第08話 汝の隣人を愛せ、とムハンマドも言っていたような気がするし
「あんた、つーちゃんのことが好きなの?」
「それは、好きの定義によるでしょうね」
「定義って言葉、いまから禁止にするから」横暴な。言論弾圧だった。表現の自由の危機である。「好きなの? あ? どうなの?」
「好きというか、なんというか、ずっと見ていたいというか、そういう感じですね。津森さんがいるから、この世界で生きていける。そういう存在です」
「こわ……。鳥肌立ってきたわ。あんた、ものすごく危険な感じがするわ」
さきほどは安全な感じがする、といっていたのに。不思議なものである。
「警察に通報したり、しますか?」
「いや、まあ、まだ画像を集めてるだけだしね。何かしようっていうなら、通報するけど」
「何かって、なんですか?」
「待ち伏せて、なんというか、力づくで、みたいな」そして高鳥さんは、僕の腕のあたりへ視線を移した。「まあ、無理か。力なさそうだし」
「そうですね」僕は言った。「それに、女神を汚すことなど、許されません」
「ふーん。本当に信者って感じなんだ。まあ、つーちゃんって可愛いし、わからないでもないけど」
「ですよね。世界一可愛いですよね」
「そこまでは言ってない」高鳥さんは言った。「どこで知り合ったの? お店?」
「店とは?」
「いま、一緒に働いてる店のことだけど。違った?」
「津森さんは、どこのお店で働いているんですか?」
「おっと……」高鳥さんは顔をしかめる。「まずったな」
僕は少し考えてから言った。
「えっと、高鳥さんって、いま、どういうところでバイトされてるんですか?」
「言わないよ。ストーカーには教えません。どうせ、店まで来て、待ち伏せしたりするでしょ」
「しませんよ」嘘だった。
「本当? 信じられない」正しい意見だ。「つーちゃんとあんたって、どういう関係?」
「どういう関係もなにも、まあ、強いて言えば無関係ですけど」
「無関係の人をストーカーするか?」
「ストーキングするか、のほうが適切では?」
「大学の友だちとか?」高鳥さんは僕の言葉を無視して尋ねた。
「いえ、一応、高校時代のクラスメイトです」
「それで、つーちゃんを追って、東京まできたってこと?」
「そういうわけではないのですが、結果的には、そういうことになりました」
正確に言えば、津森さんが東京へ進学することをきいて、同じく東京へ進学することを決めた。そして四年間、しばらく津森さんのことを忘れ、現実世界に打ちのめされていたが、そうして死にかけたときに、また女神として再臨してくれたのである。しかし、そのようなことを説明しても、まったく理解してくれないだろうから、やめておいた。
「つーちゃん、可愛いから、バイト仲間で狙ってる人多いよ」
「そうですか」
「そうですかって、あんたさ、ネットでつーちゃんの画像を集めて、それで満足できてるわけ?」
「いえ、そういうわけでは……」そこそこ満足度は高いけれど。「なんというか、僕は津森さんという女神に、少しでも近づきたいんです。それが、人生の目標です」
「つきあいたいってこと?」
「畏れ多いです」
「恋人になりたいんじゃないの?」
「ええ、まあ、それは難しいでしょう」
「たしかにね」高鳥さんは僕の顔をみた。僕の顔のランクでは難しい、というようなことを言いたいのかもしれない。失礼なことだ。「まあ、同郷ってことで仲良くなって、お酒を飲ませて、酩酊しているところをなんとかすれば、行くところまで行っちゃうんじゃない?」
「行くところまでって、どこまでですか?」はぐらかしつつ、セクハラしてみた。
高鳥さんは答えなかった。
「えっとさ、その、ネットで人の画像って、そんなに簡単に集められるの?」
「相手に寄りますよ。プライバシーに配慮して、自分の画像を載せない人のほうが多数派です。そもそも、自分の顔に自信がないと、そういうことはできませんし」
つまり、津森さんは美人であるため、調子に乗っているのだ。
「あのさ、フォルダにさ、つーちゃんの昔の画像もあったじゃない? 大学時代のとか。そういうのって、どうやって手に入れたの」
「大学時代に津森さんが所属していた、サークルのアカウントから発掘したんです」
「どうやって、そのサークルをやってるって、わかったの?」
「まあ、いろいろ、調べまして」
「探偵とかに頼んだってこと?」
「いえ、インターネットで、それなりに調べたら、わかるものはわかります」
「そうなんだ」高鳥さんは言った。「じゃあさ、あの、千羽さんって人の情報、手に入ったりしない?」
「誰ですか?」
「誰でも良いでしょ?」
まったくもって良くなかった。
「千羽なんて名前の人、世界にたくさんいますから」そこでひとつ思いついた。「もしかして、芸能人ですか? それだったら、無理ですよ。事務所のほうで、しっかり情報をコントロールしてますから」
「違う違う。そういうのじゃない。普通のおじさん」
「そんな人の情報を集めて、何が楽しいんですか?」
おじさんなんて、世界でもっとも不要な存在だろう。
「普通のおじさんなんだけど、でも、ちょっと普通じゃないわけ。なんというか、少し、格好良いというか、セクシーというか、物悲しいっていうか」
「まったく普通じゃないですね」
「そうそう。よくわかってるじゃない。普通じゃないの。スペシャルなおじさんなの」
支離滅裂である。日本語が下手クソだ。基本的に、日本語の下手な人、何を言っているのかわからない人に対しては、日本に来て間もないのだなぁ、文化が違うんだなぁ、頑張ってるんだなぁ、と思ってあげることでやさしくなれる。
「その千羽さんって、誰なんですか?」
「誰かって言われたら、まあ、なんといいますか、その、わたしの好きな人」高鳥さんは顔を真っ赤にしていた。可愛かった。「っていうのは、もちろん嘘なんだけどね」
どうやら、高鳥さんは、千羽という人物に恋をしているようだ。恋をするのは良いことだ。生きていくための活力になる。少しだけ、彼女の愛を応援してあげても良いかもしれないな、と思えた。隣人のよしみである。汝の隣人を愛せ、とムハンマドも言っていたような気がするし。いや、言っていないかもしれない。ブッダだったかもしれない。
「良ければ、協力しましょうか?」
「うん、そうね。本職のストーカーが仲間なら、心強いかも」
「べつに本職というわけではないですけど」
「じゃあ、あんたの本職ってなんなわけ?」
まあ、なんというのか……俗にいう、ニートだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます