第14話 ストーキング百本ノック

 翌朝七時に起こされた。


 まず、カーテンが開けられ、朝の日射しを強制的に浴びせられる。そして耳元で音楽を鳴らされ、さらに体を強く揺らされた。限りなく不快だった。


 昨日は、よく眠れず、朝の五時くらいにようやく眠れたのだ。

 そう説明したのだが、まったく気にしたようすがない。強すぎる女だ。


 仕方なく起きて、朝食の準備をした。

 テーブルに並べ終えると、高鳥さんはすぐに食べはじめた。


「高鳥さんは、料理しないのですか?」

「ラーメンはつくれるよ」

「それは、お湯を入れるだけでしょう?」

「いや、違うよ。お湯を沸かして、そこに麺を入れて、粉を入れるの」


 カップラーメンではなくて、インスタントラーメンのようだ。どちらにせよ、簡易であり、料理とは呼べない。


「なんか、わくわくするね」高鳥さんは楽しそうだった。

「僕は、ドキドキしてます」

「心配? 緊張してる?」

「いえ、寝起きなので、まだ鼓動が早いんです」

「ふーん。起きてから、もう結構経つけど」


 スクランブルエッグをつくったり、ハムを焼いたりしていたから、十五分くらいは経っただろうか。しばらく鼓動は早かったが、ゆっくり食事を取っていると、普段の速度に戻った。


 食後にコーヒーを入れ、一服する。ひと息入れるというだけで、煙草を吸っているわけではない。僕も高鳥さんも、煙草は吸わない。

 高鳥さんは、コーヒーシロップを三つも入れていた。さらにコーヒーミルクもたっぷり入れている。それは、もはやコーヒーではない。


「ブラックなんて飲んで、何が美味しいの? 苦いだけじゃん」

「苦くて目が覚めます」

「そんなに目を覚ましたいなら、目薬でも飲めば?」

「目に差さないと、目は覚めないと思いますけど」

「目薬ってさ、たまに甘いやつあるよね」

「飲んでるんですか?」

「目に差してたら、口に入ってこない?」

「いえ、そういうことはないですね」

「そっか」


 高鳥さんと会話をしていると、いったいなんの話をしているのだろう、と思うことが多々ある。はっきり言ってわけがわからない。彼女の思考はおかしな方向へよく飛ぶし、何かのテーマについて語るというようなことはない。話題は、非常にランダムに移り変わっていく。


 その予想もつかなさが、面白いと感じる。自分ひとりでいるときには、決して起こらなかったことだ。目薬が甘いなんて、そんなこと、考えたこともなかった。


 それから僕たちはマンションを出た。今日は雲ひとつない快晴で、ひたすらに青い。あまりの青さに、見ているだけで、目がしびれてきた。なんてことのない風景だが、真っ白の状態で観察することができると、美しいなあ、と感じる。あまりにも美しいので、怖いくらいだ。


 しばらく、道を進んだ。どこへ向かっているのだろう、と思っていたら駅の方面だった。


 途中、横断歩道があった。信号が赤だったので、止まる。車は来ていない。


「昔ね、横断歩道を渡ったことがあるんだけど」

「横断歩道を渡ったことのない人は、珍しいでしょうね」


 二十歳を越えても横断歩道を渡ったことのない人は、日本に存在するだろうか。


「小さな頃、お母さんと一緒に道を歩いてたの」


 よくわからないが、過去の話がはじまった。いつもの無意味な話だろうと思い、適当に聞き流すことに決めた。


「お母さんの手を握って、横断歩道で信号が青になるのを待ってた。青になったら渡ってもいいんだよって言われた」

「それが、どうかしたんですか?」

「近くにね、もう一個横断歩道があったの」


 横断歩道の数え方は、一個、二個だろうか。


「そっちの横断歩道は、信号機がなかったから。お母さんがね、その横断歩道を見て、ここは大人用の横断歩道だから、ひとりじゃ絶対に渡っちゃダメだよって言った」

「そうですか」それ以外に答えようがない。「それが、どうしたんですか?」

「どうかしないといけない?」

「いえ、そういうわけではないですけど」

「なんか、思いだしちゃったなぁ」


 このように、高鳥さんの思考は非常にランダムである。普通、思いついても口に出さないだろう。自分のなかで、そういえば、そういうこともあったな、と思いだすくらいだ。けれど、彼女は違う。思いついたことをすぐに口に出してしまう。


「まあ、お母さん、死んじゃったんだけどね」

「急に重い空気にするの、やめてくださいよ」

「ま、そういうこともあるさ」

「軽いですね」

「うん、まあ、お母さんが死んで、二年経つからね」


 僕は何も言えなかった。親族の死。それが彼女をどう変えたのだろうか。あるいは何も変えていないのかもしれない。


「御母様が亡くなったときは、悲しかったですか?」

「死んだ直後は、なんにも。うわぁって思った。それだけ。がーん、みたいな。悲しむ余裕なんてなかったなぁ。全然、泣けなかったし。悲しさってね、いろいろ終わって、ひとりでゆっくりしてるときに、じんわりと来るんだよ」

「そうですか」僕は言った。「小学生の頃、ハムスターを飼っていたんですけど」

「あ、ちょっと待って。動物が死ぬ系の話はやめてね。無条件で泣けるから」


 母親が死ぬ話は良いのか。判断基準が謎である。


 駅まで移動し、高田馬場方面へ向かう電車に乗った。

 平日の朝方だが、通勤ラッシュはすでに終わっているようで、乗客は多くない。二駅ほど進んだところで、座ることができた。電車のなかには学生と思わしき人が多い。ひとりでいる人の大半は、携帯端末をさわっている。もう随分見慣れた光景だが、改めて観察してみると、なかなか異様だった。


 ちなみに、僕の隣でも同じように携帯端末をさわっている女がいた。高鳥さんだ。


「これから、どこへ行くんですか?」

「新宿」端末の画面を見ながら、ぼそっと小声で返す。

「何をしに?」

「ストーキングの修行」


 例の人物が作成した、リアルストーキング術のページは、ざっと流し読みしただけで、詳しい内容までは頭に入ってなかった。


「どんな修行をするんですか?」

「ストーキング百本ノック」なんだそりゃ、と思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る