文化祭当日、ステージバックと共に美術部員の作品も展示された。古都のあのさなぎの絵も完成して前日から並べられた。

二人で見に行こうと美術室に向かうと、思った以上に人だかりがしていて驚く。

不思議に思って中に入ったとき、騒ぎの原因を知った。

古都の絵が破壊されていた。

絵の中のさなぎは混沌とした液状のさなぎのまま、ただ傷つけられ破られていた。

二人で茫然としていると、不意に背後で抑えたくすくす笑いが聞こえて足音と共に去っていく。 わたしは思い至った。

──沙奈だ。

なんて幼稚な嫌がらせなんだろう。なんて独りよがりで盲目的な。

でも、沙奈だけを責めて怒りをぶつける気にはなれなかった。わたしは多分、あの子の感情に無頓着だった。あのとき沙奈が何を思っていたかなんて知ろうとも思わなかった。きっとわたしも悪かった。

「あんなのただの絵だよ」

何かを察したように、なんでも無いように古都は言ってわたしを慰める。

「そうじゃないでしょ。そういうことじゃ、ないでしょ」

どうして慰めるのがわたしじゃなくて古都なんだろう。わたしはどうして泣きそうになるんだろう。

「──でも、もうつまんないからここ抜けよっか」

古都はどこか吹っ切れたように笑って、わたしの制服の袖を引っ張った。


校門を抜けて、二人で最寄駅からこの街一番の繁華街へ向かった。駅ビル内は華やかで目にちかちかと刺激を与える。

「ピアス開けない? 」

ピアス売り場を覗いていた時、古都は唐突な提案をする。

「思いっきり派手で、でもセンスがあるやつを付けよ。自分のためだけに、選ぶんだよ。人が見たらどう思うかなんてくだらない事、考えちゃ駄目だよ」

そのわくわくするような提案に胸がはずんだ。自分のためだけに選ぶピアス。迷って迷って選んだのは、細いワイヤーの先で揺れる、あの蝶のような青さを持った大きなガラスの三角形だ。古都も同じものを選んだので、角と角を付き合わせると蝶の形になる。

戻った駅のホームで古都がおもむろにポケットから安全ピンを取り出した。消毒もせずに躊躇なくそれぞれ相手の耳に新しい穴を開ける。

古都がぽすりと私の耳に開けてくれたばかりのピアス穴は、開けた瞬間熱を持ったような違和感を与えた。古都が私を傷付け、私が古都を傷付けたお揃いの痛み。

開いたばかりの穴に、ファーストピアスに全然相応しくない先ほど買った揺れるピアスをお互いの耳に刺し通す。ピアスで埋めてしまえばもう、傷なんてないのとおなじ。血液も体液も滲み出ない。古都のひらひらの薄い皮膚の下に透けて見える毛細血管はなぜだか見てはいけないもののようにエロティックだった。

ストライプのブラウスとジャンパースカートという冴えない制服に、そのピアスは酷く不似合いなような、けれどそれが逆にこなれたお洒落のような、不思議なバランスを作って映えた。

私たちはさなぎ。この耳のピアス穴から化膿してどろどろぐちゃぐちゃにすっかり溶けて、それから思いもよらない程美しい蝶になる。

溶けたそこからどうやってあの清く穢れない青色が生み出されるのだろうか。今古都を包むあのイノセントな透明膜は、さなぎの殻だろうか。

古都が実際美しいのか、私のフィルターが古都を美化しているのか、もう分からない。



再び電車に乗った。どこまでも乗って辿り着いた終点は、観光地になっている見晴らしの良い高台だった。あたりはまだ充分明るい。

降りてみると駅からさほど離れていない場所がもう際どい崖になっていて、全てがどうでも良くなるような清々しい眺めが拡がっていた。古都は躊躇もなくその崖にどんどん歩を進めてゆく。

「あぶないよ」

私の言葉に構わず古都は息だけ漏らす笑い方をして、そのきわにぞんざいに立った。

なんでそんな所に平気で立つんだろう。わたしが見ているというのに。

あんまり無防備な古都。薄い背中に、細い頸部。卵型の頭部に、その裏にあるふっくりと膨らんだ眼球を包み込む白い瞼と。

ねえ、わたしたちはこんなに命にあふれています。あふれています。

──わたし、反抗期なの。反発してんの。

古都は時折ひどく鋭い攻撃性を見せる。

ねえ、古都は何に反抗してるの。何に反発してるの。あなたのさなぎはいつ破れるの。耳の傷がまだわたしを包むように痛い。


不意に、ピアスを揺らして古都がこちらを振り返る。ブラウスの襟ぐりから覗く青い静脈。青い蝶の筋模様。あのときの逃れられなかった蝶。

蝶にどれほどの感情があるものか知らないけれど、あの電車内を彷徨っていた蝶は私に閉じ込められて、あんなふうに暴れて、本当は怖かったのかも知れない。

「ここから一歩先に行こうとするだけで、落ちるね」

古都はくすくすと、葉擦れのように笑う。

「古都」

私は自分の欲求のままに古都のふたつの眼球をふっくりさせた掌で後ろからそっと覆った。

古都は抵抗しなかった。



ただ、なにも塗っていない、そのしっとりと弾力のある睫毛だけがはねのように瞬いて、かすかに私から逃れようとしていた。




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蝶を封じる モノ カキコ @kimitsugu

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