第27話 大体、そうですね、火力発電所と同じくらいかな
眼を閉じた直後に目が覚めた、と思った。チャイムが鳴っているのを自覚する。カーテンは閉じているが、日が落ちていることはわかった。最近、睡眠時間がバラバラなので、現在時刻が夕方なのか、朝方なのか、よくわからなくなる。枕元に置かれた目覚まし時計を確認すると、時刻は一時半だった。日食でなければ、夜中である。
もう一度、遠慮がちにチャイムが鳴った。
高鳥さんだろうかと考えた。けれど、彼女はチャイムを鳴らしたりしない。勝手に合鍵で部屋に入ってくる。
一体、誰だろうか、と考えながら玄関へ向かった。
スコープを覗いてみると、そこには津森さんの姿があった。
一瞬、呼吸が止まる。少し手が震えていた。動揺しているぞ、と自分を観察することができる程度には平静だった。本当に混乱しているときは、自身が混乱しているということさえ自覚できないものだ。
「はい」と僕はドア越しに声を出した。
「あの、ごめんない、こんな夜遅くに」
「どのような用件でしょうか」僕は言った。「忘れ物でもされましたか?」
津森さんが部屋に来てから、一週間は経過しているだろう。忘れ物なわけがない。それに、たとえ忘れ物であったとしても、高鳥さんに頼めば良いことだ。わざわざ自分で来る必要はない。そうであれば、もしかしたら、僕のネットストーキングがばれてしまっただろうか、と考える。でも、証拠を残すような真似はしていない。
「少し、相談したいことがありまして」と津森さんは言った。「お部屋に入れて頂けますか?」
「えっと」僕は少し考えて言った。「わかりました」
ちょうど良かった。僕も、津森さんにききたいことがあったのだ。彼女の考える幸福について、きいておきたかった。
「すみません、少々お待ちください。いま、用意をしますので」
「また、仮面をつけるんですか?」
「その予定です」
「大丈夫ですよ」津森さんは言った。「わたし、あなたの顔を見て、驚くかもしれまんけど、嫌な顔をしないように頑張りますから」
「驚くんですか?」
「顔によりますけど」津森さんは軽い口調で言った。ジョークだろうか。「醜形恐怖なんでしたっけ。お辛いですよね」
「それは嘘です」僕はそう言って、ドアを開けた。「どうも」
これは一種の賭けだった。
はたして、彼女は僕の顔を覚えているだろうか。
「あら」津森さんは言った。「案外、普通ですね」
「美形でないことはたしかです」
「そんなことないですよ。可愛いと思います」津森さんは微笑んだ。
御世辞をありがとう、と思った。可愛いと言われても、嬉しくない。格好良いと言われたい。言われても、どうせ御世辞だと思って、素直には喜べないだろうけれど。
そのまま、津森さんをリビングへと案内した。
僕たちはテーブルを挟んで、向かい合うように腰を下ろした。
さて、相談という話だった。どのような相談だろうか、と考えながら、津森さんが口を開くのを待った。しかし、彼女はじっと僕の顔を見るばかりで、何かを言おうとしない。観察されているようで落ち着かなかった。僕の顔を見ても、それほど楽しいわけではないはずだ。面白い顔ではない。
「えっと、以前、どこかでお会いしましたっけ」津森さんは言った。
お目に掛かりましたか、のほうが適切な表現だと感じた。
「以前、この家で会いましたよ。高鳥さんと一緒に」はぐらかしておいた。
「そうじゃなくて。もっと前に」
「もしかして、いま、僕はナンパされていますか?」もう一球、外角に外す。
「違います。そんなわけがないでしょう?」津森さんは、笑顔をつくった。「そうじゃなくて……。ずっと前に、どこかで、見たことがあるような」
「ドッペルゲンガーかもしれませんね」
「芸能人……じゃないですよね。そんなオーラはありませんし」
ナチュラルに失礼なことを言う女だな。
「あ、もしかして、犯罪者だったりしますか?」
「しませんね」僕は、その言葉が面白過ぎて、笑ってしまった。「少々、失礼では?」
「正直者なんです」津森さんは微笑む。「思ったことが口に出てしまうの」
「それは大変ですね」つかみどころのない人だ、というのが、僕の津森さんに対する評価だった。「それで、えっと、相談というのは? 僕のようなものが、助力になるかはわかりませんけれど」
津森さんは微笑んだままの状態で口を開いた。
「あの、お茶は出ないんですか?」
「ああ」うっかりしていた。「すみません。実は、さきほどまで寝ていたもので、頭が回っていなくって」
「わたしはコーヒーが好きです」
単に好きだ、と宣言したわけではないのだろう。コーヒーをいれてくれ、という婉曲的な指示なのかもしれない。僕はそう判断し、台所へ移動してコーヒーをいれた。粉をお湯で溶かすだけのインスタントだ。
「何か入れますか?」
「牛乳をお願いします。薄い肌色になるくらい」
どの程度の量が必要かは不明だったが、ひとまずこれくらいだろう、と目星をつけて入れておく。自分の分のコーヒーもいれようかと思ったが、これからまた眠れなくなるのは困る。水を飲むことにした。ふたりぶんのカップをトレイに載せて、リビングへ持っていった。
「お待たせしました」
「ありがとうございます」にっこりと微笑む。美人だ。
机にトレイを置いたが、津森さんはカップを手に取らない。喉が渇いているわけではなかったのか。
僕は水を一口飲んでから口を開いた。
「相談というのは?」
「その前に、ひとつ質問しても良いですか?」
「それがひとつめの質問ならば、答えはイエスですけど、そうすると、ひとつしか質問できないので、もう質問できませんね」
これはもちろん冗談である。ランプの精ジョークだった。
津森さんは、気分を害したようすもなく、微笑んだまま言った。
「百個質問しても良いですか?」
「ええ、ご自由に……」
「じゃあ、ひとつめ……」本当に百個質問されるのだろうか。「あなたは、環ちゃんと、どういう関係ですか?」
「基本的には無関係ですね」僕は言った。
「恋愛関係ではない?」
「違いますね」
「そうでしょうね」そういって、ようやく彼女はカップを手に取った。しかし、手に持っただけで、飲もうとはしない。「環ちゃんに告白して頂けませんか?」
「えっと」思考が停止する。「その告白というのは」
何を告白するのかによって話が変わってくる。
「好きだ、と打ち明けて欲しい、ということです」
「嘘をつけということですか?」
「環ちゃんのことを、好きにはなれませんか? 好きではありませんか?」
「好きか嫌いか、の単純な二元論で言えば好きですよ。大体、そうですね、火力発電所と同じくらいかな」
もちろんジョークである。
「バカにしていますか?」笑顔のまま津森さんが尋ねた。
「いえ、とんでもない。会話を、楽しんでもらおうかと思いまして……」
精一杯のもてなしだった。
「まだ、それほど親しくない人間にジョークを言うのは危険ですよ」津森さんは微笑んだまま言った。しかし、その笑顔が嘘臭く思えて、少し怖かった。「わたしの知能レベルを測定しているのかな、と思いました」
「すみません」僕は素直に謝った。「ただ、なんとなく、話をしていると、いろいろなことが浮かんでしまい、つい口に出してしまうんです」
「そうですか」津森さんはうなずいた。「環ちゃんと、恋愛関係に発展することはできませんか?」
「それは、僕だけで判断できることではありませんから」
「大丈夫です。自信を持ってください。すでに、環ちゃんは、あなたのことを好きになっています」
「なるほどですね」僕がこの言葉を口に出すとき、思考が停止している。その間に、時間を稼いで、考えているわけだ。「まあ、彼女も、僕のことを好きか嫌いかで言えば、好きでいてくれるというのであれば、それは嬉しいことですね。でも、たぶん、水力発電所よりは、僕のことを好きではないでしょうね」
「もっとストレートにお話できないんですか?」
「すみません。僕の言葉は、ナチュラルシュートがかかるんです」
「そう……」津森さんは、相変わらず微笑んでいる。「精神がねじ曲がっているんですね」
「そうみたいです」きみも、なかなかねじ曲がっているぞ、と思いながら言った。
「お名前は?」
「仮面です」
「本名は?」
「えっと……」僕は少し考えて嘘を吐いた。「赤ノ瀬です」
「なぜ、嘘を吐くんですか?」
「嘘だと思う理由はなんですか?」
「自分の名前を答えるのに、時間が掛かったからです」
なるほど。
「僕は普段、ハンドルネームを使って生活しているので、本名を名乗る機会が、なかなかないんです。だから返事が送れました」
「そういうことにしておきましょう」
していただいた。
「あの、話が、よく見えないんですけど」僕は困惑していた。
「会話が目で見えたら面白いですね」津森さんは言った。
「あ、それ、ストレートじゃないですよね」僕は指摘した。
「わたしは良いのです」
傲慢だ。けれど、不思議と嫌な気分にはならなかった。
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