23 偽物があらわれました

 宰相のドロテアに連れられて、俺はローリエ王国の宮殿に足を踏み入れた。


 宮殿まで悪趣味だったらどうしようかと思っていたが、案外に普通だった。王都の中央にある宮殿は、水色の屋根が特徴的な、荘厳な三階建ての建築物だ。きらびやかな金の装飾もあるが、全体的に落ち着いた雰囲気が漂っている。

 入ってすぐ、一階のフロアの階段の前には、天に吠える狼の彫像があった。


「うわあ! これ、もしかしてフェンリル?!」

「そうね、実在するかどうかも分からないけもののフェンリルの像よ。古いので、もうすぐ取り壊して私の像と入れ替える予定だけど」


 なぬ……?!

 俺の中で、おばさんの罪がひとつ増えたぞ。

 狼の彫像を通り過ぎ、一階の廊下を奥へ進む。

 ドロテアの行く先々で、官僚らしき人たちが次々に頭を下げる。

 

「チョコレートまだー?」

 

 俺は子供らしくおねだりしてみた。

 はやいとこ、もらうものをもらって兄たんとこに帰りたいんだよな。


「ふふ、もう少しお待ち」


 ドロテアが意味深に笑う。

 通された宮殿の一室で、革張りのソファに座って大人しく待っていると、湯気を立てる黒い液体が入ったコップが運ばれてきた。


「これ何?」

「ホットチョコレートよ」


 チョコレートを溶かした飲み物らしい。

 熱いものが苦手な俺は、ティースプーンでぐるぐる飲み物をかき回した。少し冷ましてから口につける。

 へえ、溶かすと食感が変わって面白いな。


「坊やはどこの子? どこから来たの?」

「うーん。どこからだろー。山かなー」


 ドロテアの質問をはぐらかしながら、俺は強引に話題を変えた。


「ところで宮殿の人たち、暗い顔をしていたけど、なんで?」

「ああ……今は陛下がご病気だから」


 俺の問いかけに、ドロテアは何故かドヤ顔をする。


「陛下は私を信頼されて、不在の間の政治まつりごとを全て、ゆだねて下さっているのよ」

「いつから?」

「二年前からね。お前、この国の民のくせに、私のことを知らないの?」


 不可解そうにこちらを見るドロテア。

 俺はホットチョコレートの入ったコップをテーブルに置いた。


「うん。おばさんのことは全く興味ないよ」

「おばっ?!」

「チョコレートをくれたら、ここに用はないね」


 不敵な笑みを浮かべ、ソファに座った足を組む。

 そのまま、ドロテアの顔が怒りに歪むのを、のんびり見物した。


「世間を知らない子供には、教育が必要ね。――来なさい」


 部屋の奥から、護衛らしき男が現れる。

 男は白髪交じりの灰色の髪をしていて、片目が赤い。体格の良い体に毛皮を巻いた、ワイルドな格好をしている。


「ふふっ、聞いて驚きなさい! 彼はルクス共和国から来た伝説の英雄、赤眼の飢狼よ!」

「なんだって?!」

「表の世界から引退した彼を、運よく雇い入れることができたの」


 ドロテアは胸を張って、勝ったも同然という顔をしている。

 俺は……笑い出すのを必死でこらえていた。


「……有名税っての? 偽物が現れるなんて。いやー、笑える」

「リース、この生意気な子供にお灸をすえなさい!」


 おびえたりしない俺を不気味に思ったらしい。

 ドロテアは「早く!」と男を急かす。

 男は腰の剣をゆっくり抜いた。刃が広く厚みのある、片刃の剣だ。

 真剣のはがねが、宮殿のシャンデリアの光を反射して鈍く輝く。


「小僧。礼儀を教えてやる」


 本気で斬り殺すつもりはないのだろう。

 ちょっと傷をつけて脅せばいい、くらいに考えているようだ。

 だけどそれなら、こっちだって本気になる必要はない。


「礼儀? 俺はチョコレートを頂いている最中なのに、おじさんが失礼でしょ」

「……小僧、貴様!」


 大上段から剣が降ってくる。

 俺は銀色のティースプーンで剣を受け止めて、明後日あさってへそらした。


「そうだなー。おじさんがどうしてもって言うなら、剣の稽古をつけてあげてもいいよ?」

「舐めたマネをっ!」


 怒った男は大仰に剣を上段から叩きつける。

 剣の切っ先がボフンとソファに触れた。

 俺は素早く横に回避すると、剣の峰に飛び乗った。


「何?!」


 さすがに両刃だと靴が切れるから、剣の上に乗るなんて曲芸じみた動作は不可能だ。

 男の剣がたまたま包丁のような片刃だから出来たこと。

 子供の身体の身軽さを活かして剣の上を駆け上がると、男の頭の上にティースプーンを置いてあげる。


「ご馳走様でした」


 愕然とする男の顎を、思いっきり蹴り上げる。

 すがすがしいほど綺麗に膝蹴りが決まって、男は仰向けにぶっ倒れた。

 後を追うようにチャリンと音を立ててティースプーンが床に転がる。


「なっ、なっ……」


 俺は、口をぱくぱくしているドロテアの前に立った。


「おばさん、お土産にチョコレートの箱をひとつ……あれ?」


 ポフン、と軽い音と共に、俺の身体が白煙に包まれた。

 一気に地面が近くなる。

 子狼の姿に戻ってしまった。

 ……。


 しまったあああっ、変身のタイムリミット忘れてたあっ!!


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