第6話 イースト・コンパス

 鏡を見て少しだけ寝ぐせのついた髪を直してから、二人は宿舎を後にした。

 校舎までの道には、住宅街が広がっている。

 高層ビルばかりのこの場所には、都市国家トーキョーの人口の三分の一が住んでいるらしい。

 早めに宿舎を出たこともあって、コンクリートで舗装された道には、まばらにしか人はいなかった。

 灰色の建物に、道端に植えられた植物の緑。基本的に武器の携帯は許可されず、ろくなセキュリティもない平和な街だ。

 そんな中、幼稚園に向かっているのであろう親子が二人の視界に入る。偶然目が合った少女に手を振られ、ユズルは笑顔のまま吐き捨てた。

「相変わらずこの街は平和ボケしてるね」

 言葉とは裏腹に、ユズルは少女に手を振り返す。それに気づいた母親が、ユズルたちに軽く会釈をしてきた。

「ほんの十五年前まで戦争してたっていうのに、もう忘れちゃったんだ」

 親子を見てユズルが何を思ったのか、リョウには伝わったらしい。彼はもたれかかるようにユズルの頭に手を置いた。

「そういう時のために訓練積んでるのが俺たちだろぉ? んな不機嫌になるなって」

「不機嫌になんかなってない。僕の笑顔が見えないの?」

 重いからどいて、と言いながらユズルは彼の腕の下から這い出る。こういう時、身長差を感じてしまって嫌になる。

 住宅街を抜けると、学校が密集しているエリアだ。その片隅に、軍の一施設である『第三研究所』は存在している。

「ああ来た来た。おはよう、二人とも」

「ナカノ先生」

 研究所の前で待っていたのは、白衣を着た一人の男性だった。

 頭頂部が若干怪しくなってきている彼は、ナカノ。数年前まで魔鎧師養成学校≪イースト・コンパス≫の教員であり、現在は第三研究所で所長を勤めている人物だ。

「悪いね、学校前に呼び出してしまって」

「本当になぁ。で、なんの用だよセンセー」

「リョウ。流石に先生にぐらい敬語使いなって」

「ゲッゲッ! 今更だろぉ。俺らのセンセーだった頃の癖が抜けねぇんだよ」

「それでもどうかと思うけどなあ」

「はは、いいんだよ。学校を離れても君たちは大切な教え子だからね」

 鷹揚に笑うナカノにそれ以上言い返せなくなってユズルは黙り込む。むすっとした表情をしているユズルをよそに、リョウとナカノは話しこみ始めた。

 魔核の適合要素、調整機器の開発状況、因子が云々。

 自分には理解しきれない単語が飛び交っているのを、ユズルは邪魔せずに待とうとした。

 しかし数分後、聞き捨てならない言葉が聞こえてきて、ユズルは思わず彼らを勢いよく振り返った。

「いやあ、本当にリョウ君は優秀だね。学校やめて、うちに就職しないかい?」

 リョウが答える前にユズルは彼の前へと体を滑り込ませた。

「……リョウは僕のですよ、引き抜くなら僕を通してもらいたいですね」

 トゲのある口調で言い放つとナカノは目を丸くして驚いているようだった。リョウはそんなユズルの肩にもたれかかると、口をにまっと笑みの形にした。

「ゲッゲッ、なんだよそりゃ。昨日と言ってること真逆じゃねぇか」

「君の意向をくんであげたんだよ、わかんないかなぁ」

「そりゃどうも」

 特徴的な笑い声を押し殺しながら、リョウは嬉しそうに笑う。それを見たユズルも口元がほころんでしまうのを感じていた。

「あはは、君たちは相変わらずだね……」

 半ば呆れたような声でそう言われ、二人はナカノに視線を向ける。ナカノは微笑ましいものを見る目で二人を見た。

「仲が良さそうで何よりだ」

「相棒ですから」

 かつては魔鎧師同士のチームメイトとして。そして魔鎧師と魔鎧整備士という関係になってもそれは変わらない。

 そんな二人に、ナカノは「本当に羨ましいよ」とにこやかに返した。

 話を終えた二人は会釈をして、学校へと向かい始めた。

「で、何の話だったの?」

 歩きながら尋ねると、リョウはちょっと唸って考えたあとに口を開いた。

「魔術因子って分かるよなぁ?」

 ユズルは頷く。

 魔術因子は魔鎧師としての適性がある人間が持つ力の構成――つまり、魔力の遺伝子のようなものだ。

「魔核は基本的には自分だけが行使することができる。これは魔術因子が鍵のような役割を持ってるからだぁ。まぁテメェと俺の魔核はお互い使えるようにしてあるけどな! ゲッゲッゲッ!」

 その関係の話だぜぇ、とリョウは軽く空を見上げながら言う。

「今研究所ではそのあたりのことを研究してるらしいぜぇ。まあセンセーの担当してる研究にはまだ触らせてもらえてねぇけどな」

 その研究を担当するようになったら、本格的にリョウは研究所の一員となってしまうだろう。ユズルは遠くなっていってしまいそうなリョウの背中に、焦りのようなものを感じた気がした。

「それより今はあのジャンクって子のことだろ」

 リョウに促され、ユズルは意識を現実に引き戻す。首からかけている魔核に手をやった。

「そうだね、あの子のことを考えないと――」

「呼びました? お呼びですか?」

 魔力が無理やり引き出される感覚がして、同時に目の前に半透明の少女が現れる。

「げっ!」

「やばっ……!」

 ユズルたちは焦ってジャンクの姿を隠そうとする。しかし道の真ん中で人ひとりを隠せる方法などなく、ジャンクは白昼にさらされることになるはずだったのだが――

「見えてない……?」

 往来の人々は、まるで彼女などいなかったかのようにこちらに目をくれることもなく行き来していた。いや、不審な動きをしたユズルたちを胡乱な目で見る人々はいたが、彼女を目にして驚く人は一人もいなかった。

 二人はそれを呆然と見た後、嬉しそうに宙に浮かぶジャンクを振り返った。

 十数秒の沈黙ののち、リョウは口を開いた。

「これは仮説だが」

「うん」

「彼女のパーツに魔力を流したことがある人間にしか彼女は視認できないんじゃないかぁ?」

 ユズルはリョウに視線を戻す。リョウは真剣な顔をしていた。

「俺はあの時、整備のためにジャンクが組み込まれた魔核に触れていたし、持ち主のお前は言わずもがなだ」

 胸の前にかけられた魔核を指差してくる。

「彼女のパーツに触れることによって、彼女という存在へのなんらかのパスが繋がるんじゃねぇか」

 ユズルは言われたことをなんとなく飲み込んで、ジャンクへと目をやった。

「そうなの、ジャンクちゃん?」

「え、そうなんですか?」

「疑問に疑問で返さないでよ……」

 どうしよう、本当に扱いに困る子だ。

 ユズルたちが最後に彼女を見た姿――十一歳ぐらいの見た目で止まっているジャンクの考えることは、まるで理解できそうになかった。

 手を顎にやってリョウは考え、ジャンクを見た後でユズルに視線を戻した。

「見えないなら見えないで好都合だ、このままの姿で連れていきたいんだが――魔力は大丈夫かぁ?」

「ん、へーき。ちょっと頭が痺れてるぐらい」

「無理はするなよ。体調が悪くなったらすぐに消すんだぞぉ」

 いつ体勢を崩してもいいように気を使いながら、リョウはユズルと学校への道を歩き出す。やがて五ブロックほど先に≪イースト・コンパス≫の校舎が見え、ちらほらと同じく学校へ向かう生徒たちが目に入った。

「うわぁ、学校ですね! 久々に見ました、お久しぶりです! ……あれ? そうでしたっけ?」

 校舎を目の前にしたジャンクは、宙を跳ねるようにしてはしゃぎまわる。

 三人の目の前には、十二階建ての巨大な建物がそびえたっていた。

 一階あたり一学年。六歳から十八歳の学生が通う、将来軍人となることが確約される魔鎧師養成学校。

 それがトーキョーにおける最高準の教育機関、≪イースト・コンパス≫である。

 ここに通えば将来は軍関係の組織へと入らなければならない。戦争が終わり、平和を手に入れたこの街で何故この学校は運営できているのか。

 一つは魔鎧師がヒーロー的立ち位置になっていること、もう一つは――先の戦争で戦死した戦災孤児を養育するための機関でもあるということだった。

『おはようございます、清々しい朝ですね。本日の天気は晴れ。最高気温は二十四度。過ごしやすい天気となっております』

 校門で生徒たちを待ち構えていたモニターが、電子音で今日の天気とニュースを読み上げる。ユズルはちらりとそちらに目をやり、すぐに意識をジャンクの行動へと戻した。

 先ほどジャンクはこの学校に「久しぶり」だと言っていた。つまり彼女はこの学校で作られたのか? いや、もしかして――この学校の生徒だった経験があるっていうのか?

「見てください! 人がこんなにいっぱい! 私、友達が少なかったので、こんなにたくさんの人を見るのは久しぶりなんです!」

 やはりまるでこの学校に通っててた誰かの記憶を持っているかのような言動に、ユズルは笑顔を崩さないまま、内心苛立っていた。

 考えたくもないが、彼女は「あの子」なのか?

 ――いや、そんなはずはない。ジャンクが「あの子」だなんて、あるはずがない。あまりにも性格が違いすぎる。

 彼女との記憶を汚されているかのようなジャンクの行動に、ユズルの内心は怒鳴りだしてしまいそうなほど穏やかなものではなかった。

「あのぉ……みなさん静かにしてくださぁい……」

 ユズルとリョウが所属しているのは、魔鎧師と魔鎧整備士合同のクラスだ。階段状になった教室の一番後ろに二人は腰かける。

 教壇から響いてくるのは、情けない表情をした教師の声だった。

 ぼさぼさの黒髪に野暮ったい眼鏡。いつも伏目がちで、陰気をそのまま体現したような教師。それがユズルたち十二年生の副担任である真中だった。

「ええと、欠席と遅刻は……いないみたいですね」

 真中はきょろきょろと教室を見渡し、ずさんな出欠確認をする。そのせいで遅刻や欠席が見逃されることが多く、教師としても人間としても、慕う人間はあまり彼にはいなかった。

 いつも通りのぐだぐだな雰囲気でホームルームは進み、暇を持て余したユズルが自分の爪を眺めはじめたころ、真中は突然いつもの定型句以外のことを言い出した。

「ああその、これは注意喚起なんですが……」

 教室の半数ほどが、真中に視線を向ける。真中はそれにびくっとおびえたようなしぐさをした後、ぼそぼそと口を開いた。

「軍によると他の都市で≪東の王権≫(ツチグモ)の動きが活発になっているらしいです……各自気をつけるようにー……」

 以上です、と言い残し、真中は教室を出ていってしまう。教室中の生徒はそれを見送った後、ひそひそと噂話を始めた。

「≪東の王権≫って……テロリストだよね?」

「トーキョーでテロが起こるってこと?」

「気をつけろっつったってなぁ。何を気をつけろっつーんだよ」

 ざわめきの残る教室から、いつも通りほとんど音を立てずに立ち去ろうとした。

 今日はこの後、座学が一コマに残りは街外での演習だ。その座学も繰り返し同じようなディスカッションを行うだけのつまらない授業だ。

 決闘を行うという前提条件での戦略についての授業。つまりユズルにとってはアウェー極まりなく、無意味にしか感じられないものだ。

 どうせジャンクのパーツを確認しなければいけないんだ。いつも通りさぼって機体の調整にあてよう。

「あれ? みんなと一緒に行かないんですか? お二人だけ移動教室なんですか?」

「うるさいな、話しかけないでよ」

 振り返りもせず、ユズルは答える。ここで大声で答えてしまえば悪目立ちしてしまうだろう。しかし過去のあの子と同じ声で語りかけてくる彼女に、ユズルの苛立ちは最高潮に達しそうになっていた。

「――待て、カスパール!」

 機体名で呼び止められ、ユズルは仮面のような笑顔をつけて振り返った。そこに立っていたのは、≪北方神話≫のリーダーである天王寺トウヤだった。

「今日という今日は、≪魔鎧決闘≫を受けてもらうぞ!」

 ≪魔鎧決闘≫。仰々しい名前そのままにその内容も大げさで高潔なルールで構築された、魔鎧同士の一騎打ちの作法のことだ。

 一、決闘は一対一で行うこと。

 二、決闘中、他の者は助太刀をしてはならない。

 三、四、五……。

 ごてごてと入り組んだルールをあげていけばきりがない。まっすぐと見下ろしてくるトウヤに、ユズルは微笑みかけた。

「やだ」

 トウヤの後ろにいたクラスメイトたちが露骨にいやそうな顔をする。

 そんな顔をされても困る。僕がそういう戦い方をするってことも、譲歩なんてするわけないことも、君たちは知ってるだろうに。

「そう言うな。俺は百回断られようと、何度だって決闘を申し込むぞ」

 おっといけない。心境が顔に出てしまっていたようだ。平凡な顔に『あの子』みたいな崩れない笑顔を張り付けて、ユズルは彼らを見返した。

 数秒の沈黙のあと、ヴァルキリー1の操縦者であるリコはユズルに見下すような目を向けた。

「カスパール、あんた負けるのが怖いの?」

「はぁ?」

 威圧でも、疑問でもなく、純然たる困惑からユズルは聞き返してしまった。

 しかしリコは言外の意味を受け取ってしまったらしく、一瞬だけ押し黙った後、爆発するような勢いでユズルに食い掛ってきた。

「アンタ、負けるのが怖いから卑怯な手ばっかり使うんでしょ! いつもコソコソ企んで、舐めた真似ばっかりして!」

 ユズルは何度かぱちぱちと目を開け閉めしてから、腕を広げた。

「そうだよ、僕は負けるのが嫌なんだ」

 さながら聖人であるかのようにユズルは口元に穏やかな笑みを浮かべる。

「負けないためならなんだってするよ。どんな卑怯でも、どんな不正でも、僕は喜んでやるとも。むしろどうして君たちはそうしないの?」

 首をちょこんとかしげると、ユズルの目の前のクラスメイトたちは一気に不快な雰囲気になった。ユズルは笑顔のまま吐き捨てた。

「決闘なんて、ばっかばかしい」

 リコたち≪北方神話≫のメンバーは顔を一気に赤くして、それ以上言い返す言葉を見つけようとしていた。そんな中、トウヤは静かにまっすぐ、ユズルを見つめていた。

 そんなユズルとクラスメイトの間に入ったのは、背後に立っていたリョウと、≪北方神話≫のロキを駆る彼らの参謀、浦田ウツリだった。

「それぐらいにしとけって、ユズルよぉ」

「ほら、皆。こんなのはいつものことじゃないか」

 浦田ウツリはリコを抑え、リョウはユズルの腕をとった。

「おら、行くぞ」

「はいはい」

 軽く返事をして、ユズルはカバンを持ち直す。ふとクラスメイトたちのほうへと目をやると、リコが憎々し気な目をこちらに向けていた。

「……悪魔め」

 ユズルの唇がにぃっと弧を描く。

「そんなに褒めないでよ」

 彼はクラスメイトに背を向けて、ひらひらと手を振りながら悠々と歩いていった。

「でも、もっとフレンドリーに善川ユズルって呼んでくれてもいいんだよ?」

 背後で再び怒りが膨らんだことを察し、それ以上の事態を防ぐべく、リョウは勢いよく教室のドアを閉めた。

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魔鎧のカスパール 黄鱗きいろ @cradleofdragon

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