せば嘘ではない」

「まるで犯罪を擁護しているみたいね……」

「ん?何のことだ?――日本では浮気は罪にはならないと聞いたが」

――ストーカーは立派な犯罪だよ

 と、喉まで出かかったところで、どうせこいつに何を言っても無駄だと思い、呑み込んだ。

「ちなみにボクは浮気はバレさえしなければ構わない」

「へー」

「だから私は、自分から相手の携帯電話をチェックしたり、部屋に不審な髪の毛が落ちていないか調査したりはしない――だってそうだろ?自分が『この人だ』と決めたパートナーを信じることくらいのことを出来なきゃ駄目じゃないか」

「あなたみたいな人間が一番不倫されたら激怒しそうだけどね!」

「ん、なんか言ったか」

「いいえ何も――そう言えば、スメラちゃんはまだ来てないかな」

 私は茂みの中から顔上半分だけを出し、周りをチラチラと見た。道路では制服を着た生徒たちが談笑しながら坂を歩いてはいるが、あのくねくねしたファッションモデルのような歩き方の者はいなかった。

「す……スメラちゃん?」

「うん。皇ちゃんのこと」

「ああ……結未ちゃんは恋敵をあだ名で呼ぶんだな」

「皮肉よ皮肉。――あと恋敵じゃないし」

「ふーん」

 飛鳥は腹の立つにやにやした表情で私を見た。殺してえ。

 私は皇本音がまだ来ていないのを確認すると、再びその場に腰を下ろした。――が、芝生が雨で若干濡れているのを見て、尻が地面に着かないよう、しゃがんだ。 

 しかし、しゃがんだ体制は足首にかなりの負担がかかるので、結構疲れやすい。

「――ねえ、この体制疲れない?やっぱり尾行とか辞めた方が……」

「ん?ボクは全然疲れていないが――むしろベストコンディション」

「あはは。そうですかー」

――はぁ。

 確かに飛鳥はスポーツをやるせいか体幹が強く姿勢も整っている。が、自分の感覚で人にものを要求しないでもらいたい。私は大の運動音痴なのだ。さっきから態勢がおぼつかない。――尻を地面につけてしまおうかと考えたが、下着が悲惨になるのを想像し、やはりやめた。

 するといきなり飛鳥が「あー」と足をじたばたさせ悶えるような恰好を取った。――なんだ。トイレならあっちにあるから頼むからここではお控え願いたい。

 これ以上地面が濡れるのは御免だった。

「前からしてみたかったんだー、尾行」

「それが本音かよ」

――どういう趣味だ。

 江戸川乱歩とか好きそうだった。

「……と、こうしているうちに本音ちゃんが来てしまうかもしれない。常に校門を見張っていなければ」

「頑張って」

 ひとりで熱中してひとりで喋ってひとりで目を光らせている飛鳥を放っておき、私は暇なので例の暗号を頭の中で少し考えてみることにした。

――確か3444277772224442……十六桁だから、電話番号である可能性はまずない――が、同じ数字がかなり連続しているため、電話番号を打とうとしたところ手が震えてしまったという可能性もなくはない。――では、3427242……か?

 と、ここで私はある違和感に気付いた。

――電話番号押せるなら、死にそうになった時は普通、警察(110)か救急(119)に連絡しないか?――頭が回らなかったというのなら、それはそれで納得はいくが、同時にこの数字の羅列が暗号であることを否定しているようなものだ。

 この番号を押した張本人なら何か判るかも知れない――と思ったが、それくらいは既に警察が訊いているだろうし、日比谷刑事の様子ではその男の人にも暗号を解読できなかったのだろう。――自分で作ったトラップに自ら嵌るというのは、ある意味で滑稽だ。

 もうこうなってくるとそもそもその男の人が本当に記憶喪失なのかも怪しくなってきた。――首を絞められて記憶が吹っ飛ぶものなのか?頭に直接ダメージを食らったわけでもないのに。――というか、完全に忘れていたがそもそも首を絞めて殺そうとした犯人というのは、いったい誰だ?普通の流れで言うと猫殺しを頻繁に行っていた犯人と同一人物なのだろうがしかし……。

――ああもうわけわかんない。この事件、色々とごちゃごちゃし過ぎ。何か気分転換に別のことを考えよう。――そういえば、遅いな……皇ちゃん。

「ねぇ飛鳥」

 私は彼女の腰(私はしゃがんでいるので)を小突いた。

「スメラちゃんの所属部って知ってる?」

「ん……確か吹奏楽部だった気がする」

 飛鳥がしれっととんでもないことを言った。

「……吹奏楽部?」

「ん?本音ちゃんのラッパを吹く姿を想像して笑いを堪えてるのか?」

「そう見えたんだとしたら眼科をお勧めするわ」

 確かに彼女が管楽器を演奏する姿は新鮮だが、今はそういう話ではない。

「吹部って確か週五でしょ?」

「週六の時もあるらしいな」

「てことは……私たち、スメラちゃんが部活終わるまで、ここにいなくちゃいけないってこと?」

「…………」

 飛鳥の目が点になった。

 季節違いの肌寒い風が吹く。

 沈黙が永遠に張り付いてしまったようだ。

「私帰るわ」

「ちょ、待て結未ちゃん!」

 立ち上がり、鞄を手に持った私の腕を、飛鳥はぎゅっと掴んだ。痛いから爪を立てるな。

「なにー」

「あれを見てくれ」

 飛鳥は校門を指さした。私は半目でその指先を追う。そこには、住宅街には不釣り合いな漆黒の縦長い高級車――リムジンが停車していた。新品のような光沢を放ち、手入れが行き届いている感じがした。

「結未ちゃん――ほらその横!」

 飛鳥は私の頭を掴み、無理やり角度を三十度ほど動かした。視線を横にずらす。するといかにもなオールバックで黒服の使用人らしき人物が、扇状学校の生徒と会話していた。

――て、あれ?あの子って……。

 その会話している生徒。――もちろん、皇本音だった。

「流石皇財閥の御令嬢だな」

 飛鳥は視線をリムジンに固定して言った。

 すると何故か皇本音は私たちの方を手で示し、使用人に何か小声で言っていた。無論、私たちのことを言っているのだろう。

――見つかった⁉

 しかし、考えてみれば見つかってしまってもしょうがないだろう。正門前の公園で立ちながら大声で会話している生徒がいるのだ。そりゃあ目立つわけだ。

すると使用人が本音嬢にお辞儀をすると、彼女は私たちにいつもより若干声を張り上げて言った。

「凪坂さんと好宮さん――あなたたちも一緒に乗りますか?よかったら送っていきまわすよ」

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怪奇奇譚 パンドラ仔猫/悲壮人形 自己満足(みずみ・みちたり) @kvn0210

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