44 食べ物を粗末にしてはいけません
いつの間にか、トリッセンの前には大きな
山と盛られた野菜をひとつかみ、トリッセンは空中に放り上げる。
「アタタタタタタタタアッ!」
落下する途中のニンジンやダイコンに向かって包丁を走らせる。
目も止まらぬ包丁さばきによって、野菜は見事な輪切りになって鍋に落ちていった。
メガホンを手に実況している金髪の少女が興奮して叫ぶ。
「剣豪トリッセン、すさまじい剣術だーっ! しかし、輪切りにする前に皮を剥いてほしいと、野菜屋の店主が言っているーっ!」
一応、洗ってから切り刻んではいるらしい。
でも皮は剥こうよ。
「見習い剣士ティオ少年も負けていない! 慣れた手つきでキャベツを刻んでいるー!」
ティオはまな板に向かって、キャベツを猛烈な勢いで千切りしていた。
均等な細切りになったキャベツが皿の上に盛られていく。
「ティオ少年、さっきからキャベツしか刻んでいません! 惣菜店のおばさんが、後でまとめてザワークラウトにしようかしら、と言っているーっ!」
ザワークラウトとは、キャベツの千切りを漬物にした、酸っぱい食べ物だ。
肉料理の付け合わせとしてこの地方では良く食べられているらしい。
「楽しそうなことをやってんな。あんたがローリエ王国の騎士、ロキ殿か。子守、ご苦労様」
「貴殿は……」
料理勝負を見守る俺とロキの背後に、のっそり酒瓶を持った巨漢が立った。話をしながら酒をらっぱ飲みする。
男は皮鎧を身に着け、腰に剣を
「俺はスウェルレン警備隊支部長のラークだ。刀匠ザトーの通報で事態を収拾しに来たが、なんか面白いことになってるので見物中だ」
「昼間から兵士が酒を飲むとは……ああもう、さっさと事態を収拾してくれれば、どっちでもいい!」
ロキは任務中に酒を飲むラークに呆れたが、自分自身も不真面目な性格をしているので仕方ないと割り切ったようだ。
「周辺に部下を配置しているところだ。一区切りついてから、仕事といこう。それにしてもローリエ王国の王子様は、なかなか肝が据わってるじゃないか」
ラークは感心したようにティオを眺めた。
俺は彼の台詞に同意する。
「ティオはさ、あの図太さが良いんだ。きっと大物に成長するよ」
腕組みして言った俺に、ラークは興味をそそられたようだ。
「坊主は?」
「ティオの友達だよ。ねえ、今のうちに"天牙"を取り戻せない?」
「そいつはナイスアイデアだな」
トリッセンは料理に夢中で、剣をまとめて後ろに置いている。
収集癖でもあるのか、彼の荷物には十本以上の鞘に入った剣が刺さっていた。
そこには真新しい白い布に包まれた"天牙"の姿もある。
布にくるまれて中身が見えなくなっているが、それが"天牙"だと、なぜか俺にははっきりと分かった。
今、助けに行くからな。
護衛としてティオの側から離れないロキを置いて、俺はラークと共に裏路地からトリッセンの後ろに回り込んだ。抜き足、差し足で、料理に夢中なトリッセンの背後の剣の山に近付く。
そのまま"天牙"を持ち去ろうとした俺の足元に……トリッセンが切り落とした野菜の切れ端が転がってきた。
「もったいなっ!」
そのニンジンの頭には、まだ食べられる赤い部分がかなり残っていた。
貧乏性と言うなかれ。
前世では子供の頃、貧しい家で両親を支えて家事に苦労したし、今世ではフェンリルとは言え、野生の厳しい
ふと見上げると、鍋に入りきらない余った野菜の切れ端が、テーブルの上に放置されている。
トリッセンはその野菜くずを、まとめてゴミ箱に捨てようとしていた。
「なんてことを」
もはや"天牙"を奪おうとしたことはどうでも良い。
食べ物を粗末にすることは、この街の人が許しても俺が許さん!
「捨てるな! 俺が料理する!」
「何だと……?!」
俺はトリッセンの手を止めると、包丁を奪った。
唖然とするトリッセンを押しのけて調理を開始する。
「なんとっ、突然、銀髪の美少年が勝負に乱入! トリッセンの調理台をうばって料理を始めたあっ!」
実況の少女が口から泡を飛ばして声を張り上げる。
向かいでティオの後ろに立つロキが、額に手を当てて「なんでこんなことに」と嘆いた。
俺は構わずに素早くニンジンの頭やダイコンの切れ端の皮を剥き、切り刻む。
「速い! それにしても銀髪美少年、光速の包丁さばきです! あっという間に野菜を切り刻んでいくー!」
テーブルの端には、トリッセンが手を付けていない食材がある。
近くの川か湖で釣ったらしい丸まると太った魚だ。
俺は魚をまな板に乗せると、包丁を滑らせてざっと
「そして魚屋もびっくりの秒速三枚おろしだーっ! もはや達人技!」
骨に肉がくっついて残らないように綺麗に身を切り離す。
我ながら改心の出来だ。
白身魚か。火の通りが早いな。それなら……。
「良い匂いです! もう匂いを嗅ぐだけでお腹が空きます! ゼフィ選手、料理は何でしょう?!」
「……白身魚の酒蒸し、野菜スープとダイコンおろし添えだよ」
酒はラークからもらった。
切り刻んだ野菜からは良い出汁が出ていることだろう。
いっちょうあがり、っと。
それにしても俺はいったいいつの間に選手になったんだ……?
「すっごーい、ゼフィ! これ美味しいよ!」
「フェンリルくん、神獣なんて辞めて料理人になった方がいい」
ティオとロキ、見ていた街の人々が、俺の料理を味見して、口々に歓声を上げた。
あれ? 俺たち何をしていたんだっけ。
「……その剣技、賞賛に値する」
「トリッセン」
途中で空気になっていたトリッセンが復活して、俺に声を掛けた。
剣技……剣なんて使ってたっけ。
「直接、剣を交わさなくても分かる。貴方は、俺よりはるか高みにいる剣士だ。伏して頼む。俺……いや私に剣の稽古を付けて頂きたい」
トリッセンは真剣な顔で俺に頼んできた。
剣の稽古って、ようするに決闘したいってことじゃないか。
どうしようかな。
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