第5話 朝七時

 同棲だなんて妄言を言い出した彼女を、その場で正しておかなければいけなかったと後悔したのは翌日のことだ。

「おはようございます、ユズルくん!」

「グエッ」

 翌朝のユズルを襲ったのは、目覚まし代わりのダイビングアタックだった。

 せき込みながら目を薄く開くと、そこには自分の胴体に乗るジャンクの姿が。

「朝ですよ、朝です! 起きないと!」

 ユズルは寝ぼけ眼のまま、ベッドの横にある小さなモニターへと目をやる。

「まだ七時じゃないか……」

「七時は朝です! 起きる時間です! 私は知っています!」

 うなりながら体を起こし、ジャンクを自分の胴体の上からどかす。ユズルは大あくびをした。

「起こしてなんて頼んでないよ……」

「同棲相手を起こすのは当たり前です! 私、知っています!」

「そういえばそんなこと言ってたね……」

 ぼそっと言いながら頭に手を当てる。なんだかクラクラする。魔鎧を長時間起動し続けたときみたいだ。

 そんなユズルの顔色にも気づかず、ジャンクははしゃいでいた。

「はい、ずっとこういうことしてみたかったんです!」

「……ずっと?」

「はい! ずっと前から……あれ? そうでしたっけ?」

 朝っぱらからテンションの高いジャンクを視界に入れないようにしながら、ふらふらと椅子へと向かう。ちょうどその時、部屋の扉が音を立ててスライドした。

「よぉ、ユズル」

「あーおはよ、リョウくん」

 足で扉を閉めるリョウの両手には、緑色の二つのトレーがあった。

「ほら、朝飯取ってきてやったぞぉ」

「……ありがと」

「わぁ! 朝ごはんですね! 朝ごはんは一日の体調を左右するんですよね! 私、知っています!」

 ジャンクは目の前に置かれたトレーを興味津々なまなざしで眺めまわす。皿の上には、いつも通りの固形栄養バーとスープとパンが乗っていた。

「Aセットでよかったかぁ?」

「うん」

「飲み物、お茶と乳飲料どっちがいい?」

「うん」

 眠気のせいで頭をゆらゆらと揺らしながら生返事をしていると、リョウは声を上げて小さく笑った。

「ゲッゲッ、相変わらずテメェは朝が苦手だなぁ」

「うん」

 スプーンを手に取り、スープを口に運ぶ。ジャンクはふわふわと浮かびながら、ユズルの顔を覗き込んだ。

「ユズルくん、朝ごはんおいしいですか? おいしそうですね! ちゃんと食べて大きくなってくださいね!」

 寝ぼけた頭にいらっとした感情が走る。

 それは何だ、僕が十七歳にもなって身長が一五九センチしかないことへの嫌味か。同じ歳のリョウが一八〇センチ近いことを気にしているのを気づいての言葉かこのヤロウ。

「おい、ジャンク」

「はい!」

「あまり面倒なことを言い出すんじゃねぇぞ。テメェをここに置いてやってるのはテメェを助けるためじゃないんだからな」

 ユズルの代わりに怒ってくれているのか、リョウはもともと凶悪な顔をさらにゆがめて、ジャンクへとすごんだ。

「嫌がろうが何しようが、俺たちはテメェを利用しつくしてやる」

 数秒の沈黙。彼女は数度まばたきをした後、満面の笑みで答えた。

「はい! 利用しつくされます!」

 言われた意味を理解できなかったわけではなさそうだというのに、悪意などまるでなかったかのようにジャンクは笑う。リョウはやりづらそうに顔をゆがめた。

「ユズルぅ、いい加減起きろよぉ」

 情けない声でリョウはユズルの肩を揺する。ユズルはされるがままにがくがくと首を揺らしたあと、リョウをにらみつけた。

「リョウくん、寝ぼけたこと言い出さないでね」

「ハ? 寝ぼけてるのはテメェだろぉ」

「そういうことじゃなくて」

 持っていたスプーンでびしっとリョウを指す。

「今、ジャンクちゃんを利用するのに罪悪感覚えたでしょ」

 リョウはうぐっと言葉に詰まった。図星のようだ。

「いい? この子はただの魔鎧パーツなんだから。パーツに感情移入とかしないでよ」

「……わぁったよ。気をつける」

「なら、よろしい」

 スープを飲み干し、栄養バーに手を付ける。しっとりとした触感に鼻に抜けるような甘みが特徴的な黒色の物体だ。

「んぐ、で、ジャンクちゃんのことどう利用しようか考えてみたんだけど」

「おう」

 少しえぐみのある栄養バーをお茶で無理やり流し込み、リョウへと向き直る。

「結果として僕たちって、この子を誘拐してる立場だと思うんだよね」

「あー、トレーラーの荷台から出てきたつってたな」

「だから僕たちが探してる相手って、逆に僕たちを探してるんじゃないかな」

 そしてジャンクは本人いわく魔鎧のパーツだ。

 つまり、とユズルは言葉を続ける。

「ジャンクを組み込んだ魔鎧を使えば、あの事件の関係者が釣れるかもしれない」

 パンを小さくちぎり、口の中に放り込む。ぱさぱさで飲み込むのが苦痛なぐらいだが、寮の食事だからこんなものだ。

「危険じゃないかぁ?」

「この子を匿う時点で危ない橋は渡ってるんだ。もうひとつふたつ危ない橋が増えたぐらい、どうってことないね」

 もうひとかけらパンを口に運んで咀嚼する。リョウはユズルの向かいに腰かけて机に肘を置いた。

「それもそうだなぁ」

「問題は派手にやると目的のやつら以外からもちょっかいかけられそうってことだよね」

 手の中に残っていた少し大きめなかけらを頬張って、ユズルは腕を組む。

「ジャンクちゃん」

「あ、はーい!」

 ユズルが名前を呼ぶと、それまで二人の会話を楽しそうに聞いていたジャンクは、元気よく返事をした。

 一瞬だけ煩わしそうな顔をしたあと、ユズルは張り付けた笑顔でジャンクに問いかける。

「君って、魔力を送っていない魔鎧みたいに消えたりできる?」

 ジャンクは一瞬考えた後、何を期待されているのか理解したようだった。

「はい! 消えます!」

 言うが早いか、ジャンクはかすみのように姿を消してみせた。同時に首の後ろあたりから広がっていた倦怠感が薄れる。どうやらユズルの魔力を使って今まで実体化していたらしい。

「よかった、これで少しは自由に動ける」

「あんなの連れて歩いてたら目立つなんてもんじゃねぇからなぁ」

「本当にね」

 二人して大きなため息を吐く。七年前に失ったはずの彼女と同じ顔をした少女が、目の前でころころと表情を変えて話しかけてくるというのは、思った以上にユズルとリョウの精神に負担をかけていたようだった。

「あとはジャンクのパーツがどんな力を持っているか確かめられればいいんだがなぁ」

「魔核の調整でどうにかできないかな。それができなければぶっつけ本番になるけど」

 ユズルは手早く着替えを済ませると、枕元に置いてあった魔核を拾い上げた。

「まだ学校が始まるのには時間あるし、それまでに一緒にちょっと調整してみよう」

「そうだな……あっ!」

 すっとんきょうな声を上げたリョウに、彼の部屋へと向かおうとしていたユズルは振り返る。

「悪いユズル! 俺、バイト先に借りてたもの返しにいかなきゃならねぇんだった!」

「バイト先ってナカノ先生の研究所? いいよ、どうせ学校までの通り道だし一緒に行こう」

 あっさりと予定を変えるユズルに、リョウは困惑の表情を向けた。

「いいのか? 優先すべきなのはそいつの調整なんじゃ……」

「一人でやっても、ね。調整は演習前に学校でやればいいさ」

「だが……」

 食い下がってくるリョウにユズルは首を傾けた。

「二度も言わせるつもり? 僕はリョウくんの調整がないと不安だって言ったんだよ」

 リョウは虚を突かれた顔をしたあと、にまーっと笑みを広げていった。

「ゲッゲッ、うれしいこと言ってくれるじゃねぇか!」

「そ。やる気出た? じゃあさっさとバイト先行っちゃおうか」

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