第09話 まあ、普通に、子供とかつくりたいわな

 ひとまず、千羽という人の情報を集める必要があった。べつに僕は知りたくもないのだが、高鳥さんが知りたがっているのだから、仕方ない。基本的に僕は他人にまったく興味がなく、やさしくしたいなどとは思わないのだった。けれど、高鳥さんは、津森さんには及ばないまでも、そこそこ美人である。よって、少しだけ助けてあげても良いかな、と思ったのだ。魔が差した、という表現が相応しいだろう。また、いままでに津森さんで実践してきたネットストーカーの手法が、他の人にも通用するのか、という興味があった。津森さんは、ガードが緩すぎる例外の側だったかもしれない。普通の人の情報が集められるのだろうか。


「千羽さんっていうのはね、その、バイト先の店長なんだけどぉ」

「はぁ」適当に相づちを打つ。

「なかなかね、格好良いわけ」

「普通のおじさんだったのでは?」

「そうなんだよ。不思議だよねぇ。最初に会ったときは、ただの冴えないおじさんだなぁ、と思ったの。こんな人が店長で、この店、本当に大丈夫? なんて思ったわけ。でもさ、一緒に働いてみたら、もう、すごいの。やさしいし、指示が的確だし、なんていうか、すごいの」


 すごいしか言っていない。すごいことは伝わった。どうすごいのかは伝わっていない。


「語彙が少ないですね」

「語彙って何?」

「ボキャブラリーが貧弱ですね」やさしく言い換えてみた。

「あんた、喧嘩売ってんの?」

「喧嘩って、売れるものですか? 値段がつけられるのですか?」

「はぁ」大袈裟に溜息を吐く。「もういい。あんたと話してると疲れるわ」


 それはそうだろう。相手が会話に疲れるよう、わざと外しているのだから。


「話を整理しますと、高鳥さんは、そのバイト先の店長、千羽さんと仲良くなりたいわけですね」

「まあ、そうなるわな」軽くうなずく。

「友だちになることが目標ですか?」

「いや、その、もうちょっと欲張りたいというか」

「親友ですか?」

「違う違う。そんなの絶対ダメ。発展しないじゃん」

「どこまで行きたいんですか?」

「まあ、普通に、子供とかつくりたいわな」

「つくれば良いのでは?」

「わたしひとりでつくれるわけないでしょ」


 それができたら聖母になれる。


「いえ、そういうことを言いたいのではありません」頭の悪い人だな、と思った。「女性のほうからアプローチしたら、普通の男性は、断らないのでは?」


 高鳥さんはしばらく黙っていたが、いやらしく微笑んで、ゆっくりと口を開いた。


「もし、わたしがあんたにアプローチしたら、どうする?」

「断ります」

「ほらぁ」

「いえ、僕は、特殊な例ですから」

「まあ、それはそうだな。めちゃくちゃ特殊な例だな」高鳥さんはうなずく。「でもさぁ、告白して、断られたら、もう、立ち直れないじゃない」

「大丈夫だと思いますよ。高鳥さん、美人ですから」

「それはありがとう」眉をひそめた。「あのさ、あんた、もしかして、口説いてる?」

「いえ、微塵も口説いていません。それに、僕は女性に御世辞を言いませんから」

「じゃあ、御世辞じゃなく、本心から、わたしのことを美人だと思ったってこと?」

「そうなりますね」うなずいた。「ただし、津森さんには劣りますけど」

「ああ……。そういうと思った」高鳥さんは言った。「あんたさ、正直者だよね」

「僕は嘘吐きですよ」パラドクスが起きているかもしれない。

「とにかくね、なんというか、いつかは、そりゃ、勇気を出して、どーんと、ぶつかる必要があるわけじゃない?」ぶつからなくても良いだろう、と思った。思いは言葉で伝えれば良い。「でも、その前に、ちょっとは勝率を高めたいわけ」

「どうやって高めるんですか?」

「だから、彼の情報を集めてさ、何が好きとか、どういう女が好きとか、過去の恋愛歴とか、そういうことがわかれば、傾向と対策みたいな、そういうことができるわけじゃない?」


 なかなかしたたかで冷静な意見である。頭が悪いと判断したのは撤回しよう、と思った。


「まあ、よしんばそれで成功したとして」

「よしんば?」

「たとえ、それで成功したとして」やっぱり頭が悪いかもしれない。「偽りの自分を愛してもらって、それで良いのですか?」

「うーん」唸る。「本当の自分が愛されないよりは、偽りの自分でも愛されているほうが、幸せじゃない?」


 それは、なかなかに難しいテーマではあった。


 結局のところ、僕の意見としては、先手必勝ではないけれど、現時点で好意を伝えたほうが良いのではないかと思った。基本的に、好意を伝えられて悪い気分になる人はいない。それに、相手が美人であれば尚更だ。


「いま、千羽さんに彼女はいないんですか?」

「いない……と思う」

「直接きけば良いじゃないですか」

「バーカ。そんなことできるわけないじゃん。恥ずかしいじゃん。バーカ」

「基本的には、バカと言ったほうがバカなんですよ」

「じゃあ、今回は例外」お、頭の回転が早い。「とにかくさ、そういう感じなわけ」


 どういう感じだ、と思った。


「もし手伝ってくれないなら、つーちゃんに、あんたが画像保存してたこと、言うから」

「それは、ちょっと……」

「嫌?」

「はい。恥ずかしいですから」

「それなら、手伝ってくれる?」

「それ、脅迫ですか?」

「えっと……お願い?」


 実際のところ、協力するつもりではあった。問題ないと言える。どうせ暇人なのだ。時間など幾らでもある。


「じゃあ、一度家に帰って、パソコン持ってくるから」


 そう言って、高鳥さんは部屋を出ていった。


 不思議なものだ。昨日の昼までは、死のうと考えていたのだ。それが、津森さんに会って……いや、実際には会っていないが、彼女を見かけて、すべてが変わってしまった。いままで、ほとんど話したことのない女性が、なぜか僕の部屋にいる。驚きである。けれど、人生なんて、そんなものなのかもしれない。些細なきっかけで、偶然で、がらっと変わる。


 家族以外の誰かとまともに会話をしたのは、はじめての経験だった。


 うまく話すことができたかどうかは、わからない。それでも、あれほど長い時間、会話が成立したのだ。もしかしたら、僕は人間として、それなりにやっていけるのかもいしれないな、なんてことを思った。たぶん、錯覚だろうけれど。

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