第二章

第11話 言葉は、つくればありますよ

 ストーキングはつづいた。

 二日ほどつづけているうちに、段々とコツが掴めてきた。


 まず、インターネットに情報をさらさない人間は、一定数いる。しかし、その人の友人までもがそうだとは限らない。友人が勝手に画像をSNSにアップしているというパターンは限りなく多い。千羽は個人情報の流出に気をつけているようだが、友人たちのアカウントから、何枚も画像が発掘された。また、千羽がカラオケで歌っている動画さえも発見されてしまった。なかなか音痴で面白かった。


「可愛い……」そんなことを言って、高鳥さんはカラオケ動画を保存していた。


 可愛いの定義を教えてもらいたかった。

 結局のところ、自分がどれだけ情報の流出に気をつけていようと、周囲のガードが甘いとそれだけでダメになる。唯一の方法は、利用しないこと。これに尽きる。たとえば、僕なんかは友人が皆無であるし、SNSなども利用していないから、情報はネットに出ていない。一応、自分の名前や高校名を入れて検索をしてみたが、何も出て来なかった。もしかして、僕は存在していないのではないか、と思えるくらい何も出て来なかった。

 お互いに一時間程度捜索したあと、成果を発表しあう。


「ほら、見て。これ。セクシーでしょ?」


 そういって、高鳥さんは千羽の寝ている画像を見せてくれた。


「へぇ……」クソどうでも良かった。「これは、どこで手に入れたのですか?」

「お友達と旅行に行ったときに撮影されたみたい」

「それは良かったですね」何が良いのかわからないけれど。次は僕の番だった。「これなんて、どうです? 可愛いでしょう?」


 僕のパソコンの画面には、津森さんが高校生の頃の画像が表示された。


「うわ、それ、どうしたの? どうやって手に入れたの?」


 高校生の頃の画像は、入手難度が高い。そもそも、そこまで携帯端末が流行っていなかった。カメラの機能も低く、劣悪な画像データしか存在しない。SNSなどもほとんど流行していなかった。


「実は、高校生の頃、津森さんが友だちと一緒に運営していたホームページを発見したんです。そこのアルバムというページに、いろいろあって……」


 僕の世代では、高校生の頃に携帯サイトブームがあった。ちょうど携帯小説が流行していたのと同時期である。そのあと、すぐに下火になり、SNSへと移っていったから、本当に一時的な流行だった。それでも、クラスのほとんどの人が携帯サイトを持って交流していたのだ。その頃のページが、いまだに削除されずに残っていた。インターネットの世界も現実世界と同様に風化が起こる。そのうち、消えてなくなってしまうものだ。しっかりと保存しておいた。


「あぁ、千羽さんの高校生の頃の画像とか、ないかなぁ」

「それは難しいでしょうね」


 世代が違うので、携帯サイトなどをやっていないはずだ。そもそも、千羽の高校時代にデジタルな機器が存在していない。写真などもすべてアナログである。実家のアルバムを見る以外に方法はない。


 しばらくネットを捜索しているうちに、津森さんの家がどこにあるかも、大体わかってきた。


「津森さんがどこに住んでいるか、知っていますか?」

「知らないし、知ってても教えない」

「どうしてですか?」

「だって、悪用するでしょ?」

「しませんよ。善用はしますけど」

「善用なんて言葉あるの?」

「言葉は、つくればありますよ」


 そもそも、善用は辞書に載っている普通の言葉だ。悪用ほど頻度が高くないだけである。


「津森さんの最寄り駅は、たぶんN駅だと思うんですよね」

「ほえー」どうでも良さそうな声だった。「なんで?」

「ここを見てください」


 そう言って、僕は画面に記された津森さんのつぶやきを示した。津森さんは、最寄り駅から電車に乗った瞬間、友人にメッセージを送っていた。いま電車に乗ったよ、みたいなものだ。そのあと、十数分後に高田馬場駅なう、というつぶやきがあった。よって、その時間を逆算することで、最寄り駅がわかるという仕組みである。高田馬場から十数分でいける駅というのは、それほど多くない。


 また、津森さんはたまに牛丼屋へ行っている。駅の近くに牛丼屋があるのは、N駅だけである。また、帰り道に家の近くのコンビニで買ったと思われるデザートの写真から、どのコンビニに通っているのかもわかった。そのコンビニが駅前にあるのも、N駅だ。


「ふーん、あんた、すごいけど、気持ち悪いね」

「すごいけど気持ち悪いというのは、すごく気持ち悪いとは、違いますよね?」

「まあ、大体同じかな」


 ひどいことを言う女だ。

 しばらく調べていると、千羽の個人的なアカウントも発見された。例の千羽の友人がつくっていた、テニスクラブのOBを集めたリストに、千羽のプライベートなものと思われるアカウントがあったのだ。僕が津森さんの最寄り駅を導き出したのと同様に、高鳥さんも千羽の最寄り駅を算出しようとしていたが、無理だったようだ。千羽の個人アカウントは、それほど大したことをつぶやいていない。積極的に利用しているわけではないようだった。


「あのさ、こうやって人のSNSを見たりするのって、犯罪だったりしないよね?」

「合法ですよ」僕は言った。「なんら制限されるいわれはありません」

「でも、画像を保存したりとかって、なんか、ちょっとやばいよね」

「アップロードしているほうが悪いでしょう」

「まあ、そうだけどさ」高鳥さんは言った。「大人は、まあ、自分の判断でアップロードするかしないか決められるけど、子供は大変だよね。みんなやってるから、自分もって感じでやっちゃうし」

「世界中に公開されている、ということがわかっていない人も多いですね。仲間内だけのものだと勘違いしている。実際、大したことを書いていないので、ほとんど誰にも注目されませんから、間違いではないですけど。何か事件があったりした瞬間、ばっと人の注目を浴びることになります。いわゆる炎上ですね」


 一昔前は、祭りといったものだ。


「さてと」高鳥さんは、ぱたりとやさしくノートパソコンを閉じる。「そろそろバイト行くわ」

「ああ、そうですか。いってらっしゃい」

「わたしは、いまから千羽さんと会えるんだよねぇ。あんたと違って」

「べつに、千羽さんと会いたいわけではありませんから」

「違う。そうじゃない。あんたは、つーちゃんと会えないでしょ?」


 わかっていて、あえてとぼけたのである。


「つーちゃんに、何か伝えたいことってある?」

「いえ、特には。健康に気をつけてください、と伝えておいてください」

「ふーん。まあ、伝えないけどね」


 ならきくなよ、と思った。


 高鳥さんがいなくなって、部屋にようやく静寂が戻ってきた。ひとりでいると、冷静な自分を取りもどすことができる。いままでは、場の雰囲気に流されていた。はたして、こんなことをして、なんになるのだろうか。


 もちろん、どうにもならない。完全に無意味な行動である。ただ、津森さんの情報を得たい。彼女に少しでも近づきたい。そういう動機ではじめた行為だった。それで得たのは、少しばかりの画像と、何が好きなのかという情報だけ。これで本当に近づいたことになるのだろうか。


 仰向けに寝転んだ。天井の光が眩しい。

 眼を閉じた。

 ひとりになると、嫌なことばかりが頭に浮かぶ。


 これから先、どうやって生きていけば良いのか。あるいは、どうやって死ぬのか。そういうことを自然と想像してしまう。大学を中退した。親からの仕送りは、あと半年くらいはつづけてもらえるみたいだ。東京で就職するか、あるいは大阪の実家へ帰るのかを選択しなければならない。


 就職は絶望的なように思われた。二十二歳、大学中退、無職、友人皆無、さらに言えばコミュニケーション能力にも問題がある。現在の趣味はネットストーキング。こんな人間に務まる職があるとは思えない。


 とにかく働きたくないのだ。何もしたくない。何かしたいことがあるわけでもない。僕に夢のようなものがあれば、また違っただろう。夢のために、頑張ってお金を貯める。そうであれば、労働も夢の一部となる。どれだけ苦しくても、夢のために頑張ることができる。


 けれど、僕には夢がない。何もしたいことがないのだった。

 夢がないということは、生きていく目的がないことと同値だ。

 生きていく目的がなければ、生きる意味がない。

 よって、働く意味がない。

 どうしたら、働くことができるのだろうか。

 そんなことを、ひとりでぼんやりと考えていた。

 たぶん、子供がいれば、違うだろう。自分の命はどうあれ、子供のために生きていくことができる。子供でなくても良い。誰か、大切な人がいてくれたら、その人のために頑張ることができるのかもしれない。残念ながら、僕はいままで人間関係を構築してこなかった。ひとりだった。


 人は、ひとりでは生きていくことができないのだろうか。


 ひとりで生きていくことができるのは、ほんの一握りの、天才だけなのかもしれない。


 そして僕は、残念ながら天才ではなかった。なんの才能もない。だから、このような状況に陥っているのである。


 そういうことを考えていると辛くなってきた。

 どうすれば良いのか、わからない。

 実家に帰っても良いけれど、そこでもいまと同じように、死んだような生活を送ることになるだろう。親の金で生きていくことはできる。けれど、それは単に生きているというだけだ。死んでいるのと大差ない。むしろ、死んでいるよりもエネルギーを消耗する分たちが悪いとさえ言える。なんのために生きるのか。それを考える必要があった。


 今度、高鳥さんがきたらきいてみよう、と決意する。

 いままでの僕であれば、ここで悩んで、苦しんで、もうダメだ、と思って終わっていた。でも、いまは高鳥さんがいる。彼女ならば、どう答えるだろうかということをシミュレートしてみた。


 そうしているうちに、少しずつ眠くなってきた。

 時刻は午後八時を回っていた。

 まだ寝るには早い。

 たぶん、いま寝ても、夜中に目が覚めるだろう。

 まあ良いか、寝てしまおう、と思った。

 シャワーを浴びて、そのまま布団に入り、眠ることにした。

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