8. 正体
寝て起きた時。
すなわち明日が来た時。
もしも今まで生きてきた人生が悲惨だったりつまらないものだったら人間というものは、「明日になれば何か変わっているだろう」なんて期待に思いを馳せながら目を覚ますものである。
でもそこにあるのは変化も改革もない今まで通りの人生で。
結局のところこの世界に大きな改革なんてものは存在しないのである。
先ほどこの場所で目を覚ました時。
ひどい激痛と吐き気に襲われた時。
そんなことを考えた。
結局僕の人生というのはどこに進んでもどこへ向かっても、明日が来ようが来なかろうが、つまらなく苦しいものであることには何の代わりも変化もないということだ。
何も変わらない。
何も変化しない。
何も改革しない。
それが僕の人生。
それが狐影春翔という一人の人間の人生である。
目の前でお茶を飲みながらこちらを見ている二人の男のことを認識すればするほど、今この現状が何なのか余計にこんがらがっていく。
いつもは優秀に働いてくれるこの脳みそも今となっては何の使い道もないかのように完全に思考力が低下してしまっている。
夢を見ているんだ。
そう思い込むことで全て忘れようとして現実逃避をしようとして何もかもを諦めようとしたけれど結局すべて無駄だった。
何の意味もなかった。
どうあがいても目の前で二人の男がお茶を飲んでいるという状況も自分が怪我をしているという状況も変わりはしなかった。
先ほど試しに頬をつねってみたが特に夢が覚めるなんて状況にもならなかったのでやはりこれはまぎれもない現実なのである。
「正義を信じ偽善を切り捨てるネット界の吟遊詩人の黒猫さん」
その名前で呼ばれ思わず肩が跳ねる。
なぜだ。
なぜそれを知っている。
僕が黒猫と同一人物であるということは僕しか知らないことであるはず。
僕だけが。本人である僕だけが知り得る事実であるはずだ。
それをなぜ素性も知らないこの男が知っている。
明らかに僕に走った動揺を読み取ったのかくすくすと笑いながら目の前の男は言葉を続ける。
「俺は黄瀬大翔、、まぁいわゆる何でも屋のようなものです」
「その何でも屋が僕に何の用ですか、ここはどこなんですか、だって僕はそこにいる男に殺されかけた、、、それなのに手当もされてこんなところにいるだなんておかしいじゃないか」
思わず矢継ぎ早に質問をぶつける。
黄瀬大翔、、その名前に当然のように覚えは全く持ってない。
「まぁまぁ、落ち着いてよ。ほら、挨拶」
こちらの質問への答えを一切無視した後、黄瀬は隣に座る男へと挨拶を促す。
僕を殺そうとした人間に、だ。
「風見拓人」
名前だけを淡々と告げた風見はそっぽを向きそれ以降何かをしゃべることはなかった。こいつ人見知りが激しいんだ、ごめんねなんてヘラヘラと笑いながら告げる黄瀬はこちらへと向き直るとその笑みを一切消す。
「それじゃぁ本題に入ろうかと思うんだけど」
「ちょっと待ってよ、まだこっちの質問には何も答えてもらってな」
「いいから」
こちらの抗議を遮り黄瀬は口を開く。
この質問に答えてくれればその全貌を教える、と。
「君にとって普通ってなんだと思う?」
黄瀬に問い掛けられた問いにそっと目を伏せる。
普通とは何か。
何が普通なのか。
誰かがそれは普通だと言えば普通なのだろう。
政府がお得意の民衆心理、大衆心理、集団がお得意の多数決、というやつで。
世間一般でいう世論というやつが、誰かの作ったマナーというものが。
それは世界でいう普通というやつだ。
普通。
ふつう。
フツウ。
世界は平等だ。
世界は均等だ。
世界は愉悦だ。
世界は巨悪だ。
白は黒で黒は白だ。
表は裏で裏は表だ。
反対側などなくて全てにおいて世界というのは同じ時を繰り返している。
それは正義は悪で悪は正義であるということを表している。
それで解決してしまう問題などきっとこの世界にたくさんある。
結局のところ被害者と加害者の解釈の問題なのである。
始まる前に問題というものは完成している。
つまり、だ。
僕にとっての普通は何かという問いかけに対する答えなのだが、この世界、だ。
誰かの発した言葉が。
誰かの告げた当たり前が。
誰かの取り決めたルールやマナーが。
この世界では普通とみなされる。
つまりは普通とはこの世界なのだ。
この世界の日常なのだ。
平凡に非凡に単調に繰り返しているこの毎日こそが普通なのだ。
いや、そもそも普通なんてものは存在していうるのだろうか。
何もかも普通と断言して、果たしてそれは本当に普通なのだろうか。
その普通はもしかしたら誰かにとっては普通ではないのかもしれない。
ならば簡単に普通だと言い切ってしまっていいのだろうか。
それはそれで身勝手な話なのではないだろうか。
身勝手だと言われてしまうのではないだろうか。
なるほど、これはなかなかに難しい問いかけだ。
そもそもの話普通という定義がよくわからないのだから。
どこからが普通でどこからが普通じゃないのかだなんて誰だって違う。
でもこの場合問い掛けられているのは僕にとっての普通であって世間一般の普通の定義ではない。となればやはり最初に出した普通というのはこの世界だという僕自身の普通の定義が答えとして当てはめられる。
なかなかの長考のすえ目の前にいる黄瀬に答えを返す。
「僕にとっての普通はこの世界だ」
少しだけ間が空いた後。
「なんで?」
そう問い掛けられる。
なんで。
「なんでも何もないよ」
「ただ、そうだから、さ」
シャ・ノワール 天崎 瀬奈 @amasigure
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