第18話 まあ、もう死んじゃったけどね
僕はそれほど力があるほうではない。身長は百六十センチ後半はあるから、それなりだけれども。
高鳥さんは軽かった。いや、実際にはそれなりの重量があったが、想定していたよりも軽かったということだ。詳しくはわからないが、四十キロくらいではないか、と想像される。十キログラムの米袋四つ分だ。それを背負っているにしては軽い。
「なんか、人に見られてる気がするんですけど」僕は言った。
「気のせい気のせい。誰も見てないって」
そうなのだろうか。なんだか視線が気になるけれど。自意識過剰なだけだろうか。
「なんか面白いこと言って」と背中から声がする。
無茶を言う。
ひとまず褒めておくことにした。
「足が細いですね」
「何見てんの。いやらしい」
失敗した。
僕は高鳥さんを背負っており、太腿の裏を両手で支えている格好だった。彼女の太腿は、僕の手に収まるほどの太さしかない。もはや太腿とは呼べないレベルである。細腿だった。
密着している。彼女の体温が感じられた。
なんだか、心地よい。
安心する。
高鳥さんは、僕の髪をさわっていた。
「どうかしました?」
「ハゲてる」
「嘘ですよね?」
「うーそ」高鳥さんは言った。「なんか、懐かしいなぁ」
「前にも、こういうことがあったんですか?」
高鳥さんの元彼だろうか、と想像する。
「小学生の頃に、お兄ちゃんにおんぶしてもらったの。まあ、もう死んじゃったけどね」
意表をつかれる。なんと答えて良いものか迷った。
結局、正直に自分の気持ちを伝えることにする。
「そういうこと、軽く言わないでくださいよ」
「もっと、重々しいほうが良かった?」
僕は答えなかった。
「なんか、あんたって、少しだけお兄ちゃんに似てる」
「気のせいでしょう」
「お兄ちゃん、自殺したんだよね」
それならば、少しくらいは似ているのかもしれなかった。
高鳥さんを背負ったまま、僕たちの住むマンションへと戻った。エントランスで下ろす。まだ酔っているようだが、なんとか歩けるようになっていた。手すりの力を借りながら、階段をゆっくりと上っていく。後ろに転んでも大丈夫なよう、高鳥さんの少し後ろを進んだ。いつでも支えられるように、構えておかなければならなかった。
特に問題なく僕の部屋へ辿り着く。
高鳥さんは、そのまま彼女自身の部屋へ入っていこうとした。
ドアを開けて、こちらを振り向く。
「ありがとね」
「正直ですね」
「わたしはいつも正直だよ」
そうかもしれない。
「あのさ」高鳥さんは言った。「今晩、空けててね」
「いつでも空いてますけど」何を隠そう、僕はニートである。
「そうだよね。夜、あんたの家行くから。待ってて」
そういって、高鳥さんは自室に入っていった。
ドアが閉められる。
廊下を支配するは静寂。
いったいなんだったのだろう、と思う。普段ならば、わざわざ宣言をしない。勝手に家に入ってきて、勝手に冷蔵庫で冷やしているビールを飲んでいることもある。僕が寝ていても気にせず、勝手に部屋に入ってきて、マンガを読んでいることもあった。それなのに、わざわざ許可を得たのが怪しい。いや、人間として当然のことではあるのだが……。つまり、高鳥さんは、少し成長したということだろうか。
部屋に戻って、まずはシャワーを浴びた。いろいろなところを歩き回ったので、汗をかいていたのだ。自由人……というかニートになってもっとも良いのは、好きな時間に風呂へ入ることができる点だろう。これは非常に贅沢なことだと思われる。普通の人は、会社へ行く前にシャワーを浴びるか、帰ってきてから浴びるかのどちらかだ。
シャワーを出てから、買っておいたオレンジジュースを飲んだ。そして、窓際に置いてあるソファでぼんやり小説を読んでいると、徐々に眠くなってきた。幸せだなぁ、と思う。けれど、これは期間限定の幸せなのだ。いつかはなくなって、消えてしまう。いつまでも、こんな生活はつづけられない。それでも、まあいいや、と思えた。幸せに生きて、そして、何もかもがダメになったあと、死んでしまえばすべてが解決する。そうではないだろうか。
眠り、夜が来て、また本を読み。
そうしているうちに、日が変わった。
今日、高鳥さんはバイトの日だ。恐らくは帰りに家に寄るのだろう。いつものように、バイト先で余った食材を持ってきてくれるに違いない。そう考え、夕食は抜いておいた。
読書をしていると、不意にチャイムが鳴った。
あれ、おかしいな、と思う。高鳥さんがチャイムを鳴らすことなんて有り得ない。何か荷物でも持っていて、自分でドアを開けられないのかもしれない、などと想像しながら玄関へ向かった。
こんな時刻に僕の家を訪ねてくるのは、高鳥さんくらいだ。でも、もし違う人だったら怖いなと考えて、ドアスコープを覗いた。そこにはふたりの女性がいた。ひとりは高鳥さんだった。顔は見えないが、服装などから判別ができる。ぐったりとうなだれて、隣の女性にもたれかかっていた。
そして、もうひとりの女性は。
そこにいたのは。
僕の女神、津森つかさだった。
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