第23話 そっと、手を太腿に伸ばす

 ふたりで漫画喫茶に入った。店の名前にインターネットカフェと書いてあったので、実際には漫画喫茶ではないのかもしれない。この店は、それほど席が埋まっているわけではなさそうだった。ふたりで別れたほうがリラックスできるだろうと考えたが、高鳥さんはカップルシートを選んでいた。まだ会員ではなかったので、高鳥さんが例の原付免許を見せて会員証をつくっていた。その手続きの関係で、店員が一瞬、奥へ入っていった。


「一緒で良かったんですか?」僕はきいた。

「このほうが安いでしょ?」


 たしかに、少し安いけれど。


「朝まで、一緒なわけですけど、いいんですか?」もう一度質問した。

「いつもそうじゃん」


 まあ、言われてみればそうである。僕の部屋で、高鳥さんは寝泊まりをしているのだ。それが、店に変わっただけ。何も違わない。


 店員に席へ案内される。カップルシートは、個室のようになっていた。たしか、風営法か何かで、部屋のなかが見えるようになっていなければいけなかったのではないか、と思うけれど、この部屋には窓がなかった。どういう技を使っているのだろう。


 部屋のなかには、三人掛けのソファがひとつあって、大きなテレビが壁に掛かっている。パソコンもあった。なかなか広いスペースである。全体的に白くて、清潔感があった。


 高鳥さんは、靴を脱いで、そのままソファにダイブした。


「いやぁ、疲れた疲れた」

「ひとりで占領しないでくださいよ」

「やだ。ここで寝る」


 仕方ないので、僕は床に座ることになった。その床も、クッションが敷かれているため、座り心地は良かった。


「ひとまずドリンク持ってきて」高鳥さんは言った。「わたしぶどうジュースね。あと、ここアイスも無料であったはずだから、よろしく」

「ぶどうジュースなんてありますかね」

「来る途中で見た。あった」


 周到なことである。


 たまには自分で動いて欲しいな、と思ったけれども、たしかにバイトのあとで疲れているのだろう。僕のように、何もしていないもののほうが動くべきなのかもしれない。そんなことを思いながら、ドリンクバーへ向かった。ジュースを二人分入れる。アイスは、カップに自分で掬って入れるタイプのものだった。これも二人分つくって、トレイに載せて部屋に戻った。


「ご苦労」ソファに寝転びながら、そんなことを言う。


 僕が机の上にジュースとアイスを置くと、すぐにアイスへ手を伸ばした。


「あ、ふたつも持ってきてくれたの? ありがとね」

「ひとつは僕のです」

「あ、そう……。気がきかないなぁ」


 たまには怒ったほうが良いのかな、と思わなくもない。でも、なぜか、高鳥さんには怒る気力が沸かないのだ。不思議なものである。そこそこ理不尽なことを言われているな、とは感じる。他の人であれば怒っているかもしれない。それだけ、高鳥環という人間は、スペシャルなのだろうか。よくわからない。


 それから一時間ほど、漫画を読んで過ごした。高鳥さんは仰向けになって、漫画を上に持ちあげて読んでいた。手が痛くなる体制だ。漫画を読みはじめて十五分くらいで、眠気に襲われたのか、漫画を顔の上に落としていた。バカである。


「いま笑ったでしょ」

「いえ……」笑っていた。「ちょっとバカだな、と思っただけです」

「笑うより悪いからね」高鳥さんは言った。「えっと、もう寝るわ。電気消して良い?」

「どうぞ」

「漫画読みたかったら、そこのライト使ってね」卓上に置かれた照明を指す。「でも、眩しいから、使わないで欲しいな」

「僕も寝ますから大丈夫です」

「よろしい」満足そうだった。


 高鳥さんは、彼女自身の上着を毛布代わりにして、目を瞑った。


 僕が部屋の電気を消して、三分後には、すでに高鳥さんは寝息を立てていた。電気を消しても、真っ暗にはならない。隙間から光が入ってきており、薄暗くはあるが見えなくもない。寝る分には問題のない光量だろう。頑張れば、漫画を読むこともできそうだった。


 さて、どうしようかと考える。

 ひとまず、高鳥さんの顔を見ることにした。なんとなくだ。気の迷いかもしれない。

 そこそこ美人ではある。もしも美人でなければ、僕はここまで、彼女の理不尽さを許していなかったかもしれない。僕は基本的に、美人に弱い人間なのである。そういう弱点を抱えていることは自覚していた。


 胸部を見ると、ゆっくりと上下しているのがわかった。あまりにも薄いので、もしかしたら、胸部ではなく背部かもしれない。そうだとすれば、顔がぐるりと一周捻れているということになる。想像したら恐ろしかった。死んでいることになる。


 まだ、出会ってそれほど時間は経っていない。二週間くらいだろうか。それにしては、距離が近いような気がする。高鳥さんは、そういうことを気にしないタイプなのだろうか。彼女と出会ってから、ずっと考えていたけれど。なぜ、あのとき、コンビニで声をかけてくれたのだろうか。不思議なものだった。


「んー」と唸る。まだ眠っているようだ。


 そのとき、ぱさりと音がした。なんだろう、と観察してみると、そこにはスカートが落ちていた。高鳥さんのほうを見ると、下着が丸出しになっている。どうやら、暑いので脱いでしまったということらしい。


 起こすべきだろうか、と考えた。


 しかし、それはそれで面倒なことになりそうにも思えた。折角、気持ちよさそうに寝ているのだ。起こさないほうが良いかもしれない。そういう冷静な思考と同時に、もう少しだけ、下着を見ていたいな、という邪な気持ちがあったことも否めない。


 見ないようにしようと思えば思うほど、なぜか下着のことが気にかかる。


 不思議なものだった。非常に矛盾した状態だと言える。


 女性の下着など、冷静に考えてみれば、それほど重要なものではない。店に行けば買うことができる。ただ、陰部を隠しているというだけのものだ。少しデザインが可愛いというのは認めざるを得ないだろう。現在、高鳥さんがはいているショーツはシンプルなものだ。前面に少し花の刺繍が入っているくらいで、派手ではない。


 どんな肌ざわりなのだろう、と一瞬だけ想像してしまった。


 けれど、たぶん、いま僕がはいているものと大差ないだろう。きっと。


 あまり下着を見ていても悪いな、と思っていると、高鳥さんが右手を伸ばして、自分の内股をかいていた。痒かったらしい。それを観察しているうちにわかったことだが、高鳥さんの太腿は、なかなか素晴らしいと言える。胸部と同じくらい慎ましいというか細い。でも、なんだか、魅惑的だ。はっきり言ってさわってみたかった。いや、違う。そういうことを考えてはいけないのだ、と自分に言い聞かせれば言い聞かせるほど太腿をさわりたくなるから不思議なものだった。


 その欲求を抑えるため、しばらく自分の太腿をさわっていたが、まったく楽しくなかった。僕の太腿だって、高鳥さんの太腿と、物質的には似たような素材でできているはずだ。何が違うというのだろう。


 こんなところで寝ているほうが悪いのだ、さわってしまえ、という意見も生まれるけれど、それは犯罪者の論理である。勝手に他人の体にさわって良いわけがない。そんなことはわかっていた。しかし、わかっていても逆らえない瞬間がある。はっきり言って、このときの僕は、少々おかしくなっていたのだと思う。


 そっと、手を太腿に伸ばす。

 ふわりと、柔らかい。

 ああ、人の肌って、こんなに柔らかいのか、と思った。

 細いのだけれど、しっかり肉がついている。

 すべすべしている。

 さわっているだけで、なんだか、少し楽しくなってくる。嬉しい気持ちになる。原因は不明だ。とにかく、心地よい。そういうわけで、しばらく高鳥さんの太腿を堪能していた。


 くすぐったかったのか、うーん、と声を漏らし、寝返りを打つ。


 起きたのではないか、と思い、すぐに手を引っ込める。心臓が激しく鳴った。いままでの興奮はどこへやら、背筋が寒くなった。大変なことをしてしまった、といまさら気づいた。性犯罪である。いままで、性犯罪をするような人は、結局のところ意志が弱い駄目なやつだ、と思っていた。しかし、そうではないのかもしれない。所詮、理性など欲望の前では無力なのだ。


 怒っているだろうか、と思い、怯えていたけれど。

 高鳥さんが目を覚ますようすはない。

 眠ったままだ。

 ほっと一安心する。

 そのあとは、随分と冷静になることができた。

 僕も眠ることにした。

 津森さんの夢を見た。

 なぜか、僕は津森さんとふたりで漫画喫茶に来ていた。


「最近、わたしのこと、あんまり考えてくれてないね」

「考えようとはしているんだけど、どうも邪魔が入るんだ」

「環ちゃん?」

「そう。ひとりでいる時間が減って、津森さんのことを考える暇がない」

「なんか、さみしいな」


 津森さんは、そんなことを言わないだろう。夢だ。


「環ちゃんのことが好きなの?」

「いや、全然。そんなわけないけど」

「本当?」津森さんは首をかしげる。

「本当だ」

「本当?」いつの間にか、津森さんは高鳥さんになっていた。「わたしのこと、好きじゃないの?」

「好きの定義による」

「わたしのこと、どう思ってる?」


 僕は答えられなかった。

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