第16話 ちゃんと話のオチを用意してよ。関西人でしょ?
それから何度かストーキングを繰り返してみた。
二人目は男性で、サラリーマン風の男だった。彼は途中でトイレに行き、そのあとラーメン屋へ入っていった。あまりラーメンという気分ではなかったので、そこでストーキングをやめた。
三人目は、また女性だった。腰の曲がった老婆である。老婆が、新宿で何をするのだろう、と興味深かった。しばらく後を追ってみたが、あまりにも歩くスピードが遅く、逆にストーキングが難しかった。思わず早く歩いてしまいそうになるのだ。僕たちも相当遅く歩かなければならず、非常に不自然な歩き方になってしまった。
実践してみることで、遅く歩くというのが、ストーキング対策として、なかなか有効だということがわかった。早く歩いている人は、周囲に気を配っていないことが多い。ストーキングの格好の的だ。
老婆は、朝から開いている居酒屋へと入っていった。窓から店のなかが見えたが、カウンター席に座り、酒を飲みはじめたようだ。それを確認してから、ストーキングを中断した。
時刻は昼過ぎになっていた。
「お腹空いたね。なんか食べよっか」
「良いですね」
「何が食べたい?」
「うどんですかね」
「ふーん。わたしはパスタ」
昼食はパスタになった。僕に選択権がないのであれば、きかないで欲しかった。淡い期待を抱いてしまった。
高鳥さんがネットで調べた、一番近くにあった洋食の店に入った。お酒が飲める洋食屋、ということで評判の店らしい。店の前に出ている看板に、そう書いてあった。どこで評判になっているのかはわからない。たぶん、どこでも評判にはなっていないだろう。昼食時ということで人が多かったが、十分ほど待っていたらテーブルが空いたようだ。僕は、人が並んでいる店には絶対に入らないことに決めているので、新鮮な気分だった。
窓際のふたり掛けの席だった。向かい合うようにして座る。窓からは大通りが見えていた。いろいろな服装をした、さまざまな年格好の人間が歩いている。歩いているのが、どんな人なのかと想像するだけで時間を潰せる。
店内は白を基調とした、明るい店だった。実にくだらない内装だと言える。個人的には、もっと落ち着いた雰囲気の店が好みだ。
テーブルに置かれていたメニューを開き、そして僕は閉じた。
「どうしたの?」と高鳥さん。
「高すぎません?」
「いや、こんなもんだと思うけど」
多くのメニューが千五百円を越えていた。
「あんた、貧乏人?」
「そういうわけではありませんが」僕は言った。「良いですか、基本的に、料理というものは、千円くらいが味の上限です。それを越えても、さほど美味しくはならない。千円の料理と二千円の料理で、二倍も味が違うということにはならないわけです」
「わたし、日替わりパスタにするけど、どうする?」ぱたん、とメニューを閉じる。
完全に無視された。
「……オムライスにします」千三百円だった。
ジュースもバカげた値段だったので、水にしておいた。高鳥さんは、ワインを注文していた。昼から酒とは優雅なものである。
注文してから料理が届くまでにも時間が掛かった。十五分くらいか。それまで、高鳥さんと他愛のない会話をして時間を潰した。行列のある店に僕がいままで行かなかったのは、ひとりだったからだということに気がついた。誰かと一緒であれば、会話をして時間を潰すことができるのだ。
料理が届いたので口に運ぶ。まあ、それなりに美味しいが、コンビニで売っているオムライスと大差はない。味としては、精々、八百円くらいだと評価できた。恐らくは新宿という土地代が料理に加算されているのだろう。
「なんかさ、人の後をつけるのって、楽しいよね」
「そうですか?」
そうは言ったものの、実際のところは高鳥さんの意見に同意していた。まったく知らない人の私生活を垣間見ることになる。普段であれば、絶対に交わることのない人々だ。もちろん、彼らの情報を知ったとしても、なんの得にもならない。けれども、だからこそ面白いのだろう。趣味は無駄でなければ楽しめない。無駄でないものは仕事になる。もし、探偵などの仕事で人を追っているのであれば、苦痛になるに違いない。趣味だから、無駄だから楽しいのである。
「ストーキングの技術を磨いて、どうするんです?」
「うん、まあ、それは考えてなかったな」
「考えましょうよ」
特に目的もなく英語を勉強するようなものだ。それはそれで、純粋かもしれないけれど。
「千羽さんの家が知りたいなぁ」ワインを一口飲んで、高鳥さんは言った。
「本人に、直接きけば良いのでは?」
「それができたら苦労しないって」
「意気地がないんですね」
「育児? したことないけど」
バカなのか、あるいは会話をはぐらかしているのか、どちらだろうと考える。高鳥さんの知性レベルから考えると、単なるきき間違いだろう。しかし、たまにだが鋭い意見を言うこともある。難しいところだった。ひとまず保留だ。
「家を知って、どうするんです?」
「それは、うん、どうするんだろう?」
「ラブレターを送るとか?」
「そんなの、直接渡せば良いじゃん」
「それができないから、ラブレターを送るのでは?」
「うん、まあ、一理あるな」ないと思う。この、一理あるという言い回しが、少しだけ知性を感じさせる。「なんていうかさ、家を知って、何がしたいとか、そういうのじゃなくて、ただ知りたいの。違う?」
「そうかもしれませんね」
僕も、津森さんの家を知って、何がしたいというわけでもない。ただ、知りたい。そう思うのは、異常なことだろうか。異常かもしれない。でも、正常であることに、何か価値があるのだろうか。
「美味しいねぇ」目を細めている。嬉しそうだった。「幸せだねぇ」
「そうですか? まあ、値段相応かと」
「そうだけどさ、でも、美味しいじゃん。働いたあとの、自分への御褒美って感じ」
さきほどまでの修行は、労働ではないだろう、と思った。しかし口には出さなかった。高鳥さんと一緒の時間を過ごしていてわかったことだが、思ったことすべてを口に出していたら、どんどん相手の機嫌が悪くなっていく。カーライルの衣装哲学は正しかったのだ。そのことがよくわかった。
「メーテルリンクの青い鳥って知ってます?」僕は尋ねた。
衣装哲学からの連想だった。たまには、高鳥さんのようにランダムな会話をしてみようと思ったのだ。思った段階で、すでにランダムではないけれど。
「青い鳥ね。知ってる知ってる。なんだっけ。森を進んでいくときに、パンをちぎるんだよね」
「それは『ヘンゼルとグレーテル』では?」
「そうだっけ? なんか、御菓子の家に行って、なんやかんやあって、病気のお母さんが助かるんだよね。違った?」
ふたつの童話が頭のなかで混ざっているようだ。
「青い鳥がどうかしたの?」と高鳥さんは尋ねた。
「どうかしないといけませんか?」高鳥さんの台詞を引用してみた。
「そりゃそうでしょ。ちゃんと話のオチを用意してよ。関西人でしょ?」
関西人差別である。僕は、関西人のなかでも、もっとも無口な関西人である。地方ハラスメントだと言えた。そんな言葉、あるのかどうかしらないけれど。
「幸せは~歩いてこない。たぶん家にあるんだね」と小さな声で歌いはじめた。
「やめてください。恥ずかしいですから。見られてますから」
隣のテーブルにひとりで座っている女性が、高鳥さんを見て微笑んでいた。
高鳥さんの顔は、真っ赤に染まっている。ゆらゆらと左右に揺れていた。
「大丈夫ですか?」僕は尋ねた。
「大丈夫。まだ酔っ払ってないから」
「いえ、酔ってますよ。完全に」
「酔っ払ってるって言うほうが酔っ払ってるんだからね」
バカといったほうがバカ、みたいな小学生理論だった。
「僕は飲んでませんから」
「暑いなぁ。冷房、効いてる?」
「しっかり効いてます。寒いくらいですよ」
「じゃあ、なに? わたしが太ってるって言いたいわけ?」
支離滅裂である。会話が通じない。
「ほら、美味しいパスタを食べて、出ましょう」皿には、まだ五分の一ほど残っている。
「もういらなーい。食べて」
「いえ、僕もお腹いっぱいですから」
「残したらもったいないでしょ?」と睨む。
「ええ」
「じゃあ、食べて」理不尽である。
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