もしも一切の演劇活動が禁止されたら

 あれは去年の正月のこと。

 泥酔した叔父が「俺ァな、昔、ゲキダンってやつにいたんだぞ」と啖呵を切った。直後に叔母がわりと真顔で「真に受けないでね。この人ウソばっかり言うんだから」と訂正した。さらに、「冗談でもネットに書いたりしないでね」と付け加えた。

 ゲキダンという言葉が気になって検索してみたところ、どうやら三十年ほど前に消滅した地下組織の呼び名らしい。その頃なら叔父はちょうど大学生のはずだから、若気の至りで何かよからぬ活動に身を投じていたとしても不思議ではない。とは言え、追求したところで何一つ得るものはないので、それきりになっていた。


 ◆ ◆ ◆


「あ、え、い、う、え、お、あ、お」

「もっと腹に力入れて! 丹田丹田!」

「あ! え! い! う! え! お! あ! お!」


 ゲキダンへの志向も興味もなかった私がなぜゲキダンに在籍して発声練習などしているのか?

 それは、騙されたからに他ならない。

 桜舞いチラシ飛び交う新歓で、私好みの低身長かつクシャクシャ笑顔の先輩が「社交ダンスに興味ありませんか?」と誘ってきたのだ。ダンスに興味はなかったが、彼女との社交には興味がある。私は一瞬で入部を決意した。

 基本のステップをいくつか習うと、やがて正体が現れた。そこは、社交ダンス部を装ったゲキダンだったのである。


「あ! え! い! う!」

「違う! だから、丹田丹田!!」


 ナンデンカンデンとは何だろうか。困ったことに一切の質問が許されない空気なのだ。ナンデンカンデンで検索してもラーメン屋しか出てこなかったから、おそらくゲキダン関係者にのみ通じる隠語の一種なのだろう。

 私のヘソの下あたりを圧迫しながらナンデンカンデンと絶叫していたヒゲの先輩が、突然優しく肩に手を置いてエスコートを始めた。音響係のメガネの先輩が素早くワルツを流す。緊急フォーメーションだ。


「うむ、やっとるな」


 見回りにきた顧問の教授に、ノッポの先輩が元気よく、


「はい! 社交ダンス楽しいです!」


 と言った。

 ものすごく不自然な言葉だと思うのだが、教授は特に気にした風でもなく、


「ほっほっほ」


 と穏やかに笑いながら去っていった。


 ◆ ◆ ◆


 発声練習を終えると、ちょっと意味がわからないほどキツい身体訓練が行われる。その場で猛然と駆け足をしながら思いつく限りの一発ギャグを言ったり、全員凍らせるまで終わらない凍り鬼をやったりするのだ。十人いる新人のうち、初日は全員吐いた。今でも一人か二人は吐く。

 誰も脱落していないのは、みな私と同じ穴のムジナということだろう。クシャ笑顔の先輩目当てなのだ。今もちょこんと椅子に座って私たちの挙動を観察している。冷静に考えればあんなかわいい人に彼氏がいないわけがないのだが、私たちは全員冷静ではない。

 地獄の身体訓練を終え、息も絶え絶えに水などを飲んでいると、クシャ笑顔の先輩がぴょこんと椅子から立ち上がり、


「今日はいよいよ、台本を配ります!」


 と、高らかに言った。


「ごくり」


 ノッポの先輩が喉を鳴らした。

 この人はやることなすこと大袈裟で、演じるということには不向きだと思うのだが、新人の私がそんなことを口にできるはずもない。


「はい」

「ありがとうございます」

「はい」

「ありがとうございます」


 クシャ笑顔の先輩が一人一人に台本を手渡していく。

 いよいよ私の番だ。


「はい」

「ありがとうございます!!」


 ナンデンカンデンを意識して腹から声を出した結果、


「その調子!」


 と褒められた。

 やったやった。ざまあみろ同期どもめ。めくるめく社交の日々へ、私が一歩リードだ。


「では五分間、黙読してください」


 一同、受験生のように一斉に表紙をめくる。


「……」


 それは、歴史の物語だった。

 今から四十年前、世界中で新型のウイルスが流行し、多くの人命が失われ、経済も大打撃を受けた。不幸中の幸いと言うべきか、インターネット社会がほぼ出来上がっていたから、人々はオンライン飲み会などでヒマを潰し、医療や運送の従事者に感謝しながら、収束の時を待った。

 問題となったのは、オンラインでは満足な活動ができない芸能集団――ゲキダンの救済である。


「はい、そこまで」


 五分間の黙読では概要しかわからなかったが、とにかく救済の是非を巡って血みどろの争いが起こり、ついには活動そのものが禁止されてしまったということらしい。


「……マジなんですか?」


 ノッポの先輩が神妙な面持ちで言った。

 この言い方はさほど不自然ではなかった。それどころか、「これは実話なんですか?」と「本当にこれを上演するんですか?」のどちらにも取れて、なかなか上手いと思った。

 クシャ笑顔の先輩はきりりと腕組みをして、


「大マジです」


 と言った。

 実話だし、本当にやるということだろう。


「……消されるぞ」


 低い声でポツリと言ったのはメガネの先輩だ。

 彼は稽古場では音響だが会計や美術も兼任していて、要領よく仕事をこなしながら常に全体をよく見ている。

 確かに、危険な香りがする。ウイルスが流行ったという話は授業で習ったが、ゲキダンという言葉は教科書に載っていなかった。こんな話を世に広めようとしたら、真実がどうあれ、フェイクニュース対策法違反で関係者全員シベリア送りになるかもしれない。

 だいいち、表向きは社交ダンス部なのだから、どうやってゲキダンとしての発表をやるのだろうか? というかクシャ笑顔の先輩は何故こんな秘密を知っているのか? そもそもクシャ笑顔の先輩は何というお名前なのか?

 疑問は尽きないが、質問は許されない。


「消される覚悟で、ついてきてくれる?」


 私たちは全員アホなので、先輩のクシャ笑顔が見たい一心で、ナンデンカンデンに力を込め、


「はい!!!」


 と声を揃えた。


(了)

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シリーズ「もしもこんな法律ができたら」 森山智仁 @moriyama-tomohito

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