Apical Radical Evagerical

超獣大陸

境界にて


✝✝ 0 ✝✝

 

 教会の扉が開かれる。

 ―――カツン、と。

 高らかにブーツの音を鳴らしながら、一人の西欧人が深夜の礼拝堂に足を踏み入れた。 

 男は神父だった。

 それと人目でわかる司祭服(カソック)。まだ三十路には満たぬ若さ。細身で身長は高い。眼鏡越しの切れ長の目は涼しく、口元には柔和な笑みさえ浮かべていた。


「なぜお前たちは悪徳を誇るのか。聖寵は、いつなれど共にあるのに」


 彼の声には憐憫があった。言葉は堂内に満ちた数多くの雑音を呑んで、一際強く反響する。


「欺く者らよ。その舌は破滅を語り、その鋭利をもって裂傷を生む。汝らは善より悪を。真義を語ることなく、偽りにこそ親愛を抱いた」


 周りには目もくれず中央の教壇へと足を運ぶ。


「欺瞞の舌よ。偽りの言説を愛するなかれ」


 地を這う者どもに教え諭すような。あるいは、聖なる詩を紡ぐような流麗さ。  教壇の眼前まできて神父は足をとめた。それを一瞥して、瞳を細める。

 そこに宿るのは憐憫だけでなく―――侮蔑と嫌悪。


「――あぁ、しかし、すでに時は遅かった。この地に神罰の目が届いたのだから」


 唐突に。彼は教壇を蹴りあげた。

 木を軋ませ、罅は走らせながら、重さ数キロの塊が吹き飛ぶ。そして壁にぶつかり、鈍い衝撃とともに粉砕された。

 神父は笑っていた。そしてそれ以上に怒(いか)っていた。


「故に、主(しゅ)は貴様らを尽くまで粉砕し、打ち滅ぼし―――生(いのち)の演壇より叩き落とした」

 

 彼は振り返り、堂内の惨状へと目を移す。


「貴様らはすでにして生者にあらず。地を踏むことあたわじ。まったく完全に、根こそぎに死ね」


 そこにはもう―――朱(あか)に染まらぬ場所などなかった。

 血と肉と阿鼻叫喚の地獄絵図。

 手足を失い、地面を這う老人の亡骸。椅子に腰をかけた首のない女性。壁に脳漿をぶちまけて散乱する子どもたちの肉片。

 十数人の千切られた肢体が―――死体となったモノが辺り一面に散乱している。

 災害によっては引き起こせない、人口の惨劇。

 殺戮という人災の境地。

 それをわずか数分でなしたのは礼拝堂の一番前、右端の席に腰かけていた一人の修道女だった。

 彼女もまた異国人。

 青い瞳は何も思うことなく影に沈んでいた。

 どこまでも澄ました、感情の死んだ表情と―――その膝上に置かれた巨大な鎚矛(メイス)。

 二メートル近くあるその柄物は所々が挽き潰した人間たちの血と脂で濡れ光り―――その先端にはまだ一人だけ引っかかっていた。


「ご苦労。君――ソレを投げてよこしてくれるかな?」


 神父の言葉に修道女は、恭しく一礼した。

 そして、まだ息をしている―――息を続けているだけの初老の肉塊を彼の前に投げ捨てる。

 四肢の骨と肉を叩き潰され、ただ脳髄だけを活かされた男の頭を神父は乱暴につまみ上げ、頬を打ち、意識を無理矢理に覚醒させる。そうして、これ以上ないほど柔らかな微笑みを浮かべた。


「ご機嫌よう。牧師様。猿山の大将はさぞ楽しかったでしょうなぁ」


 恐怖と苦痛に歪んだ初老の男には――かつてこの礼拝堂で見せていた威厳など欠片もない。


「あ、あぁ………アク…マ…」


 わずか数刻で行われた人ならざる所業と、今なお続く悪夢。かつて牧師だった男は目の前の現実に堪え切れず呻きを漏らした。

 神父はその暴言に―――眉一つ動かさない。


「貴方がそれを語るには少々皮肉が過ぎるでしょう。貴方はここにアレらを飼う連中を匿っていたはずだ。それこそ神に対する冒涜だ。信徒を自称するならば、せめて連中の行き先ぐらいは教えていただきたいものですが」


 丁寧な口調で、しかし、絶対に答えざるをえない圧力を込められた問い。その審問に対抗する意思など死にぞこないには残っていない。


「し、しらない! 何もしらない!」


 しらない、しらない、しらない―――と壊れた電話機のように同じことを繰り返す。

 その様子に嘘はない。この男には『連中』の指す対象さえ、理解できていないに違いない。

 ―――何も知らずに行っていた所業の罪深さをこの男は理解さえしていなかった。

 神父の瞳はその密会(サバト)の主を冷たく見据える。

 憐れで、愚かで、赦しがたい。

 故に、牧師だった男の末路はすでに決まっていたのだ。


「そうですか。では、もう用はありません。貴方も救ってさしあげましょう」


 その慈悲の声に。

 牧師が狂喜に――神への感謝ではなく生存の狂喜に――顔を上げるよりわずかに早く。


「父と子と聖霊の御名(みな)において」


 男の右手が小さな十字を切る。

 眼鏡の奥の瞳が――ひどく静かに嗤っていた。

 

『―――AMEN(エイメン)―――』

 

 祈りの言葉とともに修道女が断罪の刃を振り下ろす。

 一瞬の響音。飛び散る最後の断末魔。

 神父の言葉の通りに、異端の徒は偽りと魔性から解放されていた。

 

 それは世界の隅っこ。

 東の果て―――その果ての地で起きた小さな虐殺。

 

 この町の日常は、徐々に―――だが、確実に侵食されていく。

 

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