第17話 ちょっと、地面がマシュマロみたいになってるだけ
ふたりで店を出た。会計は、なぜか僕が支払うことになった。高鳥さんは御機嫌で、はっきり言って面倒くさい女になっていた。財布を出すように言うと、財布が歩いて逃げて行っちゃった、などという謎の供述をしていた。やはり酒は人を狂わせる。麻薬だと言えた。早く流通を禁止したほうが良いのではないかと思う。そろそろ人間たちも高貴になってきたであろうから、成功するかもしれない。
「あぁ、なんか疲れたねぇ」
高鳥さんの目はとろんとして、語尾が伸びている。普段よりも、やや幼く見えた。
「帰りましょう」
「疲れた。おんぶ」
「無茶言わないでください」
「冗談だって。歩ける。歩けます」
足もとがおぼつかないようすである。ふらふらしていた。
「本当に大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫。ちょっと、地面がマシュマロみたいになってるだけ」
まったくもって大丈夫ではなかった。
仕方ないので、肩を貸すことになった。時折、腰が抜けたように体ががくっと落ちる。その度に、彼女の体と触れあってしまう。緊張した。
「お酒、弱いんですか?」
「べつに、そんなことないけどね」
そう、家で飲んでいるときは、こんなに酔っ払っていなかった。
「赤ワインだと、ちょっと酔いやすいかも」
ちょっととか、そういうレベルではなかった。
しばらく駅へ向かって歩いた。JR新宿駅へ到着したところで、随分疲れていた。しかし、僕たちの住む街へ戻るためには、ここからさらに歩かなければならない。新宿は、ややこしい構造をしている。
「どこかで休みたい」高鳥さんは言った。
「どこかと言われましても」周囲を見まわす。「カフェにでも入りますか?」
「バカだなぁ。こういうときは、ホテルに連れこまないと」
「連れこんで欲しいんですか?」
「は? そんなわけないでしょ。そんなことしたら、警察呼ぶから」
わけがわからない。まあ、酔っ払っているのだ。仕方ない。
そのまま高鳥さんの体を支えつつ、なんとか西武新宿駅へと移動した。
駅のホームでは、僕が彼女の腕をつかんでおくことになった。転落でもしたら、命が失われてしまう。僕の命が失われる分には構わないが、高鳥さんが死んでしまうのは嫌だった。理由はわからない。ただ、なんとなく嫌なのだ。そう思った。論理ではない。
自分は死んでも構わないのに、他の人には生きていて欲しいと願う。その矛盾が面白い。
やってきた電車に乗り込む。始発駅であるため、シートに座ることができた。高鳥さんを一番端に座らせ、その隣に腰を下ろした。高鳥さんは、電車が走り出す前に眠ってしまった。目をつむり、こちらに身を寄せてきた。無防備だ。もっと、気をつけたほうが良いだろう、と思った。
さきほど、高鳥さんと交わした会話を思いだした。
僕たちは、どのように見えているのだろう。
恋人のようには見えていないだろう。
仲の良い親族か、あるいは友だちといったところか。
どちらにしろ、いまの僕と高鳥さんの関係性とは、遠く掛け離れている。
どういう関係なのかというと、それもまた難しいけれど。
友人というわけではない。もちろん、恋人でもない。
それでは何かというと、同志という言葉が適切なように思われた。
目標に向かって努力する仲間だ。
ひとまずは、それで良いのではないかと思う。
しばらく、電車に揺られていた。思考は散漫だ。密着している高鳥さんのことは考えないようにしていた。しかし、考えないようにすればするほど考えてしまう。不思議なものだ。ピンクの象を想像しないでください、と言われたら想像してしまうのに似ている。
四駅ほど過ぎたところで、ようやく高鳥さんが目を覚ました。
「うーん」唸りながら、目をこする。「寝てたかも」
「明らかに寝ていましたね」かも、は不要である。
「不覚なり」コロ助みたいな口調だった。「寝顔を見られてしまった」
「見てませんよ」
「どう? 可愛かった?」
「見てません」
「一切?」
「まあ、少しは見たというか、見えましたけど」
高鳥さんは、車内をきょろきょろと見まわしていた。
「旅行に行きたいなぁ」
旅行会社の中吊り広告が出ていたので、そこから連想したのだろう。
「行けば良いと思いますけど」
「ひとりで行っても意味ないじゃん」
「そうですか? ひとりで行っても楽しいのでは?」
「さびしいじゃん」
「そうですか」僕は言った。「じゃあ、行きますか?」
「は? 誰が?」
「高鳥さんが」
「誰と?」
「僕と」
「は? なんでそうなるわけ?」
「旅行に行きたいけど、ひとりじゃ嫌だというので」
「違う。そうじゃない。千羽さんと行きたいってこと」
「なるほど」自分の勘違いを認識する。死にたくなった。「忘れてください」
「何? あんた、わたしと一緒に旅行に行きたいわけ?」
「違うんです。そうじゃなくて、ええ、べつに、そういうつもりではなくて」
「どういうつもりだったの?」
それは自分にもわからない。謎だった。
しばらく無言で揺られていた。
さきほどの会話を思いだして、何度も恥ずかしくなった。
顔が赤面する。
自分から旅行に誘うなんて。しかも、断られるだなんて。
べつに、高鳥さんと一緒に旅行へ行きたかったわけではない。ただ、彼女がひとりでは行きたくないというので、それならば協力してあげても良いよ、くらいの気持ちだったのだ。きっと。言うなれば奉仕精神である。それなのに、なぜか僕が高鳥さんと旅行へ行きたがっていた、みたいな感じになってしまった。
思い悩んでいるうちに、上石神井駅に到着する。
相変わらず、高鳥さんは酔っていた。むしろひどくなっているようだ。まともに歩けていない。なんとか駅から出ることができた。
「限界。歩けない」
「あと少しです。頑張りましょう」
「頑張れない」
困ったものだった。
「恥を承知で、頼みをきいて欲しいんだけど」高鳥さんは言った。「きいてくれる?」
「内容によります」
「おんぶして」
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