/2 神はともかく宗教勧誘は信じません

 

 僕の前に現れた金髪の少女――歳は見たところ十四くらいだろうか? 外人の見た目はよくわからない―――は修道服を着ていた。

 テレビで見たことがあるような紺の地をした定番(テンプレート)な修道服。金色の髪と光る碧い瞳。可憐な少女が笑っている。

 あまりのリアリティのなさに、何度も目をこすってみたけれど―――その姿が消えることはない。

 どうやら、幻覚の類ではないらしい。

 そして多分、幽霊でもないみたいだった。


「ダイジョーブですかぁ?」


 うわずった日本語とともに、少女は右手を差し伸べてくれる。

 ………あれ?

 その手には何もない。殺人に使えそうな錐なんてない。

 

 さっき見えた針みたいなのは、目の錯覚だったのか?

 

 多分―――目の錯覚だったんだろう。

 最近、かなり疲れてたし。


「ど、どうも」


 差し出された手を借りて立ち上がる。動くのにはそう苦労しなかった。派手な飛行(ダイブ)のわりには擦り傷と軽い打撲だけで済んだみたいだ。


「いぇいぇ」


 シスター少女はまたしても、素敵な笑顔。


 ―――ぐふ。なんだこの胸の痛みは……!


 堪えかねて、あわてて目を逸らした。

 見れば、自転車は田んぼの溝にぶち込まれて、虚しく車輪を回していた。泥に頭からつっこんで、引き上げるのにも一苦労しそうな無様な死体だった。

 一体何が車輪に引っかかったのかはよくわからないが、原因を究明している場合ではない。

 状況的には、俺はこの子の声に驚いて逃げ出して、その自転車でコケたということになるのだ。

 あげく、その少女に手を貸されるという始末。

 かなり恥ずかしい話だった。


 クソ!

 手ぇ柔らかかったなぁ!

 

 本当のことを言ってしまえば―――僕は女の子が苦手なのだ。

 学校では掃除を押し付けられる時とプリントをもらう時しか女子と会話はない。転校生で帰宅部で、おまけに根暗な俺はどうあっても女子とおしゃべりなどできるはずがないのだ。

 もう一年近くそんな感じなのだ。

 日本人相手でも苦手なのに、いきなり外国人の少女と――それもこんな恥ずかしいシチュエーションで話すことになるなんてハードルが高すぎる。

 しかも、すごい笑顔だし。

 馬鹿にされている可能性もあるし。


「お。お嬢さん。今のは見なかったことに――?」


 ふと疑問がよぎる。

 もう一度、その少女をチラっと見てみた。

 背丈はこっちよりも一回り小さく、やはり相当若い。

 中学も出ていないくらいだろう。しかも荷物は手提げカバンが一つだけ。

 

 なぜこんな寂れた町に、外国人がくるんだ?

 観光?

 いや、そんなはずはない。

 この町に――昨年合併して市になったとはいえ――観光名所なんてない。水族館モドキのなんちゃってご当地スポットがあるくらいだ。近くの海岸だって、ビーチというよりはただの砂場である。

 唯一誇れるのは、センチメンタルになるほどの星の輝きだけだ。

 既にして深夜。夜の十時は回っている。

 悪魔や幽霊じゃないにしても、この歳の少女が出歩くのはおかしい。

もしかして………親御さんとはぐれたのかな。


「あの……。もしかして、迷子なの?」

「ハイ。ワタシ、迷える子羊です!」


 なんともハキハキとした受け答え。発音はともかく、日本語は堪能なご様子。


「さっき呼んだのですが。アナタ、とまってくれなかったので」

「あー。そうだったの? うん。気付かなかったよ」


 とまってくれなかったので、謝れとでも言うんだろうか?

 見かけによらず図々しい子だな……。

 しかし、迷子とあれば仕方ない。

 僕は女の子は苦手だが、困っている人はほっておかない紳士なのだ。

 いや、さきほどのビックリ人間ショーをウヤムヤにしようというわけではなく。 女の子に話しかけられてドキドキしてるだけなのだ。


「僕は真瀬十瑠(まなせとおる)って言うんだ。この辺りに住んでるんだよ。君は? 何か困ってるみたいだけど?」


 ズッコケたとはいえ僕は紳士。

 努めて、やわらかい口調でコンタクトを試みる。

 すると女の子は妙に畏まった敬礼を返してくれた。

 

 ――なぜに軍隊式?


「ワタシ。『グレーテル』と呼ばれております」


 メルヘンな名前だった。


「では、トールさん」


 北欧の神様みたいに呼ぶなよ、と思った矢先。

 彼女は大きく息を吸い込んだ。

 嫌な予感がした。


「アナタは神を信じますかぁ!」

 

 ………。

 ……………。


「失礼します」


 回れ右。

 ―――風になろうと思った。

 少女は宗教の人だった。

 見ればわかるけど宗教の人だった。

 最早、相手の目的は明白。

 見た目がかわいらしいから油断したが―――彼女は夜中に青少年をイケナイ世界に誘う宗教の人だったのだ。

 きっとホイホイとついていけば最後。身も心も洗脳されて新興宗教とかに入信させられるのだ。そして人生をハゲの教祖に捧げるハメになるのだ。財産を分配し、月一の集会に参加し、信者を集めるノルマを課せられ、順調に地位を上げ、教祖様の決めた結婚相手であるこの少女と明るい家庭を築いてしまうのだ。そうだ。息子の名前はヘンゼルにしよう!

 ………騙されない。

 僕は甘い誘惑には騙されないぞ。

 こちとら神も悪魔も間に合ってるんだ。――今更、厄介なネタを持ち込まれてもたまったもんじゃない。

 早々に立ち去ろうとする僕。

 しかしすぐに右腕を掴まれる。

 

 ―――最近の勧誘は強引だった。

 

 内心ビビリながら振りかえると、少女グレーテルは上目遣いにこちらを見ていた。

 まつげ、長いな。

 あと顔、近いな。

 なんだか。

 騙されてもいいような気もしてきたな。


「アナタは悪魔を信じるんでしょう? だったら神様だっていますよぉ」

「む。たしかに……一理ある」


 妙に納得させられてしまった。

 たしかに悪魔というのは神様の敵なワケで。

 悪魔に取り憑かれたとしか思えない母さんを見ている以上、神様がいると考えるはごく自然の流れだ。

 いや、それとこれとは話が同じなのかわからないけど。

 悶々と悩み始めた僕に、グレーテルはまたニッと屈託のない笑みをみせた。


「お話は聞いておりました。悪魔がツいてるお母様をぶっ殺してやるとか!」

「母さんをぶっ殺してどうすんの!?」

 

 というかやっぱり、僕の恥ずかしい独り言を聞いてたのか!

 うわぁぁぁ………死にてぇよ。

 すごく死にてぇ。

 聞いていたのならせめて、ほっといてしてくれよ……。


「とにかくですねぇ。神を信じるアナタにワタシが力になるのですよ」


 力になる……と、少女はまた変なことを言い始めた。

 いや、変といえば、最初からそうなんだけど。


「悪魔がニクいのはみな同じ。それをやっつけるのがワタシの仕事です!」


 堂々と胸を張るグレーテル。張るほどの胸もないのがおしかった。おしいけれど、でも、彼女の言葉は実に聞き捨てならないものだった。

 力を貸してくれる。

 悪魔を憎んでいる。

 ヘンテコな修道女。

 それまでの疑問が一本の線につながった感じがした。


「まさか、君。悪魔祓い(エクソシスト)……?」

「エクソ……?」


 質問に対して、彼女は『アー。ウー。』とよくわからない声を出して。


「……おおよそ、そんなヨーナ者です」


 しまいには雑に返した。

 雑ではあったが、それは肯定に違いなかった。


「これは……もしや?」


 いや、これはもしや天啓なのではないか。

 迷える僕に差し向けられた天使であるところの彼女なのではないか。

 数々の霊能者に騙され、母を救えず、未来に絶望していた俺に神様が与えた救いの手であるところの少女がけっこうチャーミングということなのではないか?


「バリバリやりますよー! 燃やしますよー!」


 少女グレーテルは急にシャドーボクシングを始めた。

 風を切るほどの強烈な右ストレート。

 すごく元気な子だった。

 悪魔に物理攻撃が効くかは甚だ疑問だった。


 でも、なんだか。

 この不思議な女の子ならやってくれるような気もしていた。

 

 そのあと、少し詳しい話を聞いてみた。

 迷子といえば、本当にそうだったらしく。

 グレーテルは海を渡って――お金のかからないように貨物船に乗り込んで――この町にきたらしい。

 さる人物を探して、当てもなくさまようこと三日。

 外国の迷子というのはスケールが違うなぁ、と感心したものだ。

 そうして偶然、通りかかった僕に声をかけたというのがそれまでの足跡らしい。

まさに運命。

 彼女に出会うために、僕は七人の霊能者に罵倒され、自転車をスクラップにしたに違いない。

 

 不吉な針のイメージはこの時にはもう存在していなかった。

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