/4 魔女狩りエクソシズム

 

 部屋に差し込んだ光で目を覚ます。

 時刻はもう午後一時。

 あれからずっと母さんの手を握っていたけれど、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。

 空が白んできた所は覚えているが、それでも結構な時間寝ていたことになるだろうか。

 母さんは未だに目覚める気配はない。昨晩までに比べていくらか安らかな顔をしていたのが救いだった。

 

 ――少しだけ安心した。

 

 一度、シャワーを浴び、汗ばんだ衣服を着替えて朝食兼昼食とる。

 無論、100円カップラーメンだ。

 一人だけの寂しいリビングで麺を啜りながら、これからのことを考えていたのだ。

 さて、今日はどうしたもんかな。

 学校はしばらく病欠で通してるし、サボっても問題ないんだけど……。

 

 やっぱり、ウチを離れる訳にはいかないよなぁ。

 あの子(グレーテル)との約束もあるし。


「へっへへっ」


 にへら、と自分の顔が崩れるのがわかった。

 なんだか今でも夢みたいな話なんだけど、どうにも夢ではないのが頼もしい。

 しばらく昨日の出来事を反芻してニヤけていると――視界の隅でテーブルに置きっぱなしになった回覧板を見つけた。


「……あ、そういえば忘れてた」


 ――いつもなら渋崎(しぶざき)のおばさんがウチに用もないのに上がり込んで持ってくもんだから、すっかり忘れていたものだ。

 

 母さんが悪魔に憑かれてしまう前々日くらいに届いたヤツなので、そろそろ回さないとマズい。


「仕方ない……あとで渡しにいくかな」


 もう一度、母さんの寝室にいって様子を見てみる。

 ――もしかしたら次の瞬間には目覚めるんじゃ……?

 なんて期待していると傍を離れることも躊躇われた。

 そうしている内に、空はだんだんと陰っていった。

 

 時刻が六時を過ぎた頃、渋崎さんのパートタイムが終わる時間を見計らって、外に出た。

 

 田舎でいうところの近所というのは言葉遊びのようなもので。お隣という概念からしてけっこうな距離がある。

 道路を渡って、川を一つ跨いだぐらいの場所に渋崎さんの家はあった。


「すいませーん! 渋崎(しぶさき)さーん! いますかー!」


 チャイムもないので、大きな声をあげると。


「……おやおや。君もこの家の客人かな?」


 中から知らない外人さんが出てきた。

 柔らかい微笑みを浮かべた―――多分、ラテン系の男性。

 オールバックの黒髪と銀縁の眼鏡がなんともキマっている。オマケに神父みたいな服を着ていた。

 二日連続で宗教の人に会うとか――この町に宗教ブームでも来てるのかな?

 ――そういえば、渋崎さんも丘の教会には通っていたんだっけか。


「残念ながら婦人は今お眠りになったところだ。少し静かにしてあげた方がいい。すまないがお引取りを願えないかな?」


 紳士――いや、神父然とした柔らかな口調。なんだか飲み込まれてしまいそうなしゃべり方だった。


「あの。僕は回覧板を届けに来たんです。これ置いたらすぐ帰りますんで」


 と、回覧板を郵便受けに入れる。いつもなら宗教の人なんて関わりたくないから逃げるんだけど。

 ちょっと……いや、かなり気になることが一つ。


「あのー。すいません」


 すぐ帰るのはなし。

 ここは気合を入れて、話してかけてみることにした。


「貴方は丘の上の教会の人ですか?」


「そうだね。今はあそこの一室を借りているよ。ちょうどこの前、部屋が空いたというからね」


「それじゃあ、グレーテルって女の子、行きませんでしたか? 修道服を着た金髪の。昨日そちらに伺ったみたいなんですけど……?」


「ふむ。私も昨晩からこの家にお邪魔していてからね。今日はあっちには帰っていないんだよ。しかしそうか。修道服か」


 と、そこで神父さんは目を訝しげに細めた。

 ――何か気になることでもあったのか。あるいは、元々話がいってたんだろうか。

 ふむ、と頷いて。

 神父さんは軽く握手を求めてきた。


「私はルチアーノ・マキャベリというんだ。その話、詳しく聞かせてくれないかな?」


「あ。はい。ご親切にどうも」


 渋崎さん家を少し離れて、道路沿いまででてから、昨日の悪魔祓いな話をザックリと説明した。

 彼がうまいこと相槌ちを打つので、ついついお口が緩くなってしまったけど。


「あー。なるほどなるほど。そういうことか!」


 と、話を聞き終えて愉快気な神父さん。手を打って笑っていらっしゃる。


「えっと……どういうことですか?」


「いや、なに。私と――今はいないが連れのセシリア君はこの国には休暇で来たんだ。偶然だが、グレーテルという子も我々のご同業のようだね」


「ご同業って、悪魔祓い師(エクソシスト)!?」


「そういうことだよ。しかし、安心したまえ。それならば、教会で彼女は手厚い歓迎を受けているだろう。戻ってくるのは少し先になるかもしれないね」


 ――サラッとすごいことを言ってるぞ、この人。

 首にかけた十字架がキラリ、と光る。

 あ、ヤバい。こっちの方がヘンテコ修道女(アレ)より全然、ホンモノっぽいんだけど………。

 あぁ、でも。グレーテルの『ムズかしい』っていうのはそういうことだったのか―――ザンネンムネン。


「ここの老婦人もその類のモノに冒されていたのでね。だからまぁ、祓ってあげていたんだ」


「渋崎さんも……?」


 だからウチにこれなかったのか。

 母さんのことで手一杯だったから、仕方ないかもしれないけど―――ちょっと申し訳ないな。

 すいません。後日、お見舞いに伺います。

 ―――そこで神父さんは困ったように眉を寄せた。


「しかし、聞く限りその少女の悪魔祓いはまだ途中だね。………私なら、その続きを行えるとは思うが」


 チラ、とこちらを見る。眼鏡の奥の紳士な瞳。

 どうするかい?――とまったくの善意で聞いてくださる。しかも断るのが後ろめたいぐらいの微笑みだ。

 実際、俺はこういうのには弱い。

 セールスの押し売りにも弱い。

 いや、別にグレーテルを信じてないとかではなくて。彼女がやってこない不安を誤魔化そうとしたワケで。

 頼れるのなら、頼ってしまいたくなるのが人情という話。


「えっと……じゃあ。お願いします」


 というワケで。

 我が家に二人目のエクソシストさんをお招きすることになったのだ。

 

「ふむ。これは酷いな」

 

 部屋に入り、室内を見回すなりの第一声。

 室内の空気を感じ取ったのか。眉を寄せて、鼻をつまむ神父さん。いや、そこまで酷いですかね。


「君、そこの椅子にでも座っていたまえよ」


 スタスタと歩いていき、苦しげな寝息をたてている母さんの傍(そば)までよっていくルチアーノ神父。

 俺はその斜め後ろに立って、二人の様子を見守っていた。見守っていたかったんだけど。


「手短にいこう。ゴミ処理は早いに越したことはないからね」


「ハ……?」


 ほがらかな口調のままトンデモナイことを言って。

 神父さんは―――懐から。

 大ぶりの刃物を取り出していた。


 ―――ゾクリ、と。


 ソレが――窓際の月明かりに照らされる、ソレが。

 短刀(ナイフ)のように加工された槍の穂先と気付いた時にはもう、彼は刃を振りかぶっていた。


「ちょ、アンタ!」


 反射的に男の腕を掴む。

 本能が叫んでいた。グレーテルの時とは話が違う。

 感じたのは仄暗い寒気だけじゃなく。

 

 害意、悪意、侮蔑、嘲弄、絶望、殺気、殺意、殺意、殺意殺意殺意―-!

 

 これはヤバい――ホントウの本当に、この男は母さんを殺すつもりだ!

 腕だけじゃダメだ。このまま押さえ付けないと―――と勢いをつけた身体は。


「座れと言ったはずだ!!」


「―――っっっ」


 胸への重い衝撃と共に殴り飛ばされていた。背中を強く本棚にぶつけて、落ちてきた本に潰される。

 人間一人を軽々と飛ばすなんて―――こいつ、なんて怪力……!

 

「――ク……ソ」

 

 心臓と肺を打たれたからか。

 声が出ない。呼吸が難しい。耳がキンキンしてウルさい。心臓がバクバクと嫌なオトを立て続けている。


 無様にも、立ち上がることさえできやしない。


 ――なんなんだ、これは?

 ――コレはいったい………なんなんだ?


 頭に浮かぶいくつもの疑問符。

 その疑問と同じだけの痛みの情報。動いてくれない全身の筋肉。

 その姿を神父―――いや、神父のような男は見下ろして。苛烈なほどに。アクマのように嗤っていた。


「わからない……という顔をしているな少年。では、お答えしよう!」


 大仰に両の手を広げ、まるで舞台の演者のように。

 その男は、その素晴らしき善意を語り出した。


「私の仕事は異端(アクマ)をぶち殺すことだと言ったろう?

 異端(プロテスタント)の異端(しぼりカス)である貴様らをぶち殺すのは至極、当然のことだ。

 まさか我々の神が異端である貴様らに慈悲を与えるとでも思っていたのか?  

 まったくなんという勘違いだ!

 貴様らがこの地で育んだモノが貴様ら自身を苛んだ。左手で悪事を行いながら、右手では神の愛に縋り付いた。

 それが冒涜でなくてなんなのか。実に欲深いね。深すぎて底に穴が空いている。

 人間というより最早サルだな。自らの悪行によって死ぬのは道理だよ、極東のサルめ」

 

 一人でに。

 愉快気に語られる凶気。

 狂った信仰からくる、意味不明な言葉の羅列。

 

 ―――何を言ってるんだ、コイツは?

 

 たぶん信仰上の問題を熱く語っているんだろうけど。

 ユダヤ教とキリスト教の違いもよくわからない自分には何がなんだかわからない。

 ただ一つわかることは……。


「この女はもう死ぬことでしか救われない。永遠の炎に焼かれぬように善意で殺してやってるんだ。いいから御母堂と共に感謝して死ね、クソ餓鬼」


 それはこのままでは母さんは死に。僕もまた殺されるということ。

 再び、ルチアーノは切っ先を振り上げた。

 狙いは間違いなく母さんの心臓。

 

 今度こそ―――男の笑みは絶頂に達していた。

 

 

 …………

  

 

 身体の内側が。ひっくり変えるような錯覚。心臓の奥底から―――全身を塗り替えるような血流の蠢き。


「おい……やめろよ。……おい」


 やめろ。やめてくれよ―――俺が。母さんが。何をしたって言うんだ? アンタはいったい、何をしたいんだよ? なぁ、おい。アンタの言うカミサマって言うのは―――こういうことを平気でするヤツなのか?


 なら。……それなら。オレは………。


「ヤメロって―――言ってんだろうが!!」

 

 邪魔モノを撥ね除けて、叫び(こえ)と共に立ち上がる。

 身体は動いた。心臓は動いた。

 足は震えていた。心音(こころ)は奮えていた。


 なんだよ、十瑠(オレ)。

 やればできるじゃないか。


「ふむ。まだ動くとは感心だな。この国の義務教育では護身術でも教えるのかな? これでも心臓を止める気で撃ったのだがね」


 睨みつける先。ルチアーノは嫌な顔を一つせず、俺を小馬鹿にして笑っていた。


「それは………どう、も」


 彼の目は、ゴミを見る目に違いなかったが―――事実、立ち上がっただけの自分に打つ手なんてあるわけがない。

 目眩と吐き気と、気の遠くなりそうな血の巡り。

 本棚に寄りかかるだけでも途方もない体力が必要だ。

 クソ。こんなことになるなら、

 

 せめて!

 せめて………!


「柔道の受身、マスターしときゃ良かったよ!」


「何を言ってるかわからんよ少年!!」


 その現実逃避の叫びが届いたのか――――がすん、と。

 ドアが大きく蹴り飛ばされた。

 

「ゴキゲンヨーウ。神父様(ファーザー)」

 

 金色の髪をした修道女―――グレーテルが立っていた。時間が止まり。凶刃もまた止まる。


 ―――なんてことだ……!


 俺は冷え切った脳ミソで絶望した。

 これ以上ないくらい最悪のタイミング。

 このままでは、彼女まで狂った神父モドキに殺されてしまう。

 昨日の安直な約束を今、猛烈に後悔した。


「グレーテル! 来ちゃ――」


 ―――ダメだ。と叫ぼうとして、声も止まった。動き始めていた全身が急速に硬直。見てしまったからだ。


 彼女の頬に一筋の―――血。

 そして彼女の背後の風が運ぶのは、鉄錆の腐ったような匂いと人肉と脂の焼ける臭い。

 一日中、浸りきって染み付いた屍臭(かばねのにおい)。


「―――うっ」


 違う。

 それは悪魔やこの神父のような異常ではなく。

 明らかに。

 生の。

 人の、

 死肉の。

 吐き気を催すニンゲンの匂い。


 碧い目をした修道女は、たしかに自分の知っている彼女のはずなのに………いや、俺は彼女の何を知っていると言うんだ?


 アクマがニクイ、ガイコクからキタ、シンコウのヒト。

 グレーテルは?

 彼女は?


「貴様は―――いったい何者だ」


 それを訊ねたのは俺ではなく、隣で怒りを湛える神父だった。

 修道女はしずかに、微笑みさえ浮かべて。

 

「魔女です」

 

 短く言った。

 凍りついた時間の中で、少女は堂々と告げていた。


「そうコクハクしたのです」


 悪意のまったくない、善意のカタマリみたいな顔で。

「審問の結果、彼女(セシリア)は自らを魔女だとコウテイしたのです。涙一つ流さずに」


 ―――ダレカをコロしたのだと語っていた。


 それはきっと。

 心を壊すほどに惨たらしいことをしてきたのだと………何も知らない俺でもわかった。

 どこまでも柔らかな、どこか恍惚(うっとり)とした微笑みで少女は右手で神父を指さした。


「………あぁ、そしてアナタも魔女だそうですねぇ」


「―――ほぅ」


 それこそが決定的な一言だったのか。

 仲間を殺されたであろうことよりも、そのことの方が受け入れがたいと言うように。

 神父は額に青筋を浮かべて―――狂ったように吐き捨てる。


「この私が魔女だと? このルチアーノが? 秘跡をもって生まれたこの私が? 教皇領聖堂騎士(パラディン)の一角をなすこの魂が穢れていると?」


 部屋はちょうど三すくみ。

 自分の右側のベッドの前に神父が、左側の入り口にはグレーテルがいる。

 進展する状況に対して、自分はまったく動けない。

 僕は蛇に睨まれたカエル以下の―――障害物にすらならないデクの坊に成り果てていた。

 

「またまたご冗談を、お嬢さん(シスター)」


 嘲笑う声と、殺意の応酬。

 ――二人の間に張り詰められた縒り糸のような殺気。


「ぶち殺してやるから、そこを動くなよ」


 その声が耳に届くと同時に。

 ガキン、という金属音。

 男の振るった短刀が―――飛来した金属を弾いたのだと気づくのに二秒はかかった。

 頭のすぐ隣の壁に突き刺さった異形のオブジェ。

 いつか見た、巨大な針。

 氷を砕く錐のようでいて――こびり付いた赤が何を刺してきたかを暗示していた。


「………ッ」


 それに目を奪われている内に、少女は廊下を駆け出し―――玄関を抜け、夜天の下へ。

 狂った神父もまた獣のような俊敏さで、外に躍り出ていった。


「チクショウ……いったい全体、何がどうなって……」


 静かな室内に残される。

 無様にも、壁伝いに身体を玄関まで引きずっていくことしかできない。

 そんなモノが彼女たちに追いつけるはずもなく、山間に消えていく、二つの影が見えた。

 

 人の範疇にない――夜闇の使者たち。

 よく知らないセカイの、わけのわからない戦いの一端。

 

 玄関に倒れて―――憎たらしいほどに輝いている夜空に問いかける。

 この現実が。いったいどういう意味なのかを。

 あの悪夢の光景が―――意味するモノがなんのかを。

 あれは、アレが――

 

「ア、化け物(アクマ)………なのか?」

 

 思わず漏れた声。

 自分がを指していったのかを―――自分自身、理解できていなかった。

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る