第7話 垢君嫡子しろ

      7白


 帰ってきたら。知らない顔が寝てた。

 ●●の眠っているはずのベッドに。

 ●●はいない。その代わりに、

 どこの赤ん坊ともつかない。

 部屋中を捜した。全部のドアを開けてようやく気づく。

 まだ独力で歩き回れる年齢じゃない。

 それにこの柵を乗り越えられる発想も腕力もない。とするなら、

 何者かが。連れ去った。

 誰だ。

 いや、冷静になって考えろ。

 他人の子を攫ってどうする?ただ連れていくだけならともかく。ここに、

 身代わりともいうべき。置いていくだろうか。

 すやすや眠っている。ここがどことも知らずに。

 誰なんだ。

 警察に。いや、その前に。「いまどこ?●●は」確認しておくべき。

 僕の同居人。

 すぐに電話に出た。そのタイミングが奇妙だった。「おかえりなさい。お夕飯は鍋にカレーがありますから。温めてくださいね」

 そうじゃない。夕飯なんかどうでも。「質問に答えて。いまどこにいて、●●は?一緒なんだよね?」

 ふふふ、と彼女は笑う。

 呼気の残骸が細切れになって鼓膜に届く。「そこにいるじゃありませんか。何を仰っていますの?」

 何を仰っているのは。

 どっちだ。●●は。「いないんだ。なんだかわかんないけど、帰ってきたら全然知らない子が寝てて。●●は?」

「どうか落ち着いてくださいな?お疲れなのでしょう。わたくしが出たときは気持ちよさそうに眠っていましたわよ?」

「出たときって。あのさ、●●を置き去りにして出かけたってこと?」何考えてるんだ。僕がいないときはきちんと看ていてくれなきゃ。「いつ?何時間置き去りにしたの?なんでそんなこと」

「ですから落ち着かれては?バイト先で何かありましたの?店長に叱られたのですか。それはいけませんわ。明日にでも抗議に」

 そうじゃない。そうじゃないだろ。

「●●をどこやったの?」僕が大きな声を張り上げたせいか。

 見知らぬそれが。

 覚醒して。僕を見る。

 嫌な予感はしたけど、案の定。ぐずり出した。

「●●は?」

「そこで泣いていませんの?起きたのでしょう?いま。お声が」

 だから。

 こいつは。「●●じゃない。●●は。僕の」

 もしかして、知らないのか?

 うすほは。

 無関係で。何も知らずに。「●●と一緒じゃないんだね?」

「ええ。久しぶりに懐かしいお友だちと会いまして。つい、お話が弾んでしまい。ごめんなさいね。ちょっと遅くなりますわ。それまで面倒を看ていてくださいます?」

「今日中には帰る?」

 そして、うすほは二度と帰ってこなかった。

 ●●も、戻ってこなかった。僕は、

 この誰の子ともわからない他人を。

 育てる義務はない。

 捨てようが殺そうが。どうだって。だけど、

 捨てようが殺そうがどうだっていいのなら。

 生かしたって。

 いいんじゃないかな。と、思ったのがすべての間違いだった。

 名前がわからなかったので。

 わからない、の頭文字をとって。

 わか。

 漢字にするなら、若。かな。

 若が物心ついて。僕も子育ての片手間に始めた副業が狙い通りに。

 KRE新社長の眼について。

 あの天下のKRE社長様が、僕のところに。

 わざわざやってきた。

 そんな下々の仕事なんか秘書とか部下とかに任せればいいのに。

 すべてを自分で把握しないと気が済まないタイプ?他人に任せるくらいなら全部自分でやっちゃうタイプ? どちらにせよ、

 KRE社長はやってきた。

 僕をスカウトしに。「どう?悪い話じゃないでしょ?」真っ先に僕の価値を提示してきたのが好感度が持てた。僕の取引値だ。

 見た目はプライド高そうでアレな感じだったけど。とにもかくにも、

 僕の性別を意識してなのか。著しく無意味に短いスカート丈が残念賞だった。

 僕に色仕掛け?

 妻に捨てられ、偽子持ちの僕に。

「詳しくは聞かないけど」社長は、僕の後方で静かにお勉強をしてる若に眼をやる。「もっと楽に暮らせるわよ。広くて便利のいいところで」

 乗らない手はなかった。願ったり叶ったり、というよりむしろ。

 やっと。

 解放される。他人の子から。

 うんざりなんだ。自分の子ならともかく。まったくの他人を。

 育てて。一緒に暮らして。

 ご飯食べて。

 眠って。起きて。

 話して。

 笑って。怒って。

 泣いて。

 ●●のことを忘れた日はなかったけど。

 若を。

 忘れようと思った日もなかった。すでに生活の一部になってた。

 それをいまさら手放すとか。

 なんて身軽。

 僕はスカウトされた次の日に社長のところに挨拶しに行きがてら。

 若のことを話した。僕だってただ何も考えずに若を育ててたわけじゃない。調べたし、突きとめた。若が、本当は。

 どこの。だれの。

 令息なのか。

「嘘でしょ」社長は信じられないという表情に支配されながらも。

 なにか、

 思い当たる節があるようで。「そう。ありがとう」とだけ言って。

 若を連れていった。

 若は何も言わなかった。泣きもしなければ悲しそうな寂しそうな素振りも。疑問とか不満とかそうゆうものを一切見せず。

 僕にちょこんと頭を下げた。それっきり。

 僕はKRE本社でめきめきと出世した。高卒、しかも何の変哲もない公立という学歴を馬鹿にされたりもしたけど、言い返すよりも数字で見返してやった。

 そんなわけで同僚も先輩も後輩も散々な感じだったけど、社長はもちろん、直属の上司はなかなか理解があった。名字が違うから気づかなかったが、

 社長の婿だという。

「君が書いたこれだけど」上司は、定時で真っ先に帰ろうとする僕を呼びとめて。「ちょっと見てほしいんだ。悪くはないし、完璧なくらい。だけどね」それじゃあ、

 生き残れない。

 言っている意味がわからなかった。生き残れない?何に。

「改善すべきところがあるのならそう言ってください」間違いを指摘されるのは別段気にならない。現状よりよいものがあるならそちらに近づけたい。「ですが、きょうは定時を回ってますので。あした必ず」

 上司はちょっと困った顔をして。「伝わってないね。このあと空いてるかって聞いたつもりだったんだけど」

「強制ですか」

 上司はもっと困った顔をする。「今日にこだわってないよ。空いてる日はある?」

 ない。

 と言ってもっともっと困った顔を見るよりかは。「いま聞きます。なんですか」

 けど結局上司はもっともっともっと困った顔をして。「ごめん。出直すよ」と言って明日以降に持ち越そうとする。

 肩書的には上司のほうが上だ。きっと社長の婿という立場上そこに押し込まれているだけで。本質的に実力的には、僕のほうが格段に。

 その椅子、

 もらってもいいよ。

 社長の婿の座は返品だけど。「なんですか?はっきり言ってください」

 僕には個室が与えられている。上司だって、平と同じ部屋でかろうじて敷居がある程度なのに。

 上司は定時で真っ先に帰る僕の性質をわかったうえで、

 ドアの外で待ち構えていた。「上司としての命令じゃないよ。仕事の話にかこつけて君を飲みに誘いたい。はっきり言ったよ」

 居酒屋という雑多な空間が好きになれなかったので、僕は。

 上司を自分のマンションに呼んだ。本当を言うとアルコール類も好きでない。備蓄もなければ、いまだかつて冷蔵庫に酒類を収めたことがない。そう言ったら、

 上司は笑った。「どうやって嫌なこと忘れてるの?」

「嫌なことはしません」

「そうやって生きたかったよ」上司が僕を飲みに誘ったのは、

 おとなしそうな僕に愚痴を聞いてもらいたかったわけでも。唯一まともそうな僕と理想論を語りあいたかったわけでもなく。

 アルコールを摂取することでアルコールのせいにして。

 僕にしなだれかかることだった。「酔いましたか」

「そうみたい」飲んでない。

「ベッド貸しましょうか」

「連れてって」飲んでるわけがない。だって、

 持ち込まない限り。僕の家には一滴も、

 酒なんかないんだから。調理用だってない。

 こっそり持ち込んだのか?

 そう思って服を脱がす。ボディチェックだ。

「くすぐったい」上司は身をよじる。

「バレたらクビで済むかどうか」

「大丈夫。遅かれ早かれそうなるから」それが直接の原因はわからないが、

 マサは、

 KREを追放された。婿の座も剥奪されて。

 僕はといえば、

 支部に飛ばされた。支部長補佐という、偉いんだか左遷なんだかわからない微妙な地位を与えられて。

 新しく支部長に就任した人物を見て合点する。

 ああ、僕にまだ。

 面倒を見ろと。「俺が社長になったら必ず秘書につけてやるから」それまで辛抱してくれという。「後悔させない。付いてこさせたこと」若は、

 僕が。自ら進んで、

 出世街道を外れたと思っている。思わされている。

 社長のいいように。

 殺しても殺したりないマサを更迭する尤もらしい理由として利用された感が否めない。それでも構わない。

 僕としても、

 若ともう一度暮らせる尤もらしい理由を探していたから。

 若はあまり憶えていないみたいだけど。若の父親は、

 三人もいる。

 勿論僕ではない。僕の子は、

 どこに行ってしまったのだろう。

 若の遺伝子上の父親同様捜索を続けた。そのどちらもが、

 白竜胆会。

 新興宗教団体に行き着いた。そこの総裁がかつて、KRE社長と恋仲にあったらしい。ほかならぬ総裁の実兄マサからの情報だから確かだろう。

 マサの弟である浅樋りつるがは書類上死亡していた。

 自殺が失敗に終わり、

 遺された空っぽの肉体が。

 新たな人格を作り出した。白竜胆会の力を借りて。

 それが、白竜胆会総裁。

 話が噛み合わないのも無理はない。「支部長は社長の子だろう。違うのかな」本日の訪問目的がアフタサービスの一環ではなかったと知って尚、この反応。

 ふざけていないのなら、とぼけていないのならば。

 わざと。

「自殺の原因は、恋人を実の父親と兄に」とか揺さぶろうとか思ったけど。

「そうか。君か」総裁はうんうん、と満足げに頷いて。「呼んできてくれないか」ドア横に控えさせていたサングラスで武装した大男に指示を出した。

 話なんか聞いちゃいない。

「よかった。まさか君のほうから会いに来てくれるとは。捜していたんだよ」

 大男に連れられて。

 二人の少年少女が。

 一人はとても小さい。もう一人は髪が長い。

「どちらだね」総裁は二人の真後ろに立って顎を掴む。無理矢理に顔を上げさせ。「よく見てくれ。これでわからないなら」二人の間に割って入り、両側の耳に囁く。「脱ぎなさい」

 髪が長い少女は躊躇いなくするすると。

 とても小さい少年は抵抗したが、その抵抗は大男に鎮圧され。

 どうして脱ぐ必要がある。「服を着せてください」しかし、服を脱いだお陰で明らかになったことがいくつか。

 髪の長い少女は少女ではなかった。少女の格好をさせられている。それと、

 首から下がアザだらけだった。

 虐待の痕か。しかも、現在進行形で。

 とても小さい少年はがりがりだった。こちらも違う意味で虐待を受けている。同じく現在進行形で。

「驚かれたかな」総裁は顔色一つ変えない。「私たちはこのような不幸な境遇の子どもたちを救い出すことを天命と思っている」

「それが教義ですか」不幸な境遇の子どもたちを攫って、

 現在進行形で不幸な目に遭わせることが。

「どちらがいいのかな」

「二択しかないんですか」

「年齢的に見てこの二人が妥当だと判断したよ。選んでくれ」総裁は大男に眼で指示を送って、二人の身動きを封じさせる。

 片手でそれぞれ頭部を押さえつける。うつ伏せに。

「随分と乱暴に救い出してるんですね」

「どちらだね」

 どちらも「違いますね」違ってほしいと思うのが本音だが。

 見ていたくない。

 こんな醜い。ガキも。

 宗教も。

 僕も。

「間違えました。僕の子は」帰ると会える。

「役に立てなくて心苦しいよ。また何かあれば遠慮なく」総裁は顎で指示を出し、大男に二人を解放させる。

 髪の長いほうは、

 再びするすると服を着て少女に戻り。

 とても小さいほうは、

 適当に服を着て部屋を飛び出していった。

 帰ろう。

 大きな鳥居をくぐり、

 参道を。戻る道すがらこじんまりとしたせんべい屋を発見する。どうして眼に着いたのかというと、そこで熱心に試食をしていた女の後頭部に見覚えがありすぎたから。

 忘れるわけがない。忘れられない。

 こんな、ところに。

 いたのか。「せんべいとか好きだったっけ?」まともに話せている僕に違和感。

「お友だちがお好きですのよ。おみやげにしようと思いまして」

 ●●のことを訊くべきだったんだろうけど。●●に入る文字が、

 なんだったのか。

 まるで思いだせない。参ったな。

 うすほは、あのときのままだった。ふわふわの長い髪も、どちらかというと幼い顔立ちの首から上も。だから余計に混乱する。

 いまがいつで、

 いつがいまなのか。

「君の友だちってさ」君を狂わせるほどの美人?「会ったことあるっけね」僕は。

 狂わされている。

 少なくとも僕は。

「さねあつさんはお元気?」うすほは社交辞令の質問をする。

「次期社長だってさ。頼もしいよね」

 彼女はふふふ、と笑う。

「またなんか企んでる?」

「協力していただけますの?」

「どうかな」君のやることはいつも突飛すぎて。理解するまでに、

 何十年もかかるから。

「さねあつさんに父親は不要ですのよ」

「へえ、僕を殺すってこと?」

「あなたは」父親ではありませんわ。「育ての親でしょう?違いますの」

「違わないね」

 彼女のやることはいつだって正しい。

 ただそれに気づけるか気づけないか。それだけのこと。

 社長は果たして気づけただろうか。

 うすほが。

 命懸けで遺したものの価値に。


      7


 受け渡しを終了したゲスが(本当はスゲというのだがゴミの始末の仕方が下衆としか思えないので皮肉と非難を込めてそう呼んでいる。単に分別をしないだけだが)空に飛び立つための紙切れを寄越す。こうゆう場合に日本語で何と言ったらいいのか思いつかなかったらしく特に無言だった。

「いらへんよ」突っ返す。

「メイドのミヤゲ?」

「違うやろ」力が抜ける。「いらへんて。二席分ぜーたくしたったらええよ」

「さびしい?」

「なんじょう疑問形なん?」ちらりと見えた離陸時刻。「早よお行かへんと」

「いつも戻る」また来る。

 いつ戻る。

 いつも自分だけ戻らなきゃいけなくて寂しい。

 どれも違うか。

「ほなな。しーっかり報告したってね。三億分の働きやったさかいに」

 心臓を置いてきたらとんぼ返りだろう。俺の見張りをしなきゃならない。

 ゲスはそれが仕事だ。

 俺の仕事は。「お生憎さんで。お掛けんなったお電話は」留守番電話の偽装とか。

「はばかりさんで。ほんまかいらしなるなあ」というような意味の内容を日本語以外で言う。日本語の通じない国から。「お子は旅に出すん限るわ。お遣いもできゃはるし。自慢のおぼこやわあ」ツネはん。だけ日本語だったので。

 口の中がざりざりした。

「お聞きの放送局はきっかり2秒後に爆発しぃはります。ほなさいなら」切る。

 どんだけ着信拒否にしようと。番号を変えようと。

 非通知でかかってくる。

 傾斜の緩やかなベルトコンベアに運ばれて。

 人の流れに逆らう。客が転がしている大きなキャリィケースが。ついいましがた引き渡した心臓をちらつかせて。

 神像を奪られてしまった信仰は。

 心臓を停止させるしかない。死へとひた走る。

 白竜胆会がどうなろうと知ったこっちゃないが。

「何やってた」こっちはそうもいかない。

 どっから湧いて出たのか。社長サン。

 いつにもなくマジもーどだ。

「あれは誰だ。何渡した」そしていつにもなく無個性な格好を。

 そうか、それで。

 変装したつもりなのか。

 鬱陶しい無意味な長い髪切っただけじゃないか。全然誰かわからなかった。

 俺の後ろを取るとか。

 そうでなきゃ説明が。油断。

「ストーカも大概にしぃや。のぞきにとーちょ。どないしはります?」天下のKRE次期社長サマともあろう男が。

 明日の朝刊をお楽しみに。と、冗談も通じない。

 瞬きくらいしたほうが。「はぐらかすな。家出だと聞いてるが」

「合法的な、ね。せやけどええの?それぜんぶ答えたったら社長サン、いまここでばいばいお別れやさかいに」数日前のあんなもんじゃない。一時的な見限り演技でなくて。

 永劫的な見捨て本気だ。

「ごそーぞにお任せたいんやけどな」

「迎えか」それが、

 一番の懸念事項。

 俺がいなくなること。手元から眼の前から。

 遠く離れて眼の届かない彼方へ。

「帰るのか」

「お仕事済んだらな」あの人体コレクタが。

 メイドインジャパンブランドに飽きない限りは。長くてあと。

 どんくらいだろう。

 見当がつけば心の準備もできるのだが。

 不可能だろう。

 当てずっぽうの計算で導き出された緻密な気紛れ100%原材料だから。

「聞きたい?」

「いい」即答。首まで振る。「いい。言わなくて」

「そか」

「ああいうのはもうやめろ。心臓に悪い」止まりそうだ。


      65432


 止まりそう。心臓が。

 つるが、

 死んだ。あたしのせいだ。

「もとえさんのせいではありませんわ」うすほが体温をくれる。細くて白い腕が。「もとえさんは悪くありません。悪いのは」そこから先を明言しないでくれた。

 聞きたくない。なにも。

 見たくない。

 忘れたい。消したい。

 真っ白な。

 勢いに任せてつるが運び込まれた病院に行ってはみたけど。勢いはそこで終わる。

 このあとどうすればいいのかわからない。

「病室を聞きましょう」うすほが受付を指す。

 首を振る。

 病室じゃない。病室にはいない。

 病室にいるのは、

 生きた人間。

 死んだ人間は、

「本当に亡くなったのかどうか確かめるだけでもよろしいのでは」うすほが気を遣ってくれてるけど。いまはその気遣いがむしろ、

 苦しい。空っぽになった感じ。

 あたしのせいだ。

「違いますわ。どうかご自分を責めないで」

 つるの遺体を見に来たんじゃない。

「ええ。生きていますわ。必ず。もとえさんが信じています限り。死ねるわけがございませんもの。もとえさんに断りもなく死んでしまうなどと。あり得ませんわ」

 そう。わかってるじゃない。さすがは、

 うすほ。

 あたしの。わたくしの。

 もとえさん。

 いつまでも、いついつまでもわたくしは。

 わたくしだけはあなたの味方です。

 もとえさんを生かすためならば、

 喜んでこの身を捧げましょう。すべて、

 この心臓は、

 あなたの鼓動。


     1あかきみちゃくししろ


 お前たちの心臓に止まる価値はない。だから、

 うすほさんが、

 生かすことにしたというのに。命の無駄遣いをして。

「お仕置きがいるかな」

 竦み上がったり泣き叫んだり。ましてや拒絶もしない。抗うだけの正当な理由をもたない。受け入れることもできない。ただ、

 通り過ぎるのを待つ。それが最善。

 アズマに暴力を振るおうとするとメイアが庇う。

 メイアがアザだらけなのは、

 自業自得。

 メイアに食事を与えないようにするとアズマが分ける。

 アズマが小さいままなのは、

 自業自得。

 では、両者にまったく同じお仕置きをしたらどうなるだろう。

 メイアが庇えないように。

 アズマが分けないように。

 社長の見ている前で。「何をしてるの?」

「社長とうすほさんができなかったことを代わろうと思ってね」

「だから何やってんのかって聞いてるのよ」私以外を睨みつけている。その、

 眼光。

 痙攣する。

「すぐに体を動かさないほうがいい」動けるのであれば、だが。「強制的に意識を飛ばされていたようだから」うすほさんを誘き寄せるためだか何だか知らないが。

 社長に。

 そんなことをしてくれておいて。「生かしたのが間違いだったんだよ。どうして殺さなかったんだい?」理由など自明。

 しかしそれは、体裁的な。

 KREの都合。

 社長の本心で言えば、「殺したくて殺したくて仕方がなかった。違うかな」

 集会を行なうドーム。このステージは社長のためだけに催した。

 社長のためだけの見世物。

 アズマとメイアが、

 死ぬところをじっくりと観てほしい。「殺そう。君のために」

 さながら劇場。

 ステージ以外の照明を落としている。真っ暗。

 私は、

 社長の隣に腰掛ける。社長の鼓動を感じられる距離で。

 最高の演目を鑑賞できる。

 メイアに渡した脚本には、アズマを殺せば。

 白竜胆会はお前のものだ。

 加えて、

 小張うすほの死体を持ってきてあげよう。

 アズマに渡した台本には、メイアを殺せば。

 白竜胆会を好きにしていい。

 加えて、

 KREの秘密兵器君をKREから買ってあげよう。

「あんた誰よ」社長は、

 椅子に固定された上半身で。真横にいる私を。

 見ようとする。

 聞いて気づいてもらいたい。「社長が暴行されているのを目撃していながら何もできずに逃げてしまった私は私が殺した。私は社長が」もとえが。「幸せになるためなら何だってするよ。何だってできる」我が子に手を掛けることだって。

 もとえが幸せになるのなら。「うすほさんを忘れよう」死んだ私が愛していた。

 メイアに拳銃をプレゼントしたはいいが、

 社長に流れ弾が飛んできては本末転倒だ。そのために堅田ケンダがいる。

 盾になってもらわないと。

 アズマには何もプレゼントしていない。社長に、うすほさんに、

 命という素晴らしいプレゼントをすでに受け取っている。これ以上のものを私が与えることはできない。

 興奮したメイアが無駄弾を使い切るのを。書き割りの陰で待ちつつ、

 私に無意味を訴えかける。

 私譲りの演説をぶって。「僕らを殺したいのなら一思いに殺っては如何ですか。一秒でも早く僕らは絶命すべきなのでしょう?あなたの理論では」

「ごちゃごちゃごちゃごちゃ」うるさい。発砲する。

 紙製の書き割りを通過して。

 見事アズマに命中する。右手から腕にかけて。「酷いですね。キィボード打てないじゃないですか。ここのセキュリティいじれんの僕だけなんですよ?」

 もう一発。左手から肩にかけて。

「警備会社に頼むから」要らない。あんたなんか。

 至近距離で顔面に。

 いろいろな色が飛び散る。アズマだったものが、

 床に倒壊する。

「この悪趣味な劇をやめさせて。即刻」社長は怒っているようだった。

 何故。

「はやく」

「気に揉まなくても終わりだよ」やはり丸腰と飛び道具では相手にならなかったか。私は社長の隣の席を離れて。

 堅田に目配せする。社長の傍を離れるなと。

 弾はもうない。

「わたしの勝ち」メイアが誇らしげに、

 アズマだったものを足蹴にする。

「そうだね」お前の価値は、

 これ一つ。

 起爆スイッチ。

 アズマだったものに埋め込んでおいた。アズマの心臓が止まると時間差で、

 メイアの心臓も破裂する。

 色になり損ねた色が簒奪する。心臓が霧になる。

 ああもしかするとこの残像こそが、

 神像。

「どうだね」社長の正面に屈んで感想を聞きに行く。「うすほさんが成し得なかった社長の幸せはたったいま完成した」はずなのだが、

 社長は顔を上げてくれない。

 あまりにも退屈な演目で眠ってしまったのだろうか。「社長?」

「触らないで」

「触らないよ」触る寸前のところで。

 引き戻す。手を。

「本社に帰して」

「まだ用が済んでいない」

「じゃあさっさと済ませて」

「顔を上げてほしい」

「それだけ?」社長が顔を上げたところで。

 唇に触れる。

「結婚してほしい」うすほさんの身代わりとは言わないから。「さねあつ君は私の子だよ」正真正銘。

「うすほのね」社長が真っ直ぐに、

 私だけを見つめている。

「あんたが好きなのはあたしじゃないわ。あたしが好きなのもあんたじゃない。だったら答えはわかるでしょ?」ステージをちらりと見遣って。「うすほの共犯はあんた?浅樋家を絶やしてくれたのは」

「二十年もかかってしまった」二十年もの長い歳月、

 君を苦しめてしまった。

 浅樋りつるがが臆病だったばっかりに。

「うすほは死んだの?」

「私は明確な答えをもたない」うすほさんだった肉体はそこにあるが、

 うすほさんだった精神はここにはない。

「あたしのせい?」

「うすほさんは社長のために存在した」

「別にいたっていいのに。あたしのほうが後付けなのに」

 ああ、駄目だ。

 そこに至ってしまっては。

「ずっと死にたかった。もうひとつの命を道連れにして。でもできなかった。あたしが死ぬってことはうすほが死ぬってことだから。うすほじゃなくてあたしが」死ねばよかった。

 そこに至ってもらわないために、

 うすほさんが。

 どれだけのことをしたと。「死んだら結婚できないよ」

「しないわ。あたしじゃないもの。あんたが」好きなのは。

 抱き締める。

「離して」

「離すよ」

「そっちじゃなくて」椅子に拘束。「帰らせて。頭が痛いの」

 結婚してほしい理由は。

 もとえを死なせないため。「送り届けよう」もうこのちゃちな方法で縛るしか、

 生かし続けることができない。

「心配しなくても大丈夫。あんたが考えてるようなことするほど気力とか残ってないの。疲れちゃって。いろんなことがありすぎて」どうしてそんな、

 誰もいないほうを見て笑うのだろう。

 優しげに。

「離して。お願い」

 堅田に指示して社長を解放させる。

 足元が覚束ないらしくよろけたところを、

 支えようとしたところを。

 止められる。

 やめて、と。手を前に。「大丈夫よ。大丈夫。ありがとう。帰るわ。出口どっち?」

 堅田に尾行けさせても無意味だった。

 社長は、もとえは。

 元気でやっている。

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カラレス=プラファテス 伏潮朱遺 @fushiwo41

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