86 バッドエンドはお断りです

 ルーナに「お母さん」と呼ばれた女性、ヒルデは笑顔を消した。

 

「訂正なさい」

「へ?」

「お母さんではなくお姉さん! もしくはシスターと!」

 

 こだわるとこ、そこ?

 

「なあルーナ、この人お前の母親なのか?」

「さっきはそんな気がしたけど、やっぱり違うと思うわ。ええ絶対違う! 私の言葉は無かったことにして」

 

 ルーナはぷるぷる首を横に振った。

 えらく念入りな否定だな。

 

「悲しいわ、ルーナ。私のことを無かったことにするなんて。今すぐ訂正してシスターと呼ぶなら、許してあげてもよくてよ」

 

 一方のヒルデは、母親だと肯定しているようだ。

 

「ヒルデさん。ルーナとどういう関係?」

 

 俺は直接、聞いてみた。

 

「ルーナは、私がエーデルシアにいた時に、教団で育てていた孤児の娘ですわ」

「教団?」

「そうね、人間たちには邪神教団と呼ばれていたわ」

「!」

 

 イヴァンが緊張した表情になる。

 きょとんとしている俺に口早に補足した。

 

「エーデルシアの教団は、邪神復活を目指して活動していた。俺が子どもの頃に邪神が復活して、地上に亡者があふれだした。エーデルシア邪神戦争だ」

 

 俺の前世、無敗の六将が活躍した戦争である。

 ちなみにイヴァンは戦争中に行方不明になったから、俺の活躍は知らないだろう。

 

「私は運命の三女神と、いとこにあたるの。エーデルシアで彼女たちの復活を手伝った後、こうして地下に戻って好きな本を収集していた訳」

 

 ということは、ヒルデは邪神なのか。

 俺は周囲にぎっしり並んだ本に目を走らせた。

 

「ずいぶん沢山、本を集めたんだね。いったいどこから本を持ってきたのさ?」

 

 俺の疑問にイヴァンは目を見開く。

 そうなのだ。こんな地下迷宮のどこに本が転がっているだろう。モンスターならいっぱいいるけどね。

 書物は、地上の王国の限られた貴族や知識人が作る代物だ。

 

「あら。本はあるじゃない。面白い本が、沢山!」

「どういうこと?」

「この地下迷宮に堕ちてくる、運の悪い人間たち! その人生は読みごたえのある本に他ならないわ! ここに並べられた書物はいずれも、とびっきりの悲劇! 愛する人に再会できず、迷宮で朽ちていった人生の物語!」

 

 ヒルデは両腕を広げて力説する。

 

「あなたたちも素敵な物語を持っているでしょう。ここで本になって私を楽しませなさい!」

 

 うわ、この本棚の本は全部、本にされた人間なのか?!

 ひどいことするな。

 イヴァンが真っ青になってブツブツ言っている。

 

「今度こそ終わりだ。邪神が相手だなんて……ああでも、この身が書物になるなら本望か」

 

 お前、本好き過ぎだろ。

 どこの世界に本にされて喜ぶ人がいるのだ。

  

「いやっ! いやよ! クソババアの本棚に並ぶなんて」

「口が悪いわね、ルーナ。その少年たちを本にした後、あなたは罰として本棚の埃を掃除してもらうわ」

 

 ルーナとヒルデがさりげなく罵りあっている。

 こうして聞くと親子だって納得できるやり取りだな。

 

「素敵な物語におなりなさい!」

 

 本に挟むしおりが、鋭い刃になって飛んできた。

 あれが刺さったら本にされてしまう訳か。

  

「オギャアオギャア!」

 

 騒ぎに反応したのか、赤ん坊のローズがルーナの背中で泣き出した。

 その途端、空中を走る魔法のしおりがシュバッと消える。

 俺はまだ何もしてないぞ。

 ヒルデが仰天して言った。

 

「その赤ん坊、泣き声で消滅バニッシュの魔法を発動しているわね?!」

 

 えーーっ?

 ローズにそんな特技が。

 

「すごい。最強は俺かと思ってたけど、真の最強はローズだったか……」

「ゼフィお前何言ってるか分からないぞ!」

 

 動揺のあまり変なことを口走る俺に、イヴァンが突っ込んだ。

 

「赤ん坊は人生経験が少ないから本にしても仕方ないわね。こうなったら先に赤ん坊を殺しましょう」

 

 ヒルデはすぐに冷静になる。

 彼女の手の中に十字架の形をした銀の剣が出現した。

 

「そうはさせない!」

 

 イヴァンが細剣レイピアを抜いて、ヒルデの攻撃を受け止める。

 

「逃げろ! 俺は不老不死だから何とでもなる! だから……」

「友達を置いて逃げる訳ないだろ」

 

 俺の正体を知らないイヴァンは、自分が邪神を食い止めて俺たちを逃がそうとしている。俺は邪神なんかに負けないんだけどな。それに例え無力だったとしても、お前を置いて逃げたりしない。

 

「大丈夫、何とかなるよ」

「?!」

 

 俺が胸の前で広げた手のひらから、青白い炎がこぼれだす。

 ここは燃えるものが沢山ある。

 炎にふっと息を吹きかけて、近くの本棚に点火してあげた。

 ヒルデが焦った顔になる。

 

「や、止めなさい! ここは火気厳禁なのに!」

 

 そんなルールがあるなら紙に書いて貼っておけばいいのに。

 俺は燃え盛る炎の中で笑った。

 

「物語には必ず終わりがある。ここの本にされた人たちは、本棚から解放されて天に還る。ハッピーエンドだ」

「止めてぇーーっ!」

 

 剣を放り出して、ヒルデは本から火を消そうと足掻く。

 

「雨よ!」

 

 彼女の周囲に雨が降った。

 しかしそれでも俺の炎が広がる方が早い。

 あっという間に本棚は火の海になり、崩れ落ちた。

 

「アッチッチ」

「ゼフィ、加減しなさいよ!」

 

 エムリットが尻に火を付けてピョンピョンしている。

 ルーナが赤ん坊のローズをかばって身を屈めながら、文句を付けた。

 一方ヒルデは雨に濡れて幽鬼のような姿になっている。

 完全にキレた形相で頭巾をひったくった。

 黒髪がざわざわと逆立つ。

 

「おのれ……私が千年かけて集めた本を……絶対に許さないわよ!」

 

 俺は呆然としているイヴァンに「貸して」と言って、その手から細剣レイピアをそっと奪った。

 

「来い」

 

 細剣レイピアを正眼に構える。

 

「キエエエエエーっ!」

 

 雄叫びを発しながら、ヒルデは飛びかかってくる。

 その両手の爪が伸びて鋭く尖った。

 俺は剣で爪をサッと切り払う。

 軽くしゃがんで相手の視界から消えると、覆い被さるような体勢のヒルデのふところに潜り込んで、下から剣で心臓をひと突きした。

 

「ギャアアアアアア!!」

 

 ものすごい悲鳴。ヒルデの身体は、剣で刺したところから燃えて灰になった。

 俺が立ち上がると同時に、風が吹いて灰を吹き飛ばしていく。

 

「あ。ごめんルーナ、お前の母ちゃん倒しちゃったわ」

「……だからお母さんじゃないって言ったでしょ! それにその言い方、シリアスなのに気が抜けるじゃない!」

 

 細剣レイピアをイヴァンに返して、ルーナに一応謝った。

 ルーナは気にしてないようだ。

 イヴァンは周囲を見回して何かに驚いている。

 

「なんだ……?」

 

 炎が鎮火し始めるにつれ、燃えかすから人の形をした光が現れる。沢山の光の人影は、俺たちに向かって手を振った。

 そして案内するように、腕を一定の方向に向けて差し示す。

 

「行ってみよう」

 

 俺たちは顔を見合わせると、光の人影が案内してくれる方向へ進んだ。

 手を振った人影は次々に光の粒子になって消えていく。

 

「出口か?」 

 

 倒れた本棚に隠れるようにして、古い木製の扉があった。

 扉に辿り着いて後ろを振り返る。人影は全て消え、炭になった本棚から光の粉が舞い上がっていた。俺は口には出さずに彼らの冥福を祈り、扉に向き直る。

 

「……この先は、地上に繋がっているかもしれない」

 

 イヴァンが緊張した面持ちで言った。

 やった、地下迷宮を最速クリアだね!

 俺は扉のとってに手を掛け、力を込めて引いた。

 ギギギと音を立て扉が開く。

 まぶしい太陽の光と新鮮な空気が扉の向こうから、こちら側に入ってくる。

 もしかすると本当に地上?

 

 開いた扉から一歩前へ踏み出す。

 光に目が慣れると、地下でも地上でもない風景が目に飛び込んできた。

 

「どこ、ここ……?」

 

 延々と水溜まりと青空が続く、見果てぬ地平がそこにはあった。

 

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