第12話 そもそも、生きることに向いてないんです
チャイムの音で目が覚める。
我が家に訪れる人は少ない。宗教勧誘、放送受信料、そして佐川急便とクロネコヤマトを除けば、ほとんど誰も来ない。枕元の携帯端末を見ると、時刻は午前二時だった。このような時間に来る人物に心当たりはない。もしかしたら酔っ払いかもしれない。無視しよう、と心に決め、布団を被る。
しかし、チャイムがつづく。何度も鳴る。しかもノックまで。
何か事件でもあったのだろうか、と思って布団から出た。
足早に玄関へ向かう。
ドアスコープ越しに覗くと、そこには高鳥さんの姿があった。手にはスーパーの袋を持っている。
ドアを開けると、酒の匂いがした。
「飲んでるんですか?」
「いまは飲んでない」
「飲んだんですか?」
「そう。あのね、バイトは、一杯サービスしてもらえるのだ」
本当に一杯だけだったのだろうか。若干、千鳥足である。そのまま部屋へ入って来て、いつものようにテーブルを挟んで向かい合うことになった。高鳥さんは、持ってきていたスーパーの袋をローテーブルの上に広げる。
「じゃーん」
出てきたのは、タッパーにつまった酢豚だった。あとはおにぎりなどもついている。
「これ、どうしたんですか?」
「えっとね、余ったのをもらえるの。食べよ。準備して」
言われるがままに行動する。キッチンへ移動して、箸や取り皿などを用意した。飲み物もいるだろうと考え、コップに水を入れて持ってきた。
「え? 水? 他になんかないの? ビールとか」
「僕、普段はあまり飲まないんです」
「ちぇー。つまんないの」そういって水を飲んだ。「うーん、水の味」
「水以外の味がしたら怖いですね」
「怖い怖い。ちょー怖い。何入れたのって思っちゃう」
「大丈夫ですから」
ふたりで酢豚をつついた。意外と量がある。どうも、料理長なる人物が、大量につくりすぎてしまったらしい。タッパーはもうひとつあって、そのなかにはポテトフライが入っていた。塩気がきいていて、実に美味しい。
「美味しいですね」
「でしょ?」まるで自分がつくったかのように誇らしげだった。「感謝しなさい」
「ありがとうございます」
「あら素直」
「僕はいつも素直ですよ」
「そうかな」高鳥さんは水を一口飲む。「そうかも」
「どうして、持ってきてくれたんですか?」
「人の好意に文句つけるわけ?」
「いえ、べつに文句をつけているわけでは」僕は言った。「まだ、会ったばかりだし、なぜ、こんなに良くしてくれるのかなって」
「うん、まあ、なんというか、捨て犬を拾ったって感じ? あんたさ、陰気だし、構ってやらないと、ころっと死んじゃいそうじゃない? なんか、そういう感じある」
どんな感じだ。失礼なやつだった。
「それに、ご飯つくってもらってるじゃない? そのお返しというか」
たしかに、ここ数日は、高鳥さんには朝食や昼食を用意してあげていた。
「あとね、これもお土産」
そういって、高鳥さんは携帯端末を操作していた。いったいなんだろう、と思っていると僕のパソコンが電子音を発する。メールが届いた音だった。
「そっちに送ったから」
パソコンを開いてメーラーを確認すると、高鳥さんから添付ファイルが届いていた。
「ウィルスじゃないですよね?」
「そんなもんスマホで送れるか」
冗談に真面目な返事をしてくれるのも高鳥さんの良いところである。からかい甲斐があると評価できた。
画像ファイルを開くと、そこには津森さんの姿があった。ビールらしき液体の入ったグラスを持って、にっこりと微笑み、ピースをしている。
「どう? 感想は?」
「神々しいです」
「想定外だわ」どのような台詞を想定されていたのか。「まあ、感謝しなさい」
「これ、どうやって手に入れたんですか?」
「うちの居酒屋って、バイトの終わったあとに、皆で飲む時間があるのね。軽く、十五分くらいなんだけど。そのときに撮ったの」
「盗撮ですか?」
「ピースしてるんだから、そんなわけないでしょ」そりゃそうだ。「なんか、その場のノリでね、いぇーいって感じでカメラを構えたら、ピースしてくれたの」
「わざわざ僕のために、ありがとうございます」
「可哀想なやつだから、喜ばせてやろうと思って」
高鳥さんは良い人だな、と改めて思った。僕の知り合いのなかで、良い人ランキング一位である。他に知り合いがいないだけだが。
「千羽さんとの進展はありました?」
「それは……ない」
「早く告白すれば良いのでは?」
「それができたら苦労しません」ま、そりゃそうだ。
「たぶん、大丈夫だと思いますけどね」
「何も知らないくせに、そういうこと言うのやめてくれる?」
たしかに、僕は千羽のことについては何も知らない。
けれど。
「高鳥さんは可愛いから、大丈夫ですよ。きっと」
「そう。ありがとう」少し照れているようだった。「あんたさ、ストレートなやつだよね」
「チェンジアップも得意ですよ」
「ソフトボールでもしてたの?」
「いえ、会話の話です」
「会話のチェンジアップって何?」
僕は答えなかった。それがある種のチェンジアップである。
高鳥さんはしばらく黙っていたが、ゆっくりと口を開いた。
「あんたさ、つーちゃんに近づきたいんだっけ?」
「そうですね」
「なら、うちの店でバイトしたら?」
「べつに、高鳥さんの店ではないのでは?」
僕の疑問を無視して、高鳥さんは言葉をつづけた。
「いまね、メンバーが何人か三月一杯で辞めちゃうから、人手不足なんだよね。普段、何もしてないし、どう? 店長にさ、知り合いに働けそうな人がいないかってきかれたんだけど。そしたらさ、合法的につーちゃんと仲良くなれるよ」
それは、魅力的な提案ではあった。
けれども。
「たぶん、僕には向いてないと思います」
「まあ、それはそうなんだけど」高鳥さんは言った。「じゃあさ、何が向いてるわけ?」
「いえ、特に向いている仕事はないですね」
「ダメじゃん」
「ダメなんですよ」僕はうなずいた。「そもそも、生きることに向いてないんです」
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