/1 エクソシストがやってきた
「アクマぁ!? そりゃアンタ専門外だよっ!」
罵倒が飛んできた。
行者っぽい服装で、腕に数珠を巻き、カラフルな御幣をふっていた霊能者のサチヨさん(七十八歳)は母さんの写真を見るなり、血相を変えたのだ。
そして手にした御幣やら、そこいらにある米びつやらを投げつけてきた。
僕は飛来物をなんとか躱しながら、説得を続ける。
「あなたしかいないんです! 稀代の大霊能者サチヨ様! お願いします!」
「この人、白目剥いてるよ、アワ吹いてるよ、恐いじゃないか!」
「それをなんとかして欲しいんです! お金ならなんとかして払います! だから会って話だけでも!」
「襲ってきたらどうすんだい! ひゃー!」
サチヨさんは癇癪的(ヒステリック)な叫び声をあげるばかりで、こっち話なんて聞いてくれない。
稀代の大霊能師がここまで狼狽えるとはビックリだった。
「そこをなんとか! ブログでも妖怪を念動力で倒ししてたじゃないですか!」
「妖怪は専門だけどね。悪魔なんて知らないよ! あたしゃ、聖書なんて分厚い本は読めないんだよ!」
と言って、しまいには清めの塩っぽいモノを投げてきた。目に入った。
「帰れ! 帰れ! 教会にでも行け、このタコ野郎!」
「ちょ、痛いっ! 塩分が染みる!」
イタコは貴女ですよねっ!? と返す余裕もない。
これはもうダメだ。説得は失敗だ。
命からがら、その山沿いのお堂を出るしかなかった。
サチヨさんの帰れコールを背中に受けながら、自転車に飛び乗って、月夜の街道に逃げ出したのだ。
今回でちょうど七人目。
母さんに憑いた悪魔は稀代の大霊能者・鬼(おに)烏帽子(えぼし)のサチヨさんにも手に負えないようだった。
もう七回もそんなことを繰り返している。
ネットで調べた近所の霊能者たちは尽くが撃沈した。
あいつらときたら話を聞くだけ聞いて、いざその写真を見ると怖気づいて逃げ出しやがるのだ。
それは紛れもなく、彼らがインチキ霊能者である証拠なんだけど―――でも、本当にもう打つ手がないのも事実だった。
一週間前。パートの仕事中に母さんが突然倒れた。
それからおかしくなった。
奇声をあげるし、泡を噴くし、視えない敵と戦うし。罵詈雑言も撒き散らした。
完全に壊れていたのだ。
最初は僕だって、悪魔が憑いたなんて思っちゃいなかった。
だからいろんな病院にいって、内科だの、精神科だの、産婦人科の先生にきてもらったのだ。
ところが医者の全員が原因不明だと匙を投げた。
狭い町だから病院なんて全部回ったし、中央の方に連れて行こうにも手段がない。
そんなある日、室内を踊り狂っている母さんがたまたま床に転がっている本を踏んで、跳ね上がったことがあった。その後、少しの間だけ大人しくなったのだ。
それがいわゆる『聖書』というヤツだった。
―――というワケで悪魔憑きと判明したワケである。
昔、映画でも似たような話をみたから間違いない。あの話では悪魔が憑いたのは少女だった気もするけど。熟女に憑く悪魔がいたっておかしくないのだ。
人間だって色々な趣味の人がいる。だったら悪魔にだって色々な趣味があってもおかしくないのだ。
そんなだから頼れるのはもうアンダーグラウンドな人たちだけなのである。
ちなみにサチヨさんは教会に行け、と叫んでいたけど、それはもう無理な話だ。
この町に一つだけある、丘の上の小さな教会。
家から何キロも離れていたが母さんはよくそこに通っていた。
だから力を貸してくれるだろう――と頼みに行ったんだけど、教会は人気のない静けさだった。
つまりはもぬけの空だったのだ。
電話してもでないし。近所の人に話を聞いても何も知らないらしくて。
まぁ、こんな片田舎の教会に本物の悪魔祓い(エクソシスト)がいるはずもないんだけど。
「夜逃げしたのかなぁ。僕も夜逃げしたいなぁ」
月明かりは人をセンチメンタルにさせるのだ。どんどんと気持ちは沈んでいく。
キコキコと錆び付いた音を鳴らす車輪。
田んぼに挟まれた寂しい道に自転車を引いて行く。
道のりは遠い。
家につくまでにはタップリ一時間はかかるだろう。
その一時間が今の自分にとって数少ない安らぎの時間かもしなかった。
家に帰っても、待っているのは絶望だけなのだ。
ベッドに縛られて白目を向いた母がピーピーガーとか言うのだ。
深夜に奇声をあげるので、なだめにいくハメになるのだ。
あられない母の姿を見て「お、おう」とどうしようもない空気になってしまうのだ。
せめて。
せめて―――初めて見る女性の裸は母親以外が良かったのに……
「憂鬱だ……僕の青春は、灰色じゃないか……」
この田んぼだらけの中に自分の意識が薄れていく。
俺はこれからキチガイみたいになった母を看病しながら生きていくしかないんだろうか?
単純に、こんな日々がいつまでも続くことに堪えられそうもなかった。
例えば十年後もあのままだったりするんだろうか。
………。
堪えて生きている将来の自分の姿がありありと浮かんでしまって、余計に凹んだ。
ひとっ子一人いない夜の道。
夜の風の冷たさが、サチヨさんにかけられたお神酒(みき)で濡れたシャツ越しに伝わってくる。
骨が軋むような寒さだ。ついでに、心も軋んでいた。
世界にひとりぼっちの自分。
よそ者の俺たちには、相談できる相手もいない。
やってられない人生の虚しさよ!
だから俺は叫ぶのだっ!
「オー、ゴッド! なぜ僕にだけこのような試練を与えるのですか! 母さんに憑いた悪魔はいつ消え去ると言うのですか!」
無論、僕は神様なんてこれっぽっちも信じちゃいない。
だから、こうして叫んでるのは割とヤケクソになっているからだ。
ウガー! ヌガー!
「ガッデム! ガッデム!」
あ。ちなみにガッテムというのは『God Damn』の略で、『神様、恨んでやる』という意味らしいです。
日本語的にはチクショー、といったニュアンス。
しかし、こうして冷静に考えると少しおかしい。
恨む相手が違う気がする。
神様が悪いというよりか、悪魔が悪いのではなかろうか? なにせ悪だし。
よし。恨むのなら悪魔にしておこう。
「死ね! 悪魔野郎! バカ、アホ! 死ね!」
夜の道には声がよく響いた。
すごく気持ち良かったけれど、遠くまでいってわざわざ戻ってきた自分の声に虚しくなった。
「ハァ……帰ろう」
虚しくなったので、帰ることにした。
自転車に跨って、ペダルに足をかけた時。
「まぁ!」
声がした。
具体的に言うと、十数メートル後ろから声がした。
「………ん」
しかし、これも考えてみればおかしな話だった。
ほんのついさっきまで、後ろには誰もいなかったのだ。誰かがいたのなら、あんな恥ずかしい絶叫なんてしていない。
つまり―――幻聴か。
「オーイ!」
「ソコのニッポンジーン! とまってくださーい」
「オーイ!」
脳内に流れるキャンキャンとした声。
甲高い女の声だ。しかし、こんな夜の田舎道に女の子がいるはずがなかった。
この辺りには年寄りしか住んでいないのだ。
おそらくは悪魔が使う毒電波の類に違いなかった。
振り返るな。
やられるぞ!
ピーピーガー!
ピーピーガー!
心の中に鳴り響く警戒音(アラーム)。
身体中が武者震いに震えている。
いや、怖いとかではないんですよ。
この辺りはその昔、通り魔事件があったとかないとか、
そういう話を思い出したわけではないんですよ。
犯人はまだ捕まっていないとか。被害者は二十二歳女性。東京からの帰省中にその事件は起こったとか。
その女性の幽霊がこの辺りで自分を殺した相手を探して夜さまよってるとか。そんなような話は。
よし。
――このまま風になろう。
「風になろう!」
声が聞こえてから行動を起こすまでわずか五秒。
自転車のペダルに足をかけ、全速力で漕ぎ出した。
そして、そのまま風になる。
「…………あれ?」
つもり、だったんだけど?
ガキン、と。
前輪が何かを噛んで、止まった。
止まっただけなら、よかったのに―――なまじ勢いをつけたのが災いした。
前輪だけが急に止められると、自転車というのは後輪が跳ね上がる訳で。それはもう瞬間最大加速を目指した俺の自転車は綺麗に垂直まで跳ね上がって。
気づいた時には。身体は宙に浮いていた。
「え、ちょっ? ちょちょー」
あまりに唐突で、離脱不能。
こんなことなら中学時代に柔道の受身をまじめに練習してれば良かった――
ドンガラガッシャーン。
一瞬のあと。
地面に転がっていた。全身が痛かった。何が起きたのかよくわからなかった。
東北の片田舎。
田園に囲まれた先も見えないような一本道。
汚れちまったTシャツとジーパン。
それは本当に、自分には不釣り合いな奇妙な出会い。
見上げた先には月ではなく。
「コンニチハ」
覗き込む白い顔があった。
少女が立っていた。
金髪だった。外人だった。
歯をみせて、ニッと笑う顔が可愛かった。
シスターだった。
その手にはキラリと光る、太い針のようなものをもっていた。
すごく、ドキドキしてしまった。
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