第24話 こんな幸福な生き方があるだろうか
目を覚ますと、漫画喫茶だった。漫画喫茶に行く夢を見たような気がする。あとパンツを見る夢と太腿を触る夢を見たような気がする。もしかしたら現実かもしれない。どうだろう。わからない。夢ということにしておいたほうが良いような気もする。
ソファを見ると、高鳥さんは大きな欠伸をしていた。
「起きた?」と高鳥さん。
いまはちゃんとスカートを履いている。やはり夢だったのだろうか。
「いま、何時ですか?」
「五時。電車動いてるし、帰ろっか」
店へ入るときに、フリーパックというのを選んだので、もう少しいても良かった。しかし、漫画喫茶にいてもすることがない。読みたい漫画も読んでしまった。それよりも、家に帰って、自分の布団で寝たかった。ふたりで電車へ乗って帰ることにした。
なんとかマンションへ辿り着く。高鳥さんは自室へ帰っていった。
僕は自分の部屋でひとりになって、考えることにした。
最近、あまりにも高鳥さんと一緒に居すぎたのだ。僕は、もっとひとりになって、いろいろなことを考えなければならない。思考というものは、ひとりのときでなければできない。考えなければ人間ではない。僕は人間でありたい。そのことに価値があるというわけではない。ただ、そう願うというだけのことである。
現在の状況を冷静に考える必要があった。
あまり深く考えず、時の流れるに任せすぎた。
いま、自分がどういう状況にあり、今後、どうしていくべきなのかということを思考する必要がある。
もちろん、未来について考えるのは辛いことだ。
けれども、考えなければ人間ではない。
最初から整理してみよう。
僕は床に寝転んだ。目を閉じる。
まず、僕は大学を中退した。なぜ中退したのかというと、大学に行く意味を見出せなかったからだ。社会に出たくない。働きたくない。生きる意味が見出せない。だから大学をやめた。死のうとさえ思った。けれど、その帰り道に津森さんを見かけた。僕が世界でもっとも好ましいと感じている存在だ。とてつもない美を有している。だから、彼女に近づくことが、僕の使命だと思えた。そうだったような気がする。
そうしているうちに、高鳥さんと出会った。高鳥さんは、僕とは全然違う人間だけれども、誰かに恋をしているという一点だけは共通していた。高鳥さんは、千羽なる人間のことを好いていた。だから、彼の情報を収集することになった。
そうそう、そうだった、と考えながら思いだす。
ややこしくなりはじめたのは、ここから先だ。
まず、津森さんに彼氏がいることがわかった。僕は少々ショックを受けていたようだ。けれど、大した問題ではない。もともと、遠くから眺めているだけで幸せだったのだ。とあるキリスト教徒が、熱心に神を崇拝していたとしよう。もしかしたら、一度は神に会いたいと思うかもしれない。神の存在を感じたいと思うかもしれない。神に近づきたいと思うかもしれない。けれど、神と一緒に暮らしたいと思うだろうか? 神と恋愛をしたいと思うだろうか? 神と性的な交わりを持ちたいと思うだろうか? 僕は、そうは思わない。だから、津森さんが誰とつきあっていようと関係ない。僕は、ただ津森さんのことを信仰する。それだけだ。
そう考えると、少しは気が楽になる。もちろん、津森さんは女神だけれども、実際には神ではない。人間である。イエス・キリストみたいなものか。現人神という呼称を使うと、問題になるような気もするのでやめておこう。
今後、僕はどうしていくべきなのか。どうやって生きるべきなのか。あるいは死ぬべきなのか。それをしっかりと考えておく必要がある。ただ、漫然と生きるようなことはできない。いままで、あまりにも先のことを考えずに生きてきた。その生き方で失敗したのだ。だから、いまはしっかりと先を見て、いろいろなことを予測して、考えて、生きたい。そんなことを思った。
僕は、津森さんのために生きる。そういう基本方針を決めた。彼女が喜ぶことをしよう。彼女が望むことをしてあげよう。それだけで良い。自分が愛されたいとは思わない。もちろん、愛されたら嬉しいだろうけれども。そうなったとき、僕は愛の喪失を恐れるだろう。いずれ失われてしまう、という現実に耐えられない。一度でも津森さんに愛されたとして、そのあと、津森さんが僕を愛してくれなくなったら、僕は彼女のことを殺してしまうかもしれない。そういう危険な部分が僕にはあった。だから、愛されることはないとわかっていて、それでも奉仕をするというほうが、僕には向いていると思った。愛は見返りを求めてはならない。
次に、高鳥さんのことを考えようと思った。
不思議な女性だ。思考が突飛で、普通ではない。いや、もしかしたら普通の女性なのかもしれない。よくいるタイプの女性なのだろうか。僕にはそのようなデータがないのでわからない。いつの間にか、彼女に振り回されてしまう。
千羽に告白を断られたのは、素直に可哀想だと感じる。できれば、千羽と、いや、べつに誰とでも良いのだが、幸せに暮らして欲しいものだ。
事実上、僕がいままで会った女性のなかで、もっとも長い時間を共に過ごしていることになる。だから、少しは情がわいている。幸せになって欲しい。けれど、何が幸せなのかというのは難しいところだ。たとえば、もし高鳥さんが千羽とつきあえることになったとしよう。その瞬間は幸せかもしれない。けれど、その幸せがずっと持続するとは限らない。幸福は、些細なことで壊れていく。それに、幸福な状態にも、徐々に慣れていき、それが定常になる。人の欲望は際限がない。さらに、さらにと幸福を求めてしまう。
基本的に、他者に異存した幸福は脆い。砂上の楼閣といっても良いだろう。吹けば飛ぶ。人間関係は容易く壊れる。自分のコントロールが効かない範囲だから、満足するのは非常に難しい。そう、難しいからこそ、脆いからこそ価値がある、と考える人もいるだろう。僕は、そうは思わない。人間関係を面倒くさいと感じてしまう。
津森さんのことを知りたいとは思う。仲良くなって、話すことができたら嬉しいとも思う。けれど、必要以上に仲良くなりすぎると、面倒くさいかもしれない、と思ってしまった。これは少数派な意見かもしれない。
ひとまず、僕の基本的な方針は決まった。
まず、津森さんを幸福にする。
その次に、余力が残っていれば、高鳥さんを幸福にする。
これでいこう。
実にシンプルで良い。
自分の幸福が何か、ということを考える必要もない。
僕は、津森さんと高鳥さんが幸福になってくれたら良い。
それが僕の幸せだ。
もちろん、少しは虚しく感じることもあるだろう。
けれど、一度は捨てようと思った人生だ。
僕を救ってくれたふたりには、それくらいの恩返しをしても良いだろう。
そして、最後まで彼女たちに尽くし、もうダメだ、と思ったら、死ねば良い。
潔く消えてしまえば良い。
こんな幸福な生き方があるだろうか。
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