第15話 じゃあ、でくの坊二号
ストーキング百本ノックというのは、ランダムに選んだ人間をストーキングし、数をこなすことでストーキング技術を身につけるというものらしい。携帯端末でページを確認しながら、高鳥さんが解説してくれた。
一人目のターゲットは、すぐに決まった。若い女性で、ひとりで電車に乗っていた。僕よりも背が高かったので、どうせヒールの高い靴を履いているのだろうと考えたが、そうではない。むしろ、ヒールのないぺたっとした靴を履いていた。背が高いことで苦労しているのかもしれない。その気持ちはわからないでもない。
ふたりで、彼女のあとをつける。
「あのさ、名前、なんにする?」
「名前って、なんの名前ですか?」
「あの人の名前」
「知りませんよ」初対面である。
「そうじゃなくてさ、あの女じゃわかりづらいから、名前つけようよ。勝手に」
「まあ、良いですけど……」少し考えて言った。「A子さん」
「やだ。そんなの。つまんない」
「つまる必要がありますか?」
高鳥さんは僕の言葉を無視する。いつものことだ。
「もっとね、きいただけで、ぱっとイメージが浮かぶような、そんな風にしないと」そして、高鳥さんは前を歩く女性を、無言でじっと睨んだ。「でくの坊一号」
「失礼ですよ」
「じゃあ、でくの坊二号」
「前半がまずいですから」後半だけ変えても意味がない。
「のっぽちゃん」
高見さんであるが、まあ良いか、と思った。
僕たちはのっぽちゃんを追った。彼女はひとりで道を進んでいく。西武新宿駅から、JR新宿駅のほうへと向かっているようだ。行き先は決まっているのか、脇目も振らずに進んでいく。途中、コンビニに寄っていた。裏と表、どちらからも出られるコンビニだ。僕と高見さんも店に入って、雑誌コーナーで立ち読みしている振りをした。
のっぽちゃんは店を出た。コーヒーとあんパンを買っていた。
「うーん、なんだろう。学生かな?」
「どうでしょうね」僕は言った。「年齢は、二十代前半か、十代後半、どちらにも見えますね」
「いや、どう見ても二十代でしょ。十代の肌の張りじゃないって」
「そんなのわかりますか?」
「わかるわかる。化粧の質とか見てもわかる。アイシャドーとか、結構、高価なやつ使ってると思う。高校生じゃ無理」
「探偵みたいですね」
「うん、なんか、こういうの、なんだっけ。後をつけるやつ」
「尾行ですね」
「そう、それ。尾行をしてると、なんとなく刑事になった気分で、いろいろ考えちゃうね」
「暇ですしね」
「だね」高鳥さんは言った。「全然、気づかないね」
「気づいていて、無視しているのかもしれませんよ」
「意外と簡単だよね。拍子抜けっていうか」高鳥さんは言った。「拍子抜けって、本の表紙が抜けてるってこと?」
「違うんじゃないですか。知りませんけど」
拍子抜けの語源くらい知っていたが、知らない振りをした。そもそも漢字が違う。
JR新宿駅に近づいていくにつれ、人が多くなってきた。もはや、ついていくだけで精一杯だ。見失わないように、必死に歩く。
「ちょっと待って」ぐいっと腕を掴まれる。「置いてかないで」
思わず、立ち止まってしまった。人の温もり。
「あの、そういうのは、ちょっと」
「あ、照れてる?」
「いえ、べつに……」
「照れてるじゃん」高鳥さんは、にやにやといやらしい笑みを浮かべる。「こういうの、慣れてないんでしょ」
「慣れてるように見えますか?」
「見えない」微笑む。「まあ、こういうときでもないと、あんた奥手だし、女の子と腕を組んだりできないでしょ。もう、死ぬまで女の子と近づけないかもしれないんだから、楽しんでおけば?」
死という言葉から連想する。少し前まで、僕は死のうとしていた。そのときには、こんなことになるとは、想像もしていなかった。人生は、わからないものだ。ほんの些細なきっかけで、がらっと変わってしまう。バタフライ・エフェクトか。
手を通じて、高鳥さんの熱が伝わってきた。意識が腕に集中する。どのような形か、どのように動くのか、そういった細かい情報が、すべて感じられた。不思議なものだった。
のっぽちゃんを見失いそうになったが、なんとか混雑している部分を抜けることができた。あとは、信号機などで分断されないように気をつけていれば問題ない。大事なのは、一定の距離を置いてついていくことだ。相手がスピードをあげれば、こちらも上げる。スピードを落とせば、こちらも落とす。そういう風にして、ついていく。
JR新宿駅から、少しずつ離れていき、やや薄汚い通りへと入った。居酒屋などが並んでいる。パチンコ屋やコンビニもある。人通りが少なくなってきたので、少し気をつける必要があった。
「あのさ、わたしたちって、どういう風に見られてるのかな?」
「特に見られていないと思いますよ。僕たちを見るほど、暇ではないでしょう」
「そうじゃなくて」どうなのだろう。「友だちかな? 家族? それとも……恋人はないか」
「ないでしょうね」僕もうなずいた。「いつまで手を組むんですか?」
「うわ」そう言って、高鳥さんは僕の腕から離れた。「なんで、腕を組んでるわけ? もう、人も少ないし、べつに組まなくて良くない?」
「僕が組んだわけじゃないですからね」
「ああ、損した」べつに損はしていないと思う。「早く言ってよね。もしかして、わたしの腕を堪能しようと思って、黙ってた?」
「いえ、そういうわけではありません」
「じゃあ、どういうわけ?」
「べつに、どういうわけでもないですけど」
会話が上滑りをしている。わけがわからない状態だと言える。
しばらく無言で、のっぽちゃんの後を追った。彼女は不意に、地下へとつづく階段を降りていった。その近くまで行ってみると、看板が出ている。新宿女学園と書いてあった。全体的にピンク色のもので、時間と料金が書かれている。まさか、地下に学校があるわけではないだろう。
「うわぁ、そっか、そうだったんだ」
「何がですか?」
「のっぽちゃんが、風俗嬢だったんだって、驚いた」
「あるいは、風俗で女性を買っているかもしれませんね」
「そんなわけないでしょ」
いや、あるかもしれない。性差別は良くない、と思った。
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