境界にて 2
周囲に林が広がる中、星と暗がりに浮かび上がる二階建ての陰影(シルエット)。
その少女――グレーテルが丘の教会にたどり着くまで、そう時間はかからなかった。
町の中心から少し離れた丘の頂上。そこからは一部とはいえ、深夜の太平洋さえも見ることができる。
少女が鍵のかけられた教会の扉を無理矢理にこじ開けると、内側からは鉄錆の腐臭が溢れ出してきた。
「―――なんてこと(Donnerwetter)………!」
思わず漏れた声。
乾ききった血と臓物。人間の乾いた死体。少なくとも三日前には行われていた惨殺の所業。
悲劇の痕跡を見て、少女はわずかに歯ぎしりをする。
この場所で起こったことがなんであるか。グレーテルには理解できていた。
故の苦悶。
故に、彼女は死んでいった者たちの為に祈った。
「――AMEN――」
その小さな声に。礼拝堂に潜んでいた者が反応する。
ゆっくり、最前列から立ち上がる人影。
その後ろ姿は線の細い修道女のものであった。
「アナタは………」
その後ろ姿にグレーテルは生存者をわずかに期待したが―――振り返った女性の顔を見て、その希望はあっさりと打ち砕かれた。
「対象確認」
黒髪に、青の瞳。首に下げられたロザリオ。
彼女はグレーテルの真正面。礼拝堂の中央の道に立ち、少女の姿を観察する。
「――――」
停止した表情は、すでに人間のものではない。
常軌を逸した宗教的教育と洗脳。
これは人智の限りを尽くして造り変えられた人の容(かたち)をした操り人形。主の敵と定められたモノを討ち滅ぼすだけの一本の短剣に成り果てた器物(モノ)。
その少女が右手にもつのは、純銀で作られた先端に茨状の刃を持つ棍鎚(メイス)。切り裂くと同時に、血肉を抉り苦痛を与える凶器そのものであった。
「目標。異端者(プロテスタント)。神罰代行―――執行します」
呟きと同時に、青眼の修道女は常人なるざる脚力をもって、駆け出し――――その一閃を振り上げる。
最前列から最後列までおよそ二十メートル。それは一拍の間なく消え失せた。
「イヤ―――――!」
眼前に迫る狂刃。
憐れな子羊には両の手をつき出して、身を守ることしかできなかった。
………。
…………ズ………。
……ズズ…………ズズズ…………。
堂内を引き摺られる無抵抗な身体。
数分もしない内に、礼拝堂には新たな悲鳴(おと)が生まれる。
肉が潰され、刺され、焼かれる音。
苦悶と恥辱の果ての呻き。
擦り切れ、枯れ果てるほどの死を望む絶叫。
その叫びは再び太陽が登りきるまで。
丘の麓まで響いていた。
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