第7話 非処女は孤立する。
「いやあ、ビックリしたな〜!まさかあいつまで非処女だとはな〜!」
下卑た嬌声が教室を飛び交う。ヤコが非処女になった件は、ちょっとしたニュースとして、あっという間にクラス中に広がっていた。担架の頭側を持った男子生徒は、やはりヤコの非処女のにおいを感じ取り、それを周りに話したのだろう。
「なんだったら、クラスで一番処女っぽい感じなのにな!見た目で分かんないもんだよな〜!」
同級生の会話は不愉快この上ないが、とめる気力もない。ただ無表情で、聞こえてくる声を聞き流す。
ヤコは保健室に運ばれて、まだ戻ってきていない。本人が戻ってきていない今が花とばかりに、同級生たちは噂話を全力で楽しんでいた。
「あんな、いかにも上品な文学少女って感じなのに、とんだビッチだな。高校生のうちに男にヤラせちゃうなんて」
「でもさ、そういうギャップってちょっと興奮しない?」
「お前、アブノーマルだな〜!それって非処女に興奮するってこと?」
「いや、違うよ!もちろん非処女とヤるのなんて全然考えられないけどさ。こう、いかにも貞淑そうな女が、あっさり自分に身体を許したらと思うと……たまらないなと思って」
「貞淑そうだし実際処女だけど、自分にだけあっさりヤラせちゃう女、ってこと?」
「そうそう」
「都合のいい話だな〜!!」
気分が悪い。ヤコに対する勝手な想像やラベリングも、そこから始まる下衆な会話も、全てが癇に障る。
やめろよ。ヤコの話を、好き勝手にエンタメ化して消費するな。
お前ら、エリートじゃないのかよ。いつもはもっと品行方正にふるまっていただろ。こんな時だけ、羽目を外していいやって好き勝手やるのかよ。下劣としか言いようがないぞ。
でも、彼らを非難できない。今までのオレだったら、今回の件がヤコじゃなかったとしたら、彼らと同じように面白おかしく話題として消費していたかもしれない。
実際、少し前に別のクラスの女子が非処女だという噂が出回ったとき、きっと似たような会話も行われていたのだろう。その時のオレは、気にならなかっただけで。
ヤコが保健室から戻ってきたのは、もうすぐ学校も終わろうかという7時間目の授業の途中だった。教室のドアが開いて、狭い歩幅でゆっくり席に歩いてくる。相変わらず顔色は悪い。
そして、どこか所在なさげな歩き方だった。目立ちたくない、と言わんばかりだ。クラスメイトが話題の人物に投げかける好奇の目を感じ取っているのだろう。
教室の微妙な空気感から、きっと彼女も理解した。うちのクラスの男子生徒に頭の匂いを嗅がれたこと、非処女であるという事実が、クラス中に共有されたこと。
彼女のツラそうな、居心地の悪そうな表情を見ると、胸が締め付けられるようだった。体育館でヤコが倒れたとき、彼女の秘密を守ることができたとしたらオレだけだったのに、その気力を絞り出すことができなかった。
オレは、ヤコのことを好きでいつづけることに疲れていた。限界を覚えていたから、気力が出てこなかった。
だが、オレが気力を出せなかったせいで彼女が今、この悲しい表情を浮かべている。その事実は、良心の呵責を生んだ。ヤコに対して嫌悪感が生まれていようがなんだろうが、彼女のことを思って、必死で秘匿する行動を取ってあげればよかった。後悔してしまう。
英語の授業を受け終えると、放課後がやってくる。ヤコはすばやく荷物をカバンにまとめて、立ち上がろうとした。体調はベストと程遠いだろうし、早めに帰って休もうという判断だろう。その時、一人の男子生徒がヤコに話しかける。
「なあ、誰とセックスしたんだ?」
聞いただけで虫唾が走る、下衆な興味本位の声。担架でヤコを運んだ男子生徒、山本がニヤニヤしながらヤコに席の横に来ていた。
「……保健室まで運んでくれて、ありがとう。でも、私の頭の匂いを嗅いで、その結果について何事かを言いふらすのはスマートじゃないって、そうは思わなかったの?」
ヤコの毅然とした対応。体力は落ちていようが、頭は鈍っていないように見える。鋭く、よく通る声の反論だった。
「いや、あんまりビックリしたんでつい、な。いいじゃん。遅かれ早かれわかることだし。それより、相手とは結婚するんか?」
「答えたくない。私のプライバシーについて面白おかしく言いふらして、笑い話にするようなヤツに、一切何も言いたくない」
珍しく、ヤコの声ははっきりと怒りをはらんでいた。だが、相手の山本は萎縮するどころか、ムッとした態度になった。
「おいおい。お前自分の立場分かってるのかよ。非処女ってだけで、男子はほとんど口も利きたくないんだぞ。そんなヤツと特別親しくしたい女子グループだって存在しない。オレが口利いてやってるだけでもありがたく思えよ」
「面白半分で言いふらして、そんな私の立場とやらを不必要に早く作り上げたあなたに感謝?冗談も休み休み言ってよ。こちらこそあなたとは口も利きたくない」
「ふん。そんな態度じゃ明日から孤立決定だな。お前と誰も関わりたがらないぞ。高校生の内にセックスするような淫乱女が学校生活を……」
我慢して聞くのは、そこまでが限界だった。強い衝動が湧き上がり、身体が動く。
机に勢いよく手をつき、派手に立ち上がる。立ち上がったはずみで、座っていた椅子は倒れて、騒々しい音を立てた。
山本が驚いて視線をこちらに向ける。その目をまっすぐ睨んで、言った。
「山本。言いすぎだろ。黙れよ」
「なんだよ。お前、非処女の肩を持つのかよ」
「そうだよ。下劣な噂を流して、下劣な質問をして、挙げ句の果てに彼女の品格を貶める侮辱をして、お前の味方をしたいワケねえだろ」
オレの顔に視線を移した山本は険しい顔をしていたが、次第にニヤニヤした表情に戻りはじめた。そして、また口を開く。
「ああ。お前、こいつと仲良かったもんな。っていうか、好きだったんじゃね?もしかして、セックスの相手はお前か?」
調子を崩さない山本に、怒りを通り越して呆れすら覚える。オレが二の句を次げないでいると、山本は続けた。
「いや、違うよなあ。だとしたらお前らの間にはもっと幸せなオーラが出そうだもんな。ってことは、ふふっ、好きな女が他の男とセックスしちゃったんだな。なあ、どんな気分?」
今度は、一気に怒りが炸裂する。まさに今週ずっと抱えていた悩みに、土足で突入された怒り。心の最も柔らかい部分を、無神経に鷲掴みにされた怒り。
気づくと、身体が大きく動いていた。体重を乗せた拳が、山本の顔面にぶつかる。山本は斜め後ろに倒れ、倒れ込んだ先にあった机と椅子は音を立ててなぎ倒された。
わずかに遅れて、握りしめた拳に猛烈な痛みが走る。痛みで、ああ、オレが山本を殴ったんだな、と認識できた。
そこから先のことはあまり覚えていない。駆けつけてきた教師に引き剥がされ、事情聴取と説教をされて、解放された頃にはすっかり夜だった。
「山本にも悪かったところがあるようだし、停学は勘弁してやる」と、生活指導の教師は言った。恩着せがましいな、と思う。別にオレは、停学になったって構わなかったのだけれど。
秋らしい夜だ。気温はそれほど低くないが、夜風が冷たい。そろそろ上着が一枚必要になりそうだな、と考えながら帰路を歩く。
色々な、ホントウに色々なことがあった一日だった。
ぼんやりと、今日の印象的なシーンを思い出す。映画の約束を反故にしたときのヤコの落ち込んだ表情。他の女子と衝突して倒れるヤコ。運ばれる担架と、立ち上がれない自分。山本の下卑た笑いと、発言の内容。そして、拳の痛み。
憎たらしいのだけれど、そして本当に不本意なのだけれど、実は山本の言うことも一理ある。多くの男子生徒は非処女と積極的に話したがらないし、そんな腫れ物女子を積極的に迎え入れたい女子グループもほとんどない。
結果として、非処女になった女子は学校の集団から孤立しがちになる。実際、別のクラスの非処女・藤沢は学校に居場所がなく、不登校気味になっていると聞いた。
考えてみれば、今日の山本の発言も、オレがとめる前に女子の集団がとめそうなものだ。あのとき、ヤコと仲良くしていた女子グループも教室にいて、まちがいなく山本の振る舞いも見ていた。
にも関わらず止めに入らなかったのは、きっと山本の言った理由なのだろう。女子グループも、ヤコとの付き合い方を考え直さなければならないのだ。
「ホント全員くだらねえ……なんで処女か非処女かどうかなんてことで、接し方が変わるんだよ」
と、つぶやいてみても、そのつぶやきに説得力はない。オレ自身も今週の頭からずっとこのテーマで悩み、実際、接し方が変わってしまったのだから。
ある集団をくだらないと蔑みながら、そのくだらなさを自分も持ってしまっていることを自覚した時、いらだちはやり場を失う。
行き場のない怒りを抱えたまま歩く。誰もいない道に、荒い足音が響く。
拳の痛みは、いつまでも消えなかった。
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