26 雪の妖精ではありません

「お、鞄の中のチョコレートの箱、凹んでるけど無事だ!」


 リネの鞄を拾い上げて中を確認し、俺は笑顔になった。

 鞄の主であるリネは、愛らしい子犬から銀髪美少年に変身した俺に驚いている。


「君はもしかして……夜中の台所にお菓子をお供えすると、こっそり家の人を守ってくれるという伝説の、雪の妖精さんなのか?!」

「え? 違うけど」


 いろいろ勘違いしているリネは、俺を指差して叫んだ。

 雪の妖精って何だ。


「落ち着け、リネ」


 さっきまで地面に倒れていた隊長が、起き上がってリネの肩を軽く叩く。


「ワンころの正体が何であれ、敵じゃないなら良いじゃねえか。それよりも俺たちは、陛下のところに行かなければ」


 吹っ飛ばされていたリネの仲間も、よろよろ立ち上がる。

 

「そう……だな」

「リネには焼き肉おごってもらったから、途中まで一緒に行ってあげるよ」


 俺の申し出に、リネは困惑しているようだが「助かるよ」と受け入れて頷いた。俺たちは連れだって先に進むことにした。

 庭園の出口はすぐそこだ。

 薔薇のアーチをくぐって、王族の住む宮殿の北棟に入っていく。

 王様が寝ているという奥の部屋に進むにつれて、何だか変な匂いがした。薬品のような、鉱石や油のような、鼻をつく匂い。


「ベックスたちはここで待ってくれ。陛下の部屋には、俺とリネで入る」


 途中で仲間二人を待たせて、隊長は俺とリネを連れ、奥の明かりのついた部屋に踏み込んだ。

 豪華な燭台に灯った小さな火が、部屋の中で一心不乱にキャンバスに絵を描いている男を照らし出している。


「陛下……?」


 リネが震える声で呟く。

 絵を描いていた男が振り返った。

 目の下に不健康なくまを作った、金髪の中年男だ。

 素材は良いが簡素な衣服を身に付け、絵の具で汚れた毛布を肩から羽織っている。

 男はちょっと病んだ目付きをしていた。

 こいつが王様なのか。


「おお、アンナ。悪いがまだ絵は仕上がっていないんだ。これが完成したら、迎えに行くから」


 王様はリネを見てそう言うと、絵に戻った。

 先ほどからしている変な匂いは、絵の具の匂いだったようだ。

 隊長は沈痛な表情で言った。


「陛下は宮殿で下働きをしていた女性に惚れて、付き合っていたらしい。数年前、密かに趣味で描いている絵を贈って求愛されたが、相手の女性は絵を投げ捨てて出て行ったそうだ」

「酷い……」

「そこに置いてある黒い絵が、捨てられた絵だろう。池に落ちて絵が駄目になってしまったそうだ。陛下、あれからずっと代わりの絵を描いておられたのか……」


 リネが口元に手をあてて同情している。

 俺は王様の右斜め前に置いてある、黒ずんだ絵をのぞきこんだ。

 なんかこれ、嫌な感じがするな。

 こう、邪悪なオーラを発散してるというか。


「えい」

「わっ、ワンちゃん、何やってるんだ?!」


 人差し指で、黒ずんだ絵の中央にズボッと穴を空けた。

 しゅーっと音がして、風船に穴が空いたように絵から変な風が吹く。心なしか部屋に漂っていた絵の具の匂いが、薄れた感じがした。


「私は……いったい何をしていたのだ」

「陛下、正気に戻られたのですか?!」


 絵筆をカランと取り落として、王様は呆然とした様子で言った。

 もしかして原因は、あの黒い絵だったのか。


「夜分に失礼します」


 薄暗い部屋に一条の光が差し込む。

 煌々と燃える炎を宿した杖を持つ、魔導士のローブを着た男が、金髪の少年を伴って現れた。

 金髪の少年、ティオは、絵の前に座る王様を見て嬉しそうにする。


「はじめまして! 僕の父さまって、絵を描く人だったんですか?」


 いや違うだろ。

 しかし空気を読まないティオは、遠慮なく王様の前に進んできた。誰もティオの行動を止めない。事情が分かっているらしい魔導士の男は、静かな笑みを浮かべて見守っている。隊長とリネは、状況が分からないようで棒立ちになっている。

 ティオは王様の描きかけの絵をのぞきこんだ。

 まだ色が塗られていない、美しい女性が描かれた絵を。


「これ、母さまだよね?」

「……」


 驚愕していた王様の青い瞳から、涙が流れた。

 この瞬間、彼が本当の意味で現実に帰還したのだと、第三者の俺にもはっきり感じとれた。

 王様は、きょとんとするティオに腕を伸ばし、強く抱き締める。


「すまない……すまない」


 ティオはちょっと困った顔だが、ゆっくりと父親の背中に手を伸ばす。

 抱き合う親子。

 何だか見ていて、母上や兄たんたちが恋しくなってくる。

 俺は苦笑して親子を眺めながら、皆の注意が逸れている隙を見計らって、部屋の外に出た。

 こっそりくすねたチョコレートの箱を持って。




 人間の子供の姿では、全速力で走ったとしても、王都の外に出るのには時間が掛かる。それに警備の兵士に見つかると面倒だ。

 俺は、未来の自分の姿に変身する魔法を使って、若いフェンリルの姿になった。

 チョコレートの箱をくわえ、音も立てずに夜の街の屋根の上を疾駆しっくする。

 街を取り巻く城壁もポーンと軽く飛び越えた。


「すごい風だったな」


 徹夜で見張りしている兵士が帽子を押さえる。

 あまりの速度に、人間には風と一体化して見えるのだろう。


 あっという間に宮殿から街の外へ……兄たんが待つ場所に戻ってくる。


「お帰り、ゼフィ。どこで遊んでたんだ」


 木陰で寝そべったクロス兄が、俺を出迎えた。

 俺はチョコレートの箱を地面に落として、元の子狼の姿に戻った。


「ひみちゅ!」


 おっと、また舌を噛みそうになった。

 チョコレートの箱を口で開いて、中の黒い粒を取り出す。

 形が崩れたチョコレートを、兄たんと分けあって食べた。


「これは変な味だな! だが悪くない」

「でしょ!」

「くくっ、ウォルト兄には秘密だな。俺とゼフィだけで食べてしまおうぜ」


 もともと少ししかないチョコレートなので異論はない。

 すぐに食べきった後、俺はクロス兄の上に乗っかって就寝した。

 ウォルト兄は何をやってるんだろうと思いながら。


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