05 迎えにきてください
「ワンちゃーん、そこは寒いよー?」
狩人の爺さんの孫娘、ティオが暖炉の前で手招きする。
しかし俺はがんとして扉の近くから動かない。
雪と氷でできているようなフェンリルが火の近くに寄るなんて、自殺行為だ。溶けちゃうよ。
「もうー」
ティオは頬をふくらませたが、あきらめたようだ。
ここは爺さんの家の中だ。
フェンリル兄二匹が引きあげた後、俺は爺さんの家の中に連れ込まれた。
俺は逃げ出した方がいいのかしらん、と悩んだ。
しかし夕方になって外は吹雪が舞い始める。
外で迷子になって、穴に落っこちたり、モンスターにおそわれたりしたら困る。真白山脈の最強はフェンリルといえ、俺はまだチビっ子だ。前に食べた竜だって、俺ひとりなら逆に食べられてしまうかもしれない。
だから母上や兄たんが迎えにくるまで待つことにした。
人間の家の中は、フェンリルの洞窟より暖かい。
蒸し暑いと言っていいくらいだ。
どうやら人間で体温の高い子供のティオも、そこそこ暑いと思っているらしく、綿の入っている分厚い上着を豪快にぽいぽい脱ぎ捨てている。
「ちょっと待って、女の子のはだかは……」
ティオが下着に手をかけたのに気付き、俺はドキリとした。
成人男性だった前世の記憶がやましい思いを抱かせる。
「なーに、ワンちゃん」
「ふえっ?!」
キューンと鳴いた俺に気付いて、ティオはこちらを振り返る。
ティオは輝くような金髪を背中まで伸ばした、可愛い女の子だ。
成長途中の柔らかい体はすんなりしていて、胸にはふくらみが……ふくらみが無い?
んんん?
「男ッ?!」
ついでに股の間に女性には無いものを発見してしまい、俺は悲鳴をあげた。
ああ、見たくないものを見てしまった気分だ。
心がけがれてしまった……。
俺の動揺をよそに、ティオはさっさと室内用の薄着に着替え終えた。
「ワンちゃん、母さまを紹介するね」
すっかり意気消沈してしまった俺は、ティオに抱えられて為すすべなく部屋を移動させられた。
別室のベッドに顔色の悪い女性が横たわっている。
彼女とティオは親子らしく、髪の色や雰囲気が似ていた。
「ああ、ティオ。その子犬は……」
「母さま。お爺ちゃんと一緒に山に入ったときに、拾ったの!」
ティオは俺の脇に手を入れて、ベッドに向けて「ほらこれ!」と見せびらかした。
もはや抵抗する気力のない俺は少年の手の中でビローンと伸びている。
病人らしいティオの母は、ベッドに横たわったまま、注意深く俺を観察した。
血の気のない唇から祈りのような言葉がもれる。
「ああ、神様。この先に待つ過酷な運命からティオを守ってください……」
なんだ? 俺がフェンリルの子供だと分かっているのか?
真剣な目で見つめられて俺は不思議に思った。
「ティオ、家の外で服を脱いではだめよ。ちゃんと女の子らしい言葉使いと行動をするのよ。木に登ったり、動物を追いかけたりしてはだめ……」
「もう、分かってるよ! 母さまはしつこい!」
親の思い子は知らず、か。
ティオはうるさく言われてむくれているようだ。
俺は隙を見て、ティオの手から飛び降りた。
「あっ! 逃げないでワンちゃん」
逃げねーよ。ここで逃げても面倒なことになるだけだ。
部屋の隅に積まれた
「ティオ、寝かせてあげなさい。それよりも、今日あったことを教えてくれる?」
俺を捕まえようとしたティオを制止し、ティオの母親は穏やかな声を出しながら、布団から腕をだして少年の頭を撫でた。優しく愛情のこもった仕草だ。
「今日はね……」
部屋の隅で丸くなって眠り始めた俺の姿を見て、ティオは安心したようだ。
母親と向き合って会話を始める。
パチパチと暖炉で焚き木がはぜる音がした。
楽しげな母親と子供の話し声が聞こえる。
強くなり始めた吹雪の音は、厚い壁に阻まれ、家族の団欒に温められて、静かな音楽のように遠くで鳴り響いた。
俺はうつらうつら眠りながら、人間の頃の記憶を思い出していた。
前世の俺の母親は、旅芸人一座の踊り子だったらしい。
一座を脱退して父親と結婚した。
歌と舞踊が得意な母親は、幼い俺に異国の歌や不思議な踊りを教えてくれた。
いつも眠る前に聞かせてくれた子守歌、あれはどんな歌だったっけ……。
「ワンちゃん、唄ってるの……?」
無意識のうちに俺は鼻歌を唄っていたらしい。
まあ子犬の鳴き声なのでメロディーになっちゃいなかったと思うが。
それにしても、はやく兄たん迎えにきてくれないかな。
寂しくなっちゃうよ。
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