104 好みの焼き加減はミディアムレアです
地下迷宮都市ニダベリルは多層構造になっていて、時計台広場の吹き抜けを登ると、簡単に最上部に到達できる。
「よっと」
時計台の窓から壁に設置してある非常用梯子に飛び移り、俺は壁をよじ登った。
イヴァンが窓から身を乗り出して「ゼフィ、無茶はするな!」と叫んでいる。
「へーきへーき!」
ニダベリルの外に群がっているモンスターは、地下最下層の迷宮からやってきたので、一番下にいるのだ。だから俺は、一番上の階層から奴らの上に飛び降りるつもりである。
「出入口は、無ければ作ればいい!」
愛剣・天牙をふるって、壁の一部を切り崩す。
ヒュウと風が吹き込む穴が空いた。
「ゼフィ!」
クロス兄が突起をつたって、身軽に壁を登ってくる。
「兄たん、俺たちが通ったら、この穴を氷でふさいでくれる?」
「任せておけ!」
俺は天牙で空けた穴をくぐりぬける。
続く兄たんは、自分が通った後に氷で穴を埋めた。
これでモンスターがニダベリルの中に入ってこれないだろう。
「
モンスターの群れに飛び込みながら、剣を振るう。
一回目の切り込みで着地の衝撃をやわらげ。
二回目の水平回転切りで、まとめて雑魚モンスターを薙ぎ払う。
突風で雪煙が立った。
着地した俺の周囲は、雑草を鎌で切り取ったように開けて、円の外側に切り倒されたモンスターの骸が散らばっている。
クロス兄がシュタッと俺の隣に舞い降りると、絶命寸前で未練がましく動いていたモンスターの切れ端が、白く凍てついた。
「久しぶりね、坊や……」
部下のモンスターが倒されたというのに、邪神ヒルデは動じない様子で、俺の前に進み出た。
前に会った時は人間サイズで、教会のシスターの恰好をしていた。
だけど今は人間の三倍近い身長で、上半身は黒髪の美女、下半身はムカデの化け物だ。
「あなた、ヴェルザンディを殺したんですって? 今度は同じようにはいかないわよ。対策して来たから」
「対策?」
「ふふ……私を斬ってごらん……?」
ヒルデは両腕を広げて、俺を手招きした。
ふわんと甘い匂いがする。
「うーん、なんか気持ち悪いから近づきたくない……」
「先に行くぞ、ゼフィ!」
「あ、兄たん」
俺が突撃するか迷っているうちに、クロス兄がヒルデに飛び掛かった。
ヒルデは笑みを浮かべて動かない。
「うがっ! 固っ!」
牙を射し込もうとしたクロス兄は「歯が折れそうだ」と引き返してきた。
「俺の牙が通らない。いったいどういうことだ?!」
「あははっ! 私は皮膚を
皮膚を超硬くしてきたのだと、ヒルデは高笑いした。
「ええっ?! そんな!」
俺はがっかりした。
「じゃあ焼いて食べられないってこと? 皮をちょっと火で炙ってパリパリにするのが美味しいのにー」
「ちょっと! 私は魚じゃないわよ!」
ヒルデは額に青筋を立てる。
「兄たん、食べられないなんて残念だね」
「そうだな。今回は諦めよう」
「ここまで来て撤退?!」
俺たちの言葉に、ヒルデは唖然とした。
クロス兄は「歯が痛い」とやる気を無くしている。
俺も今回の獲物は美味しくなさそうなので、戦闘意欲がなくなってしまった。
あの辺でこっそり逃げようとしているカトブレパスを狩って、あとは適当に帰ろうかな。
その時、カタリと音が鳴った。
音の方向を見ると、閉じたニダベリルの門の前、
「……た、助けて」
逃げ遅れて、街の中に入り損ねたのだろう。
子供はおびえた表情で、ヒルデを見上げている。
「あら素敵な子供。いたぶって殺せば、ページ数は少ないけど、印象的な本になるかしら?」
ヒルデは子供の方に向きを変えた。
クロス兄が唸りながら俺に警告する。
「……ゼフィ。戦えば、お前のその"牙"が折れてしまうかもしれないぞ」
「そうだね」
俺は迷いながら剣を握り直す。
ヒルデを倒す方法は、何も剣で斬るだけじゃない。工夫すれば、ニダベリルを守る方法は真正面から戦う以外にもあるはずだ。
だが今、子供を守るためには、剣を振るうしかない。
「私のことは気にしないで」
「メープル……?」
空色の髪に黄金の瞳をした、半透明の少女が俺の肩口に現れる。
天牙に宿る剣の精霊メープルだ。
「剣は折れるものよ。だけどたとえ折れたとしても、戦うために使ってもらった方が、私は嬉しい」
メープルは微笑みながら、俺の剣を持つ手に重ねるように、手を伸ばした。
俺は逡巡する。
「修理できるか分からない。もう二度と会えなくなるかもしれないのに……」
「大丈夫よ。だって私とあなたは、また巡りあえたでしょう? 剣を失っても、心が折れても、もう一度最初から始めればいい。何度でも……戦って、私の
覚悟を決めて、俺は天牙を上段に構える。
息を吸い込みながら地面を蹴って踏み込んだ。
「はあっ!!」
子供に手を伸ばそうとしてるヒルデを追撃する。
ヒルデの腕に天牙を叩きつけた。
何かに引っ掛けたように、重い手応え。
一拍の後、ヒルデの白い腕に斜めの線が入り、ずるりと下に落ちる。
「嘘っ、私の腕が!」
切れた。
俺は少し安堵しながら、一回転して子供の前に着地する。
動揺するヒルデに向かって剣を構えなおした。
パシリ。
小さく繊細な音が耳に届く。
天牙の刃に亀裂が走った。
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