第37話 その愛は、きっと、尊いものだ

 N駅の近くに四人でマンションを二部屋借りた。家賃は十万円で、四人で割るからひとりあたり五万円だ。以前住んでいたマンションよりも、広くて安い。僕の荷物は、本以外には大したものはないので、引っ越しは楽だった。


 引っ越した最初の日は、僕と環さん、千羽さんと津森さんという組み合わせで眠った。翌日は、僕と津森さん、千羽さんと環さんだった。僕は、てっきり、津森さんと環さんが交互に入れ替わるような形になるのだろうと想像していた。けれど、そうではなかった。


「今日はわたし、つーちゃんと寝るから」環さんが、そう言った。

「じゃあ、僕は千羽さんと一緒に寝るわけですか?」

「うん、まあ、そうなるかな」環さんは微笑んだ。

「なんか気まずいですけど……」

「智弘さんのこと、好きでしょう?」

「嫌いではないですけど」僕は正直に言った。「積極的に好きとは言えません」

「まあ、良いじゃない。こういうのも」


 果たして、本当に良いのだろうか、と思った。


 その日、僕は早番だったので、先に家に帰っていた。風呂に入って、寝る準備もした。もうひとつの、今日、環さんと津森さんが使っている部屋は、布団がふたつあるのだが、こちらの部屋には大きなサイズのベッドがひとつだけ。必然的に、千羽さんと同じ布団で眠ることになる。一応、ソファもあるから、そこで寝ても良い。そうしようかな、と思った。


 僕から遅れること二時間ほど。千羽さんが帰ってきた。


「お帰りなさい」と僕は言った。

「ただいま」千羽さんは微笑む。誰よりも働いて、疲れているだろうに。


 彼はすぐに服を脱いで、風呂場へと移動した。リビングのソファに座って本を読んでいると、シャツに短パンというラフな格好の千羽さんがやって来た。薄着の千羽さんは、たしかに良い体つきをしていた。環さんの言っていた、セクシーという評価もうなずける。


「アイス食べるけど、晶くんも食べる?」

「頂きます」


 彼はアイスとスプーンをふたつずつ持って、リビングへ来た。一人分のスペースを空けて、ソファに腰を下ろす。ずしん、と僕の体も少し沈んだ。


 ひとまず、アイスクリームを食べることにした。バニラアイスだ。まだ固かったが、気温が高いこともあって、すぐにスプーンが通るようになる。


「不思議な組み合わせですよね」僕は言った。

「まったくだ」千羽さんはうなずく。「でも、まあ、たまにはこういうのもいい」


 満員電車などを除いて、成人男性とこれほどまでに近づいたのは、はじめての経験かもしれない。少し緊張した。


 無言の状態がつづき、空気が重く感じられた。


 環さんや、津森さんと一緒にいるときは、どれだけ無言がつづいても気にならない。そういうときは、お互いに好きなことをしている。僕が本を読んでいて、環さんがパソコンを使っていても、まったく気まずいとは思えないのだ。それなのに、千羽さんと一緒にいると、少し緊張してしまうのだった。


 話をしよう、と思った。僕は何を言おうか考えて、言った。


「こちらの部屋に泊まるということは、僕も、津森さんや環さんみたいに、えっと、その……夜伽みたいなことをしないといけないんでしょうか」


 想像するだけでおぞましい。


「しないといけない、ということはない」千羽さんは言った。「それはきみの自由だ。きみが望めば、僕はするし、君が望まなければ、僕は何もしない」

「好きな人が相手でなくとも、できるものですか?」


 僕は、男の性について、それほど詳しくない。


「好きな人でなくともできる。まあ、僕はきみのことが好きだけどね」

「そうですか」嬉しい、とは思わなかった。「浮気性なんですね」

「きみもだろう?」千羽は微笑む。「つかさちゃんも、環ちゃんも、それに知瑛子のことだって好きだろう?」

「そうですね」僕は自分が微笑んでいるな、と自覚した。「僕たちは、好みのタイプが似ているんですね」

「僕は、自分に好みのタイプがあるとは、あんまり思わない。顔も、形も、皆、それぞれだ。一長一短というか。ただ、僕は、魂の美しい人間が好きなんだ」


 はたして、僕の魂は美しいのだろうか。


「ずっと前から気になっていたことを、きいても良いかな? 失礼な質問かもしれない」

「失礼だと思えば答えませんから、ご自由に」

「きみは、女の子が好きなの? それは、性的なことも含まれる?」

「ええ」僕は正直に答えた。「普通じゃないでしょう?」


 でも、そう……普通であることに、大した価値はないのだ。


 それから僕は千羽さんと一緒に眠った。彼に抱きしめられて眠った。男の人の肌は、ごつごつとしていて、新鮮だった。僕と千羽さんの間に、性愛は生まれないだろう。でも、違う種類の愛は、芽生えるのかもしれない。


 その愛は、きっと、尊いものだ。


 そんな予感がした。

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