07 狩りの時間です(10/31 改稿)

 太った猫は「とうっ」と掛け声を上げて枝から飛び降りてきた。

 一回転して着地した姿は、驚いたことに、人間の少女に変身していた。


 フリルの付いた黒いスカートをはいた女の子。変化しそこねたのか、山猫の尖った耳が癖っ毛から立ち、鞭のような尻尾がちょこんとスカートをはみ出していた。尻尾はダークブラウンの縞模様。髪も同じ色だった。色白の肌に深い緑色の瞳が映えている。

 可愛いと言えなくもない子だ。

 ただし、ぽっちゃりデブの女の子は、好みが分かれるところだろう。


「ふふふっ、驚いたでしょ! 私は実は元人間なのよ! ハンターの仕事をしていた時に倒したモンスターに呪いを掛けられてしまってから、一日の半分を猫の姿で過ごしているの」

「……なんで太ってるの?」

「突っ込むとこそこ?!」


 俺だって元人間だし。

 今さら動物が人間になっても驚かないぜ。


「そんなことより、君くらい魔力があれば魔法が使えるはずよ。魔法で変身すれば良いじゃない」

「まほう?!」


 猫娘は、俺が魔法を使えると言う。

 前世は脳筋剣士だった。魔法なんて使ったことがない。

 でも今はフェンリルだから、考えてみたら母上や兄たんと同じように、魔法が使えるのだ。


「でもどうやって、まほうを使うの?」


 問題はそこだ。

 俺はフェンリルに生まれてから魔法を試したことがない。

 猫娘はちょっと考えると、俺に近寄ってきた。


「仕方ないわね。使い方を直接教えてあげるわ」

「ふえっ」


 彼女は俺の身体を持ち上げると、鼻面にチュッとキスをした。

 身体の中を冷たいものがすうっと通り過ぎる。

 

「うわあ、ファーストキスをぽっちゃりに奪われるなんて!」

「失礼ね! 世界で一番可愛いこの私に向かって!」


 俺は動揺のあまり、口元を手でこすりながら後退する。

 足がもつれて雪にしりもちをついた。

 目線がいつもより高い。

 それに手足が長い。


「ふーん。思ったよりも美少年に化けたわね。無礼を許してあげる」


 どっちが無礼だ。神獣フェンリルさまに向かって。

 俺は言い返そうとして、自分の身体が人間になっていることに気付いた。手のひらを見下ろして、軽く握ったり開いたりする。

 物凄く久しぶりの感覚だ。

 背の高さや手の小ささからして、今の俺は十歳くらいの少年の姿に変身しているらしい。頬に触れる髪は前世とちがって白銀。確かめるすべはないが、おそらく瞳の色も前世とは真逆のアイスブルーなのだろう。


「服と靴はサービスしといたわよ。さっきのように念じれば変身できるようになるんじゃない」


 素っ裸ではないのは嬉しいが、フリルの付いた白いシャツと黒い半ズボンはおそらく彼女の趣味だろう。

 成金貴族の子供みたいでちょっと嫌だ。


「さあ、助けてあげたんだから、私の願いを叶えなさい。私の要求はね……」

「ごめん。俺、急いでるんだ」


 猫娘の話を聞き流して、俺は森の奥へ駆け込んだ。

 モンスターが出るという南の森。

 前世の俺の愛剣を持って森に入って行ったティオを、急いで追いかけなければいけない。いくら気にくわない腕白小僧でも、俺の剣を持って死なれたら寝覚めが悪いからな。


「ちょっと待ちなさいよ! あんた名前は? 私の名前はルーナって……聞いてる?!」

「俺はゼフィリア! 悪いけどまた今度ね!」


 振り返らずに手を振る。

 悔しそうに地団駄を踏むルーナの姿が目に見えるようだ。


「ゼフィリア! 覚えときなさいよー!」


 残念ながら、俺は面倒なことは忘れる主義なんだ。




 母上や兄たんの走る速度とは比べものにならないけど、今までの子犬状態と比べると、人間の少年の姿はずっとマシだ。

 森の奥を目指して走りながら、風に混じるティオの匂いを辿る。

 人間の姿でも嗅覚は狼のままみたいだ。

 それに思考や言語能力は子狼の時よりも大人になっている。さっきのルーナとの会話でも噛まなかったし。人間と狼の良いとこどりだな。


「……うわああああっ!」


 声変わりしていない少年の高い叫び声。

 ティオの悲鳴だ。

 俺は足元から小石を拾いあげると、ティオに襲いかかる赤いモンスターの頭めがけて投げつけた。

 狙いあやまたず小石はモンスターの頭部にクリーンヒットする。


「ナンダ?」


 モンスターの注意が俺に向く。

 赤い獅子の身体にサソリの尻尾、不気味な人間の男性の頭を持つ、邪悪な性格のモンスター。

 マンティコアだ。


「コドモ、フエタ。エサ、タクサン」

 

 ニタリ、と耳まで裂けた口を吊り上げて笑うマンティコア。


「ひっ」


 その姿に恐怖を感じたのか、ティオは涙目になって後退りしている。村を出る時は意気揚々としていたのに、今頃になって現実の厳しさに気付いたらしい。

 少年の手の中に剣はない。


 見回すと、マンティコアの後ろの地面に突き刺さる、鞘に入ったままの剣の姿が。

 抜けなかったのかー。

 そりゃ、剣の扱いを知ってなきゃ、鞘から抜くのも一苦労だよな。

 それよりも俺の剣、粗末に扱ってくれるなよ。


「ニゲテモ、ムダ。ニンゲンノコドモ、ワレワレノ、エサ」


 マンティコアは知能が高いモンスターだ。

 こちらを子供とあなどり、恐怖をあおって楽しむことにしたらしい。

 わざとらしくニタニタ笑い、ゆっくり距離を詰めてくる。


「人間の子供はお前の餌かもしれないけど……お前は俺たちの餌だよ」


 真白山脈フロストランドのモンスターは、みんな神獣フェンリルのご飯なのだ。

 俺は怯えたふりをしてうつむきながら、こっそり不敵な笑みを浮かべた。

 マンティコアの肉はどんな味がするのだろうか。


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