第3話 埃っぽい図書室、二枚のチケット
「うーん、やっぱりイラストを描いた方がいいかな……でもなあ、絵心が全くないんだよね……」
ヤコがカラフルなサインペンを手でなでながら悩んでいる。図書委員の推薦図書を示すポップを書く月に一回のタスクで、彼女は毎回同じ悩みに振り回されていた。
「無理してイラスト描かなくてもいいだろ。文字だけでも十分情報が伝わるし、文字を華やかに装飾したらいいんじゃない?」
隣に座るオレはというと、最初からイラストを描くなどという高度な試みは放棄して、文字情報のみのポップを既に2枚生産し終わっていた。まだ1枚目のヤコは周回遅れである。
「だってさ、やっぱりイラストがついてるほうが目を引くでしょ?せっかく私のイチオシの本なんだから、なるべく多くの人に手にとってもらいたいし……」
「ちなみに、今月のヤコのイチオシ本は何なの?」
「【ダンゴムシ全史】だよ。ダンゴムシが大昔からどのように進化して今の状態になったか、太古の昔から現代まで、全ての歴史を網羅して細かく分析した骨太な本!しかも、生物学や社会学の視点まで含めて、なぜ今の社会ができたかを説明してくれるんだよ!すごく勉強になるし、すごくワクワクした!」
ヤコは、読書家だ。彼女の唯一にして最大の趣味は読書であり、いつもクールに喋る印象の彼女が、本の感想を喋るときだけはすごい勢いになる。
文字通り、「本の虫」だなと思う。
「キミは?何をオススメしたの?」
「先月映画が封切りになって話題のこれ。タイミング的に、借りるヤツ多そうだし」
無難なチョイスに、無難な推薦文でまとめたオレのポップをヤコに見せると、ヤコは微妙な顔になった。顔をしかめる。
「なんか情熱を感じないセレクトだよね。オトナすぎるというか……商業を感じすぎるというか……」
「いや、でも普通にオレ、もともとこの本好きなんだよ。映画化する前から読んでたし、この作家の他の作品もほとんど読んでるからさ」
「ホントかな……?”映画化する前から読んでた”っていう言葉、信用ならないんだよね。映画見てから慌てて読んだのに、マウンティングのために事前に読んでたことにしてそう」
「してないよ!!ヤコの前でもこの作家の本読んでただろ!!」
「そういえばそうだね。キミが読んでたの、何回か見たことあるわ」
ヤコが視線を左上に泳がせる。オレが読んでいた様子を思い返しているらしい。あらぬ嫌疑が晴れて安心した。
「でもさ、”ほとんど”読んでるっていうのはマウンティングでしょ?この作家の本、9割以上読んだと言い切れる?」
と、思いきや、即座に鋭い指摘が飛んできた。それに関しては図星なので、うまく弁解できない。
「うっ……!いや、どうかな……。多作の作家だから作品が多くて……9割は読んでないだろうな……」
しどろもどろになりながら、苦しい答弁を続ける。なぜかヤコは勝ち誇った顔になった。
「ほら!やっぱりマウンティングだった。多いんだよね。”ほとんど”読んだとかなんとか言って、半分くらいしか読んでないパターン。それでファンを名乗るな、って感じだよね」
勝ち誇ったヤコがニヤニヤしながら攻め込んでくる。自分の気に入るポップが描けないうっぷんを、オレにぶつけることにしたらしい。でも、オレはそれでやられっぱなしになるタイプではない。反撃する。
「ちなみに、ヤコの大好きな作家の【虫本清張】は全集が66冊出るほど多作なんだが、大ファンとしてはもちろん”ほとんど”読んだんだよな?」
さっきまでニヤニヤしていたヤコの表情が急に曇る。
「うっ……いや、ほら、虫本清張は読みにくい歴史小説とかも結構あって……。推理小説に限れば多分ほとんど読んでるよ……」
1分前のオレと同じ状態になったヤコを見て、なんだかおかしくなる。なるほどこれはニヤニヤしてしまうな。この滑稽さを味わうために、もっと追求したくなる。
「ということは、ヤコの虫本清張好きはマウンティングだったと……」
「さて、ポップ書くのに集中しよっか!」
ものすごく強引に話を切り上げて、ヤコは視線を書きかけのポップに戻した。なんだ。もっとイジってやりたかったのに。
放課後の図書室、埃っぽい空間。いつもは閑散としているこの部屋が、今日はバタバタとした喧騒につつまれている。
今日は月に一度の図書委員の仕事日だ。新着図書の確認と書架の整理、掲示物の作成、返却されていない本の取り立てリスト作成など、一か月分の業務を一気に片付けてしまわないといけない。
業務の割り振りは毎回なんとなく曖昧で、図書委員のみんながテキトウに終わってない作業をちょこちょこやっていく。いかにも文化系という感じのユルい業務フローになっていた。
そんな曖昧なフローの中で、この推薦図書のポップを書くのはなぜか毎月オレとヤコがやる不文律ができていた。おそらく、最初の月にヤコが書きかけのポップを家に持ち帰ってまで、異常に力の入った完成品を作ってきた印象が強いからだろう。そして同じクラスのオレも、ヤコとセットでなんとなくこのタスクに割り振られている。
オレは、この時間が好きだ。図書室でポップを書いているときのヤコは表情豊かだ。喋り方も4割増しでテンションが高く、普段の落ち着いた印象の彼女と全然違う。
そんな彼女と軽口を叩きながら、ポップを書く安らかな時間が好きだ。ペンを取るために伸ばす細い腕を、魔法のように繊細に文字を綴る指を、悩みながら目を細める横顔を、眺める時間が好きだ。
結局、ヤコが全てのポップを完成させたのは、ずいぶんと経ってからだった。
他の図書委員は皆帰ってしまった。図書室にはヤコと、その相談相手(という名の雑談相手)であるオレと、男女を部屋にふたりきりにしてはならないという使命感を帯びた司書の先生だけが残った。
「やっと終わった!」
と、嬉しそうにヤコが言ったとき、オレは暇つぶしに読み始めた小説を半分ほど読み進めており、続きが気になる程度にストーリーが展開してしまっていた。
「よし、帰るか。オレ、これ借りて帰るわ」
ヤコが、散らばったペンや書き損じのポップを片付ける間、オレは貸出の手続きを自分でして、本をカバンに入れた。
外に出ると、新鮮な空気が嬉しい。今日は涼しくて、幾分過ごしやすいように思う。オレとヤコは上機嫌で歩を進める。
オレたちの家は方向が同じで、図書委員の仕事が終わった後は一緒にゆっくり歩いて帰るのが習慣になっていた。
「オススメの本はいっぱいあるんだけど、皆が借りたくなるようなポップを作るって、ホント難しいね」
「そうだね。自分が魅力を感じた場所と、みんなが魅力を感じる場所は一緒じゃないしなあ」
そんな他愛ない話をしながら、オレはいまいち会話に集中できていなかった。脳の半分で会話をしながら、もう半分は今日成し遂げたいタスクのことを考えていた。
制服の胸ポケットには、映画のチケットが二枚入っている。オレの好きな小説が原作になっている、先週から始まった話題作の映画のチケットだ。
そう、オレが今日、最初に書いたポップの小説、その映画版である。
ホントウは、ポップを書いた流れで「話題だし面白いと思うから見に行きたいんだよね。一緒に行かない?」と、ヤコに切り出そうと思っていたのだけど、ヤコが予想外にマウンティング疑惑をかけてきたので、すっかりタイミングを失ってしまった。
かといって、このまま家に帰ってしまうともっとタイミングを失いそうだ。今日彼女を誘おうと決心してチケットを用意してきたのだ。この決心が薄れない今日のうちに、切り出してしまいたい。
そう思いながらずっと歩いているのだが、これがまた意外に難しい。最初は「ヤコとは普通に仲もいいしよく喋るし、映画に誘い出すくらいどうということはない」と思っていたのだけど、初めて学校の外に誘い出すというのは結構心理的なハードルが高いらしい。なんとなく緊張感があり、なかなか切り出す踏ん切りがつかない。
そうこうしている内に、彼女の家の前まで来てしまった。ヤコは少しずつオレから離れて、家の門の方に歩きだしている。あと数歩も歩けば、「じゃ、また明日」という別れの言葉が飛んでくるだろう。
そうなったら、チケットは胸ポケットに眠ったまま終わってしまう。チケットの出番は、ズルズル延期されることになるだろう。
──結局、良いタイミングなんてないのだろう。今日一日探っていたけど見つからなかったんだ。タイミングは、自分の力で作り出すものだ。転がってくるのを待つんじゃなく、自分から転がっていこう。
「あ、ヤコ」
短く呼びかけると、ヤコは既に家に向かいはじめていた足を止めて、振り返った。コンマ数秒遅れて、長い髪が彼女の後ろに回り込む。
「さっきオレが書いてたポップの映画、今度見に行こうと思うんだけど、よかったら一緒にどう?もらいもののチケット二枚あるんだよね」
変な緊張がある。早口にならないよう気をつけて言いながら、胸ポケットからチケットを取り出して提示した。もちろん、もらいもののくだりは嘘だ。自費で買ってきた。
ヤコは一瞬チケットに視線を移してから、またオレの顔に視線を戻す。
「あ、いいよ。行こう。私も実は見に行きたかったんだよね」
あっさり。あまりにもあっさりした返事だった。こんなにあっさり返事をもらうと、ここ何時間かのオレの葛藤が急にバカみたいに思えてきた。たかが映画一つ誘うだけなのに、なぜあんなに慎重にタイミングをはかっていたのだろう……そんな気持ちもないではないが、それ以上に問題なくOKがもらえたことの嬉しさがこみ上げてきた。話を進める。
「よっしゃ!んじゃ今週の日曜はどう?」
「あ、今週はちょっと予定があって……来週なら大丈夫だよ」
「OK。じゃ、来週の日曜で!また集合時間とか決めて連絡するよ」
「うん。よろしくね。じゃあまた明日。ポップ書くの待ってくれてありがと」
そう言い残して、彼女は門を開ける。石畳をコツコツと足音を立てながら玄関まで進んだ。入り口のドアノブに手をかけながら、もう一度振り返る。
「映画、楽しみにしてる。バイバイ」
そう言いながら、彼女はゆるやかに微笑んだ。彼女は微笑むとき、左の口角よりも右の口角のほうがやや大きくつりあがる。白い肌にわずかなシワができ、薄い桜色の唇がゆっくり動く。去り際の彼女の一挙一動は、なぜか妙にスローモーションに見えた。
家のドアが閉まるのを見届けてから歩き出すまで、少しの時間が必要だった。
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