♖【ルーク】~タワーVS犬飼猟子~
その男はただ【タワー】と呼ばれていた。
とある界隈では有名な男だが、一般にはあまり知られていない。
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タワーは名前通りの巨漢である。
2メートルを超える身長、180キロもの体重、たっぷりとついた筋肉と脂肪。
髪も眉もなく、色白の肌と相まった風貌はかなり威圧的で、怪物的である。
その外見のせいで、タワーには昔から人が寄り付かなかった。
だがそれはタワーにとってはむしろ好都合でもあった。
タワーはなにより孤独を愛していたからだ。
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そんな彼の職業は『情報屋』。
と言っても、外に出たり、町をうろついたりはしない。
薄暗い路地の物陰から、警察にそっと重要情報を流すようなこともしない。
彼は完璧なインドア派の情報屋にして凄腕のクラッカーだった。
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そんな彼の住居兼、仕事場は廃墟のようなタワーマンションの最上階にある。
この老朽化したマンション、外見はひどい荒れようだが、室内だけは別世界のように整然としている。
真っ黒の大理石で統一された床と壁。居間にあるのは黒曜石のテーブルが一つと革張りの大きなイスだけ。
その机の上には通常の四倍はあろうかという大きさの、特注のラップトップパソコンが一台だけ置いてある。
そこが彼の仕事場であり、隠れ家であり、秘密基地だった。
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そんなタワーへの連絡手段はメールのみだ。
電話は引いていないし、パーソナル端末も持たない。
住所は巧妙に隠されているので、まず見つけ出すのは不可能だ。
だからメールだけが彼への唯一の連絡手段なのだ。
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そんなタワーの仕事選びは独特だ。
依頼人は慎重に選ぶが、えり好みはしない。
その基準はたった一つだけ、犯罪目的ではないコト、前払いを済ませること、この二点だけだった。
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ちなみに仕事依頼のメールは平均して一日に5通ほど送られてくる。
一か月で約150件のペース。報酬は高額なのだが、それでもかなりの数の依頼が寄せられている。
だがタワーが仕事を受けるのは月にせいぜい一件、多くても二件。
タワーにとっては、自分と猫たちの生活資金の確保だけが目的なので、このペースでも十分やっていけるのだ。
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そう。タワーを語るにはネコのことが欠かせない。
タワーの周りには常に沢山のネコがいた。
どういうわけだか、猫だけはむやみやたらと彼になついた。
彼の周りには常に複数のネコがうろうろし、勝手に部屋に住み着いていた。
そして猫たちはキャットタワーよろしく、いつでも彼の体のあちこちにのぼり、思い思いにくつろいでいた。
もちろんタワーもネコたちを溺愛していた。同時にその付き合い方もよく心得ていた。つかず離れず、いつもちゃんと視界に入れておく。甘えてきたときだけ一緒に遊んでやる。
タワーとネコたちにとってはこの部屋はエデンそのものだった。
タワーにとっては、このエデンさえ維持できれば満足なのだった。
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だから波風のある生活は全く彼の望むものではなかった。
ネコたちとの平凡で穏やかな暮らし。
そんなささやかで波風のない暮らし。
それだけが彼が望むものだったのだ。
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だが彼の意志とは関係なく、運命は平和を打ち破る。
それはこの【チェスボードシティ】に住む者の運命なのかもしれない。
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その日、タワーは一通のメールを受け取った。
内容は簡単そのもの。
【ナバリと呼ばれる人物・または集団の情報求む。入金先を指定されたし】
いつもであれば無視する仕事内容だった。
この程度であれば、ほかにいくらでも引き受けるクラッカーがいるからだ。
だがこの時ばかりは勝手が違った。
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このメールを読んでいた時、肩の上でくつろいでいた最古参の『クツシタさん』――毛は白いのだが、足元だけがグレーで、まるでクツシタを履いているように見える――が、タワーのつるりとした頭に小さな牙を突き立てたのだ。
カプッ、と。
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「どうしたんだい? このメールがなにか気になるのかい?」
そう語り掛けるタワーの声は、低くなめらかなバリトンボイスだ。
もっともその声を聞くのはもっぱら猫だけで、人間はほとんどだれも彼の声を聞いたことがない。
「ニャー」
クツシタさんは返事代わりに、今度はタワーの耳にガブリとかみついた。
またしてもカプッ、と。
「あいたた……クツシタさん、痛いじゃないか」
タワーはそうは言ったが、もちろん痛くはない。
肩に乗ったクツシタさんの前足はしっかりと爪を立てているが、タワーの強靭な肉体はその程度では痛みを感じない。
「ナー」
そしてクツシタさんは警告するように一声鳴いた。
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「ご機嫌ななめだね。退屈してきたのかな?」
タワーはその大きな手でゆっくりとクツシタさんの背中を撫でてやる。
クツシタさんはうっとりしたように背筋を伸ばしてその感触を味わい、それからブルっと身をふるわせた。
そしてまた……タワーの耳をかじった。
カプッ、と。
「噛んだら痛いってば」
もちろん痛くはないのだが、クツシタさんのプライドのためにそう声をかけた。
「ニャー」
クツシタさんはのっそりと、今度は頭頂部にのぼった。
もぞもぞとその上で丸くなり、タワーに前髪でもつけるように、その両手をだらりと顔の前に垂らした。
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「わかったぞ。さてはこのメールが気になるんだね? どれどれ調べてみようか」
タワーはラップトップからスティックを引き出し、そのアドレスにポインターを乗せた。
それから熟練したピアニストのように、キーボードに指を走らせた。
巨大なスクリーンに次々と別窓が開いてゆき、そこからさらに窓が四方に展開し、奥へ奥へ、さらに深い情報へと潜っていく。
「どれどれ……差出人は『GUN DOG』……なんか思春期みたいな痛いハンドルネームだね。猟犬、てとこかな?」
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タワーがそうつぶやくと、今度は真っ黒な猫がテーブルにひらりと飛び乗り、タワーの大きな手元にじゃれついた。つやつやの黒い毛と金色の瞳をしている。
「おや、ヤミさん、お前も興味があるのかい?」
「みゃあ!」
ヤミさんと呼ばれた猫はお腹を見せ、前足でガリガリとタワーの大きな手を引き寄せようとした。
ちなみに、現在タワーの膝には茶トラの『タイガーさん』、白黒のブチの『パンダさん』がそれぞれ陣取って眠っている。
さらに床には四匹の猫がうろついており、タワーの膝が空くのを待っていた。
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「あのね、これからボクは仕事するんだ。ちょっとだけ大人しくしててね」
タワーはそう言ってヤミさんを机から膝の上に下ろした。
ヤミさんが懲りずに机に上がってこようとするのを、左手で撫でながらご機嫌をとる。
そうしながらも右手でキーを素早く叩いていく。それと連動して画面上では窓が次々に展開し、それぞれの窓でグリーンの文字がスクロールを始める。
やがて、今度はその窓同士が重なり合い、さらにスクロールの速度が上がり、膨大なコードを羅列していき、やがて一行だけを残して、ゆっくりと点滅した。
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「どれどれ……『GUN DOG』さんの本名は……犬飼猟子さんですね」
さらにパチパチとキーを打つと、再びずらりと窓が開いた。窓はそのまま膨大な情報のダウンロードをはじめている。
「都内在住、27歳、独身、職業は婦人警官、ほほう珍しいですね」
それから別の窓が点滅しながら開き、やがて無数の人物の顔がスクロールをはじめて……ピタリと止まった。
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「ん? 犬飼? 犬飼猟子? イヌカイ・リョウコって……まさか」
タワーの表情にわずかな変化があった。彼を知る人が見れば、それは驚愕に値することだった。
いつでも、何があっても、何が起きても、表情を崩さない、それがタワーという男だった。
その彼が、わずかに目を細め、口元をひきつらせていた。
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「ミャー」
タワー頭の上でクツシタさんが短く泣いた。
普段は決してそんなことはしないのだが、タワーはクツシタさんを頭の上からそっと下ろした。
パチパチとキーを叩くと、小さかった画像が画面いっぱいに広がった。
肩まであるセミロングの黒い髪、フチなしの眼鏡をかけ、じっと正面を見つめている。着ている服は警官の制服、タイトスカートに水色のシャツ、紺色のベスト、制帽もかぶっている。
体格は中肉中背、見る人が見ればかなりグラマーな線を描いている。
そして眼鏡に隠れているが、特徴的な泣きボクロが右目の下に見えた。
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「これ、やっぱり……リョウコさんだ……」
タワーは珍しくも坊主頭をピシャリとはたいた。
「……これはまずいな……てか、もう気付かれてるかも」
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と思ったら、画面の隅から窓が勝手に立ち上がり、通話許可と通話拒否のボタンが明滅した。
タワーはそれを見て大きなため息をつき、渋々といった様子でそれから通話許可ボタンをカチリとクリックした。
「久しぶりね!
その声は端末のスピーカーから聞こえてきた。ちょっと勢いのある、命令口調のにじむような、でも快活な声だ。
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「は、はい。元気にしてました」
タワーはポケットからハンカチを取り出し、早くも滲んできた汗をぬぐった。
「それはなによりね。ちょっと協力してほしいことがあるのよ」
「あの、今月の仕事はもう締めきってまして、できれば他のクラッカーかハッカーを当たっていただけますでしょうか?」
「他に回せるならとっくにそうしてるわよ。メールの中は見てくれたんでしょ?」
「い、いえ。まだ……」
「――嘘ね」
嘘だった。
【ナバリと呼ばれる男・または集団の潜伏先の情報求む。入金先を指定されたし】
メールの文面はしっかり覚えている。
今思えば、クツシタさんは警告をしてくれていたのかもしれない。
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「やっぱり見てるよね? だったら話が早いわ、今回……」
「その、実はこれから出かける用事がありまして……」
「――嘘ね」
嘘だった。
だがここはなんとしても断るべきだとタワーの直感が告げていた。
なぜなら、彼女に関わるとロクなことがないからだった。
例えば外に連れ出されたり、知らない人と会話させられたり、嫌いな車に乗せられたり、挙句にはドンパチに巻き込まれたり……
想像するだに恐ろしい。同時に過去の悪夢がよみがえり、思わず身震いした。
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「ニャー」
異変を察したのかクロネコの『ヤミさん』がひらりと膝から飛び降りた。
そして床からじっとタワーを見上げた。
タワーもまた涙目でヤミさんの目を見つめ返した。
この平穏を壊されるのはたまらない。
この楽園から引き離されるのはあまりに悲しすぎる。
というか一歩だってこの部屋からは出たくない。
「ミャー」
ヤミさんが同感だとばかりに鳴いて、タワーの足に背中をこすりつけた。
その時、タワーに妙案が閃いた。
これならいける。
タワーは直感した。
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「……ナバリっていうのはね、誘拐と暗殺専門の組織なの。【市長】のお嬢さんが殺された事件は知ってるわよね?」
「いえ、初耳です。そんなことがあったんですか? 私は普段ニュースを見ないんですよ」
「――嘘ね」
嘘だった。
犯人探しに莫大な懸賞金がかけられており、情報屋の世界ではちょっとしたマツリになっていた。
もちろんタワーの所にも依頼はあったのだが、すでに断っていた。理由は簡単、成功報酬で、後払いだったからだ。
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それよりも……タワーは閃いたアイデアを実行に移すことにした。
タワーはラップトップのカメラに向き直り、ちょっとシリアスな顔を作った。
「それよりも今は立て込んでおりまして、長く話している時間がないのです」
「あなたに用事があるなんて珍しいわね。よっぽどのことなんでしょうね?」
タワーは重々しくうなずいた。
「私にとってはたいへん重要なことです。実は私の猫の一匹が病気になったようで、急いで病院に連れて行かねばならないのです、ということで」
「――嘘」
彼女の言葉が終わらぬうちに、素早く通話終了のボタンをクリックする。
そう、もちろん嘘だった。
タワーの猫は元気いっぱいだった。
「ごめんよ、お前たちを仮病にしてしまって」
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それからのタワーの行動は素早かった。
部屋の中にあるボウルや皿を全て引っ張り出し、ボウルには水を、皿にはカリカリのエサを盛った。
タワーの計算ではこれから丸一日はここから逃げていた方がいいはずだった。
だが心配性の彼は一週間分の水と食料を用意した。
「ちゃんと計算して食べるんだよ。まぁみんなお行儀がいいから分かっているだろうけど」
そして自分は財布に現金を詰め込み、さっさとスニーカーを履いた。
さらに頭にはバンダナをまき、変装用の口ひげをつけ、サングラスをかけた。
なんだかプロレスラーのような姿だったが、今は気にしている暇はない。
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タワーは最後に部屋を振り返った。
猫たちは、彼を見送るつもりなのか、玄関に勢ぞろいしていた。
そんな猫たちの姿を見ただけで、胸が締め付けられた。
「大丈夫だよ。私はすぐに返ってくるからね、大人しく留守番しているんだよ」
立ち去りがたい状況ではあったが、今は一刻を争っていた。
タワーは決意をもってドアノブを握りしめ、
外の世界へとつながるドアをあけた――
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「ハーイ! 大俵君」
タワーはドアノブを持ったまま固まった。
ドアを開けたすぐ目の前に犬飼猟子がいた。
婦人警官の制服、右目の下の泣きボクロ、そしてニンマリと横に広げた意地悪そうな笑み。
「あ。お、お久しぶりです、猟子さん」
「嘘ついたよね? あたしに」
彼女はそれだけ言った。
タワーがちょっと振り返ると、猫たちが玄関に勢ぞろいしていた。
いつもより元気そうにミャアミャアと泣いている。
「……はい。すみません」
タワーはそう答え、がっくりと肩を落とした。
「じゃ、行こうか! あたしたちで市長のお嬢さんを見つけるのよ」
~タワーVS犬飼猟子 終わり~
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