♔【キング】~蠅の王とガーランド~

 あたしの手には45口径。人間だって動物だって、なんなら怪物だって吹っ飛ばせるお手軽で凶悪なハンドガン。


 で、あたしはその銃口を静かに、玉座に座る『蠅の王』に向けていた。


「で? お祈りの時間は必要? 神様に懺悔しておくことある?」

「ないね。上に知り合いはいないしね。でも、下にはいっぱいいるよ……」


 その男、通称『蠅の王』は生っ白い指先、しかもやたらとゴツゴツした指輪をはめた人差し指を、スッと床に向けた。


「……でもまぁ、どいつも顔見知りだから、挨拶の必要はないかな」


   ♔


「じゃあさっさと始めて……終わらせちゃおう、か、ナ、と!」


 あたしはガチリを撃鉄を起こした。

 ここだけは固い。いくら修羅場をくぐっていても一応女の子。

 この銃は重すぎるし、手のひらに対して大きすぎるし、引き金を起こすのもギギッて力を入れなきゃならない。

 震える親指二本。シリンダーがゆっくりと回り、新しい弾丸が真上に来てカチリとセットされる。

 それさえ終われば、準備完了。


 引き金はやたらと軽い。命の重さと同じで馬鹿みたいに軽い。

 あとはそっと指先に力を入れるだけで仕事完了。


 あたしは十分に距離を取ったところで、しかし絶対に外さない距離に立ち、引き金に指を絡ませて再び銃口を向けた。


   ♔


 ここはとうの昔に捨てられた教会。

 今、あたしたちは中央の通路の端と端で向かい合っている。

 天井はすでに落ち、窓にはまっていたステンドグラスはほとんど割れ、通路を挟んで並んでいるベンチは朽ちて蔦に巻かれている。


 それでもここは元教会だった。

 どれだけ朽ちても不思議な静謐さを抱えていた。


   ♔


「キミ。せめて、理由くらいは聞かせてくれないかな? ボクはちゃんと仕事をしたはずだけど」


 ん? ちょっと予想と違う答えだった。

 てっきり『待ってくれ!』と慌てるか、無言で逃げ出すことを予想していたのだ。


「理由? そんなのないよ。あたしは頼まれただけだから」


 蠅の王……彼の外見は十代半ば。乱暴に伸ばした髪に、白い肌、右目には眼帯、足首まですっぽりと隠れるマントを羽織っている。


 その男は玉座のような大きな椅子にふんぞり返り、薄い唇を引き延ばして愉悦にも似た笑みを浮かべていた。

 それからなんとも落ち着いた様子で、指を鋭い顎先に当て、まるで推理でも楽しむようにこう告げた。


「うーむむむ、キミは殺し屋かな? つまり金のためなのかな?」

「そうよ、殺し屋よ、なんか問題ある? 百万の報酬くれるっていうから、殺しに来ただけ」


 あたしはこういう駆け引きにめっぽう弱い。根が善人だからついつい正直に本当のことを喋ってしまうのだ。


 だがまぁこの性格もこの商売ではあまりマイナスには働かない。

 あたしが何を喋ろうとも、ターゲットはみんなその秘密を墓の下まで持って行ってくれるから。


   ♔


「百万かぁ。今回はまたずいぶん安いな。キミさ、ひょっとして初心者なんじゃないのかい?」


 蠅の王はまた楽しそうな様子でそう聞いた。不思議とよく通る声で、なんだか耳に心地のいい声と話し方だった。

 だからだろう、あたしにしては珍しくちょっと動揺した。


「まぁどっちかっていうと駆けだしかな。だから何よ?」

「ずいぶん安く請け負ったものだと思ってね。これまで僕にかけられた賞金額の最高値は2億だったよ?」

「に、2億? う、嘘でしょ!」

「ホントさ、僕の命には……まぁそれがあればの話だけど……軽く2億の価値はあるはずだけどな」


   ♔


「そんなのウソに決まってんじゃん! そんな話信じられるかっ、つーの」


 なんだかちょっと顔が赤くなるのが分かった。ちょっと恥ずかしかったせいだと思うが、本音を言えばちょっとこの男に惹かれてもいた。

 たぶん歳が近いせい。それとたぶんカッコよく見えるせいだと思う。あと、話し方とかちょっとした仕草の感じとか。


「うーん。どうすれば信じてもらえるのかな? たしかに証拠とかはないしね」

「興味ないよ。それに、あたしは百万で十分だし」


「ムチャクチャなこと言うねぇ。でもいいね、そういう感じ。ボクは好きだよ。すごくまっすぐな感じがする」

 そう言って蠅の王はスラリとした手を頬に当て、ちょっと首を傾けて、あたしをジッと見つめてきた。


 またドキドキする。それになんだか興奮してる気もする。

 なんでだろう? これからこの相手を殺すから? でもこんな風に興奮したことなんて一度もない。

 あたしは人殺しはするけれど、それを楽しむタイプじゃないのだ。


   ♔


「それじゃ、そろそろ返事を聞かせて?」

 蠅の王はゆっくりと椅子から立ち上がった。


「なんの返事よ? 話が分かんないんだけど? それより、座ってな! あたしは返り血を浴びるの、イヤなの」

「あれ? 一応、告白したつもりだったんだけど?」

「はぁ? されてないけど?」


 あたしは銃口を振って座るように合図する。


 だが蠅の王は気にする風もなく、少し足を引きずるようにしてズルズルと少しづつ、こっちに来ようとしていた。


   ♔


「聞こえなかった? 座れって意味なんだけど」

「分かってるさ、でもボクにも都合ってものがあってね。キミの顔をもう少し近くで見たいんだ」

「よ、寄るなよ! あたしはあんたの顔なんか見たくない」


 なんでだろう? あたしは動揺している。だからあたしはもう一度両手でしっかりと銃を構え、すこし狙いを下げて足元に向けた。


「止まりな!」

 短い警告だけ。返事を聞く間もなく、引き金を引いた。


 ドォォォン!


 大量の火薬が弾け、大きな弾頭を撃ち出す。

 それは狙い通り蠅の王の足元に命中し、床板に大きな穴をあけた。

 白い煙がその穴と、あたしの銃からゆっくりと立ちのぼる。


 そして硝煙の臭いは、戸惑っていたあたしの心をあるべき場所に、カチリと戻してくれた。


 あたしは再び撃鉄を起こし、次の弾丸をセットし、やたらと軽い引き金に指を絡ませた。


   ♔


「キミ、意外と短気みたいだねぇ。だったらこっちも要件をさっさと伝えた方がよさそうだ」

 やっと蠅の王は止まった。だが事態が好転した気はしない。さっきまでとまるで変わっていない。


 あたしはちょっと不思議に思う。どうしてこの男の脳天をさっさとぶち抜いて、このやり取りを終わらせないのだろう? と。

 これが好奇心という奴なのだろうか?

 正直に認めると、あたしはこの男が話す言葉を少し聞いてみたいと思った。


   ♔


「先日のことさ、ボクはの娘の身元捜しを引き受けた。まぁボクに頼んでくるくらいだから、生存はあきらめていたんだと思う。

 まぁその辺の事情はどうでもいいかな? ただボクはボクの持っている能力を使い、ちゃんとその娘の居場所を突き止めた。

 まぁ分かっているとは思うが、彼女はすでに死体だった。それは彼らも薄々気付いていたはずだ。

 その点においてボクには一切責任はないし、そもそもその事件との関わりも全くない。

 考えてみてくれ。ボクはあるかどうかわからない死体探しを頼まれて、要求通りにそれを見つけ出した。ただそれだけなんだ。

 まぁたしかにボクは普通の人間とは少し様子が違う。

 だがちゃんと仕事をして、このチェスボードシティで暮らしている一般市民の一人だよ。

 キミみたいな殺し屋を差し向けられる覚えはないんだ」


   ♔


「はいはい、長ゼリフご苦労さま……」


 実はあたしはこの辺りの事情はうっすらと知っていた。

 新聞なんぞ読まなくても、それは街の大きなニュースだったからだ。

 誘拐されたのは【市長】の娘だ。身代金要求を引き延ばしているうちに、娘は死体で発見されたらしい。

 要はしびれを切らした犯人が、交渉中にすでに人質を殺していた、というオチだった。もちろんその時点で交渉は決裂。犯人は逃走し、市長は怒り狂って警察を総動員、さらに闇ルートを使って犯人探しに乗り出している。


 まぁこの街ではの一つではある。

 だが今回は相手が悪すぎた。

 

   ♔


 ちなみに【蠅の王】は裏の世界ではちょっと知られた存在だ。

 追跡者、猟犬、そう言う特殊な連中とはまた別の存在。

 追跡者も猟犬も探し出すのは生きた人間だが、彼が見つけるのは死体だけだ。

 だがこと死体であれば、それがどこにあろうと、どんな状態だろうと、必ず見つけ出してくるという。それこそまるで蠅のように……


 まぁあたしも聞いたのは噂だけで、実在しているとは思わなかったけど。

 

   ♔


 つまり人質が死体だった時のためのバックアップとして彼は雇われていたのだ。


 ということは……え? じゃあ誰が報酬を支払うの?

 そんな疑問が顔に出たのか、蠅の王は静かにこう告げた。


「まぁ順当に考えればボクに消えて欲しいのは犯人グループだろうね、ちなみに調べもついている」

「そこまでわかるの? それとももう死体になってるの?」

「犯人はまだ逃げてるよ。今はアジトに潜伏中。ボクの蠅が貼り付いている」


   ♔


「『ボクの蠅』ね……やっぱり手下がいるのね?」


 あたしはぐるりとこの教会を見回す。だが廃屋だ。屋根すらほとんど落ちている、手下が隠れているような場所はどこにもなかった。


「まぁ僕は【蠅の王】だからね。でもキミの考えるような手下はいない。それより銃、重くない? もう下ろしてもいいんじゃないかな?」

「余計な気遣いは結構よ」


「そう? ちなみにキミの名前も知っているよ、。歳は僕より一つ上、あどけない少女のなりで凄腕の殺し屋だってね」

「なんだ、知ってたの」


 あたしはフッと息を吐いて、片手で拳銃を支えた。

 重量5キロの特注のハンドガン、名前は『グリード』、強欲っていう意味。

 本当はもう一丁、対になる銃、嫉妬の『エンビー』って銃があったんだけど、盗まれちゃってそのまま見つけ出せずにいる。

 実はあの銃の行方を捜すために金をかき集めているのだ。

 

   ♔


 と、蠅の王がニヤリと笑った。なんだか虫唾の走るような、嫌な笑い方だ。


「なによ? その笑い方」

「ボク、知ってるんだよね、キミのもう一つの相棒『エンビー』の行方ゆくえをさ」


 その一言でコイツの死刑が決まった。


 あたしはスニーカーを踏みしめ、銃口をまっすぐに向けたまま、蠅の王に詰め寄った。

 そのまま額にゴツンと銃口を突き付けた。


「おいおい、キミはずいぶん短気なんだね」

「悪い? 五秒だけ待ってあげる。持ち主と居場所を教えて?」

「ま、待ちなよ。殺したら聞き出せないんじゃないか?」


。無駄口がたたったわね」


   ♔


――ドンッ―― 


 もちろんためらわずに引き金を引いた。


 ただし頭は避けた。頭と口と舌にはまだ利用価値があるかもしれないから。

 だから腹のあたりに一発。


 多分、数分なら動けるんじゃないかな? 命は助からないと思うけど、それに縋り付くくらいの時間はある。


「ホントに撃ったよ……さすが殺し屋だな」

「まだ無駄口叩けるんだ?」


 それからもう一発。今度は足に


――ドンッ――


   ♔


 蠅の王はよろよろと後じさり、ぺたりと腰をついた。

 ボロボロのマントが床に広がり、流れる血を覆っている。


「おいおい、普通はもう一言聞いてから……」


 あ。まだ喋る元気があるんだ。


――ドンッ――

――ドンッ――


 今度は両肩。反動で無様に肩を躍らせ、それからがっくりと床に伸びた。


「弾丸はまだまだあるよ?」


   ♔


「みたいだね」

 蠅の王は床に寝そべったままそう言った。


「キミに告白するよ……」

「さっきみたいのはダメよ? 冗談聞く気分じゃないの」


「キミのもう一丁の銃『エンビー』はとある墓の下に埋まっている。もう埋められて五年が経過している。分かったろ? ボクなしじゃ絶対見つけられない」

「それだけわかれば十分よ、町中の墓を暴いてやるんだから」


――ドンッ――

――ドンッ――


 あたしはお別れの銃弾を撃ち込んで踵を返した。


   ♔


「……まったく、ホント短気だねぇ」


 と、背後で蠅の王が立ち上がるのが分かった。

 ぞッと背筋の毛が逆立ったが、恐怖を抑え込んだ。


 振り向きざまに弾丸を放つ。


 弾倉が空になるまで、銃口が熱で赤く焼けつくまで、何度も何度も引き金を引いた。


 弾丸がボロのマントに次々風穴を開け、蠅の王はそのたびに引っ張られ、踏みとどまり、無様なステップを踏んだ。


 それでも顔だけはなんか避けてしまった。

 じっと見ている彼の目を失くしてしまうのがちょっと寂しかったから。

 蠅の王はじっと片方の目で、あたしのことを見つめ続けていた。


   ♔


 弾丸はすぐになくなった。


 それでも彼はまだ立っていた。

 そしてゆっくりとマントのボタンに指を動かした。


「あのね、ボクは死なないんだ……」


 すべてのボタンを外すと、マントの裾をつまみ、お辞儀でもするようにゆっくりと持ち上げた。


 ゆっくりと彼のマントの中身があらわになる。


 その中では何か黒くて小さなものがうごめいていた。

 それも大量のなにかが、固まりになって、細かく震え、ザワザワと動いていた。


   ♔


 で、あたしは吐いた。


 蠅の王の体に詰まっていたのは『蠅』だった。

 なにが本体なのかは分からないくらいびっしりとたかっている。

 ただただ無数の蠅が彼の体の中に詰まっているようにみえた。


「ま、すぐに慣れると思うよ、はいコレ」

 蠅の王がそっとわたしに小さなプラスチックのケースをよこす。


「なにコレ?」

「メンソレータム。鼻の下に塗るといいよ」


 それから猛烈な腐臭がマントの中から漂ってきた……。


 あたしはあわてて蓋を開け、たっぷりと鼻の下に塗った。

 危うくまた吐くところだった。皮膚はヒリヒリするし、目はシパシパしたけど、ないよりはずっとマシだった。


   ♔


「ガーランドさん、落ち着いた?」

「今すぐ殺したい」


「だから無理だって」

「何が望みなの?」


「友達、いや、相棒になってほしいな」

「無理」


「キミの銃を手に入れても?」

「無理」


「100万でどう? ボクが代わりに払う」

「だから無理」


「倍ならどう?」

「いくら積まれても無理」


   ♔


 つまりは人外だったわけだ。

 殺そうにも殺せない存在。

 まれにこういう奴がいる。

 だからあたしはもう帰ることにした。

 蠅の王は尚も話したそうだったが、あたしはもう振り返らない。

 ただただ背後に返事を置いていくだけ。


   ♔


「ねぇ、もうちよっと話していきなよ」

「イヤ」


「ねぇ、また来てくれるよね?」

「こない」


「ボクたちもう友達だろう?」

「ちがう」


「ねぇ、考え直さない?」

「無理」


   ♔


 教会の扉を開けると、明るい日差しに包まれた。

 こんなことだけで生きていることが実感できた。

 なんというか命がある世界に存在しているのが感じられた。

 まぁそれだけのことだったけど、ちょっと新鮮な感覚ではあった。


 そして彼から最後に聞こえてきた言葉はこうだった。


「キミが死んだ時には、会いにいっても構わないよね?」


 やめてほしいけど……それはまぁ、避けられないだろう。


~蠅の王とガーランド 終わり~

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