おいしい関係
唯月湊
おいしい関係
この町は海を知らない。
周りは樹々が生い茂る大山の麓。潮の香りも生ぬるいと言われる風も、海を思わせるものは何一つ知らぬまま。この町の住人は生まれ育ってその生涯を終える。
けれど、町の人々はその生活に何の不満もいだきはしなかった。海というものがあることは知っていても、赴きたいとも思わなかった。
憧れるものはいるけれど、海の民になりたいほど焦がれるわけでもなかったからだ。
この山の町生まれの青年は、この町で作られた工芸品や作物をもって近隣諸国を歩み渡り、代わりに諸国の特産品を買い付けて帰ることを生業としていた。貿易商、などといえば聞こえもいいだろうが、青年がその言葉を嫌がった。
本当は、旅人になりたかったのだという。けれど、旅をするには準備も心構えも何もかもが足りず、それに似たことを、と仕事を模索した結果が、この商いによる旅路だという。
なにか知らぬものは、珍しいものはと探しながら、市場を歩む。
そんななかで、目を引いたのは茶色の魚だった。
魚といえば、みずみずしくどこか光沢のあるようなものだったと思うのだが、それは腹をひらかれて乾いていた。けれど、どこか悪くなっているわけでもなさそうな。
「なんだい兄さん、燻製は初めてかい?」
「くんせい?」
青年は首を傾げた。なんでも、木材を高温で熱し燃やしたときの煙を当てて風味付けを行い、同時に殺菌や防腐処理を施した代物らしい。
一度燻されているから生の魚ほど温度管理に気をつける必要もなく、少し変わった風味もする、とのこと。そのままでは食べられないため、一度焼くのだそうだ。
ほら、と試食用に出されたそれを口にする。少し塩味が強いけれど、噛めば弾力があり鼻腔を木の香りが抜けていくので驚いた。干物は食べたことがあったが、それより少し癖が強い。そして、なによりこの香りは知っている。
「さくら?」
「そうそう。お目が高いね」
こっちは違う木で燻製にしたものだよ、とあれやこれや、店主は出してくる。様々味見をするうちにすっかり店主にのせられてしまい、つい種類豊富に買い揃えてしまった。自家製の燻製の工房も見せてあげようか、とまでいわれるほど、仲良くなった。
ただ青年も、何の算段もなく話を聞いていたわけではない。あらかた店主の話を聞いた上で、持ち込んだ商品を見せる。大概が木製の工芸品であったり木の実や草木で染め上げた織物だ。
「どんなに気を配っても、こんな形に切り取り加工していくんじゃ使えない木っ端、切れっ端が出るもんだ。今の話じゃ、こんなものが燻製の材料になるんだろう。腐るほど、いや腐っちゃいないが、余るほどある。今度持ってくるから、あんたのとこで使えるようなら、取引がしたいんだがね」
数ヶ月後、質のいい燻製は海の町でも珍味として重宝され、山の町では傷みにくい海の幸が食卓に多く上るようになっていた。
ほんの少しの、おいしい話。
おいしい関係 唯月湊 @yidksk
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