第4話 初めまして久しぶり
突然、小さな翼を持つ少女に飛びつかれたユズルは、びしりと硬直した。
半透明な体をした彼女はユズルに頬ずりをしているし、隣に立つリョウも何が起きたのかわからずに声一つ発することができずにいる。
混乱のさなか、少女はがばっと顔を上げ、見慣れない満面の笑みを向けてきた。
「私、ジャンクっていいます! あなたがユズルくんですよね?」
見覚えのあるはずの顔つきなのに、見たことがない表情。記憶の中のカナデと同じ顔なのに、彼女がするはずもない無邪気な笑顔。
――違う。カナデちゃんはこんな風に笑わない。
カナデではない彼女は、ユズルから体を離すと、今度はリョウにびしっと人差し指を向けた。
「あなたはリョウくん! 私、知っています!」
指さされたリョウはとっさに何も返すことができず、目を見開いたまま固まっていた。
「あれ? どうしたんですか? 私、何か間違っていましたか?」
こてんと首をかしげる彼女は、やはり記憶の中にあるカナデとは似ても似つかなかった。
だが彼女の顔がカナデと同じなのは事実。
ユズルはリョウと一度顔を見合わせると、困惑しきった表情で彼女に問いかけた。
「えっと……君、誰? カナデちゃんじゃ……ないんだよね?」
「はい、私はジャンクです!」
おおよそ人の名前とは思えない単語を彼女は名乗り、それまで浮いていた足を床につけた。するとそれまで彼女を無視していた重力が急に力を取り戻したかのように、彼女はすとんと地面に降り立った。
楽しそうにこちらを見上げてくるパイロットスーツ姿の彼女に、ユズルは視線を合わせる。
「ジ、ジャンクちゃん、ええと、君は何者なの? 急に出てきたように見えたけど……」
「幽霊、とかじゃねぇよなぁ?」
混乱を極めながらも二人はジャンクに尋ねる。しかし彼女はちょっとだけ驚いた顔をした後、照れ臭そうに頭をかいた。
「えへへ、覚えてません……」
なぜ照れる。
ユズルは口から出かけた場違いな言葉をぐっと飲みこんだ。
「でもずっと会いたかった気がするんです! 初めまして! お久しぶりです!」
再び抱き着かれ、ぎゅっと体を寄せられる。その体はユズルよりもずっと小さくて、最後にユズルが彼女を見た時と同じ背丈をしていた。
形容しがたい感情が湧き出てくるのを抑え込み、ユズルは彼女を引きはがそうとする。
ちょうどその時、カスパールを解析していたモニターからビープ音が響き、二人はそちらへと目をやった。
「は? なんだ、この反応……」
リョウはモニターへと駆け寄り、その内容へと目を通し始める。
宙に浮かんだモニターの中、左から右へと流れていく文字列。ウィンドウの中で上がっていく数値。彼は興奮した様子でユズルとジャンクに振り返った。
「ゲッゲッゲッ! すげぇぞ、ユズル! カスパールの性能が底上げされてるぜぇ!」
混乱のしすぎで現実逃避をしてしまったのかもしれない。ジャンクのことを忘れてしまったかのように目を輝かせているリョウに、ユズルは何とも言えない気持ちになって顔をきゅっとしかめた。
「わぁ! これって魔鎧ですよね! 初めて見たような見ていないような……でもかっこいいです!」
翼をたたんだジャンクは興味津々といった面持ちで、嬉々としてカスパールをのぞき込む。
状況は一切把握できていないが、自分の魔鎧を褒められるというのは悪い気はしない。思わず自慢の言葉を発してしまいそうになった自分の口を、ユズルは片手で押さえて踏みとどまらせた。
ひとしきりカスパールを観察すると、彼女はユズルたちを勢いよく振り返ってきた。
「知っています! お二人は魔鎧師を目指してるんですよね!」
どきりと心臓が跳ね上がる音がした。
魔鎧師を目指しているのは自分ひとりだ。リョウは数年前、才能のなさゆえに挫折し、魔鎧整備士の道を選んだ。
ならばなぜ、彼女は二人ともが魔鎧師を目指していると思っているのか。
そんなまるで、七年前のあの日から記憶が止まっているかのような。
「ええ、魔鎧師! 知っています! 一騎打ちで決闘するかっこいい人たちですよね!」
その疑問をユズルが口にする前に、ジャンクは胸を張って宣言した。ユズルは困惑した。
違う。ジャンクが彼女だとしたら、こんなことを言うはずがない。だって彼女は邪道な戦法の使い手で、最後のあの時以外、一騎打ちだなんてしようとしなかったんだから。
「……よく知ってるね」
疑問と困惑がぐるぐると頭の中をめぐり、押し出される形でぼそりと皮肉のような本音が出てしまう。しかし彼女はそれに笑顔で答えた。
「はい! なぜか知っています! 作られたときから知っていたのかもしれません!」
「……作られた? テメェは誰かに作られたってのか?」
ようやく正気に戻ったらしいリョウが振り返り、胡乱な目をジャンクに向ける。すると彼女はきょとんと目を丸くした。
「はい? 作られた? 私そんなこと言いましたっけ?」
ユズルたちは瞠目した。
彼女はそんな二人を見て、心底不思議そうに首をかしげている。
まるで――直前に自分が言ったことを忘れてしまっているかのようだ。
「もしかして記憶が混濁してるとか……?」
「かもしれねぇな……」
魔鎧の起動とともに出現したあの子とうり二つの少女。
自分は誰かに作られたと言う少女。
彼女の出現と同時に異常を示した計器。
ユズルは、一つのあり得ない推測にたどり着いた。
「ジャンクちゃん。君は……魔鎧なの?」
おそるおそるユズルが尋ねると、ジャンクは片手をあげてにこにこ笑いながら答えた。
「はい! 私は魔鎧パーツです! ……あれ? そうなんでしたっけ?」
やはり直前の自分の記憶が混濁しているようだ。首をひねる彼女に、ユズルはしっかりと視線を合わせて真剣な面持ちで尋ねた。
「君、海潮カナデって知ってる?」
「はい、知っています! よく知っているような……」
ジャンクは一度言葉を切った後、宙に視線を泳がせて考え込み、困り果てた顔でユズルたちを見上げてきた。
「あれ? 覚えていません……」
ユズルはそんな彼女を真正面から見つめて、聞いた。
「最後の質問。……君は海潮カナデの何なの?」
「思い出せません……でもすっごく懐かしい名前のような気もします」
彼女は小声で、だけど嬉しそうにつぶやく。ユズルはかがめていた腰を元に戻した。
「……そっか」
理解しがたい出来事の連続で、ユズルの脳はまだ混乱のただなかにあった。
彼女は何者なのか、あのトレーラーは何だったのか、なぜ彼女はカナデと同じ姿をしているのか、なぜ自分たちのことを知っているのか。
――だが、分かったこともある。
「リョウくん、話があるんだけど」
彼の袖を引いて、ユズルは顔を寄せる。リョウはユズルの身長に合わせて少し体を傾けた。
「この子、カナデちゃんの関係者だ」
「んなこた見りゃ分かる」
「いいや、そういうことじゃないんだよ。この子はカナデちゃんの事件の関係者なんだから」
改めてその事実に気づいたのか、リョウは目を軽く見開いてユズルを見た。
「本当はこの子、学校か軍に引き渡すべきなんだろうけど……」
ユズルはちらりとジャンクに視線を送る。彼女はパッと花が咲いたような笑顔を向けてきて、ユズルはそれから目をそらした。
「カナデちゃんが死んだとき、学校は何も教えてくれなかったよね」
七年前を思い出す。
一人の生徒が死んだというのに、翌日から普通に授業が行われていたあの日。
教師は誰も彼女には言及しようとはせず、何の問題にもならず、彼女の存在だけがぽっかりと消えてしまったあの日。
「……確かにカナデちゃんの機体の構成が危険なら、注意の連絡がくるはずなのに、何も連絡はなかったな」
「死因だって、僕たちが調べてようやく噂を聞けたぐらいのものだし」
視線を足元に落とす。ユズルはぎゅっとこぶしを握り締めた。
「引き渡したらまた同じことになるよ」
「ユズル……」
「知りたいんだ、あの事件の真相が」
リョウの顔を正面から見る。彼はその視線をまっすぐに受け止め、少し考えて何か反論をしようとした後、うなだれてため息をついた。
「分かった。一緒に探ろうじゃないか」
ありがとう、とユズルは言おうとした。自分のわがままに付き合わせようとしているのは自覚していた。
だがリョウはその寸前に、いつも通りの凶悪な笑みを浮かべてみせた。
「俺様は個人的にこいつの性能に興味があるからなぁ」
彼が親指で指さしたのは、カスパールの状態を示すモニターだった。ジャンクが本当に魔鎧のパーツであるのなら、これを引き起こしたのは彼女なのだろう。
きっと気になっているのは本当だろうが、もう半分は自分への気遣いだ。そう悟ったユズルは、だけど彼の意思を尊重して感謝の言葉を口にすることはしなかった。
「……決まりだね」
二人は顔を上げ、ジャンクに振り返る。彼女はきらきらと目を輝かせながら、ユズルたちを見上げていた。
「つまり――お二人と同棲生活ということですね!? やったー!!」
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