第22話 自動車ってさ、全然、自動じゃないよね
夜だった。N駅の近くにあるコンビニで待機していた。ぱらぱらと雑誌を立ち読みしてみるが、あまり興味のあるものはない。そうしているのにも飽きて、外に出て携帯端末をさわって待機していた。
そうしていると、高鳥さんがこちらへ向かって歩いてきた。
「待った?」
「えっと、三十分くらい待ちました」約束していたのは十五分前である。
「こういうときは、いまきたところって言ってくれないと」
「いまきたんだったら、僕、遅刻してませんか?」
「あのさ、なんで、そんなに屁理屈ばっかり言うわけ?」
「屁理屈というか、単なる理屈だと思いますけど」
「ほら。また言ってる」
本当に、人間相手の会話は難しい。意志が通じない。
「それじゃ、行きましょうか」僕は言った。
「うん。よし」高鳥さんは強く息を吐いた。「ファイト。おー。頑張ろう」
いまから僕たちが何をするのかというと、千羽へのストーキングである。彼がどこに住んでいるのかをたしかめることにしたのだ。なぜ、そんなことをしないといけないのかは、わからない。高鳥さんが、家を知りたいといったので、ストーキングをすることになったのだ。なぜ家を知りたいのか、ときいたけれど答えてくれなかった。
高鳥さんが働いている店は、ここから歩いて五分ほどの距離にあるらしい。すぐ近くだ。そして、千羽は、帰りにこのコンビニへ寄っていくことが多いらしい。以前、高鳥さんは、コンビニの近くで津森さんと話し込んだことがあった。バイトが終わって三十分後くらいだろうか。そのときに、千羽がコンビニへ通り掛かったということだ。
今回は、ストーキングをしなければならないので、顔を見られるわけにはいかない。コンビニを監視できるような場所へ移動した。周囲に光がないところが好ましい。駅の近くに大きめの看板があったので、その近くに隠れることにした。
「千羽さんは、この近くに住んでいるんでしょうか」
「たぶん、そうだと思う。だって、電車はもうすぐ止まっちゃうし、それに、お酒を飲んでるから、車もバイクも自転車も無理だし」
合理的な推論である。
「歩いて帰れる範囲に家があるということですね」
「そうなると思う」
しばらく無言で待った。今日は少し蒸し暑い。立っているだけなのに、じっとりと汗が出てきた。隣を見ると、高鳥さんは真剣なまなざしでコンビニを見つめていた。
「あ、来た」と声がしたので、コンビニのほうを見る。
ひとりの男が入っていったのが見えた。一瞬だったが、背が高いな、ということだけはわかった。白いシャツに黒いパンツ。それから五分くらい後に、コンビニの袋を右手に持って、その人物が出てきた。少し遠いので顔は見えない。高鳥さんに幾度か画像を見せてもらっていたので、なんとなく想像はできた。
「行くよ」
僕たちは、千羽の後をつけはじめた。
千羽は、酒を飲んでいるとのことだが、足取りはしっかりしている。ずっと前を向いて、そのまま進んでいく。背後を振り返るようなことはない。実に尾行しやすい状況だと言えた。気づかれるようなことはなかった。
「もしも千羽さんに気づかれたら、どうします?」僕はきいた。
事前に決めておくべきことだったかもしれない。
「えっと、そのときは、うーん、どうしよう」
「僕の家が近くにあるので、ふたりで遊んでいた、ということにしますか?」
「無理」無理とはなんだ。「あんたとデートとか、最悪。誤解されちゃうじゃん」
「まあ、そうですね」僕は言った。「僕が家族ということにしましょうか」
「家族とデートとか、もっと最悪じゃん」
「いえ、そうではなくて、家族の家が近くにあるので、遊びに寄った、というストーリーです」
「なるほど」高鳥さんはうなずいた。「ま、そんな感じか……」
コンビニから歩いて十分ほどのところにあるマンションに、千羽が入っていった。一階の集合ポストを開けたりしているので、彼がストーカーでなければ、ここが彼の家である。少し離れたところから見ていたが、どのポストを開けていたのかは大体わかった。
彼がエレベーターに乗ったのを確認して、すぐにマンションの裏手に回った。マンションの裏からは、各階の共用廊下が見えた。そこから観察していると、六階の廊下を千羽が歩いているのを見ることができた。そのまま、一番左端の部屋へ入っていく。頭のなかに図をインプットした。
「うわぁ」高鳥さんは言った。「やばい。千羽さんの家、知っちゃった」
「そのために来たんでしょう?」
「そうだけどさ。本当にわかるなんて、思わなくて」
計画を立てたのは高鳥さんだった。信じられない、ということはないだろう。信じていたから計画を立てられたのだし、実行もできたのだ。
「えっと、何階だった?」
「見ていなかったんですか?」
「見てたけど、ああ、高いな、と思ってたら部屋に入っちゃった」
どうやら数えていなかったらしい。
「六階ですよ」
「何号室?」
「それはわかりませんが、左端の部屋でしたね。一階に行ってみましょう」
高鳥さんと共に、マンションのなかへ入った。オートロックではなかった。そのまま一階の通路を進んでいく。左端の部屋は、一○一号室だった。普通に考えれば、六階の一○一号室が千羽の部屋だ。集合ポストを見てみたが、名前を出しているのは三割くらいだ。千羽のポストには名前が出ていなかった。
「六階の一○一号室だと思います」
「それは六○一号室でしょ」
たしかに、その通りだった。バカなことを言ってしまった。
「これで、恋文を出せますよ」
「いや、出さないし」
僕はマンションから出て、番地を確認した。緑色をした長方形の板が、マンションの壁に貼り付けられていた。
「何してるの?」
「マンションの住所を特定したわけです」
「なるほど。それが、なんの役に立つの?」
「さあ……。役に立つかどうかは、わかりません」
ただ、情報を多く持っておくに越したことはない。
その日は、それ以上何もすることがなかったので帰ることにした。例によって例のごとく、始発まで電車は動かない。歩いて隣駅まで行くのも面倒だった。
駅まで戻ると、タクシー乗り場に一台のタクシーが止まっていた。
「タクシーで帰りますか?」
「うん、それでも良いけど。ちょっと、寄ってく?」
そう言って、高鳥さんは闇のほうを指した。駅の反対側だ。
「どこに寄るんですか」そっちには闇しかない。
「あのね、駅のあっち側に漫画喫茶があるの」
「それを早く言ってくださいよ」僕は言った。「この前、わざわざカラオケまで歩く必要、なかったじゃないですか」
「あの日はカラオケの気分だったの」悪びれもしない。
「今日は漫画の気分ですか?」
「うん。漫画の気分」
どういう気分なのだろうか、と考えずにはいられない。
駅の構内は、すでにシャッターが降りていて通り抜けができない。少し遠回りしなければならなかった。踏切のほうへ進む。もう電車が通る時刻でもないので、ずっと開きっぱなしだ。とはいえ、深夜の時間帯に貨物列車やメンテナンス車が通ることもあるから、一応、気をつけていなければならない。
踏切を通る僕らの隣を、車が走り去っていった。
「あの車、悪いですね」僕は言った。
「何が?」
「踏切の前で、一時停止しませんでした」
「もう夜だし、踏切も開いてるし、良いんじゃない?」
「ダメです。そういうルールですから」
「ふーん」高鳥さんは言った。「たしかに、なんか、習ったような気もする」
「免許、持っているんですか?」
「うん。原付だけどね。いまもたまに乗ってるよ」高鳥さんは僕に尋ねた。「あんたは? 免許、持ってるの?」
「一応持ってます。AT限定ですけど」
「ATとかMTとか、よくわかんない」
「ATがオートマティックトランスミッションの略で、MTがマニュアルトランスミッションの略です」
「さらにわからんから」高鳥さんは言った。「自動車ってさ、全然、自動じゃないよね」
「どういう意味ですか?」
「ボタンを押したら、自分で走ってくれないと。そうじゃないと、手動車じゃない」
まあ、一理なくもないかもしれない。
「たしかに、中国では自動車といえば自動運転車のことを指します」
「へぇ。あんたって、いろいろ知ってるね」
「全部嘘かもしれませんよ」僕の言うことは信じないで欲しい。
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